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旅路の果てに
第11章 9


 ローレシア第二王子アデルは、父であるアレフ11世との面談の席にいた。室内は厳重に人払いされ、いつもなら必ず王の隣に控えているはずの宰相バイロンも席を外しての、一対一での面談である。アデルは謁見用の正装に身を固め、挨拶の口上を述べると、緊張した面持ちで王の言葉を待った。

 王は頷きを返すと、おもむろに口を開いた。

「そなたもすでに承知の通り、ルークの薨去を公式発表した」

「はい」

 答えるアデルの表情が一段と真剣味を増した。

「ルークの葬儀が終わり次第、新たな立太子宣下のための議会を招集する」

 来るべきものが来たのだ――アデルの緊張が頂点に達する。

「そなたが、我がローレシアの新しい王太子となる。心して務めよ」

 ほんの一瞬の間を置いて、アデルは真っ直ぐに王に視線を向け、あらためて姿勢を正すと、深々と一礼した。

「御意、父上」

********

 ちょうどその頃、アデルの生母であるローレシア王妃マーゴットと、祖父にあたるエルドリッジ公爵が話し込んでいた。

 マーゴットは豪華絢爛に飾られた私室の居間で、父公爵と向かい合っていた。彼らの目の前には、極上の葡萄酒が置かれている。早くも祝杯を挙げようというのである。

「お父様、今頃アデルは陛下とお話しているころですわ。いよいよ、あたくしの息子が正式な王太子に……どれほどこの日を待ちわびたことか……!」

 マーゴットは感極まって、レースのハンカチで目頭をおさえた。

「ようやく我々の時代が到来するわけだ」

 公爵も嬉しさを抑えきれず、笑み崩れながら何度も頷きを繰り返している。

 マーゴットはアデルの立太子が確実になったことで、まさに胸のすく思いだった。ようやく前王太子妃テレサに勝利することができたからだ。テレサはルークの今は亡き生母である。マーゴットはテレサ薨去の三年後に、後添いとして迎えられたのだった。

 マーゴットの、テレサへの嫌悪の情を抱くに至ったきっかけは、二十数年前にさかのぼる。

 当時、まだローレシア王太子だったアレフ11世の王太子妃選定が本格的に始まっていた。マーゴットは最有力候補で、彼女自身も王太子妃にふさわしいのは自分しかいないと自負していた。しかし、突如として現れたテレサにその地位を奪われた――事実は、王太子の方がテレサを見初めたのであるが、マーゴットはどうしてもその事実を認められなかった。しかも、テレサはわずか14歳。まだ幼いとも言える年齢であることが、余計に気に障る要因となったのだ。

 嫉妬の念から、マーゴットはテレサを疎んでいた。もちろんおおっぴらにするわけにはいかないが、その分陰湿な行動に出たのだ。年若いテレサも急に決まった婚礼でローレシアの風習に不慣れな部分もあり、自分よりも年上で社交界の花形であるマーゴットの仕打ちはつらいものだった。

 けれど、テレサは決して周囲にそれを気づかせなかった。祖国から連れてきた、ごくわずかの心許した側仕えにだけ思いを吐露し、公式の場では常に笑みを絶やさず、献身的に王太子に仕えたのである。

 王太子は心からテレサを愛した。テレサもそれに応えた。最初こそテレサにぎこちなさが残っていたものの、二人の仲は次第に打ち解け、仲睦まじい夫婦となっていったのである。そして婚礼の儀から半年余りが経った頃、テレサは懐妊した。

 けれど、周囲の祝福をよそに、懐妊中のテレサは決して順調とは言えなかった。体調不良に悩まされては何度も床に伏し、難産の末にようやく産まれたのが第一王子ルークである。誰もが待望の世継ぎの誕生に歓喜したが、直後に容体が急変し、儚くこの世を去った――わずか15年の生涯だった。

 テレサが薨去した時のアレフ11世の落胆ぶりは大変なものだった。

 無論、公式の席では無様な姿を見せることはないが、心から愛した妃が出産で生命を落としたことで、大きな衝撃を受けたことは間違いなかった。

 しかし、いくら忘れ形見の王子がいるとはいえ、まだ年若い王太子が独り身を続けるわけにはいかない。当然、周囲は後添いを迎えるよう進言した。

 これでようやく、マーゴットは王太子妃となることができたのだ。

 しかし、念願かなったはずであるのに、マーゴットは王太子の自分へ対する扱いに満足できなかった。テレサへ向けた眼差しと自分へのそれとでは天と地ほどの差があったのだ。王太子はテレサを忘れていず、自分は単に義務で婚姻を結んだ配偶者としてしか見てもらえない事実を突きつけられる思いだった。

 その後、先王の崩御に伴い、王太子は即位してアレフ11世となり、マーゴットは王妃となった。けれど、王の扱いは変わらない。テレサを忘れていないことも変わらない。

 アデルが誕生し、さらにもう一人弟王子を儲けた後も、王が自分に心を許していないのは明らかだった。おまけに事あるごとに、王は未だにテレサを偲んでいるのだと、耳に入れる者達がいた。

 ――あたくしは陛下のため、ローレシアのために、立派な王子を二人も産んで差し上げたのに。

 マーゴットの苛立ちは募る一方だった。

 しかも、立太子したのは自分の息子ではなく、ルークだった。このことが、より一層ルークとテレサへの憎悪と繋がる結果となった。それはもう、妄執としか呼べないほどに、暗く淀んだ感情である。

 ――けれど、すべては終わったこと。

 肝心のアデル本人が未だにルークを兄と慕い、自分は代役で立太子するとしか認識していないのは腹立たしくもある。けれど、それもどうでもよくなった。アデルが即位すれば、自分は国母となるのだから。

********

 アデルは自室に戻り、侍女に手伝わせて着替えを終えるとすべて下がらせ、独り居間の椅子に座り込んでいた。

 母王妃と祖父公爵に、父王との面談の報告を兼ねた挨拶に出向かないといけないのであるが、母と祖父の満面の笑みを思い浮かべるだけで、気が重い。どうしてもその気になれず、非礼は承知の上で、明日伺う旨、使いを送ったところだった。

 アデルは目の前の卓上に用意された酒杯を乱暴に手に取った。

(――とうとうこの日を迎えてしまった)

 そのまま、一気にあおる。普段あまり酒類を口にしない彼も、今日ばかりは素面でいたくない。

 一向に酔いは訪れないまま、アデルは考え続ける。

(僕が、このローレシアを継ぐんだ。兄上に代わって……)

 同じローレシア王の、勇者アレフの、そして勇者ロトの血を引く者として将来は兄王を補佐していきたい――それがアデルの願いだったはずなのに。

 異母兄弟でありながら、そして自分の母がルークの生母を厭うていることを知りながらも、アデルはルークを兄と慕っていた。ルークも自分を弟としてかわいがってくれたのだ。

(――兄上にとって、ローレシアとは何だったのか。たった一人の女性のために捨て去ってしまえるほどに、軽いものだったというのか……)

 それほどまでに兄が愛した女性――アデルはリエナの姿を思い起こしていた。

 リエナとはほんの数回だけ会ったことがある。リエナが旅の前にローレシアを滞在していた時にはまだアデルは対面を許されていなかったため、正式な対面は三人が旅の途中にローレシア城に立ち寄った時だった。

 リエナの類稀なる美貌と優雅な物腰にアデルは驚かされていた。父王はじめ重臣の前で感謝の挨拶を述べる姿は気品に満ち、祖国が無残に崩壊した今もなお最後の王族としての矜持を失っていない。アデルもリエナがムーンブルクで月の女神の再来とまで称えられたことは耳にしていたが、正直ここまで麗しい姫だとは思っていなかったのである。自分とは挨拶以外の会話を交わしたことはないものの、流石はムーンブルク王家直系の姫君だと感じ入ったのを覚えている。

 そして、再びローレシアを立つ時の、ルークとリエナの並んだ姿がしっくりと落ち着いていることにも驚かされていた。また、リエナは旅の質素なローブに身を包んでいても不思議なほどに印象が変わらない。それほどに彼女の姿はアデルの目に気高く美しく映ったのだ。

 ルークのリエナを見つめる眼差しは熱く、そして限りなく優しかった――それがアデルに何よりも強い印象を残している。

 既に二人が強い絆を築いていること、ルークはリエナを心から大切に想い、またリエナも同じであろうということも理解していた。だから、もし当初の予定通り、婚姻を結ぶことができていればと残念に感じたこともまた、事実だった。

 その後もローレシアを訪れるたび、二人の絆がより深くより強くなっている気がしてならなかった。

 ルークとリエナが心から愛し合っていることは明らかだった。白紙に戻ったとはいえ、一度は婚約が内定していたのだ。互いを将来の伴侶として意識していたとしてもおかしくないのだ。

(兄上は、初めて出会った時からリエナ姫様を愛しておられたのかもしれない。そして、リエナ姫様も兄上を……)

 ルークはムーンブルク崩壊の報を受け取った時、真っ先に自分でリエナを救出に行くと父王に申し出たと聞いている。そんな二人であれば、長く苦しい旅のなかで、互いを想う気持ちを育んでいったとしても当然だと思える。事実、旅が終わり、凱旋帰国したルークは、すぐに父王にリエナとの結婚を望んでいる。その後、リエナがムーンブルクで苦境に立たされていると知って、必死に救出しようとした――その結果がすべてを捨てての出奔なのだ。

(リエナ姫様を、それほどまでに大切に想われていた――そういうことなんだ)

 アデルにはまだ、大切にしたいと思う女性はいない。近い将来、妃を娶るのは決まっているが、あくまで王族としての義務である。自身の感情よりも、将来のローレシア王妃にふさわしいかどうかの方がはるかに重要であると認識していたし、今もそれが当然だと考えている。

 ここまで考えを巡らせて、アデルは重く息をつく。

(兄上がリエナ姫様を想う気持ちは僕にも理解できるつもりだ。けれど、だからといって、祖国を継ぐという義務を放擲していいことにはならない――決して許されることじゃないんだ。それなのに、兄上はローレシアを捨てた……。そこまで兄上を駆り立てたのは、いったい何だというのか……)

 いくら考えても答えは見つからない。アデルは遠くを見つめる表情になった。

 今はもう、兄がひどく遠い存在に感じる――間違いなく、同じ空のもとにいるはずなのに。それとも、かの勇者ロトのように、異世界に旅立ってしまったのか。

 アデルは呆然と顔を上げ、ルークに問いかけた。

 ――兄上、本当にこれでよかったのですか?




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