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旅路の果てに
第12章 2
「すっかり長居してしもうた。そろそろ帰るとするかの」
ラビばあさんはよっこらしょと声をかけつつ、椅子から立ち上がった。ルークが戻って三人でお茶を楽しんでいるうちに、辺りが薄暗くなってきている。
「おばあちゃん、よかったら、夕食を一緒にいかが?」
「ばあさん、ぜひそうしてくれ」
ルークも真顔で誘ったが、ばあさんは穏やかに笑みつつも、かぶりを振った。
「今日は遠慮しとこうかの。また今度ご馳走になりに来るから、その時にはよろしく頼むぞ」
「……そうか。ばあさん、世話になったな」
ルークもそれ以上引き止めることはせず、立ち上がった。
「完治しとるのは間違いないが、あまり無理はせんようにの」
「はい、わかりました」
ばあさんを見送るために玄関へ出ようとしたところで、扉を叩く音がした。開けると、ジェイクが立っている。
「おう、ルーク。いたか」
「どうしたんだ? ロチェスに行ってたんじゃなかったのか?」
村のまとめ役であるジェイクは、ルビスの恵み――裏山で収穫した山の幸を売りに、ロチェスの町に定期的に出かけているのである。
「おうよ、さっき戻ったばかりだ。今回は特にいい値で売れたからよ、予定より早く戻ってきたんだ――それより、ロチェスがえらい騒ぎだったぜ」
「騒ぎ? 今度は何があったんだ」
ルークはすこしばかり苦笑しつつ、ジェイクに水を向けた。ジェイクは話好きなうえ、毎年何度も村の収穫物や女達が手仕事で作った品をロチェスに売りに行っているので、友人知人が多い。騒ぎとは言っても、ほとんどはたわいもない噂話ではあるけれど、時々は有益な情報も混じっている。トランに籠って暮らしているルークとリエナには、外の世界の話を聞かせてくれるのはありがたいことでもあるのだ。
ジェイクの方もそれをわかっているので、こうして仕入れた話題をちょくちょく聞かせに来るのである。帰ろうとしていたラビばあさんも、なんとなくそのまま玄関で一緒に話を聞く形になってしまっている。
ジェイクはルークを見上げて言った。
「ローレシアの王太子様って、知ってるか?」
いきなりの言葉に、流石のルークも一瞬表情を変えそうになったが、一切顔に出さずに済んだ。そっとリエナを見遣ると、自分と同様に不審に思われるような様子は見せていない。リエナも王族であるから、人前で不用意に感情を表すことはないのである。
ラビばあさんの方は、それこそ心臓が止まるかと思うほどの衝撃だった。自分が知る限り、ジェイクはトラン生まれのトラン育ちである。知り合いが多いといってもロチェスだけでの話で、それ以外の土地に出たことはないはずだったから、何故ローレシアの王太子が話題に出るのか見当もつかないのだ。
「知ってるぜ」
ルークはあっさりと肯定した。
「そりゃそうだな。あんた、元は騎士様だもんな。大神官ハーゴンと破壊神を倒した英雄を知らんはずはねえよな」
ジェイクは大きく頷いた。ルークとリエナがトランに来るきっかけは、ロチェスの町の路地裏で魔物に襲われていた旅人を助けたところを、偶然ジェイクに見られたからだった。ずっと村の用心棒を探していたジェイクは、ルークの腕を見込んで村に来てくれと頼み込み、ルークも自分達が貴族階級出身であることを明かしたうえで、素性を詮索しないことを条件に引き受けた。
その時、ジェイクはルークが元は騎士で、主人筋の領主の娘であるリエナと手に手を取って駆け落ちしただろうと思い込んでいた。ルークも敢えてそれを否定せず、村人へも同じように説明しているのである。
ルークはまったく動じたふうもなく、言葉を継いだ。
「知ってるっていっても、こっちが一方的に知ってるだけで、面識はないけどな」
ジェイクは期待外れなのか、残念そうに頭を掻いた。
「なんだ、そうなのか。どんなお人か知ってるかと思って、あんたに話しに来たんだが……考えてみれば当たり前か。ローレシアの王太子様と会えるなんざ、お貴族様の中でもよっぽど偉い人だろうからよ」
この男二人の遣り取りにラビばあさんは度肝を抜かれていた。ルークの態度にはどこにも不自然なところがないからだ。追われている身で、いきなり自分の話題を出されて平然と対応できるなど、尋常の精神力の持ち主とは思えなかった。
「そういうことだ。ところで、ローレシアの王太子殿下がどうしたんだ?」
「亡くなられたんだとよ」
「亡くなった?」
これにはルークも驚かされていた。
リエナも驚きを隠せなかったが、これは不自然ではない。貴族階級出身であれば、仮に国が違っていても王族、しかも次代の国王となる王太子の死は極めて重要な情報だからである。
ルークは咄嗟に考えを巡らせ、ジェイクからなるべく多くの情報を引き出すことにした。今回のようなローレシアの様子を知る絶好の機会を逃す術はない。さりげなくリエナに目配せする。自分がジェイクに話してもらうよう誘導するから任せてほしいとの意思表示である。リエナもかすかに頷きを返すことで了承した。
「亡くなったって、いつの話だ?」
「一月ちょっと前のことらしい。ロチェスの知り合いに餓鬼のころローレシアで暮らしてたやつがいるんだ。そいつがたまたまローレシアの親戚の家に行ったとき、ちょうど葬儀に出くわしたんだと」
「一月前か。ところで、死因は何だ?」
「古傷の悪化だそうだ」
「古傷?」
ジェイクも元は騎士階級のルークが気になるのは当然だと思っている。怒涛の如くしゃべり始めた。
「古傷ってのは、破壊神との戦いで負ったものだって聞いた。だいぶ前から悪化してて、長いこと静養されてたんだが、治療の甲斐なく亡くなられたそうだ。ローレシアでは民の嘆きようったら、そりゃあすごかったらしい。当然だな、なんてったってローレシアの王太子様は世界を救った英雄だからよ。自分達を助けてくれた王太子様が、その時の怪我が原因で亡くなったとあっちゃあなあ」
ジェイクは、腕を組むと難しそうな顔で頷いていたが、ふと思いだしたようにルークを見上げた。
「そういや、この話をしてくれたやつが変なこと言ってたな。何でも、棺の蓋がしまってたとか何とか――ローレシアでは王族の葬儀でも、城下町の民が参列できるらしいが……ルーク、そういうこと、あるんか?」
いきなり話を振られたルークは、これもあっさり肯定した。
「そうらしいな。俺も聞いた話だが、儀式が済んだ後に、民も最後の別れをさせてもらえるんだ。とは言っても、正式に参列するわけじゃなくて、遠くから棺を拝するだけらしいがな。ところで、棺の蓋が閉まってたって言ったか?」
「そうだ。知り合いが不思議がってた。餓鬼のころにも一度だけ、親父に手を引かれて葬儀に行ったことがあって、そのときには蓋が開いてて中が見えたそうだ。死んでるはずなのに、まるで生きてるみてえでちょっと怖かった、それと立派な服を着てたのをよく覚えてるって言ってた。でも、今回はいつもと違うからって、周囲もざわついてたらしい。――まあ、王族の葬儀なんざ滅多にないからよ、どこまで本当の話かはわからねえが」
「なるほどな。ところで、王太子殿下が亡くなったってことは、次にまた新しい王太子が決まるのか……」
「次の王太子は第二王子様だそうだ」
「まあ、そういうことになるだろうな」
「第二王子様もできたお人らしいな。知り合いの話じゃ亡くなった王太子様がずっと療養中だったから、だいぶ前から代わりをやってたらしいぜ」
これを聞いて、ルークは内心で安堵していた。アデルが立太子したことで、ローレシアでこの問題は既に収束に向かっている。だいぶ前から王太子代行の任に就いていたということは、早い段階でルークを切り捨て、アデルを次期国王とするよう水面下で計画が進められていた結果だと判断できるからだ。ルークはアデルなら立派に国を治められると信じている。
「そういや、ルーク」
「何だ?」
「ローレシアの王太子様は、あんたと同じ名前だってな」
「そうだな」
ルークは肯定しつつも、わずかに緊張した。ジェイクはずっと名前を出さずに『ローレシアの王太子様』と言っていたから、名前を知らないだろうと考えていたからである。もっとも、ジェイクが自分の素性を疑っているわけではなく、偶然同じだとしか考えていないのはルークにもわかっている。
「ローレシアのルーク様はあんたと年も同じくらいだよな。あんたの親は、ローレシアの王太子様の名前にあやかってルークってつけたんか?」
「自分の名前の由来は聞いてないが、俺の家は騎士の家系だから案外そうかもな」
ルークは頷いて見せた。これでジェイクが自分の素性を疑う可能性は今後もないとはっきりした。考えるまでもなく、ジェイクは公式で薨去と発表された王太子が生きている、しかも今自分の目の前にいて会話をしているなど、微塵も思わないのはわかっている。けれど、初対面の時の会話といい、ジェイクは妙に核心をついてくることがある。今後も用心するに越したことはないと気持ちを引き締めた。
「もうこんな時間か。すっかり話し込んじまったな」
ジェイクは突然思いだしたように言った。既に日が暮れようとしている。
「じゃあ、またな。早く帰らねえと、またエイミにどこで油を売ってたかって小言を喰らっちまう」
ジェイクは笑いながら手を上げると、足早に去っていった。
「わしももう帰るぞ」
ラビばあさんもずっとはらはらしながら話を聞いていたのだ。ジェイクが単なる噂話を持ってきただけだと確認できて、心の底から安堵していた。
「ばあさん、家まで送るぜ。いくら村の中でも、夜道は危険だからな」
「そうしてね。遅くまで引き止めてしまったのは、わたくし達だから」
ばあさんの家は、ルークとリエナの家とは反対の村外れである。今からでは家に着くまでに真っ暗になってしまう。街中と違い、夜の村には家の窓から漏れる光しかない。晴れた満月の夜でない限り、家の外は闇に沈んでしまう。今日は晴れてはいるものの、あいにくの三日月だった。
「ほうか、じゃあ遠慮なく頼むとするぞ」
「灯りを持ってくるから待っててくれ。すぐに用意するから」
ルークは言うと、家の中に戻っていった。
********
「じゃあ、ばあさん。またな」
「送ってくれて助かった。リエナちゃんへもよろしゅうな」
ルークが帰っていった後、ラビばあさんは居間の灯りをつけると、どっと疲れを覚えて長椅子に座り込んでいた。
(心臓が止まるかと思ったわい……)
先程のルークとジェイクとの遣り取りを思い出すとまだ冷汗が出てくるほどだった。
(それにしても、ルークの対応は見事なものじゃ。リエナちゃんの振る舞いもごく自然なものじゃったしの。流石は王族と言ったところか)
ルークに限らず王族は、不用意に自分の感情や思考を覚られないよう、幼いころから訓練を積んでいる。しかしあの状況で、いきなり自分の話題を出されてまったく狼狽せずに遣り取りできる人物など、そうはいないだろうとばあさんは思っていた。
ばあさんはふと肌寒さを覚えた。秋とはいえ、そろそろ夜間は冷え込んでくる時期である。熱い香草茶を淹れようと、灯りを手に台所へ入っていく。
たっぷりと淹れた香草茶から、心地よい芳香が立ち上る。香りを楽しみ、ひとくちすすると、ようやく人心地がついた。
(ルークとリエナちゃんが、薨去の報を知ることができたのはよかった。今度ばかりは、ジェイクの話好きに感謝せねばならんの)
密かに、二人がこの事実を知る方法がないものかと思い悩んでいたのだ。
(これで、本当にわしができることは終わった。後の事は、ルークとリエナちゃんに任せるしかない)
大きく息をつくと、ようやく重い肩の荷を下ろした気分で、香草茶を飲み干した。
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