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      春の夜の月  −3−                              小説おしながきへ
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 舞踏会当日を迎えた。

 ムーンブルクにも春が訪れていた。リエナが父王からルークとの見合いを言われた日、まだわずかに蕾をつけるだけだった花壇も、あたたかな春の日差しを浴びて、色とりどりの花々が競うように咲き誇っていた。

 リエナの部屋では、女官が数人かがりで彼女の支度を急いでいた。身に纏った純白の絹綾のドレスは、今日の為に特に念入りに仕立てられた衣装である。

 長い髪も、今日は高く結い上げられている。この髪型は成人女性となった証でもあった。昨日までは、愛らしくゆるやかに巻いたり、美しい巻き毛を活かして下ろしていたりだったが、もうこどもの時の髪型とはお別れである。

 支度が終わったリエナの姿に、その場にいた女官が全員感嘆の溜息をついた。リエナの記念すべき日の為に、今日だけ特別に女官に復帰したマーサも、涙ぐみながらリエナの晴れ姿を見つめていた。

「姫様……。ご成人、おめでとうございます。私は姫様の晴れの日のお姿を拝見できて、こんなうれしいことはございません」

 リエナも久しぶりに再会できた母親同然の乳母に優しく声をかけた。

「わたくしも、マーサにこの姿を見せることができてうれしいわ……。今日は本当にありがとう」

「もったいないお言葉でございます」

 マーサは声を詰まらせていた。

 リエナは緊張していた。初めての公式の席であるばかりか、将来の伴侶となるかもしれない人物との初対面の席でもある。

 入場までまだしばらくある。リエナは控室でその時を待っていた。

********

 ルークは舞踏会の会場となるムーンブルク城の大広間に立っていた。もともと華やかな席を苦手としているうえに、今夜はリエナとの顔合わせもある。嫌でも緊張せざるを得ない。

 数多い招待客達の中でも、ルークは異彩を放っていた。ムーンブルク人は全体的に色素が薄く、淡い色の髪や瞳を持つ優雅な雰囲気の人物ばかりである。その中で、ルークの漆黒の髪と深い青の瞳、日に焼けた肌が印象的な精悍な風貌は、非常に目立つものである。

 また彼はまだ17歳であるにもかかわらずかなりの長身であり、今もまだまだ成長の止まる気配はない。魔力を持たないことを自覚した幼い時から、ずっと剣の修業を続けているせいもあり、ひとかけらも贅肉のない、がっちりとした筋肉質の体格をしている。鍛え上げられた長身をローレシアの象徴である青い第一礼装に包んだ姿は堂々として、いかにもロト三国宗主国の王太子にふさわしいものだった。

 あちらこちらから、若い令嬢達のひそやかな噂話が聞こえてきた。

『あら、あちらのお若い殿方はどなた?』

『ローレシアの王太子ルーク殿下ではございませんこと?』

『まあ、あの方が。何でも剣の修行ばかりなさっているとか。……ですけれど、とても凛々しくていらっしゃいません?』

『本当に……。ローレシアの青い礼服がよくお似合いですわね』

『ルーク殿下は、今年17歳におなりとか。そろそろ、お相手を決めるお年頃でいらっしゃいますわ』

『まあ……、意中の方はいらっしゃるのかしら?』

『そういったお噂は、耳にいたしませんわ。まだ、決まったお相手はいらっしゃらないのではありませんこと?』

『それでは、もし今日お近づきになることができれば……』

『あら、抜け駆けはいけませんわよ』

『いやですわ。ただ、一度ご一緒に踊れれば、と思っただけですわ』

 もう一人、別の意味で目立つ若者がいた。サマルトリアの王太子、アーサーである。彼もルークと同じ17歳。ユリウス、ルークとは幼い時から将来のロト三国を継ぐ者として親交を深め、互いに親友と呼べる間柄である。

 アーサーは茶色のかった金髪と柔らかな光を放つ若草色の瞳の持ち主で、ルークとは印象のまったく違う、優雅で洗練された雰囲気を持つ貴公子である。今夜は自分の婚約者であるコレットとともに舞踏会に招待されていた。

 アーサーはいつも以上に美しく装った婚約者を眩しそうに見つめながら、感想を尋ねていた。

「どうだい? 初めてのムーンブルク城は」

 コレットはなめらかな頬を上気させながら、それでいて優雅さを失うこともなく上品に辺りを見回していた。

「素晴らしいとしかいいようがありませんわ。歴史の重みを感じさせるだけではなくて、繊細で、それでいて優雅で……」

 うれしそうな婚約者に、アーサーも満足げだった。

「これからは時々来ることになる。後でユリウス達にも紹介するよ」

 アーサーがふと眼を遣ると、ルークが長身を持て余し気味に立っているのが見えた。どこかの貴族と如才なく会話を交わしてはいるが、明らかに緊張しているのがよくわかる。

「コレット、あれがルークだよ」

 そう言って、ルークのいる方向を眼で示した。コレットも不躾にならないように注意しながら、ルークをそっと観察した。

「お噂に違わず凛々しい方ですのね。リエナ姫様とお二人並ばれたら、さぞや素敵だと思いますわ」

「凛々しい、か。物は言いようってやつだね。あいつは昔から全然変わってないよ。ごらん、今も麗しい令嬢達が熱烈な視線を送ってひそひそやっているのに、まるっきり気づいてやしない。あの鈍さだけは一生治らないかもな。――後でからかってやるか」

 アーサーはちょっと意地悪げな笑みを浮かべた。コレットは口元に上品な微笑みを湛えたまま、やんわりと反撃する。

「あら、そんなことをおっしゃってよろしいのかしら? アーサー様だって先程からたくさんのお美しい方々からの視線を受けていらっしゃるのに、わざと気づかない振りばかり。私、わかっておりますのよ」

 普段は控えめなコレットも、アーサーにだけはこんな口を聞く時がある。

「僕には、君だけしか見えないからね」

 アーサーはしれっとして気障な台詞をはいた。

********

 やがて定刻になり、ムーンブルク王ディアス9世・王太子ユリウス・王太子妃ソフィーが大広間に現れた。先に三人が玉座に着いた後で、ようやく今日の主役のリエナの登場である。

 大広間の扉が開けられた。

 リエナは、初めて大人の王族の女性として公式の舞台に立っている。期待に満ちた会場に現れたリエナの姿に、各国の招待客は息を呑み、感嘆の声をあげた。

 そこに現れたのは、輝くばかりに美しい少女である。プラチナブロンドの髪は眩しいほどに煌めき、透き通るようにきめ細かな肌は雪をも欺くほど白く、薔薇色の頬と唇は匂いやかに色づいている。そして何よりも印象深いのは、大きな菫色の瞳だった。長い睫毛に縁取られ、まるで夢を見ているかのように美しい。純白の豪奢な絹綾のドレスを纏った華奢な肢体は、まだ少女特有の線の硬さを残しているものの、それが却って初々しく、清楚な魅力に溢れている。

 まさに、月の女神の再来と呼ぶにふさわしい、神秘的な美貌を誇る姫君だった。

 リエナは扉の前で優雅に一礼すると、そのままゆっくりと玉座に向かう。招待客の視線がまるで自分に突き刺さるような感覚に足が震えそうになるが、背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を見つめて歩いて行く。玉座で父王に迎えられ、着席した。

 ルークは、初めてリエナの姿を目の当たりにして、噂を遥かに超えた美しさに言葉を失っていた。

(あれが、リエナ姫……。なんてかわいいんだ。抱きしめたら折れそうなくらい華奢で…。いけない、俺はいったいなんてことを考えてるんだ。瞳は菫色……。こんな色は初めて見た。神秘的で、なんて美しい色なんだろう……)

 しばらく夢中で見つめていたが、リエナは順に招待客からの祝辞を受けている。自分の順番になったのに気づき、緊張した足取りで玉座に向かった。

 ルークは玉座の前で、ムーンブルク王、王太子夫妻に丁重に祝辞を述べた。その後、リエナに初対面の挨拶をする。

「リエナ姫、お初にお目にかかります。ローレシア王太子、ルーク・レオンハルト・アレフ・ローレシアでございます。本日は誠におめでとうございます。咲き誇る花のごときお美しさの姫にお目にかかれて光栄に存じます」

 なんとか、決まり文句をつっかえずに言い終わると、リエナの手の甲にくちづけた。

 ムーンブルク王はルークの様子を、まるで値踏みするかのようにじっと観察していた。ルークとは二年ぶりの再会であるが、彼の成長ぶりに驚いていた。

(あのどうしようもない悪戯小僧がずいぶんと落ち着いたじゃないか。だが、大事な愛娘を嫁がせるに値する男かどうか、今からきっちり見極めてやるから、覚悟しろよ)

 王は意地悪く、わざとルークを試すような発言をする。

「ルーク殿。過分な褒め言葉を頂戴したが、リエナはまだこういった席には不慣れだ。よければ、後からダンスに誘ってやってはくれぬか」

(ついに、来た……!)

 ルークの緊張は限界まで来ていたが、何も答えない訳にはいかない。何とか平静を装って言った。

「身に余る光栄でございます」

 姿勢を正し、丁重に答えを返す姿は、周りの人間から見れば、ルーク自身が思っているよりも遥かに堂々としていた。リエナにも臆することなく真っ直ぐに深い青の瞳を向けた。

(この方がルーク様……、お兄様がおっしゃったとおり、ご立派な方だわ……)

 リエナも不躾にならないよう注意しながらも、美しい菫色の瞳をルークから離すことができない。そんな二人の様子を、ユリウスは内心してやったりと見守っていた。

 ムーンブルク王自らがルークにリエナのダンスの相手を命じたことに、招待客は色めき立った。それは、ルークが結婚相手の最有力候補になることを意味するからだ。しかも、彼はローレシアの王太子であり、身分で敵う人物はまずいない。我こそはと名乗りを挙げようと目論んでいた若い貴族の子弟たちは落胆するしかなかった。あらためてルークに招待客の視線が集中するが、先程までの好意的なものばかりではないのは致し方ないだろう。


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