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旅路の果てに
第11章 8


「陛下。本当に、これでようございましたのでしょうか」

 ローレシアの宰相バイロンが深く溜め息をついた。たった今、ルークの薨去の発表が終わったと報告を受けたところだった。室内は厳重に人払いがされ、王とバイロンの二人しかいない。

「他に、何か方法があったと言うのか?」

 ローレシア王アレフ11世の声には何の感情も表れていない。しかしそれは、様々な感情を押し殺したからこそであると、バイロンは理解していた。

「いえ……決してそのようなことは。年寄りの繰り言にございます。ご容赦くださいませ」

 王は無言のままである。バイロンも表情をあらためた。

「陛下、ルーク殿下のご葬儀の準備は予定通り進行しております。各領事館への通達も取り消し、追っ手もすべて引き上げさせました」

 王は重々しく頷き、それを確認したバイロンが続けて言う。

「間もなく、アデル殿下がお越しでございます」

「アデル一人だな?」

「はい。今回ばかりは、王后陛下とエルドリッジ公爵にはご遠慮いただきました。今から私がお迎えに上がります」

「くれぐれも人払いを厳重にな」

「御意、陛下」

 バイロンは深々と一礼すると、御前から下がった。退室するとき、バイロンは背後でかすかな王の声を聞いた。

「あの親不孝者めが……!」

 その声音には、さっきとは打って変わって、ありありと苦渋の色が滲んでいた。

********

 バイロンは一人、アデルの部屋に向かっている。通常であれば、迎えなどは侍従に任せ、宰相自らが使者の役割をすることなどない。それだけ、今回の王とアデルの面談が重要である証拠である。

 バイロンは心の中でそっと溜め息をついた。

 ルークが出奔して今日でちょうど一年――協議を重ねた結果、薨去と発表したものの、簡単にそれが決定したわけではなかった。簡単どころか、時期尚早であるという意見が大半を占めたのだ。バイロンもその意見を述べた一人である。

 しかし、最終的に薨去発表の決断を下したのは、他ならぬ王だった。

 歩みを進めながら、バイロンはこの一年間を振り返る。

 ルークの出奔に気づいたのは、彼が姿を消した翌朝のことである。当然ながら、発覚直後にすぐさま追っ手を放った。

 追っ手は行方を追うために全力を尽くした。にもかかわらず、結果は見つかるどころか、二人の影すらつかむことができずに終わった。別の世界に旅だったとしか考えられないほどに、忽然と姿を消してしまったのだ。それこそ勇者ロトのように。

 バイロン自身、ルークが何故ここまで完璧に姿をくらますことができたのか想像もつかないのだ。ルーク一人きりならともかく、リエナを連れての出奔である。当然、リエナが不自由しないだけの準備を整えてだと予想された。だからこそ、ルークが個人的にもしくは己の権力の及ぶ範囲で隠れ場所を用意できそうなところを重点的に捜索した。けれど、どこにも立ち寄った形跡すら残されていなかったのである。

 密偵の報告を受けて、捜索の方針も変えてみた。二人が旅慣れていることから、もっと市井の民に近い場所か、まだ旅を続けている可能性も考慮して捜索の範囲を広げたのだ。しかし、結果は同じだった。

 この段階で、捜索は完全に行き詰まった。

 しかし、いくら何でも王族の二人が庶民として暮らしているとは思えない。ハーゴン討伐の旅で、王族の身分を隠した経験があるとはいえ、大勢の側仕えにかしずかれる生活とはあまりにも違いすぎる。男で、騎士団で見習い騎士として在団していたルークならともかく、深窓の姫君であったリエナが耐えられるはずがない。

 仮に市井の民に混じって生活しているのであれば、捜索は更に困難を極める。何しろ、捜索範囲は世界全体に及ぶのだ。リエナは移動の呪文の遣い手で世界各地を旅してきたから、望んだときにどこにでも瞬時に飛べるからである。もし幸運が味方して二人を発見することができても、気づかれればまたすぐに呪文で移動してしまい、捜索は振出しに戻ってしまう――まさに雲をつかむような話だった。

 あのルークが綿密に計画を立てて実行したのだ。簡単に見つかるような手段を採るわけがない。事実この一年間、有力な手掛かりどころか、まともな目撃情報すらなかったのだ。今後も見つかる可能性は余程の偶然と幸運が重ならない限り、皆無だろうと想像がつく。

 これらの状況から、今後ルークが見つかる可能性は極めて低いと王が判断したのだ。

 けれど、ルークが出奔してまだ一年である。時期尚早であるという意見が出るのは当然といえた。それにもかかわらず重臣の意見をすべて抑え、王がこのような決断を下したのにはわけがある。

 第二王子アデルの結婚問題である。

 出奔の三ヶ月後、王は、ルークは古傷が悪化したため湖畔の離宮で療養する旨公式発表し、同時に、公務に復帰するまで暫定措置として、アデルを王太子代行とすると決定した。

 この措置は、ルークの不在を隠蔽するためであるのは無論のこと、最悪の事態を想定して、アデルに王太子としての経験を積ませることが目的だった。

 アデルは周囲の期待によく応え、立派にルークの代わりを務めている。それでいて、あくまで自分は兄が本復するまでの代役であるからと、自ら王位を望むような言動は一切していない。だからこそ、本人の意思とは裏腹に周囲の期待は高まる一方だった。

 そして、アデルも既に18歳。王族であれば、そろそろ妃を迎えていなければならない年齢である。国内外から、それこそ降るように縁談が持ち込まれている。

 しかしここで、王太子代行という微妙な立場が問題となった。ルークが本復すれば、アデルの結婚相手は第二王子の妃にすぎない。しかし、アデルは現在は代行ではあっても、ルークの病状如何によっては、今後正式に王太子となる可能性があるのだ。そうなれば、アデルの結婚相手は王太子妃――将来のローレシア王妃である。

 この二つは、天と地ほどにも差がある。当然、相手の身分血筋などの条件が異なってくるし、結婚相手本人の覚悟の度合いも違ってくる。

 これらの要因から、見つかる可能性がほぼないまま、ずるずると捜索を続けるよりも、ルークは死んだものとみなし、アデルに次代を託す方がローレシアの利益となる――王はそう判断したのだ。

 バイロン自身、この王の判断に異論は無い。王たるもの、常に国の利益を最優先に考える義務がある。アレフ11世は、その義務に忠実に従ったのだ。

 懸念事項があるとすれば、アデルの実母マーゴット王妃と祖父エルドリッジ公爵であるが、アデル自身が彼らを牽制するだろう。バイロンはじめ、他の有力貴族の目もある。公爵一派の権力が国益を脅かすほどに拡大する心配は少なかった。

 各国も既に、ルークではなくアデルを次期国王であるとみなし始めている印象が強い。ルークの葬儀が終わり次第、正式に王太子宣下されても何ら問題なく、事態は収束に向かうだろう。

 そこまでわかっていてなお、バイロンの心は晴れなかった。

 王はルークを切り捨てた――その考えが頭のどこかに存在するからである。

 ルークは国を継ぐ者しての義務を放擲した。王族として生を享けた者であれば、決して犯してはならない大罪である。しかも、他国の次期女王と二人で出奔したのだ。如何なる理由があろうと、未来永劫、許されることなど有り得ない。

 ルークは自国の民を捨てて、リエナというただ一人の女性を選んだのだ――これが民に対する裏切りでなくて、いったい何だというのか。薨去の発表で、民は嘆き、悲しみに沈んでいる。もしルークが彼らの姿を見たら、何を思うのか。

 バイロンはルークが生まれた時からずっと仕えてきて、彼の性格を知り尽くしている。故に、ルークが罪の意識に苛まれることはあっても、一度国を出ると決めた以上、ローレシアに戻ることはないと言い切れる。

 アレフ11世の判断は国王として、何一つ誤ってなどいないのだ。

 それどころか、この判断に一番心を痛めているのは、王自身のはずだった。ルークは、王が心から愛した妃が生命を犠牲にしてまで残してくれた忘れ形見なのだから。

 先程退室する時に王が漏らした一言がすべてを物語っている。自分以外の誰にも決して見せない、息子を思いやる父親としての一面だった。

 それに思い至れば、王の苦渋は察するに余りある。しかし国の頂点に立つ者である以上、個人の感情など取るに足らないものに過ぎない。

(ルーク殿下は潔いお方。すべてこうなることもお覚悟の上で、リエナ姫様を救いに行かれたに違いない。もう今は、リエナ姫様とお二人でお幸せになられていることを願うしかないのであろうか……)

 そこまで考えた時、バイロンはアデルの部屋の前に到着した。既にアデルは支度を終え、面談の時を待っているはずである。

 バイロンは様々な思いを振り切った。そして背筋を伸ばし、軽く息を整えると、部屋の扉を叩いた。




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