次へ
                                                       戻る
                                                      目次へ
                                                     TOPへ

旅路の果てに
第12章 12


 翌日の午後、ラビばあさんがルークとリエナの家を訪ねてきた。昨日はリエナとしか話をしていない。だから二人揃っている時に、今後の注意点などを伝えておきたかったのである。

「おばあちゃん、いらっしゃい」

 リエナがにっこりと微笑んだ。ばあさんは着込んでいた外套を脱いで居間の長椅子に座る。

「調子はどうじゃ?」

「ええ、変わりないわ」

 ちょうどそこへルークが裏庭での作業を終え、台所へ続く扉から入ってきた。

「ばあさん、よく来たな」

「何じゃ、ルーク。今日は歓迎してくれるんか」

「いつも俺は歓迎してるぞ?」

「わしが訪ねてくる度、リエナちゃんを取られると思うとったのと違うんか」

 いつも通りの遣り取りなのだが、ルークには少々居心地が悪い。真剣な表情でばあさんに向かった。

「頼むから今日くらいはきちんと礼を言わせてくれ」

 ばあさんもちいさな目をちょっと瞠って頷いた。

「昨日リエナから話を聞いた。俺達が子を授かることができたのはばあさんのおかげだ、感謝する。そしてこれからもよろしく頼む」

「わかった。わしに任せておけ」

「わたくしからも、あらためてお願いいたしますね」

「ほんに夫婦して義理堅いことじゃ。わしも産婆として精一杯務めさせてもらうぞ。ここではひさしぶりのお産じゃ。腕がなるわい」

 ばあさんは笑顔で太鼓判を押した。

「ほれリエナちゃん、土産じゃ」

 そう言ってばあさんが差し出したのは、缶に入った香草茶だった。

「ありがとう、おばあちゃん」

 リエナがにっこりと受け取ると、早速開けてみた。ふわりと芳香が立ち上る。ばあさんはこうしてしょっちゅう自分で作った香草茶を手土産にしてくれるのだ。

「いい香り――このお茶は初めてね。うれしいわ」

「それはの、妊娠中でも安心して飲めるお茶じゃ。もちろんルークが飲むのも構わんぞ。もし香りや味が苦手なら遠慮なく言うんじゃよ。そろそろ悪阻も出てくるころじゃ。そのせいで急に味覚や好みが変わることもあるから、その時にも言ってくれれば違うものを用意するからの」

「ありがとうございます。早速淹れてくるわね」

 リエナがお茶を手に台所へ姿を消すと、ルークがあらためてばあさんに向き直る。

「ばあさん、話があるんだが」

「何じゃ、あらたまって。リエナちゃんには聞かせたくない話か?」

「ああ、実はな……」

 ルークが続きの言葉を言い淀んでいる。

「どうしたんじゃ。お前さんがはっきりと物を言わんとは珍しい」

「じゃあ単刀直入に聞く。ばあさん、リエナは無事に子を産むことができるのか?」

「……何じゃ、藪から棒に」

「俺の母は、俺を産んで亡くなった」

 ほんの一瞬、ルークとばあさんの間に気まずい沈黙が支配した。ルークはばあさんが自分の亡き母王太子妃テレサと関わりがある可能性を考え、ばあさんの方は、ルークがローレシアの王子でありテレサの忘れ形見であるに違いないと確信しているからだった。

 ルークも本当はこのことを話したくはなかった。けれど、出産でリエナと自分の子を失うことだけは避けたい、その思いから伝えておきたかったのである。

「心配なんじゃな? リエナちゃんがお前さんの母君と同じ道を辿るのではないかと」

「ああ」

 ばあさんも産婆として様々な修羅場を潜ってきた。テレサ以外にも出産で生命を落とした母親もいたのだ。自分の出生時に母を亡くし、母の記憶を持たない子の悲しみは嫌というほど理解できる。

 ばあさんは居住まいを正した。

「ではこれから、薬師で産婆のわしの診立てを言うぞ」

「頼む」

「絶対の保証はできん」

「……何故だ」

 ルークが絞り出すように問う。予想とは逆の答えだった。

「さっきは任せておけと言っただろうが。あれは嘘だったのか?」

 ルークは詰問口調なのだが、ばあさんはまったく動じない。ばあさんも真剣そのものの表情でルークを見据える。

「お産というものは何が起こるかわからんからじゃ。どんなに途中の経過がよくても、容体が急変することがままある。もちろんわしは、リエナちゃんが無事に出産を終えるよう全力を尽くすぞ」

 再び沈黙が落ちる。先にそれを破ったのはルークである。

「わかった……きつい聞き方をして悪かった」

「お前さんが謝る必要などないぞ。大切な妻が初めての子を産むんじゃ。当然の心配じゃよ」

 ばあさんは鷹揚に頷いて見せる。

「リエナの健康状態はどうなんだ?」

「極めて良好とまでは言えんが、まったく問題はない。病は完治しておるし、精神的にも安定しておる。何より、本人が子を待ち望んでおるのじゃからな。余程不摂生なことでもせん限りは大丈夫じゃ。まあリエナちゃんはありえんじゃろうから心配せんでええ――ところで」

「何だ?」

「リエナちゃんはいくつになるんじゃ?」

 一瞬の間を置いて、ルークが答える。

「20歳だ。出産が来年の夏ならその時には21歳になる。――が、何故そんなことを聞く?」

 ルークは態度にこそ出さないものの、警戒していた。必要に駆られてとはいえ、自分の母親が出産で亡くなったことを言ったのだ。ばあさんがもしルークの予想通り、ローレシアで自分の亡き母テレサ付きの薬師だったのであれば、自分の正体に関する重要な情報を与えたことになる。リエナに関しては何も知らないだろうが、これ以上の情報はわずかでも出したくない。

「初産が極端に早かったり遅かったりすると病気や事故の確率が上がるんじゃよ。リエナちゃんがどちらにも当てはまらんのはわかっとるが、正確な年齢は知っておかねばならん。――21歳なら最初の子を出産するのに、もっともいい時期じゃの」

 ばあさんは淡々と答えた。理由はもっともだからルークも納得せざるを得ない。

「わかった。あらためて、よろしく頼む」

「任せておけ。リエナちゃんが母親になったと同じく、お前さんも既に父親じゃ。リエナちゃんを支えて、しっかりと赤子を迎える心の準備をしておくのじゃぞ」

 そこへリエナが盆に乗せた香草茶を運んできた。その後は、二人揃ってばあさんから今後の心得や注意する点など、細々したことを教わったのである。

********

 数日後、今度は女達の集まりがあった。幸いまだ雪もなく比較的暖かい。リエナも体調は良いのでルークに送り迎えを頼んで出かけることにした。

 リエナは身体を冷やさないようしっかりと着込むと、ルークに荷物を持ってもらい、転ばないよう手をつないで家を出た。

「こんにちは、お招きありがとうございます」

「いらっしゃい、リエナちゃん。さあ、入って」

 この家の女が笑顔を向ける――ふと、二人の雰囲気がどことなく変わったような気がしたのである。いつも仲睦まじいのであるが、今日はより一層幸せそうに並んで立っているからだ。

「ルーク。あんたもよかったらお茶の一杯でも飲んでいったら?」

 先に来ていた別の女達もわらわらと玄関に現れた。やはり二人の雰囲気を察したらしく、口々に同じことを言う。

「そうだよ、たまにはいいじゃないの」

「遠慮はいらないよ。お菓子ばっかじゃなくて甘くないパイもあるからね」

 いつもならリエナ一人――亭主抜きで楽しむ女達の集まりだから当然なのだが――だけが、珍しく自分まで寄っていけと言われるのはあきらかにおかしい。

「いや、俺は帰る。まだ家でやり残したことがあるからな――リエナ、適当な時間に迎えに来るから」

 ルークは何か予感がしたのか、そそくさと帰ってしまった。

 家に入り、外套を脱いで預け、持参した焼き菓子をこの家の女に渡す。その間他の女達は、何故かまじまじとリエナを見ている。

「……何かわたくしの顔についているのかしら?」

「リエナちゃん、なーんかいつもと雰囲気が違うねえ。うれしそうだけど、何かいいことでもあった?」

「……え?」

 女達の勘の鋭さにリエナは驚き、白い頬がほんのりと染まる。

「ああ、やっぱりねえ。何があった?」

 すこしばかりの間を置いて、リエナははにかむように微笑んだ。

「やっぱり隠すのは無理ね。……赤ちゃんができたの。そろそろ三ヶ月になるわ」

 女達から歓声が上がる。

「やっぱりそうかい! おめでとう。あたしゃうれしいよ……」

 エイミが駆け寄ってきた。

「本当かい!? よかった、よかったねえ」

 リエナの手をしっかりと握りながらエイミは声を詰まらせた。眼尻には涙すら浮かんでいる。リエナが倒れた時もその場に居合わせ、ばあさんからも事情はそれとなく聞いている。微妙な問題であるから言葉にこそ出さなかったけれど、ずっと心配し続けていたのである。

 それは他の女達も同じだった。リエナが子を授かれない状態であるとはっきりと知らされていたわけではないが、ラビばあさんから治療を受け始めたことは承知していた。その後、家事などを手助けしつつ様子を見ていれば、だいたいの事情は察するのである。

 他の女達もこぞってお祝いの言葉を掛けてくれた。

「本当によかったよ。長いこと治療もがんばったもんね」

「おめでとう。三ヶ月ってことは、産み月は来年の夏の盛りの頃かな。楽しみだねえ」

「ラビばあさんが教えてくれたと思うけど、重いもの持ったり、高い所に上がったりしないようにね。その為に亭主はいるんだから」

「それでルークはさっさと帰っちまったんだねえ。父親になるって照れてるんだね? まあ、最初の時はみんなそんなもんさ」

「いいかい、絶対に無理しちゃいけないよ。つらかったら横になって休んでればいいし。何でもあたしたちが手伝ってあげるから、遠慮なく言うんだよ、いいね」

 リエナも本当にうれしそうに言った。

「ありがとうございます。みなさんには、これからもいろいろと教えてもらうことになるわ。よろしくお願いします」

 その後はいつも通り、おしゃべりをしながら縫い物をしていた。その日の話題は専らリエナとお腹のこどもの話だった。女達はまるで自分達の孫が生まれるかのように喜び、気をつけること、これからの準備、自分の体験談など、こまごまと教えてくれた。

********

 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。そろそろお開きの時間になり、ルークが迎えに来てくれた。ルークはすぐにリエナを連れて帰ろうとしたが、女達がそれを許すはずがない。問答無用で家に引っ張り込まれてしまった。

「ルーク」

「……何だ」

 女達に周囲を囲まれ、ルークはたじたじになっている。

「リエナちゃんを送ってきた時さっさと帰っちまったのは、このせいだったんだ。何にも照れる事ないんだよ」

「おめでとう。あんたもこれで、父親か……。いいかい、リエナちゃんを大事にするんだよ」

「よかったねえ、みんなリエナちゃんの病気が治ったって聞いて喜んでたんだ。元気な子を産んでおくれね」

 いきなり口々に祝いの言葉やら何やらをかけられて最初こそ面食らったものの、うれしくないはずがない。ルークも態度をあらためて女達に向かった。

「ああ。今までも世話になったが、これからはもっと世話になる。俺からもよろしく頼む」

 女達を代表してエイミがルークを見上げ、しっかりと頷いた。

「わかってるよ。リエナちゃんにも言ったけど、何か困ったことがあったら遠慮なく言うんだよ。いつでも手伝いに行くからね」

 その後も女達にさんざんお祝いの言葉をかけられ、気をつけることなどを教えてもらって、ようやく解放されたのだった。




次へ
戻る
目次へ
TOPへ