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旅路の果てに
第11章 1


 長い冬が終わり、トランの村にも春が訪れた。木々には若葉の新芽が萌え始め、色とりどりの花も咲き始めている。日差しは日一日と暖かくなり、村は美しい季節を迎えた。

 村人たちは裏山にルビスの恵みを収穫に出かける季節となった。今度は野苺などの果物が中心である。ルークは相変わらず手伝いと護衛を兼ねて出かけている。

 ルークが定期的に裏山の見回りをしているおかげで、今はほとんど魔物が出ることなくなっている。もしもあったとしても、ルークが必ず護衛として同行しているし、怪我をしても、今度はリエナが回復の呪文を唱えてくれる。おかげで村人たちは安心して収穫にせいを出すことができた。

 女達は収穫した新鮮な果物を使って、それぞれに自慢のジャムやお菓子を作る。リエナもいろいろと教わり、春の恵みは二人の食卓を明るく彩った。普段はまったく甘いものを口にしないルークも、リエナの手作りのお菓子だけは喜んで食べてくれるので、リエナも張り切って作っている。

 最近リエナは自分で作ったお菓子を持って、ラビばあさんのところへ出かけて行くようになった。治療も順調に進み、もう毎日通う必要はないのだが、ばあさんとの会話を楽しむために、こうして度々遊びに出かけるのである。ばあさんの方も、いつもおいしい特製のお茶を淹れて歓迎してくれている。

 今日もリエナは教わったばかりの野苺のパイを持ってラビばあさんを訪ねた。例によって、ルークもついてきている。

「おばあちゃん、こんにちは」

「ようきたな、リエナちゃん」

 玄関先で出迎えてくれたラビばあさんは、最初リエナだけを家に入れようとした。すかさずルークが二人に割って入る。

「ばあさん、ひでえなあ。俺も客だぜ?」

 ラビばあさんはルークを見上げた。

「なんじゃ、ルーク。おまえさんはリエナちゃんを送ってきただけじゃと思っとったわ」

「俺も一緒なのは当たり前だろうが」

「たまには女房に息抜きをさせてやろうとは思わんのか。気の利かん男じゃの」

 わざと大きな溜め息をつきつつ、横目でルークを見遣ったが、すぐに納得顔になった。

「おまえさん、家で留守番は寂しいのじゃな」

「相変わらず、口の減らないばあさんだぜ」

 ルークは文句を言うが、ラビばあさんはまるっきり気にしていない。

「リエナちゃんさえ置いていってくれれば、わしは一向に構わんのじゃがな?」

「ばあさんが構わなくても、俺が構うんだ」

「素直に寂しいなら寂しいと言ったらどうじゃ?」

「ああ、寂しいぜ。俺はリエナがそばにいないと寂しいんだ。――これで文句はないな?」

 あまりにも堂々と言い放ったルークに、ばあさんは呆れつつも頷いた。

「よかろ、客にしては図体も態度もでかいがな。これでもリエナちゃんの大事な男じゃ。おまえさんも入っていいぞ」

 この、玄関先での長い挨拶も既に恒例行事となりつつある。いつもの遣り取りにリエナはちいさくふき出していた。

「もう……、何故か二人揃うと、いつもこうなのよね」

********

「おばあちゃん、長い間ありがとうございました」

 リエナが籠から書物を取り出し、食卓に置いた。以前に借りたある地方の伝承を題材にした物語である。

「ほう、もう読み終わったか」

「ええ、とても面白くて。何度も読んでしまったわ」

「いい話じゃろ? わしはこの物語が好きでな」

 ラビばあさんは機嫌よく頷くと、物語について自分の感想を語り始めた。

 リエナも元となった伝承について一通りの知識は持っているが、ばあさんは更に深く理解している。そのばあさんの語りは、リエナにもとても興味深いものだった。語り終えたばあさんに向かって、リエナはにっこりと微笑んだ。

「おばあちゃんのお話を聞いていると、まるで物語が目の前で甦るみたいだわ」

 リエナの素直な称賛の言葉に、ばあさんも満足げである。

「よければ、リエナちゃんの感想も聞かせてくれんかの」

 リエナは頷いて話し始めた。ただし、伝承についての知識があることを覚られないよう、かなり控えめに、書物に記されている範囲に限定してのものである。

 ルークも隣で二人の会話を、何気なさを装いながら聞いている。ルークは伝承についてリエナ以上に詳しく知っていたが、この書物は未読だった。なので、今回いい機会だと思って自分も読んでみたのである。

 ただし、そのことをばあさんに告げる気はない。内容からいって、若い男の好むような物語ではないし、それこそ、自分が元の伝承を知っていると気づかれたくない。黙ってばあさんの淹れてくれた茶を飲みながら、二人の様子を見守るにとどめていた。

********

 ルークとリエナが帰った後、ばあさんは書物を手に取った。大切そうに撫でながら、自然に笑みが浮かんでくる。

(まさか、祖国から遠く離れたトランの村で、この物語を語り合う相手ができるとはの)

 この書物はばあさんにとって、ひときわ思い出深いものである。心から敬愛したある貴婦人が愛してやまなかった物語なのだ。

 目を閉じてしばらくの間、懐かしい、その貴婦人の面影を追っていた。

********

 気がついた時には、夕日が長く部屋に差し込む時間になっていた。ばあさんは立ち上がるとランプに灯りをともした。夕食の支度をするために、ランプを持って台所に入っていく。

 一人きりの夕食を取りながら、ばあさんはリエナとの遣り取りを思い出していた。

(リエナちゃんの教養は相当なものじゃの。驚いたわい)

 リエナの語ってくれた感想は、物語を丁寧に読み込んだことがよくわかるものだった。元の伝承を知っているはずがないから、感想もこの書物に描かれている内容にとどまってはいたものの、それでも物語の神髄を汲み取ることができなければあれだけの感想は出てこない。それほどに、リエナの語る言葉の端々にはこの物語への深い理解と高い教養が滲み出ていたのだ。

 ルークと二人でトランに来たいきさつを聞く限りでは、リエナは地方領主の娘らしい。けれどばあさんの目には、とてもそうとは見えなかった。気品あふれる美貌といい優雅な物腰といい、もっと上流の、王宮に出入りを許されている階級の貴族と言った方がふさわしいものに思えるのである。

(もしや、母親が高貴な家の出――ことによっては、どこかで王家の血に連なる姫君やもしれんの)

 由緒ある名家の令嬢が地方領主に嫁ぐ例は、昔からままあることだった。例えば、昔は羽振りがよかったものの時代の趨勢に取り残され、残ったのは高い家柄と教養のみといった家の令嬢が、地方領主のたっての願いで妻として迎えられる場合である。

 こういった婚姻を結ぶ目的であるが、夫側は言うまでもなく、名家と縁戚となり上流階級への足掛かりを得ることである。一方妻側は、実家に金銭的な援助を受けるためである。その為、夫側が非常に裕福であることが絶対の条件となる。

 要するに、家格の違いを財力で埋めるわけである。領主は高貴な家の令嬢を自分の妻にすることで、己の財力を誇示し、自己顕示欲を大いに満足させることができる。そこに愛情も存在することは稀だった。夫側はともかく、妻側にとっては体の良い身売りと変わりはない――言い方は悪いが紛れもない事実である。しかし、だからといって、妻となる令嬢にあるのが不満だけというわけでもない。

 もちろん、令嬢に既に言い交わした男でもいれば一筋縄ではいかないが、たいていの場合は、ほとんど屋敷から出ずに生活している。結婚相手は親が決めるものだし、令嬢本人も、自分の身と引き換えに実家に貢献でき、実家では到底望めなかった贅沢な暮らしを得られるからだ。

 いわば、お互い納得ずくで婚姻を結ぶのだ。そこには、上流貴族の政略結婚とはまた別の思惑が複雑に絡み合っているのである。

 このような婚姻の場合、妻は自分の子――特に娘には、できる限り最高の環境を与えようとするし、父親もそれに全面的に協力する。娘のために、それこそ湯水のように金を使うのである。最先端の流行の美しい衣装や宝石類を惜しみなく与え、一流の教育係を雇って教養を身につけさせる。屋敷を磨き上げて選び抜いた調度で飾り、身の回りの世話をするために幾人もの侍女を雇うなど、例を挙げればきりがない。

 無論、金銭的な負担は多大なるものがあるが、金に物を言わせて名家の令嬢を娶ることができるほどの資産家である。これらは難しいことではない。足らないとすれば、上流階級の人間が纏う独特の雰囲気のようなものであるが、これは母親自らが礼儀作法を徹底的に仕込むことで、ある程度は実現できる。

 こうして、将来すこしでも良縁に恵まれるよう――父親は更なる家の繁栄を願い、母親は名家に生を享けながら地方領主の妻に身を落とさざるを得なかった自分とは違う道を歩いてほしいという願いを籠めて、大切に育てるのである。

 食事を終えたばあさんは、食後のお茶を用意するために立ち上がった。

(リエナちゃんはそれこそ、両親から上流貴族の令嬢に匹敵するほどに大切にかしずかれたのであろうな。今のような、村の女達と変わらぬ質素な木綿の衣服を着ていてすら、滲み出る育ちの良さは隠せんからの。本来の身分にふさわしく、華やかなドレスに身を包めばそれは美しい令嬢じゃろうて……)

 ドレス姿のリエナを想像するだけで、溜め息が漏れるほどだった。年頃になる前から、降るように縁談が持ち込まれであろうことも容易に想像がつく。

(リエナちゃんのような娘を持って、ご両親はこれ以上ないほどに鼻が高かったじゃろう。それであれば、騎士だったルークとの結婚を反対されるのは当たり前じゃ。あの男は立派な若者じゃが、親にしてみれば、丹精込めて育て上げた娘を一介の騎士風情に嫁がせたくはなかろうて。ましてや、あのリエナちゃんの美貌ならば、どんな良縁でも望むがままじゃろうからの)

 熱いお茶をすすりながら、ばあさんはまだ考え続けていた。

(リエナちゃんは余程の覚悟だったのじゃろう。蝶よ花よと育てられたご領主様のお姫様が、こんな山の中で暮らしておる。それも、村の女同様、家事も何もかもを文句ひとつ言わずにこなしておるからの。それだけ、ルークとの絆は深いのじゃろうて)

 ここで、ばあさんは思わず笑い声を漏らしていた。

(あのルークのリエナちゃんへの惚れっぷりを思えば、頷けるわい。リエナちゃんもルークほどには表に出さんが、想いは同じじゃからの。いつも幸せそうに微笑んでおる姿はほんに美しいものじゃ……)

 茶碗を手にしたまま、ほうっと一つ、溜め息をつく。

(今のリエナちゃんの幸せな姿をご両親が見たら何と思うかの。――いつか、晴れてご両親に二人の仲を許される日が来るのを願っておるぞ)

 その日のためにも、リエナの治療に全力を尽くそう、ラビばあさんはあらためてそう思ったのである。




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