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旅路の果てに
第1章 2


 一方で、リエナは帰国準備に追われていた。ようやく悲願であるムーンブルク復興事業を始められる喜びと、これでルークとは別れなければならない悲しみとの間で揺れ動いていた。

(こうなることは最初からわかっていたはず……。それでもルークを愛したことは後悔していない。彼もわたくしを愛している、必ずムーンブルクに正式に結婚を申し込みに行くと言ってくれた、それだけで充分に幸せだわ……。これからわたくしが成すべきことは二つ。ムーンブルクの復興と、ルークではないどなたかと結婚し、その方の子を産み、王家の血を残すこと。それが最後の生き残りとなった、自分の義務……、覚悟は、できているわ……)

 せめて、旅の間愛用したローブや道具類だけでも、大切な思い出として持って帰りたい。リエナは衣裳箱を一つ用意させた。

 白いローブ、紅色の頭巾と、同じ色の革の長手袋。これらを身につけて、ずっと戦ってきた。激しかった戦闘を物語るように、ところどころに自分で繕った跡がある。

 裁縫道具。旅の間、自分のローブだけではなく、ルークとアーサーの旅装束の繕い物も、自分の役割だった。特にルークは、率先して魔物の群れに斬り込んでいく。しょっちゅう大きなかぎ裂きを作っては、『いつも悪いな』と申し訳なさそうにしていた。

 料理用のナイフ。ある町で、ルークが選んでくれたもの。当時の自分達にはずいぶんと高価な品だったのに、ルークは『お前、これからこのナイフでうまいめし作ってくれるんだろ? 期待してるぜ』と笑顔で買うことを勧めてくれた。

 ちいさな手鏡とブラシ。旅の初めに揃えてもらったもの。本来の身分を隠すために、庶民の持ち物と変わらぬほどの簡素な品であるけれど、ずっと大切に使ってきた。

 それらが納まるだけの、小振りの鞄。非力で体力のない自分を気遣って、大きなものはルークとアーサーが二人が運んでくれていた。

 一つ一つ、思い出をかみしめるように、丁寧に箱に収めていく。

 最後に、紅色の石が嵌め込まれた、魔道士の杖。これも、旅の最初からずっと愛用してきた。ムーンブルク崩壊前に使っていた、王家の由緒ある杖とは違って、ごくありふれた市販品だけれど、自分の魔力によく応えてくれ、今ではなくてはならないものになっている。この魔道士の杖だけは、これからも常に自分とともにあるだろう。

 リエナはこれらの品々に感謝を捧げ、旅の思い出とともに、ルークへの想いも封印するかのように、衣装箱の蓋を閉めた。手の上に、こらえきれない一粒の涙が零れ落ちる。

 あと思い残すことは、ルークにきちんと別れの言葉を言いたい、それだけだったが、既にかなわぬ願いであることも、リエナにはわかっていた。

********

 その後も、ルークがリエナとローレシア城内で顔を合わせる機会は一向に訪れなかった。そしてリエナは、また体調を崩していた。2年近くに及ぶハーゴン討伐の旅は、それだけ彼女のとって過酷なものだったのである。ムーンブルクに帰国すれば、なかなかゆっくりと休養することも難しい。そのため大事をとって、城内での行事なども、ここのところずっと欠席している。

 ルークはリエナがそれほどに体調が悪いのならば、直接会って見舞いたいと、再三リエナ付きの女官宛てに使者を送った。しかし、いつも『姫様は臥せっておられ、ご面会できる状態ではございません』とのそっけない回答しか返ってこない。

 今日も使者は、同じ伝言を持ち帰った。ルークは腹立たしく思うものの、まさか使者に当たるわけにはいかず、表面上だけは努めて穏やかな態度のまま、使者に労いの言葉をかけた。

 使者が退出した後、ルークはやり場のない怒りに震えていた。父王自らが、自分をリエナに会わせまいとして、城の召使いらに命を下しているのが明白だったからである。

 いくら自国とはいえ、王太子という立場上、あまりに我が儘な振る舞いは許されない。ルークは常に、他人の模範となるべき義務がある。そのことはルーク自身も重々承知しているだけに、余計にいまいましい。

 それならば、せめて偶然を装ってリエナと会えないかと、ルークは時間を見つけては彼女の滞在する部屋の近くの中庭を訪れていた。しかし、リエナの影すら見ることもなく、毎回ルークは落胆の気持ちを抱えたまま、自室に戻るしかなかった。

 一方で、リエナには、ルークが見舞いに来たい旨の使者が送られてきていることすら、彼女の耳には入れないよう、徹底されていた。

 けれどリエナの方は、薄々ではあるが、この状況がわかっていた。時折、使者の到着を告げる声や、若い侍女達の密やかな噂話――もちろん、ルークとリエナに関してである――を耳にすることがあったからだ。けれど、敢えて何も気づかない振りを続けている。

 リエナの体調は決していいとは言えない。けれど、実際には、行事を欠席しなければいけないほど悪くもない。表面上は体調不良のための欠席であっても、真の理由は、ルークと自分が、これ以上顔を会わせないようにするためであることも、リエナは理解していた。

 今夜も寝台に横たわったまま、リエナは人知れず涙を拭った。ルークの愛情は心からうれしい。会えるものならば、自分もルークに会いたい。けれど、今ここで対面してしまえば、間違いなく自分の想いは溢れ、抑えきれなくなってしまう、再びルークのそばにいたいと願ってしまう。そのことがわかりきっていたから、自らの想いを心の奥底に封じ込めるしかなかった。




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