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旅路の果てに
第12章 11


 その夜、リエナはルークの腕の中で眠れない夜を過ごしていた。ルークの方はとっくに規則正しい寝息を立てている。このままでいるか一度起きるかしばらく迷った末、居間へ行くことにした。けれどここで起きれば、気配に敏感なルークは目を覚ましてしまう。

「……よい夢を――ラリホー」

 薄紅の魔力の光がルークを優しく包み込んだ。ルークの頬にそっと触れたが目を覚まさない。睡眠の呪文が効いているのを確かめて、リエナはルークの腕の中から抜け出した。身体を冷やさないよう着込んで、扉を開ける。

 暖炉の残り火で居間はまだあたたかい。念のため、もう一度暖炉に薪を入れて火をつける。一人、長椅子に腰掛けた。

 何故眠れないのかは、自分でもわかっていた。リエナは自分のお腹にそっと手を当て、目を閉じる。

 リエナはルークの子を身籠った。様々な苦難の果てに心の底から望み、ようやく授かった我が子。母となる喜びはこの上ないほど大きい。けれど同時に、どうしても決着をつけなければならないことがある。

 それは、ムーンブルク崩壊の記憶。自分を守るために生命を失った大勢の人々の記憶。

********

 王太子ユリウスお兄様。

 ハーゴンの急襲の報を知らされ、お兄様はすぐさまわたくしのもとに駆けつけてくれた。無事を確認するとすぐに、わたくしを護衛の騎士に託して地下へ逃げるよう指示した。そこには城外へ通じる通路があったから。けれど、ハーゴンの方が早かった。殿を務めたお兄様は騎士を率いて最前線で戦い抜き、最後はわたくしを逃がすために、自らが犠牲となった。ムーンブルクを頼むと告げて、目の前で遂げた、壮絶な最期。

 お父様。

 わたくしがわずかな騎士だけに守られているのを見て、状況を――お兄様が既に亡くなったと瞬時に理解したお父様は、その場で最強の魔法――最上級の氷の呪文を発動した。鋭い氷の刃はハーゴンを貫き、苦悶の呻きを上げさせはしたけれど、絶命には至らなかった。

 重傷を負いながらも即座に反撃に転じたハーゴンは、火球の呪文――それまでに見たことがないほどの、巨大な火球をお父様に向かって放った。お父様も氷の呪文で応戦したけれど、劣勢であることは、わたくしの目にも明らかだった。

 死を覚悟したお父様は、最後の魔力を振り絞り、他者転移の呪文でわたくしをムーンペタへ飛ばした。他者転移の呪文が完結した瞬間、お父様は火球に飲み込まれた……。

 ムーンブルク王家歴代最強と謳われたお兄様、そしてお父様の最強の呪文すら、ハーゴンの前では無力だった。

 目に焼き付き、記憶に深々と突き刺さった、あの凄惨な光景。

 お兄様とお父様だけではない、大勢の、名も知らぬ騎士達が生命を落とした。わたくしを守る、ただそのために。

 わたくしが、今ここに在るのは、こうして生きていられるのは、数多くの人々が、生命を投げ出してくれたからなのに。

 それなのに、わたくしはムーンブルクを捨てた。

 最後の王女が国を捨てる――決して許されることのない大罪。

 自分を守るために生命を失った人々を忘れることなどできるはずがない。ムーンブルクを復興する以外に、その人々への償う術がないこともわかっている。

 義務も責任も何もかも捨てて出奔したことに許しを請うなど、決してできはしない。大罪を犯したのだと最初からわかりきっているのだから。

 あの時ルークの手を取ったのは間違いだったのかもしれない。無理やりにでも、ルークをローレシアへ追い返せばよかったのかもしれない。

 それでも、わたくしはルークとともに歩む人生を選択した。それを後悔することだけはしたくない。

********

 菫色の瞳に涙が浮かぶ。みるみるうちに大粒の涙に変わり、頬を伝っていった。

 リエナは流れ続ける涙を拭おうともせず、ひたすらに思考を追った。涙とともに、様々な思いがあふれ、止まらない。

 しんと静まり返った居間に、リエナの嗚咽の声だけが低く響いている。

 長い時が過ぎて、ようやくリエナは顔を上げた。涙に濡れた頬を拭う。

――もう泣くことはしない。わたくしも母となった。この子を守れるのは、自分とルークだけなのだから。

「お父様、お兄様、そしてわたくしのために尊い生命を失った大勢の方々――」

 リエナは両手を膝の上で揃え、まっすぐに視線を定める。

「わたくしは、この地で生きていきます。ルークとお腹の子と一緒に」




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