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旅路の果てに
第11章 10


「ローレシアがついに動き出したようですね」

 深夜、サマルトリア王の執務室でアーサーが言った。目の前では王が無言のまま、淡々と書類に決裁署名を続けている。

 今日、ローレシアから使者が到着したのである。第一王子で王太子だったルーク薨去の知らせと、国葬の案内である。

「こちらの予想よりはかなり早いですが、これでローレシアに関しては決着がつくでしょう。しかし……」

 王が書類からつと目を上げ、無言のまま続きを促した。アーサーもそれを受けて話を続ける。

「ムーンブルクの方は、当分は変わりないと思います。まさか、リエナが薨去と発表するわけにはいきませんからね」

 理由は言うまでもなく、リエナがムーンブルク王家の最後の一人だからである。ルークの代わりとなる弟王子がいるローレシアとムーンブルクの、これが決定的な違いだった。

「ただし、チャールズ卿が今後どう出るかは予断を許しません。最近、行動が常軌を逸しつつあるとも耳にしていますから」

 王は軽く頷きを返しただけだった。無論、ムーンブルクの現状はすべて把握している。この件について何も言わないのは、アーサーと同意見であるからである。

「父上。ルークの葬儀ですが、慣例通り、私が名代として参列して参ります」

 ほんの一瞬の間を開けて、言葉を継いだ。

「ムーンブルクからの出席者はフェアモント公爵でしょうから、敢えて何も探らずにおくことにします。放っておいても、必要な情報はあちらから提供してくれますからね」

 アーサーは口の端にわずかに笑みを浮かべた。フェアモント公爵はチャールズ卿の実父であるが、息子とは違って短慮な上に、やや口が軽い。ルークの葬儀であればリエナも無関係ではないから、自分から色々と余計な情報を漏らしてくれるはずである。

 アーサーのこの辛辣な言葉にも、王の表情はまったく変わらない。アーサーに視線を向けたまま、ただ一言だけ告げた。

「それでよい」

********

「アーサー様」

 王の執務室を辞去して自室に戻ってきたアーサーを妃のコレットが迎えてくれた。緊張した面持ちで、顔色はやや青ざめている。

 室内に入ると、侍女は誰一人いなかった。コレットがアーサーから詳しい事情を聞くために人払いしたらしい。アーサーはローレシアからの使者と対面した後、すぐに葬儀参列の打合せに入ったため、コレットとは顔を合わせる暇もなかったのだ。だから、深夜にもかかわらず、コレットもアーサーから話を聞くために起きて待っていたのである。

 部屋には、普段は見慣れない姿もあった。アーサーの妹姫で、第一王女のルディアである。

「お兄様、お帰りあそばしませ」

 ルディアは椅子から立ち上がると、緑柱石の瞳に笑みを浮かべて優雅に一礼する。鮮やかな蜂蜜色の金髪が夜の灯りに煌めいた。

「ルディア、お前も来ていたのか」

「はい。お父様との面談の後でしたらきっとお会いできると思って、お義姉様に無理を申し上げました」

 ルディアは平然と答えた。不用意に誰かに尋ねるわけにもいかない話題である。正確な情報を得られるのは兄だけだから、わざわざこの機会を狙って部屋を訪問してきたらしい。

「仕方ない妹だ」

 既に夜も更けている。アーサーも口振りだけはやや咎めるようなものであるが、内心では如何にもルディアらしいとも思っていた。もちろんルディアの方もそれを承知している。兄が決して追い返さないと見越しての行動だった。

 アーサーは軽く苦笑しながら、彼女らの向かいの椅子に腰をおろした。ルディアもコレットの隣に並んで座る。アーサーが旅に出た時にはまだ幼かったルディアも、もう17歳になっている。目の覚めるような美少女だった彼女は、ますます鮮やかな美貌の姫君に成長していた。第一、2年前に成人の儀を迎えているから、今更こども扱いするわけにもいかないのだ。ここでごまかしても、結局は後から説明しなければならないのがわかりきっている。きちんと説明しておいた方が賢明だった。

「コレット、ルディア。既に話は聞いているね」

 アーサーが妻と妹に向けた表情は、いつになく真剣で、緊張に満ちたものである。

「お兄様」

 ルディアが唐突に口を挟んだ。礼儀正しい彼女にはまずないことである。けれど、アーサーは気にした風もなく、続きを促した。

「ローレシアでのルーク様の薨去発表ですわね。……ですけれど、詳しいお話を伺う前に確認しなければならないことがありますわ」

「確認? 言ってごらん」

 アーサーの許可を得て、ルディアは感謝の意味を籠めて軽く会釈を返すと、正面から兄に視線を向けてきた。

「ルーク様は、本当は生きていらっしゃいます」

 ルディアはきっぱりと言った。確信に満ちた口調で、けれど、感情は交えず話を続けていく。

「今はローレシアではない、どこか別の土地で生活なさっていらっしゃるはずですわ。それもお一人でではなく、リエナ様とご一緒に。けれど、御二方の居場所がどこなのかは誰にもわかりません。何故なら、ルーク様はリエナ様と手に手を取って出奔なさったからです。従って、ローレシアのルーク様の薨去も、ムーンブルクでのリエナ様絶対安静の公式発表も、どちらも御二方の不在を隠蔽するためのもの。――この事実に間違いはございませんわね?」

「そうだよ」

 アーサーは、あっさりと肯定した。わざわざ兄夫婦の私室まで詳細を聞くために乗り込んでくるほどのルディアである。アーサーも妹姫のこの問いは最初から予想していた。

 ルディアが最初にこう確認した理由は、彼女はルークとリエナの出奔の事実を知らされていなかったからである。ルディアが知る範囲は、公式発表の内容にとどまっていた。つまり、ルークは古傷が悪化したため湖畔の離宮で静養中、リエナは旅が原因の病で絶対安静が続いている――これだけである。

 ルディアに知らせなかった理由は簡単である。知る必要がないからだ。ルディアは第一王女であっても、既に輿入れ先も内定しており、サマルトリアの国政には関わりを持たない。他国の醜聞、それも不確定な情報など、知るべき立場ではないのだ。

 そもそも、ルークとリエナの出奔も事実だと確認されているわけではなく、あくまでアーサーが状況から予想し、王もそれと同意見であるに過ぎない。ローレシアとムーンブルク両国が認めることがありえない以上、公式発表が事実のすべてなのである。

 従って、サマルトリア国内でもこの事を知る人間はごく一部に限られている。その中で、ルディアが会話を交わすのは、王とアーサー、コレットくらいである。王が話すわけもなく、コレットもアーサーと約束した以上、いくら相手がルディアであっても口外しない。ルディアの方も兄が義姉だけにはに話していると確信していても自分には話すはずがないとわかっているから、最初から問い詰めることもしない。

 そんな状況にもかかわらず、ルディアは正確に現状を把握していた。公式発表の内容の他には、わずかに聞こえてくる噂話だけを材料に、自分で推測したらしい。これまでアーサーに尋ねることをしなかったのは、絶対に口にしてはならない話題だと認識していたからである。

 アーサーは、聡明な妹姫に向かって、軽く頷いて見せた。

「もちろん、事実だと確認されているわけじゃない。けれど、間違いがないことも確かだ」

 アーサーの答えに、ルディアは納得したように深く頷いた。

「わかりましたわ」

「じゃあ、話を戻すよ」

 アーサーの言葉に、コレットとルディアも姿勢を正した。

「今回のルーク薨去の公式発表は、アレフ11世陛下の御英断だろう。ルークとリエナの行方について、まともな目撃情報すら得られないことは以前から僕も耳にしている。これ以上捜索を続けても見つからないと判断した上で、決定を下されたのだと思う」

 アーサーは続けて、説明をしていった。

「薨去と発表したのは文字通り、ルークをもう死んだ者として扱うことにしたということだ。理由はいくつも考えられる」

 コレットとルディアも真剣な表情でアーサーの話に聞き入ってる。

「一番の理由は、さっき言った通り、今後ルークが発見される可能性がほぼ無いと判断したことだ。ルークが姿を消してちょうど一年。このまま捜索を続けてもいたずらに時間を消費するばかりだからね。これを区切りとして、国家としての今後を考える方が重要だと決断したわけだ」

 女性二人に交互に視線を向けると、話を続ける。

「第二の理由は、ルークと第二王子アデル殿との王位継承争いを避けるためだ。ルークの出奔を知らない階級の人間は当然、ルークが王位を継ぐと考える。けれど、不在の事実を、それも見つかる可能性がほぼ無いことを知っている人間はそうもいかない」

 これは王族であるコレットとルディアには説明する必要がない。

 第二王子のアデルは、ルークの出奔が発覚した三ヶ月後に王太子代行の命を受けた。アデルはルークに代わり、立派に責務を果たしている。そろそろ周囲も、アデルを代行ではなく正式な王太子として見始めているはずだった。それほどに、彼の王太子振りはすっかりと板についていた。アデル本人は自分が兄の代役だと思っているが、周囲はそう考えない。もちろんその筆頭が、実母マーゴット王妃と祖父エルドリッジ公爵であることは言うまでもない。

「アデル殿もそろそろ妃を迎えなくてはならないし、妃が単に第二王子の配偶者なのか、それとも未来の王妃かでは状況が違ってくる。これも、重要な要因の一つだろう」

 コレットにもルディアにもよく理解できた。公爵家出身のコレットは、まだ幼い時にアーサーと婚約が内定した。そのため、将来の王妃となるべく厳格な教育を受け、公私ともに王を補佐するという重責を担う覚悟もして、アーサーの元に嫁いできたのだ。

 ルディアも同じだった。王女として生を享けた彼女は、当然のように将来は他国の王妃となるべく育てられてきた。

「それに、もし今後ルークが見つかったとしても、それですべて解決するわけじゃない。ルークがリエナと別れるとは絶対に思えないからね」

 アーサーはきっぱりと言い切った。

 その確信に満ちた表情が、アーサーがルークとリエナの互いを想う気持ちの深さを理解している何よりの証拠だった。

「仮に、ルークが周囲の説得に応じてリエナと別れたら、今度はムーンブルク側が絶対に黙ってはいない」

 兄の言葉に、ルディアが憤然とした面持ちになる。

「当たり前ですわ。リエナ様がそのような扱いを受けるなど、決して許されることではありませんもの。いくらルーク様がローレシアの第一王子で王太子のご身分を持っていらっしゃったとしても」

「ルディアの言う通りだ。最後の王族で次期女王のリエナを傷物にされたこと自体が大変な屈辱なのに、自分が王位を継ぐのに支障があるからから別れる――さんざん弄んでおいて、邪魔になったからってあっさり捨てられるわけだからね」

 ルディアはちいさく溜め息をついて見せた。

「――もちろん私は、ルーク様がそのような非情な殿方などと思っておりませんけれど」

 ルディアはこれまでも、二人が晴れて結ばれることを祈っていた。それぞれが国を継ぐ者であるから極めて難しいと承知していても、一人の若い女性として、二人の幸せを祈り続けていたのである。それを知るアーサーは妹姫に穏やかな笑顔を向ける。

「僕だってルークがそんな馬鹿な真似をしないことは承知しているよ。でも周囲の人間が同じ考えを持つとは限らない。もっともローレシアだって、その状況でルークに王位を継がせて新しい妃を迎えることになれば、諸外国からの非難されるのはわかりきっている。かといって、リエナがムーンブルクの次期女王である以上、ローレシアへ輿入れさせることも不可能だ。残る可能性は、ルークのムーンブルクへの婿入りだけど、現状ではこれもありえない」

 コレットもルディアも頷いた。理由はあまりにも明白だったからだ。

「事の発端は、ローレシアがルークを手放さなかったことだ。まず間違いなくルークは正攻法で周囲を説得したはずだ。でもローレシアは、最後までルークの王太子位返上とムーンブルクへの婿入りを認めなかった。今更認めるくらいなら、最初からルークの希望通り、正式にムーンブルクへ求婚の使者を送って交渉すべきだった」

 アーサーはコレットとルディアを交互に視線を向けた後、話をつづけた。

「もっともルークの婿入りについては、たとえ正式に申し込まれたとしても、チャールズ卿とフェアモント公爵が全力で阻止したはずだ。ルークという存在はフェアモント公爵家にとって、王位奪還の野望を成就するための障害にしかならないからね。特に、問題がここまでこじれた後なら論外だ。拉致同然での出奔という前代未聞の不祥事を起こしたんだ。そんな相手に国家として、大切な次期女王を託せると思う? ルークに責任を取らせるという考え方もあるけれども、ムーンブルクは承諾するわけにはいかない。もちろん、対外的には出奔なんて事実は存在しない。でもだからといって事実が消えてなくなるわけじゃない。ルークの婿入りを了承するということは、女王を傷物にされたうえに、その傷つけた張本人が国家の中枢に入り込むのを許容することになるのだからね」

「当たり前ですわ。こんな無理が通るのでしたら、道理など必要ありませんもの」

 ルディアが怒ったような口調で言った。

「ルディア様、すこしお言葉が過ぎてはいらっしゃいません?」

 ずっと口を挟まず話を聞いていたコレットが、初めて口を開いた。

「申し訳ありません、お義姉様。――おっしゃるとおり、言い過ぎたようですわね」

 ルディアはコレットに謝罪した。その直後に、胸を手に当ててほっと息をつく。

「ですけれど私、間違ったことを言ったとは思っておりませんのよ。――お兄様」

 ルディアは緑柱石の瞳をアーサーに向けた。

「こうなってしまった以上、ムーンブルクがルーク様を許すことができないのはわかりますわ。ですけれど、そんなことくらいルーク様だって最初から承知なさっているのではありません?」

「もちろんそうだよ。あいつはああ見えて、常に先を見通してから行動に移している」

「ルーク様は、リエナ様のために、できうる限りの努力をなさったのですよね?」

「そうだよ。事実、出奔の年の春に二度、ムーンブルクを公式訪問している」

「それでもリエナ様を救うことができなかったからこそ、このような非常手段に出たのですよね?」

「そうだ」

「では、御二方とも相応のお覚悟があって、出奔なされたはずではありませんか?」

「ああ、二度と戻らない覚悟があるはずだ。身分も何もかも捨てて、ただ人として暮らすとはそういうことだ」

「やはり思った通りですわ。だって、ルーク様はそのような無様な、逃げ道を最初から作っておくようなことをなさる御方ではありませんもの。リエナ様も同じです」

「ルディアの言う通りだろうね」

 ずっと兄妹の遣り取りを見守っていたコレットが控えめに口を開いた。

「ええ。その点に関しては、私も同じ意見です。ルディア様、こちらこそ出過ぎたことを申し上げました。お許しくださいね」

「お義姉様に謝っていただく必要などありませんわ。私の言葉が足りなかったせいですもの」

 ルディアの若い女性らしい義憤からこのような発言に繋がったのは、アーサーもコレットもよくわかっている。ルディアが納得したところで、アーサーが話を再開した。

「じゃあ、話を戻すよ。ルークの薨去発表については、遅かれ早かれこうなることはわかっていた。でも正直、もう少し後になると予想していた。けれど、冷静に分析すれば決して早過ぎることなないと思う。今後見つかる可能性がほぼ皆無な以上、無駄に時間を使うばかりで何も得るところはないからね。要は、ローレシアはこの問題を早々に片付けて、将来の騒動の種を排除しておこう――そういうことだと思うよ」

「よくわかりましたわ、お兄様」

「納得してもらえたかな?」

「ええ。突然の訪問でしたのにお話を伺えたこと、感謝しておりますわ」

「それならよかった。――ルディア、部屋まで送ろう。どうせ、乳母も侍女も追っ払って来たんだろう? 今から迎えを頼むよりも、僕が送った方が早いからね」

 いきなり兄に図星を指されて、ルディアはすこしばかり悪戯っぽい表情に変わった。いつもは大人びた雰囲気の彼女もこういう時だけは年齢相応になる。それでもすぐにいつもの鮮やかな笑顔に戻り、アーサーに向かって手を差し出した。

「やっぱり、お兄様には敵いませんわね」

********

 アーサーに送られる間、ルディアは終始無言だった。兄から聞くべきことはすべて聞き、話すべきことはすべて話せたからだ。




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