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驟雨    番外編 side アーサー
 アーサーは眼の前の焚火に、枯れ枝を数本放り込んだ。ぱちぱちと枝のはじける音だけが、今夜の宿となった、狭い洞穴の中に響いている。

 背中越しに、さりげなくルークの気配を探る。予想通り、まだ眠れていないらしい。まあ無理もないだろうな、とアーサーは思った。何故なら今、ルークはリエナをしっかりと抱きしめたまま、同じ毛布にくるまって一緒に横たわっているのだから。――突然の驟雨に打たれて高熱を出したリエナを、自らの身体であたためるために。

 アーサーはさっきルークと交わした会話を反芻していた。

(しかし、無駄に我慢強いというか、よくこの状態で何もせずにじっとしていられるものだよ。――まあ、この状況で、リエナに手を出す男じゃないことだけは確かだけど)

 ルークは意志が強い。今もひたすら己を律して、リエナの体調を元に戻すことだけに意識を集中しているのだろう。

 普段のルークはリエナに指一本触れずにいる。今夜はいわば緊急事態であるが、持ち前の意志の強さで自分を抑えていても、さぞかしつらかろうことは、アーサーにも容易に想像がついていた。アーサーはそれを如何にもルークらしいと感じ、当然の配慮だとも思っているが、同時に別の考えも否定できずにいる。

(少しでも早くルークがリエナに想いを伝えて、その上で、心身の両方で絆ができることが、二人のためには一番いいことなのかもしれない。――ルーク、お前はとんでもないと言うだろうけれど)

 ルークとリエナは心から愛し合っている。お互いにまだ何も言わなくとも、ここまでの長く過酷な旅の間に、絆を深め、愛を育んできていることが、アーサーにはよくわかる。それだけに、二人の出会いの時からずっと見守り続けてきた彼には、今のような状況が不自然だと感じることも多かったのである。

(旅が終わった後のことを考えると、リエナにはかえってつらい結果になるだろう。それでも、僕達には明日の生命の保証がない以上、一緒にいられる今日という日を大切にするという選択があってもいいはずだ)

 そのまま長い間、アーサーは眼の前の炎をじっと見つめていた。彼の脳裏に、サマルトリアで身を切られる思いで自分を待ち続ける、愛する女性の顔が浮かぶ。

(未来に繋がる可能性があっても、明日がどうなるかはわからない。反対に今はずっと一緒にいられても、目的を果たした後は……。――どちらがつらいんだろうね)

 ここでこれ以上考えても、結論が出るはずもない。アーサーはそっと息をはいた。

(それでも今は、あいつがリエナに告白するつもりだってことが確認できただけでも、よしとしないといけないか……)

 ルークがリエナに対して、まだ想いを告げずにいるのには理由がある。もともとこの二人は婚約が内定していた。出会いの場となったリエナの誕生日を祝う舞踏会――実のところは見合いの席で、二人はお互いに一目で恋に落ちた。本人達が気づいていなかっただけで、その場にいた誰の眼にも明らかだったのである。政略結婚が普通の王家の婚姻でありながら、幸せな未来を約束された二人を誰もが心から祝福していた。

 しかしムーンブルク崩壊により、父王、兄王太子が亡くなり、リエナが王家最後の生き残りになったことで、正式発表を目前に控えていた二人の婚約は、当然のことながら自動的に白紙に戻ってしまっている。

 このような事情があったからこそ、惹かれ合う二人がともに旅に出る、そう決まった時に、ルークの父であるローレシア王が自ら二人を個別に呼び出して婚約解消を念押しし、更にルークには「旅の間にリエナと間違いを犯すな」と、あらかじめ釘を刺している。そのことも、アーサーは知っていた。

(リエナの身分を考えるまでもなく、陛下がそのようにおっしゃったのは当然だろう。いくらルークの意志が強くても、こればっかりは、どうしようもなくなる時があるからね)

 実際、旅の生活はほぼすべての行動をともにし、日常は野宿、たまに宿に泊れても、リエナ用に一人部屋を確保できるとは限らず、三人同室であることも珍しくなかった。もちろん、入浴や着替えの時などには充分に気を遣っているけれど、リエナは寝姿などの無防備な姿を若い男二人に晒していることには変わりない。本来ならば決してあってはならないことである。

 ルークは父王の戒めに忠実に従っている。ただしこれは、父王の命だからではなく、自らの意思で、必要がない限り決してリエナに触れるまいと自戒しているのが本当の理由であることも、アーサーは理解していた。

(ルークのことだ。旅が無事に終わったら告白するっていうのは、ずっと前から決めていたんだろう。ああ見えて、本当に重要なことについてはじっくり考え抜いて納得してからじゃないと結論を出さない、そういうやつだから)

(――でも、リエナはつらいだろうね。具体的なことは何も言ってもらえず、そのくせルークの態度は、愛する女性に対するもの以外の何物でもないんだから。ルークはそれをどこまでわかってやってるんだか……。大体、いくらひどい熱を出したからって、添い寝してあたためるなんてこと自体がありえない。でもリエナがそれを許したってことで、いい加減、彼女の気持ちがわかってもよさそうなものだろうに)

 ルークはリエナをこれ以上ないほど大切にしている。体力がない彼女の体調を常に気遣い、少しでも怪我をしないよう、でき得る限り魔物の攻撃から身体を張って守っている。それでも戦闘をする以上、リエナも怪我をするのはどうしても避けられない。その時には常に彼女の回復を最優先にして、自分が痛みをこらえるのが日常茶飯事だったのである。そのせいで、ルークの身体には夥しい数の傷跡が残っている。

 そして、ルーク自身はそれを当たり前としか思っていず、反対にリエナは今でも負担に感じていることも、アーサーにはよくわかっていた。

 旅が始まった頃に比べてリエナも精神的にずいぶん強くなっていたが、まだ時々不安定になることがある。理由はムーンブルク城崩壊時の心の傷に間違いないけれど、それだけではなく、リエナの持つ魔力の成長が、精神力の成長に比べて早過ぎて、まだ完全に自身で制御しきれていないのかもしれない、アーサーは以前からそう考えていた。けれど、ルークがいることによって、リエナは自身の魔力を暴走させることなく操ることができているのではないかとも推測していた。

 アーサーが知る限り、リエナはルークのそばにいる時が一番精神的に安定している。最近でこそほとんどなくなってはいるが、リエナはしばしばムーンブルク崩壊時の悪夢に悩まされてきた。そのたびにルークが抱きしめて、ようやく心の安定を取り戻すことができている。他にもごく稀にだが、魔力を限界以上まで使い果たして意識を失うことがある。その時にもルークが付き添うと、明らかに表情が穏やかになっている。それらが何よりの証拠だった。

 かといって、リエナが一方的にルークの庇護下にあるわけでは決してなかった。それどころか、リエナはどんなにつらくても決して弱音を吐かず、自分一人ですべてを抱え込もうとしてしまう。それが、ルークとアーサーに迷惑をかけたくない、自分の犠牲になって欲しくないという気持ちからであることは、男二人もよくわかっていた。だから逆に、もっと自分達に頼ってくれたほうがいいと常々思っていたのである。

 また実際のところ、彼女の攻撃・回復の魔法がなければ、到底ここまで到達することは不可能だったのは間違いない。普段の旅の生活でも、彼女の作るあたたかい料理がどれだけ自分達の英気を養ってくれるかわからないくらいだったし、ルークもリエナのために無茶を重ねているように見えてはいても、それを乗り越えることによって、彼自身も格段に成長していた。旅が始まってから今日まで、ルークはリエナを守り続け、リエナもルークを支えてきた。そこにアーサーも含めて三人ともが、お互いにかけがえのない仲間となったのである。

 今までの旅の出来事を思い起こし、アーサーの口から知らず知らずのうちに溜め息が漏れた。

(本当にいつまで経ってもやきもきさせられるよ。傍から見れば、相思相愛の恋人同士にしか見えないのに、肝心の本人達ときたらまるでその自覚がない。ルークは恋愛関係だけはどうしようもなく鈍いのは相変わらずだし、リエナはリエナで、ルークの思わせぶりな態度に振り回されてるうえに、いろいろと考え過ぎて混乱してるんだろうから)

 焚火の炎を見つめながら更に考えを巡らせ、ここであることに思い至った。

(――そうだ、もしかしたら、リエナはユリウスのあの言葉を、自分が万一の時には妹のリエナを頼むとルークに言ったことを、ユリウス本人から聞いて知っているのかもしれない。ルークは堅物で妙に生真面目なところがある。リエナもそれをよく知っているから、大切にしてもらっている理由は、亡き兄の遺言だから、元婚約者としての責任を感じているだけで、恋愛感情とは関係ないのかもしれない……そう考えている可能性がある。だから、以前リエナはルークの気持ちがわからない、と言ったのか……。傍から見れば、ルークがリエナを熱愛しているのは明らかで、彼女のように他人の気持ちに敏感な女性がどうして気づかないのか不思議に思ったこともあったけど、ようやく理由がわかったよ。かといって、リエナの性格を考えたら、相手の気持ちを確認するために自分から何かを仕掛ける、なんて到底できるはずもないし。やっぱり前途は多難か、この二人は……)

 例え想いが通じ合っても、二人にはまだ最大の難関が待ち構えている。そのことを、ルークもリエナも当然理解しているはずである。

(しかし、ルーク。どうする気だ? お前はローレシアを継ぐ身だ。リエナも自らが女王として即位しなければならない。国王同士の結婚自体も前例がないし、何よりムーンブルク復興には、共同統治者になれるくらいのしっかりとした協力者が必要だ。ルークが最も適任なのは間違いないけれど、自国を治めながら、同時に復興事業をっていうのはまず無理だ。とても両立できるものじゃない。――それとも、この問題にも既に結論を出している?)

 眼を閉じて、長い間沈思する。ルークの性格やものの考え方を熟知しているアーサーは、ある結論を導き出した。

(そこまでリエナを深く愛しているってわけか。――なるほどね、確かにお前らしいよ。ただし、それが実行可能か不可能かは、僕にも判断がつかないけれど)

 アーサーはわずかに身じろぎをすると、もう一度背中越しにルークの気配を探った。やはり全然眠れそうにないらしい。

(当たり前だよね。自分の腕のなかで、心の底から愛する女性が眠っている。しかも、彼女が今纏っているのはわずか薄物一枚きり。自分のほうも似たような格好なんだから。――まあ今夜一晩、煩悩と戦って夜を明かすのも、あいつにとってはいい薬になるかもしれない)

 それなら、自分は少し眠っておこうか、とアーサーは考えた。男二人が睡眠不足のまま、リエナも病み上がりで旅を続けるのは、危険が大き過ぎる。何かあればすぐ気がつくだろうし、ルークは間違いなく一晩中起きているはずだから。

 もう一度焚火を確認すると、心のなかで親友に声をかける。

(お前達はお互いがお互いを必要としている。だから一緒にいるべきだ。僕にはそれがよくわかる。だから、できる限りのことをしたいとも思ってるよ)

 アーサーはゆっくりと眼を閉じた。

(――ルーク、リエナを幸せにしてやれよ。それができるのは、世界広しといえども、お前唯一人なんだから)


                                             ( 終 )


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                                        後編 sideルークへ
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