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驟雨    前編 side リエナ
 ある初夏の日の夕方、三人は今夜の野宿の場所を探しながら歩いていた。

 昼間はいい天気だったのに、いつの間にか空が暗くなってきている。どす黒い雲が空を覆い、今にも雨が落ちてきそうな空模様だった。

「やばいな……。今夜の寝場所を早く探さないと。降ってきたら厄介だ」

 先頭を歩いていたルークがつぶやくのが聞こえてくる。歩き続けながら、ルークはリエナに振り返った。

「リエナ、大丈夫か? まだ歩けそうか?」

 リエナはしっかりと頷いた。

「ええ、大丈夫よ」

 最後尾にいるアーサーも、リエナに声をかけてくれた。

「リエナ、無理しないで。今日も疲れてるだろうから、つらくなったら早めに言うんだよ」

「ありがとう、アーサー」

 その後も、三人は歩き続けたが、なかなかいい場所が見つからなかった。

 急いで歩いたにもかかわらず、やはり降って来た。雨宿りする間もなく、土砂降りになる。あっと言う間にずぶ濡れになってしまったが、この辺りには雨を避ける適当な場所もなく、仕方なくそのまま歩き続けた。

 降りしきる冷たい雨が、リエナから容赦なく体力を奪っていく。

(寒いわ……。でもそれはルークもアーサーも同じだもの。もうすぐ野宿の場所がみつかるはず……。あと少しの辛抱だわ)

 そう自分に言い聞かせ、リエナは必死に足を動かしていたが、どうしても遅れがちになってしまっていた。

 先を歩いていたルークが、突然立ち止った。

「おい、リエナ。疲れたんだろ? 俺が荷物持ってやるから」

「え? わたくしなら大丈夫。もうすぐどこかで休めるでしょう?」

「また、お前の悪い癖が出た。疲れたんなら、素直にそう言え」

 ほら、とルークはリエナの荷物に手を伸ばしてくる。アーサーもルークに同意した。

「リエナ、ルークの言う通りにした方がいいよ。今夜の宿はまだ決まってないんだからね」

 そこまで言われて、ようやくリエナは自分の荷物をルークに預けた。

 ルークリエナの荷物を持っても、まったく重さが気にならないのか、いつもと変わらない速度で歩いていく。

(わたくしにもっと体力があれば、迷惑をかけることもないのに……。いつも気遣ってもらってばかりで、申し訳ないわ……)

 もちろん、ルークもアーサーも、そんなことは考えもしないとわかってはいる。それでも、リエナはどうしても自責の念に囚われてしまうのが常だった。

 叩きつけるような激しい雨の中を三人は歩き続け、日暮れも近くなったとき、ようやく岩山の影に洞窟らしきところを見つけることができた。皮肉なことに、その時にはあれだけ降っていた雨が、ほとんど小雨になっている。

 洞窟の中に危険がないかどうか、アーサーが調べに行ってくれた。しばらくして戻ってきたアーサーは笑顔になっている。

「大丈夫。ごく浅い洞穴だったよ。魔物や危険な動物の気配はないし、雨もしのげるから、あそこに決めよう」

 三人で中に入り、リエナは魔物除けの呪文を唱えた。続けてアーサーが灯火の呪文を唱えると、洞窟全体がほんのりと明るくなった。

「ひどい目にあったな。――リエナ、大丈夫か?」

 ほっと一息つきながら、ルークは荷物を返してくれた。

「大丈夫よ、ルーク。ありがとう、わたくしの荷物、重くなかった?」

 その時リエナは、自分をじっと見つめる視線を感じた。荷物を受け取ったほんの一瞬の間だけだったのだが、顔を上げると、眼の前でルークがどことなく気まずそうに顔を横に向けている。

「これくらい、別に重くねえよ。それより早く着替えろ。風邪引くぞ」

「ええ、そうさせてもらうわね」

(ルーク、どうしたのかしら? 眼を逸らせたりして……)

 不思議に思いながら、リエナは荷物を持って洞窟の一番奥に行く。着替える姿が見えないよう、ルークが背を向け、毛布を広げて隠してくれた。

 雨に濡れたローブを脱ごうとして、リエナは自分がとんでもない姿になっているのに気がついた。たっぷりとした白いローブはぐっしょりと濡れて、身体に張り付いている。ルークが眼を逸らせた原因が自分のあられもない姿だったことに思い当たり、リエナは顔から火が出る思いがした。

 リエナは手早く濡れた髪と身体を拭き、新しい肌着に着替える。その間も背中を向けているルークが気になって仕方がない。

(わたくしったら、なんて恥ずかしいことを……。無防備にもあんな姿を見せてしまったなんて……。ルーク、何て思ったかしら……)

 着替え終わり、ルークに声をかける。背中越しに毛布を受け取り、そのままくるまった。新しいローブを着たかったが、着替えの分はここ数日の度重なる戦闘で汚れ、あちこち破れてもいる。仕方なく今夜は肌着一枚である。肌を見られることのないよう、毛布の胸元をしっかりとかき合せた。

 その後、ルークとアーサーも着替えて、それぞれ毛布をかぶった。アーサーが火を熾し、それぞれ適当な場所に濡れた服をかけた。リエナは夕食に簡単なものでいいから、熱いスープか何かを作りたかったが、毛布をかぶったままのこの格好ではとても料理などできない。それを察してくれたらしい男二人が、今夜は疲れているから無理せず手持ちの食料で済ませようと言ってくれたのがありがたかった。簡単に食事をとった後すぐに、リエナは毛布にくるまって横になった。アーサーはいつものように入口近くに横になり、今夜先に火の番をするルークは、リエナから少しだけ離れて隣に座っている。

 リエナは身体は泥のように疲れているはずなのに、なかなか寝付けなかった。ここ数日はずっと野宿であるし、辺りを徘徊する魔物もどんどん凶悪になって来ている。一瞬たりとも気を抜けない日々が続いていた。リエナはぎゅっと眼をつむった。

(少しでも眠っておかないと……。明日からまた大変なのに……)

 そうこうするうちに、だんだん寒気がしてきた。初夏だとはいえ、この辺りは夜はかなり冷え込む。ましてや、大雨に濡れた身体は芯から冷え切ってしまっている。

(寒い……。いけない、ここで風邪を引いてしまっては……。今は少しでも眠って体力を取り戻さないと……)

 だが、寒さで眠れない。そのうち悪寒さえも感じ始めたそのとき、ルークが声をかけてきた。

「リエナ、大丈夫か?」

 同時にあたたかい大きな手のひらが、リエナの額に触れた。

「――お前、熱出てるぞ」

「え……?」

 眼を開けると、深い青の瞳が心配そうにこちらを見ている。

「アーサー、リエナが熱を出してる。熱冷ましの薬草を頼む」

 そう言いながら、ルークは自分の毛布をリエナに掛けてくれた。

「ルーク、ありがとう。でも、あなたが寒いんじゃ……」

「俺は平気だ。お前と違ってもともと丈夫にできてる。それより、リエナ、我慢するなっていつも言ってるだろ? こんなところで風邪をこじらせたらどうするつもりだ?」

「ごめんなさい……」

 そこへアーサーが薬湯を持って来てくれた。ちょっと困ったように、ルークに話しかけた。

「ルーク、もうそれくらいにしておきなよ。さ、リエナ、これ飲んで。少しはあたたまるはずだからね」

「ありがとう、アーサー」

 リエナはアーサーから薬湯を受け取るとゆっくりと飲み干し、もう一度横になった。それでも、まだ寒さで眠れそうにない。それどころか、悪寒はひどくなる一方で、身体が震えてくるのがわかった。

(嫌だわ……、薬湯を飲んだのに、さっきよりもひどくなっている気がする)

 リエナはそっと身じろぎすると、少し離れて座っているルークの姿を見るともなしに見ていた。ルークは火の番をしながら、日課となっている剣の手入れをしている。真剣な表情で一心不乱に手を動かしている姿を、リエナはいつの間にかじっと見つめてしまっていたらしい。

 それに気づいたのか、ルークがリエナに眼を向けてきた。

「どうした? ――まだ、寒そうだな」

 もう一度リエナの額に手を当ててくる。手を離しながら、仕方ないな……とつぶやく声が聞こえた。

「リエナ、今あっためてやるから、待ってろ」

 手入れを終えた剣を片づけると、いきなりルークは上半身の肌着を脱いでリエナの毛布にもぐり込んできた。そのまますっぽりと包みこむように抱きしめられる。

「え……? ルーク、なにを……」

 リエナはこの突然のルークの行動に驚いていた。ルークの方はといえば、リエナから顔をそむけたままである。

「こじらせるよか、ましだろ? 嫌かもしれんが我慢してくれ」

 ぶっきらぼうに言うルークの言葉に、リエナは自分の顔が赤くなるのが、はっきりとわかった。緊張で身体が固くなる。

 寒気のせいで震え続けていた身体に、じんわりとルークの体温が伝わってくる。規則正しい心臓の鼓動がかすかに聞こえる。ルークの逞しい広い胸のなかで、リエナはかつてないほどの安らぎを覚えていた。

(あたたかい……。ルークの腕のなかは、どうしてこんなにあたたかいの……。毎晩、こうして眠らせてもらえたら、どんなに幸せかしら……)

 ルークの力強い腕にしっかりと守られている、リエナは心からそう思えたが、同時に自省の念にも駆られてしまう。

(嫌だわ、わたくし、なんてはしたない……。こんなことを考えるなんて、許されるはずがないのに……。でも……、ずっと、こうしていた……い……)

(ルーク、あなたを……愛しているわ。でも、あなたは、わたくしのことをどう思っているの……?)

 高熱のせいで朦朧としながらも、どうしてもこのことが頭から離れない。

(あなたの気持ちは今もわからない。けれど、あなたがわたくしに優しくしてくれる、その気持ちを素直に受け取ればいいのだということも、わかっているわ。それでも時々、どうしようもないほど不安に駆られてしまうの……)

 リエナは無意識のうちにルークにすがりついていた。同時に、ルークの自分を抱きしめる腕に、力が籠ったように感じられた。

(ルーク? 今、わたくしの気持ちに応えてくれたの? もしそうなら、今だけは、この幸せに浸っていたい……)

 ようやく身体があたたまってきたリエナは、いつの間にか、安らかな眠りについていた。

********

 翌朝、眼を覚ましたリエナは、まだルークの腕のなかにいた。ゆっくりと顔をあげると、心配そうにこちらを見ているルークと眼が合った。

 恥ずかしさのあまり、リエナは思わず眼を逸らしてしまった。眼が合った瞬間、ルークの自分を抱く腕の力が籠り、深い青の瞳が自分に何かを訴えているように感じたから。

「気分はどうだ? 熱は下がったみたいだけど……」

 リエナの気持ちを知ってか知らずか、ルークの方は淡々と様子を尋ねてくる。

「ええ、もう大丈夫よ。――ありがとう」

「今度からは、もう無理すんじゃねえぞ。わかったな」

 ルークはそれだけを言うと、そっけなくリエナを抱いていた腕を離し、毛布から出て行った。

(ルーク、さっきのあなたの瞳、いったい何を言いたかったの……?)

 けれど、もうその時にはルークは背中を向けていて、それ以上何も読み取ることはできなかった。

 毛布をかぶったまま身体を起こしてみると、昨夜の寒気もだるさもなくなっている。すっかり風邪はよくなっていた。

(よく眠れたおかげだわ……。とっても、あたたかかったから。でも、もう幸せな時間は終わってしまった……)

 またそう考えてしまう自分に、リエナは再び自省の念に駆られた。

(もうこのことに心を煩わせてはいけないわ。今は、ハーゴンを倒すことだけを考えなくては……)

 何とか気持ちを切り替えると、昨夜と同じようにルークに姿を隠してもらい、身支度をすませた。

 外の様子を見に行っていたらしいアーサーも帰ってきて、リエナに声をかけてくれた。

「どう? だいぶよくなったみたいだね。でも、無理しちゃ駄目だよ。つらくなったら遠慮せずに言うこと。いいね?」

「ごめんなさい、心配かけて」

「僕のことはいいよ。ただ、ルークのやつが、心配で死にそうになってたから」

 これを聞いたルークが、アーサーに掴みかかりそうになる。

「お前……! 余計なことを!」

「いつものことじゃない?」

 アーサーは慣れた仕草で軽くかわした。

 その後三人で朝食を取り、火の始末をして出発した。今朝は昨日の雨が嘘のような晴天だった。

 リエナはいつも通り、ルークの背中を見ながら歩いて行く。けれど、ルークはその日一日中欠伸ばかりしていた。リエナが申し訳なさそうに話しかけた。

「ルーク、眠そうね。ごめんなさい、わたくしのせいね……」

 リエナには、ルークの表情が一瞬強張った様に見えた。

「……やっぱり、そうね。これから気をつけるわ」

「いや、その……、無理はするなよ」

 二人の会話を聞いていたアーサーはこっそり忍び笑いを漏らした。

                                             ( 終 )


                                        後編 sideルークへ
                                      番外編 sideアーサーへ
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