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      春の夜の月  −4−                              小説おしながきへ
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 そろそろダンスが始まる時間である。ルークはリエナを誘いに行かなくてはいけないのだが、どうしても気が進まず、バルコニーで一人夜空を眺めていた。

(リエナ姫か……。確かにすごくかわいいし、性格もよさそうだし、非の打ち所がないのはわかるけど……。でも、こういう華やかな席は苦手なんだよな……)

 ルークがまだぐずぐずしていると、ぽんと肩を叩かれた。振り返ると、いつの間にここに来たのか、アーサーが立っている。

「久しぶりだね、ルーク。相も変わらず、元気そうで何よりだ」

 アーサーは意味ありげに笑っている。

「なんだよ、アーサー。そんな眼で見て。俺の顔に何かついてるか?」

「いや、わかりやすいのも相変わらずだと思ってね」

「そっちこそ、えらい含みのあるいい方じゃないか」

「リエナ姫は噂以上の美少女だったね。よかったじゃない」

 内心を見透かされ、ルークはぎくりとした。

「何訳わからんこと、言ってんだ?」

「僕が知らないとでも思った? 今夜の本当の目的なら聞いているよ。もちろん、僕とコレットの役割もね」

「父上……! よりによってアーサーにまで……」

 思わず拳を握りしめ、ルークはわなわなと怒りに震えている。

「ルーク、この縁談に何か文句でもあるわけ? お前のことだから、まさか他に好きな女性がいるわけじゃないだろう?」

「そりゃそうだけど……」

 ルークの答えは今一つ歯切れが悪い。

「じゃあ、何も問題も無いよね。余程のことがない限りこの話は決まるから、先におめでとうと言っておくよ」

「まだ、早すぎるぜ」

「いいじゃない。おめでたい話なんだからさ。それから、ユリウスから伝言だ。舞踏会の後に三人で呑もうって」

「俺は遠慮しておく」

「そうつれないことを言わない。ユリウスだって、自分の大事な妹を嫁がせるんだから、お前に文句の一つも言いたいんだろうさ」

「だから嫌なんだよ……」

 そうつぶやく顔は、心底嫌そうである。

「とにかく伝えたからね。ほら、もうすぐダンスが始まる。お前がリエナ姫を誘わないことには始まらないんだから、さっさと行けよ」

「う……」

 ルークは思い切り渋面をつくった。

「じゃあ、僕もコレットと踊ることになってるから。後でね」

 大広間では既に楽団が準備を終えていた。アーサーとコレットのように特に選ばれた賓客の他、ユリウスも自分の妃であるソフィーの手を取って、今夜の主役の登場を待ち構えていた。ルークは衆人環視の中、リエナを誘うために玉座に向かう。がちがちに緊張しているが、剣技に鍛えられた長身は無駄な動きがなく、歩く姿も堂に入っている。あちこちでちいさな溜息が漏れた。

 ルークは意を決したように、リエナの前に立つと、一礼して挨拶をする。

「リエナ姫。今宵の月の美しさに誘われて参りました。一曲、私とお相手いただけませんでしょうか」

 ムーンブルク王は、なかなかリエナを誘いに来ないルークを今か今かと待っていたが、何とか無事に口上を述べたのにほっとした。リエナに向かって鷹揚に頷いた。

「リエナ、せっかくのお誘いだ。お受けするがよい」

 リエナも緊張しているのがよくわかる。ゆっくりと頷いた。

「ルーク様。こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」

 ルークは差し出されたリエナの手を取り、甲にくちづける。そのまま玉座から会場の中央に誘った。楽団が優雅な舞踏曲を奏で始めた。

 ルークはリエナの手を軽く握り、華奢な腰に手を添えると、曲に合わせてステップを踏み始める。リエナはダンスの名手の噂に違わず、優雅に舞っている。ルークはずっと緊張しっぱなしではあるが、嫌々ながらも特訓した賜物か、思った以上に身体が音楽に乗って動くことができる。いつもより少しは余裕があるせいか、それとも他の理由があるのか、踊りながら、ごく自然にリエナと見つめ合っていた。

(うわ、近くで見ると、ますますかわいい……。特にこの瞳。吸い込まれそうにきれいな菫色だよなあ、なんだかずっと見ていたくなる……)

 リエナもルークから、なぜか視線を外すことができなかった。

(ダンスが決してお上手だとは思わないのに、一緒に踊るのがとても心地よく感じるのは何故? 先程と同じように真っ直ぐにわたくしを見つめていらっしゃるわ……。恥ずかしいのに、目が離せない……)

 アーサーは優雅さを絵に描いたようなステップを踏みつつ、さりげなく二人を観察していた。

(へえ、これはもう決まったな。でも、緊張しすぎてしくじるなよ)

 アーサーとコレットは、幼馴染みの婚約者同士らしく、流れるように息の合ったダンスを見せていた。コレットがそっとアーサーに囁いた。

「あのお二方、なんて素敵なんでしょう。とてもお似合いですわね。アーサー様、そう思いませんこと?」

「ああ、意外とね」

 アーサーの返事はコレットの予想通りである。

「まあ、またそんなふうにおっしゃるのね。本当はとてもお似合いだと思っていらっしゃるくせに」

 コレットは少したしなめるように言ったものの、すぐにお互い、にっこりと微笑みあった。

 ユリウスも自分の妃と踊りながら、二人を見守っていた。

「ルークとリエナはいい感じじゃないか。どう思う? ソフィー」

 ソフィーもゆったりとした微笑みを浮かべている。

「あなたのおっしゃるとおりですわ。お二方を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになりましてよ。リエナ様も良いご縁にめぐり会えて、ようございましたわね」

 招待客の視線は、ルークとリエナに集中していた。そこここで、ひそひそと噂話が聞こえてくる。

『やはり、リエナ姫をローレシアに輿入れさせる噂は本当だったらしい』

『何なんだ? 今日はリエナ姫の15歳の誕生祝いじゃないのか? これじゃ、まるでローレシアの殿下との見合いじゃないか。せっかくリエナ姫と踊れると思ったのに……』

 やがて曲が終わった。ルークとリエナはどことなく名残惜しげに手を離すと、お互いに一礼する。そのままルークはリエナの手を取って玉座に導いた。ムーンブルク王は満足げに微笑んでリエナを迎え、リエナはそのまま着席した。どうやらもう今夜はリエナが他の男と踊る予定はないらしい。それに気づいた招待客達は、あらためて今日の舞踏会の目的を悟って、あちこちで溜息が漏れる。

『くそーーっ! リエナ姫を手に入れるのは俺だったはずなのに。でも、競争相手がローレシアの王太子殿下じゃ、勝ち目はないか……』

『アーサー様も、ルーク様もお二人とも素敵なのに、もうお相手が決まってしまったのね。残念だわ……』

 その後は、招待客が自由に踊ることのできる時間である。アーサーにも、ルークにも若い独身の令嬢達から、ダンスの申し込みが殺到した。アーサーはコレットに目配せすると、ごくあっさりと申し込みを受け、優雅に見えながら実のところは適当に相手をしている。コレットもいつものことで慣れているから、特に変わった様子もなく、優雅に微笑みながら見物している。もちろん彼女にも多数の申し込みは来るが、こちらはその気がないので断っているようだ。

 一方ルークも申し込んでくる令嬢達の顔をつぶすわけにもいかず、申し込みを次々と受けていた。しかし、リエナと踊った時とは違って、明らかに心ここにあらず、といった風情である。相手の女性が熱い眼差しを送っているのに、まったく気づこうともしていない。それでもステップを間違えることも、相手の足を踏むこともなく何とか無事に踊れたのは、彼にしては上出来だっただろう。

 やがて、舞踏会もお開きの時間になった。ルークとアーサー達は最後にもう一度ムーンブルク王に挨拶をして退出していく。彼らと踊りたくてもかなわなかった令嬢達が、名残惜しげに二人の背中を見つめていた。初めて公式の席に出席したリエナと踊るのを楽しみにしていた貴族の若者たちも、あからさまではないものの、ルークに敵意を含んだ視線を向けていた。

 ルークも侍従に案内され、あてがわれた客室に戻った。小間使いに手伝わせて湯浴みと着替えを済ませると、どっと疲れを覚えて豪華な寝台に思い切り手足を伸ばして寝転んだ。さっきからずっと、リエナの面影が目に焼き付いて離れない。

(ほんとうにかわいい姫だったよな。髪も肌もものすごくきれいだけど、特にあの菫色の瞳が一番印象に残ってる。あの姫が俺の妃か、悪くない……。いや……、俺はもしかしてうれしいのか?)

 ルークはがばっと起き上った。一瞬顔から火が出る思いがしたのを、顔を思い切り左右に振って追い払う。

 そこへ、先程下がらせた小間使いが伝言を持って来た。ユリウスからの酒席への招待である。そう言えばアーサーがそんなことを言っていたとようやく思い出し、すぐに伺う旨返事をする。もう一度着替える為に小間使いに支度を命じたが、どうも気が重い。

(今ユリウスのところに行ったら、アーサーと二人でどれだけ言われるやら。今日は疲れることばかりだ。剣の稽古ならどんなにやっても平気なのに)

 嫌々ながらも支度を終えたルークは、召使いに先導されてユリウスの部屋に案内された。ユリウスは満面の笑みを浮かべてルークを自室に招き入れた。アーサーも既に来ていてくつろいだ姿でいる。

(こいつら、俺がいない隙にいったいどんな噂話をしてたんだ!?)

 明らかに不機嫌なルークの顔を見て、アーサーが少々意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「ルーク、人聞きの悪いことを言わないでよ。僕達は別にお前とリエナ姫の噂なんてしていないよ」

 ユリウスも笑みを浮かべたまま、頷いた。

「そうとも。今日の舞踏会は大成功だったと話していただけさ」

「お前ら……! 俺はまだ何にも言ってないぞ」

「ルーク、お前がわかりやすすぎるんだよ。もっと表情を繕うことも必要じゃない? ユリウスもそう思うよね」

「アーサーの言う通りだ。このままじゃ、たった一人の大事な妹をお前のところに嫁がせる訳にはいかないな。さあ、どうする? ルーク」

 早速二人にいじめられているルークは、うんざりした顔でどさりと長椅子に腰かける。

「だから来たくなかったんだよ……」

「ごめんごめん」

 アーサーは口とは裏腹に、全然悪いとは思っていない。

「さあ、今夜は呑もう」

 ユリウスは自ら新しい葡萄酒の瓶の栓を抜き、それぞれに注ぐ。ルークが酒杯を手にすると芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。ユリウスが酒杯を持った手を高く掲げる。

「あらためて乾杯しよう。そのつもりで、今夜は取っておきの葡萄酒を用意したよ。我らの大切な友人と、私の妹の将来を祝って――乾杯」

 アーサーもルークに向かって、洗練された仕草で酒杯を掲げる。ルークも照れくさくはあるけれど、酒杯に口をつけた。充分に熟成された極上の葡萄酒がゆっくりと喉を滑り降りていく。

 待ってましたとばかりに、アーサーがルークをからかい始める。

「ルーク、お前のダンスがうまくなってたんで驚いたよ。ずいぶん稽古したんだ。それだけ、今夜の舞踏会に気合が入ってたってことだよね」

「うるせー。父上のご命令だから仕方ないだろ。リエナ姫の大事な舞踏会で恥をかかせるなって言われたんだから」

 照れを隠すためか、ルークの返事はわざとそっけないものになっている。

「私も驚いたよ。リエナと最後までまともに踊れたのもそうだが、そのあと令嬢達の誘いもちゃんとこなしてたからなあ」

 ユリウスもルークがリエナと踊る為に、苦手なダンスの稽古に励んできたのがよくわかっていた。

「でも相変わらず優雅さはないよね」

 アーサーがすかさず茶々を入れる。

「俺に優雅っていうのが似合う訳ないだろ。アーサー、お前とは違うんだよ」

 そう言うと、ぶすっとした顔で、アーサーを横目で見た。ユリウスはいつもと変わらない二人の遣り取りに笑いを噛み殺しながらも、ルークの弁護にまわった。

「確かにルークのダンスは優雅とはほど遠いが、あれはあれでいいと思わないか? 動きに無駄がなくて、いっそ潔い印象がある。さすがに普段から剣技で鍛えられてると感心していたよ。それに……」

「それに何だよ?」

 ルークは仏頂面のままである。

「ユリウスが言いたいのは、リエナ姫の優雅そのもののダンスと不思議と調和していたってことじゃない? それなら僕も思ったよ」

 アーサーの言葉に、ユリウスは我が意を得たりとばかりに頷いている。

「さすがはアーサー、まさにその通り。私も未だに、なぜお前とリエナのダンスがあんなに合ったのか、不思議で仕方ないんだよ」

「僕はそれだけ二人の相性がいいって証拠だと思うね」

 それを聞いたルークはいつの間にやら顔を赤くしている。二人ともそれに気づいていたが、これ以上からかうのも気の毒なので知らない振りをしてくれている。ユリウスはここでどうしても確認しておきたいことを、ルークに尋ねた。

「ところでルーク、お前自身はリエナをどう思った?」

「どうって……。なんて言やいいんだよ」

 アーサーも笑いながらルークの答えを促す。

「素直に言えばいいんだよ。噂以上の美少女なんで驚いて見とれたって」

「お前……!」

「図星でしょ? 僕もリエナ姫の噂以上の美貌には驚いた。ルーク、よかったじゃない」

 アーサーのこの言葉に、ユリウスも上機嫌である。

「アーサーにリエナのことをそう言ってもらえるのはうれしいね。私にとっても自慢の妹だ。めったな男のところに嫁がせる訳にもいかないからな」

「へえ、ユリウスはそれだけルークを買ってるってわけだ」

「まあ、そういうことにしておくよ。ルーク、頼みがあるんだが……」

「何だよ、あらたまって」

 ユリウスは冗談めかしたふうに、片眼をつぶると言った。

「私に万が一のことがあったら、リエナを頼む」

 ルークは、突然のこの言葉に面食らった。

「突然何を言い出すかと思えば……。ああ、わかったぜ」

 それでも、律儀に頷いたのは、いかにもルークらしい。その後は三人で深夜まで、久しぶりの気の置けない会話と極上の葡萄酒を堪能した。

********

 リエナは寝支度を済ませると、お付きの女官もすべて下がらせ、自室の窓から月を眺めていた。

(何だか、想像していたのとは違った印象の方だったわ……)

 今夜の舞踏会での出来事を、繰り返し思い出していた。

(剣技の達人だと伺っていたから、もっと荒々しい雰囲気をお持ちかと心配していたけれど、全然そんなことはなくて……。とても凛々しくて、それでいてお優しそうで……)

(ダンスもとても楽しかったわ。ルーク様は決してお上手ではなかったけれど、一曲があっという間だったもの。踊りながらわたくしを真っ直ぐに見つめていらっしゃった、深くて青い瞳。ローレシアの海はあんな色なのかしら……)

 月をじっと見つめたまま、ゆっくりと息をはいた。

(あの方の許へ嫁ぐ……。まだ決まった訳ではないけれど、それなら……)

 いつのまにかリエナの頬は薄紅(うすくれない)に染まっていた。しかし、彼女自身は、まだそれに気づいてはいない。


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