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聖なる夜のちいさな奇跡  −2−
 すっかり日が暮れた街も、今夜ばかりは通り全部が明るい灯りで満たされている。宿の主人に教えてもらった教会はすぐにわかった。広場の中心にあり、たくさんの人であふれかえっていたからだ。

 入口で寄付金を払い、三人は中に入った。

 広間には魔除けの鈴を買った店にあったものよりも、更に一回り大きく、飾りも華やかな(もみ)の木が飾られていた。その周りで、晴れ着姿の老若男女がそれぞれ食べ物と飲み物を手に、楽しげに歓談している。

 早速三人もその輪に加わった。宿の主人が言った通り、今まで見たことのない料理がたくさん並んでいる。この土地独特のものらしく、初めて味わうものが多い。地酒だという葡萄酒もたっぷりと用意されている。どれもが美味で、三人は思わず笑顔になった。

 ルークはせっせとご馳走と葡萄酒を胃袋に収めはじめた。彼の食べっぷりに感心した女達は、次々とあれもこれもと、違う料理を勧めてくれる。赤と白のそれぞれの葡萄酒も料理によく合い、ルークは至極ご満悦である。

 アーサーは食事はもちろん、街の人達との会話を楽しんでいた。ちょうどそこに居合わせた教会の司祭に、更に詳しい聖誕祭の起源や伝説について聞かせてもらうことができた。司祭も思わぬところでいい話し相手ができてうれしいらしい。

 リエナは女達にいろいろと料理について尋ねはじめた。ここの料理は、材料が珍しいものもあったが、馴染みの素材を、リエナが知らない方法や味付けで料理されているものが多かった。女達はここに用意されているご馳走の作り方の他にも、リエナが旅の食事の支度を一手に引き受けていると聞いて、旅の途中でもできそうな料理をいくつも教えてくれた。

 こどもたちは旅人が珍しいのか、しきりに話しかけてくる。三人ともこども好きであるから、楽しそうに相手になっていた。

 やがて三人の空腹も好奇心も大いに満たされたころ、教会の奥の扉が開いた。そこから現れたのは、派手な出で立ちの、たいそう恰幅のよい老人である。老人は白い毛皮の縁取りを施した真っ赤な上着とズボンに黒いベルトをしめて、お揃いの赤い帽子をかぶり、大きな白い袋をかついでいる。

 こどもたちから大きな歓声が上がった。一斉に走り寄り、赤い服の老人を取り囲む。老人も、皺深い、白い髭に覆われた顔に、満面の笑みをたたえている。教会の修道女が声をかけると、こどもたちはみんなお行儀よく並び、一人ずつ、老人からちいさな贈り物を受け取っている。

 ずっと興味深げに老人とこどもたちの姿を見ていたアーサーが、近くに立っていた男に尋ねた。

「あのご老人が、聖ニコラウスですね?」

 聖ニコラウスとは、この街の聖誕祭の由来となった伝説に登場する聖人の名前である。

「ああ、そうだ。この聖誕祭でこどもたちに贈り物を配ってくれる、ありがたい聖人だよ」

 それを聞いて、アーサーに優しい笑みが浮かぶ。

「おもしろい風習です。こどもたちはさぞかし待ち遠しいでしょうね」

「そう。あの子たちにとっちゃ、年に一度の大きな楽しみってわけさ」

 男も笑顔で頷いた。

 贈り物を受け取ったこどもたちの笑顔に見送られて聖ニコラウスが退場すると、入れ替わりに今度は賑やかな一団が登場した。みなそれぞれ手に楽器を持っている。今度は大人達から歓声があがった。これからが待望のダンスの時間の始まりのようである。

 同時にこどもたちは大人に連れられ、教会から出ていった。こどもたちのお楽しみはここまでで、これからは大人の時間ということらしい。

 早速楽団が賑やかな曲を奏ではじめ、広間の中央で、みな思い思いに身体を動かし始めた。聖ニコラウス役の老人もいつの間にか広間に戻り、赤いドレスに身を包んだ妻らしき小柄な老婦人の手を取って、おおきな身体を楽しげにゆすっている。

 今までリエナの姿を遠巻きに見つめていた若い男達が、お互いに牽制しつつも彼女に近づいてくる。それに気づいたアーサーが、さりげなくルークに声をかけた。

「せっかくだし、リエナと踊ってきたら?」

「……俺はいい。アーサー、頼む」

「頼む……って。虫除けなら、自分ですれば?」

「いいから、頼む……!」

 怒ったように言うルークに、アーサーは悪戯っぽい視線を向ける。

「へえ? 本当にいいわけ?」

 ルークは無言でそっぽを向いている。

「じゃあ、リエナ。ルークもああ言ってるし、僕と踊ろうか」

 普段は控えめなリエナも、街の人たちが楽しそうに踊っているのを見て心が動いたらしい。もともとダンスが好きなこともあり、アーサーの誘いを受けることにした。

「わたくし、こういったダンスは初めてだけれど、踊れるかしら」

「大丈夫だよ。きちんとステップを踏んで、というより、自由に曲に乗るのが作法みたいだから」

 そう言うと、アーサーは少しばかり二人から離れ、洗練された仕草で一礼した。

「月光のごとき麗しき姫、私と一曲お相手願えますか?」

 リエナもにっこりと微笑み返した。

「ええ、喜んで」

 アーサーは差し出されたリエナの手を取り、中央に(いざな)った。彼らはいずれもダンスの名手である。賑やかな曲のはずなのに、流れるような動きで舞い踊る姿はいかにも優雅である。

 まるでお伽話から飛び出してきたようなアーサーとリエナの姿に、観衆は思わず見惚れて溜め息を漏らした。曲が終わると一斉に拍手喝采が湧き起こる。

「またとんでもない美男美女の組み合わせだこと……」

「すごいね、あんたたち。あの曲をあんなに優雅に踊るのなんて、初めて見たよ」

「本当。まるでどっかの王子様とお姫様みたい」

 アーサーとリエナを取り囲んで口々に褒めたたえる街の人たちをよそに、ルークだけはなんとなくつまらなさそうに、彼らの姿を眺めている。

 久し振りのダンスで、リエナはなめらかな頬を上気させている。そこへ、若い男達がどっと押し寄せ、あっという間に囲まれてしまった。

「君みたいに綺麗な女の子、初めて会ったよ。びっくりするほどダンスも上手だね。よかったら俺と踊ってくれないかな?」

「旅してるんだね。どこから来たの? 名前は?」

「お前、抜け駆けするなよ。花のように麗しいお嬢さん、ぜひ僕と。さあお手をどうぞ」

 若者達はしきりとリエナをダンスに誘おうとしている。リエナの顔には困惑の色が浮かぶが、こういった状況に慣れていないせいで、断りたくてもなかなかすぐにはうまく言葉が出てこない。

 見かねたアーサーが声をかけようとした瞬間、ルークが若者達の間に割って入った。彼らにとっては突然登場した邪魔者である。若者の一人が、きつい眼でルークを見上げて言い放った。

「何だ、お前。邪魔するなよ」

 睨みつけてくる若者を、ルークはそのまま無言で一瞥する。それだけで、若者は深い青の瞳が放つ、斬り殺されそうなほどの光にたじろいだ。

 いきなりルークがリエナの手を取った。

「リエナ、踊るぞ」

 そのままずんずんと広間の中央に向かう。リエナはダンスが苦手なはずのルークが突然こう言いだして驚いたものの、若者達の強引な誘いから逃れられて、ほっとした表情を見せている。二人がダンスの輪に加わったのを見計らったかのように、すぐに新しい曲が始まった。

 リエナと踊り損ねた若者の一人が、ルークに敵意丸出しの視線を向けている。

「なんだよ、あの男。えっらい眼で見やがって」

 その様子をたまたま見ていた壮年の男が、苦笑しながら若者を慰めた。

「やめとけ。あの綺麗なお嬢さんは、今のでっかい兄さんの想い人だ。あの剣といい、身のこなしといい、相当な遣い手なのは間違いねえ。お嬢さんの方もまんざらじゃなさそうだし、これ以上ちょっかいを出さん方が身のためだぜ。――もっとも、あれだけの別嬪だ。お前さんが一緒に踊りたいって気持ちは、俺にもよくわかるがな」

 慰められた若者はまだ悔しげにルークを睨みつけていたが、しばらくして諦めたらしく、気を取り直して、他の娘達が集まっているところに歩いていった。

 ルークとリエナは緊張のせいで、最初こそ少々ぎこちなかったけれど、きちんとしたダンスでない分ルークも気楽なのか、すぐに曲に乗れるようになっていた。初めての出会いのときは一曲きりだったが、今夜は最初の曲が終わっても離れがたく、既に続けて何曲も踊っている。

 ルークはダンスが苦手ではあったが、リエナとの出会いの場となった舞踏会に出席するために、猛特訓を受けた経験がある。きちんと基礎を学んだ上での、剣技に鍛えられたきびきびとした動きはいっそ潔く、印象は悪くない。今でも決して上手とは言い難いが、リエナと踊ると不思議といい感じに調和するのである。

 二人はいつの間にか互いに見つめ合い、笑みを交わし、軽快な曲に合わせてぴったりと息の合ったダンスを見せていた。

「あれ、まあ……」

 明らかにアーサーと踊っていた時とは雰囲気が違う、輝くようなリエナの笑顔に、周りで見物している女たちから溜め息が漏れる。

「いいねえ、若いってのは。あたしにも、あんな頃があったっけ……」

「ほんとにねえ。見てるこっちまでが、幸せになるくらいだよ」

 そのまま踊り続け、リエナも疲れただろうから今の曲が終わったら休憩をとろうかと、ルークが声をかけようと思ったその時、突然曲調が変わった。さっきの賑やかなものからがらりと変わって、今度はしっとりと落ち着いた曲である。

 すると驚いたことに、周りで踊っていた男女は老いも若きもみなその場で、しっかりと抱き合った。そのまま曲に合わせてゆったりとしたステップを踏み始め、そればかりか、今まで周りで見物していた若者達も次々に加わっていく。更には煌々としたランプの灯りの大半が消され、広間にはわずかなランプと、燭台に揺れ動く、蝋燭の火だけが残された。

 薄暗い中で抱き合って踊るのは、さすがに二人とも抵抗がある。慌てて端へ行こうとしたが、広間の中央にいた二人は、踊る人々の波をかきわけて出るのが難しくなっていた。それでも無理やり出ようとしたルークは、恋人らしき男と踊っている若い女の肩に触れてしまった。

「申し訳ない」

 ルークは小声で謝ったが、女の方は気にしていないらしく、人懐こい笑顔を向けてきた。

「あら、これからが本番よ」

「……い、いや、俺達はこれで……」

 焦ってしどろもどろになっているルークに、女の瞳が何故?と問いかける。

「せっかくこんなかわいい彼女が一緒なんだから、踊らなきゃ。ね?」

 女と踊っている恋人の男の方も、ルークに意味ありげな視線を送り、わざと二人が出ようとする方を塞いでしまった。仕方なく、今度は別の方からと思っても、故意か偶然か、端へ出ようとするたび、踊っている男女に邪魔をされる。

 出るに出られなくなった二人は、広間の中央に取り残されてしまった。抱き合って踊っている人々の中で、ただ突っ立っているだけなのはひどく目立つ。

 もうどう頑張っても端へ逃れることはできそうにない、それなら覚悟を決めて踊るしかないかと、ルークはリエナに手を伸ばしかけたが、やはり躊躇わざるを得なかった。

「リエナ……、やっぱり嫌、だよな?」

 そう問いかけられても、リエナは恥ずかしげにうつむいたまま、何も答えられない。ルークは決死の覚悟で再び手を伸ばし、華奢な肩に手をかけた。そのままそっと抱き寄せる。リエナがそれを拒否することはなかった。

 あまり身体が密着しないように気をつけつつ、二人はゆっくりと曲に合わせて踊りだした。最低限触れ合っているだけのはずなのに、何故かお互いの心臓の鼓動をはっきりと感じる。さっきまで軽快な曲で踊り続けていたせいなのか、それとも別の理由があるのか、二人にもはっきりとはわからない。

 しばらくしてルークは、どこからか自分達を見つめる視線を感じた。そちらにさり気なく眼をやると、さっきの若い女と眼が合った。女は恋人の腕の中でにっこりと微笑み、悪戯っぽく片眼をつぶってみせた。

 ゆったりとした曲に乗って踊るうちに、ルークも知らず知らず、リエナを包み込むように抱きしめていた。リエナも眼を閉じて素直に身体を預けている。そればかりか、抱きしめるルークの腕にはだんだんと力が籠っていく。リエナも逞しい胸にすがったまま、時折顔を上げ、頬を染めてルークを見つめ、ルークも熱の籠った視線を返す。

 あまりに二人がいい雰囲気で踊っているので、楽団の人たちも気を利かせてくれたのか、同じ曲を何度も繰り返し演奏してくれている。

 アーサーは広間の端で、二人の様子を見ていた。彼も最初にリエナと踊ったあと、幾人もの娘達からダンスの誘いを受けて数人と軽く踊ったが、次々と誘いがかかり、きりがないので途中から適当な口実をつけて断り、見物する方にまわっていた。その後すぐに曲調が変わったので、早めに切り上げて正解だったと胸を撫で下ろしていたところである。しばらくはルークとリエナの様子も気になっていたが、予想以上にいい感じになったのを見て、このまま放っておいても大丈夫だろう、それなら先に帰ろうかと考え始めたところで、聞き覚えのある男の声に背後から話しかけられた。

「兄さん、あの二人、ずいぶんと見せつけてくれるねえ」

 振り返って見れば、予想通り今夜の宿の主人である。

「来てたんですね。宿の方はいいんですか?」

「今さっき来たところだよ。先に女房がこどもたちと一緒に来て、聖ニコラウスから贈り物をもらったら交替する。毎年こうなんだ」

「なるほど。そういうわけですか」

 広間の中央ではまだルークとリエナが踊っている。二人の姿は大勢の街の人々の中でもひときわ目立っている。宿の主人はしばらくうらやましそうに見ていたが、アーサーに訳知り顔でにやりと笑った。

「いつもあんなふうじゃ、あんたも大変だね」

 アーサーは笑いながら首を横に振った。

「いつもああいうふうなら、逆に僕は苦労しないんですけどね」

 苦笑するアーサーに、主人は腑に落ちない顔をしている。

「え? だって、あの二人……」

「実は、まだ恋人同士じゃないんですよ」

 主人は眼を丸くした。

「本当かい? どっからみても相思相愛にしか見えないよ」

「ええ。困ったことに、それに気づいてないんです。肝心の本人達だけが」

「……ってことは、でっかい兄さん、お嬢さんに想いを伝えてないってこと?」

「そういうことになりますね」

「またなんで。あんな綺麗なお嬢さん、他の男がほっとかないだろうに」

「いろいろと事情があるんですよ。ですから、彼ら二人については、何も言わずにそっとしておいていただけると助かります」

 宿の主人は詮索好きらしい。念の為、アーサーは釘を刺しておいた。

 その後もまだいろいろと聞いてきたが、アーサーはうまくかわしている。これ以上詳しい話が聞けなさそうだと判断した主人は、今度はアーサー自身に質問してきた。

「そういう兄さんは? 色男だし、ずいぶんもてるんじゃないの?」

「僕は故郷に婚約者がいますから」

「へえ、兄さんの恋人も気が気じゃないんだろうなあ」

 主人が何を言いたいのかは、アーサーにはすぐわかった。会話を切り上げるため、あっさりと答える。

「僕は彼女一筋ですよ。――じゃあ、そろそろ失礼することにしましょう」

「あの二人を残して帰るんだ。気が利くねえ」

「こんな機会、滅多にないですからね。気づかれないうちに退散しますよ」

 軽く手をあげると、アーサーは教会を後にした。

********

 降りしきる雪の中、アーサーは外套の襟を立てて、宿への道を急いでいた。教会を出た時にはちらついていた程度だったのに、急に激しく降り始めたのである。既に夜は更け、大人達のほとんどが教会のパーティに出席しているせいで、通りの人影はまばらである。

(コレット、今頃どうしてるかな……?)

 長い間離れ離れの婚約者の顔を思い浮かべながら、宿に戻ったら久し振りに手紙を書こう、アーサーはそう心に決めていた。

********

 それからもルークとリエナは踊り続けていた。二人だけでなく、他の踊っている男女もみな、祭りの夜独特の、濃密な空気に酔いしれている。

 ――このまま離れたくない、今の、夢のようなこの瞬間が、永遠に続けばいい。

 二人はそう願っていた。ともに、心のなかで。

 それでも夢はいつか醒めるもの。祭りが最高潮に達し、ひときわ情熱的に演奏された最後の曲が、夢の終わりの時を告げる。その瞬間も、二人はしっかりと抱き合ったままだった。

 ルークは身体を離す直前、最後にもう一度、リエナの華奢な身体を抱きしめる腕に力を籠めた。リエナもそれに応え、めくるめくような幸福感に包まれる。けれど同時に、これで夢から醒めなければならない喪失感をも、感じていた。

 名残り惜しげに離れると、リエナはローブの裾をかるくつまみ、優雅に一礼した。ルークも作法に則った礼を返す。その動きは今まで踊っていたダンスとは相容れないもののはずなのに、二人の姿を見ると、何故だかこの場にふさわしい作法に思えるのが不思議だった。

 広間を取り囲んで見物していた街の人々から、再び溜め息が漏れた。それでも、さっきリエナがアーサーと踊ったときのようには街の人たちは声をかけてこない。二人の世界の邪魔をするほど、この街の人達は野暮ではなかったということだ。


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