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旅路の果てに
第1章 1


 ルークの自室のバルコニーからは、ローレシアの海が一望できる。

 一人ずっと物思いに耽っていたルークはバルコニーの手すりに寄り掛り、秋の海を眺めていた。海面は穏やかな光を受けて、夏とはまた違った豊かな表情を見せている。この雄大な景色も、渡ってくる潮風も、幼い頃から慣れ親しんだ懐かしいものだが、今は彼の心を慰めてはくれなかった。

(もうしばらくすれば、ムーンブルクからリエナを迎える使者が来る。帰国してしまえばそばにいることはおろか、公式行事以外では会う機会もないだろう。――だが、俺は、リエナと人生をともに生きていくと決めた)

 ルークのリエナへの想いは、よりいっそう強くなるばかりだった。

 リエナは祝賀会後もそのままローレシアに滞在し、ムーンブルクからの迎えを待っている。ムーンブルクでは、ムーンペタにある王家の離宮の一つを仮の王城と定め、次期女王となる彼女を迎える準備を進めていた。

 祝賀会から数日が経ち、国を挙げての行事も一段落したころ、ルークは父王の許に使いを送った。正式な謁見ではなく、私室での面会の依頼である。

「陛下、ルーク殿下よりご伝言でございます。今夜、陛下のご都合がよろしければご面会をとのご希望でございます」

 ついに来たか、王はそう思った。

「わかった。今夜は特に重要な予定もない。ルークにはその旨伝えよ」

「御意」

 その夜、王は私室で酒肴の用意をさせ、くつろいだ部屋着姿でルークを待った。

 やがてルークが王の私室に来訪した旨、侍従が伝えに来る。ルークが部屋に入ってくると、王は人払いをした。ルークは謁見の時と変わらぬほど、きちんと正装している。

「父上、今夜はおくつろぎのところをお時間をお取りいただき、ありがとうございます。折り入ってご相談したいことがあり、参上いたしました」

「堅苦しい挨拶は抜きでよいぞ。酒肴の用意をさせた。そなたもやるがよい」

「頂戴します」

 しばらくは特に何も話すことなく、時が過ぎる。王はおもむろに話を切りだした。

「さて、ルーク。相談があるそうだが、リエナ姫のことであろう?」

 やはり父上はお気づきであられたか――ルークは緊張しながらもきっぱりと言った。

「はい。私はリエナ姫を愛しています。ともに生きていきたい、幸せにしてさしあげたい、そう心に決めております。今、各国から数多くの縁談が来ていると伺っておりますが、私はリエナ姫以外の女性と結婚する意思はありません」

「そなた、それを本気で申しておるのか?」

 王の琥珀色の瞳が鋭く光った。

「はい」

 答えるルークの声には、わずかな迷いもない。

「馬鹿者!」

 王は一喝した。だがルークは微動だにしなかった。

「父上のお怒りはごもっともです。私もすぐにお許しがいただけるなどとは思っておりません」

「わしはこうなることを恐れていた。そなたがリエナ姫に惹かれていることは、最初からわかっておったからな。だから、旅立ちの前に釘を刺しておいたつもりだったのだが、無駄だったようだ」

 無言のまま、ルークはまだ動かない。

「今夜、そなたがわしにこの話をしに来ることは、リエナ姫はご存じではあるまい?」

 ようやくルークが口を開いた。

「父上の、おっしゃるとおりです」

「やはり、な。そなたらの婚約は、ムーンブルク城崩壊で王太子ユリウス殿が薨去され、白紙に戻っておる。それはリエナ姫も最初からご承知だ。姫がそなたとの結婚を望んでおられるとは、わしにはとても思えんのだが」

「リエナ姫と私は心から愛し合っています。ですが、父上と同じく、姫は私とは結婚できないとおっしゃいました。今はご自分の悲願である、ムーンブルク復興だけを考えておられます」

「聡明であられるリエナ姫であれば、当然そうお考えだろう。それに引きかえ、ルーク、そなたは自分の立場をわかっておるのか?」

 ルークはまた無言である。王はゆっくりと言い諭すようにルークに話し続ける。

「そなたは我がローレシアの王太子として、これから多くの義務が待っておる。リエナ姫も同様、ムーンブルクを復興し、王家最後の一人として、その血を次代に残す義務がある。そなたがリエナ姫と結婚すれば、ムーンブルクはもちろん、各国からも、ローレシアがムーンブルクを手に入れんが為の内政干渉としか見えぬ。それだけではない。我が国も現在重要な問題を抱えておることは、当然理解しておるだろうな」

「父上のおっしゃることは理解できております。ですが、私はリエナ姫を支えたい、そして、ムーンブルク復興をともに行いたいのです」

「ルークよ。ローレシアの国政と、ムーンブルク復興を両立するのが並大抵ではないことくらい、そなたも理解しておろう。第一、国王同士の結婚など前例がないのは、そなたも承知のはず」

「もちろんすべて承知しております」

「では聞くが、ローレシアをどうするつもりだ?」

 王は鋭い光を放つ琥珀色の瞳をルークに向けた。ルークの深い青の瞳が、真っ向からそれを受ける。

「王太子位を、第二王子アデルに譲り、私は王配として、ムーンブルクへ参ります」

 王もルークがこう言うかもしれないとは、半ば予想していた。しかし、いざ実際に耳にすれば、やはり衝撃を受けざるを得なかった。

「そこまで……、申すのか」

「はい。父上がおっしゃるとおり、ムーンブルク復興は大変な難事業です。いくらリエナ姫が聡明であっても、一人きりで成し遂げることは無理でしょう。ですが、私であれば力になれます」

 このルークの言い分自体が間違っていないのは、王にもよくわかる。しかし、だからと言って、到底肯えるものではない。

「王太子位を返上することが、どれだけ無責任であるかも、承知しておるのだな」

「はい」

 ルークはきっぱりと返答すると、言葉を継いだ。

「それでも、私の意思は変わりません。自分なりに考えた末に出した結論です」

「そなたが姫のことを大切に思う気持ちはわからんでもない。しかし――」

 ここで王はある可能性に思い至った。

「ルーク、まさかそなた、姫を傷物にしたわけではないだろうな?」

 ルークの逞しい肩が一瞬震える。鋭い眼で父王を見た。

「今のご発言、お取消し願います。いくら父上といえど、私のみならず、リエナ姫までをも侮辱した、そう取らざるを得ません」

「わかった。取り消そう。しかし、そなたの希望をかなえることは絶対に出来ぬ。これで話は終わりだ。下がってよい」

「私は諦めません。御前、失礼いたします」

 ルークは再びきっぱりと言い切った。

 王は退出していく息子の背中を見ながら大きく嘆息した。思った以上に問題は複雑になっている。第一、あのルークのことだから、そう簡単に諦めるとも思えない。だが、ルークがまだリエナを傷物にしていない、その事実だけが救いだった。今ならまだ間に合う。若い相思相愛の二人がここで間違いを犯しては、取り返しのつかない傷がつく。

 それを恐れた王は、周りの人間に、リエナのローレシア滞在中に二人を会わせることのないよう厳重に監視させ、不用意な噂が流れないよう徹底させた。またリエナにも、この話し合いがあった事実が知らされることはなかった。




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