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旅路の果てに
第13章 3


「突然、何の御用ですかな。父上」

 チャールズ卿の元へフェアモント公爵が姿を現したのは、初夏とは思えぬほど妙に生温かい風の吹く新月の夜だった。

 数日前にトルベック公爵令嬢ジスレーヌの事件――チャールズ卿がジスレーヌを話し相手の名目で招き、その実、彼女を傷つけ弄びそのまま帰らせたことで、それまで隠蔽されていた卿の残虐極まりない趣味が表沙汰になりかけた。

 フェアモント公爵は即座にトルベック公爵家に多額に金品を贈り、事態の収拾に務めたが、流石に今回ばかりは完璧に無かったことにはできなかった。トルベック公爵は金品とともに形だけの謝罪を突っぱねたのだ。落ちぶれたとはいえ、然るべき由緒ある家であるだけに、卿の極悪非道極まりない行いは到底耐えられるものではなかったのである。

 またジスレーヌの悲惨な姿を大勢の召使い達が目撃している。人の口には戸を立てられず、次第に噂になりつつある。

 事件発覚以来、卿は常の住居である別邸には戻らず、監視の目的でここフェアモント家の本邸に留め置かれている。逆に父である公爵の方が、卿から離れるために怪我の療養――あの騒ぎで負った火傷の治療の名目で、普段は使われていない別の屋敷に居を移している。

 フェアモント公爵がチャールズ卿の前に立った。厳めしい顔をしていても足はみっともないほどに震え、それを必死に宥めているのは滑稽なほどだった。しかも後ろには大勢の魔法使いを従えている。その数、実に十人を超え、いずれも手には杖を持ち、緊張に強張った表情をしている。

 卿は魔法使い達を訝し気に見遣ると、父公爵に向かってねめつけるような視線を投げつける。

「しかも、仰々しいほどの大勢で」

 公爵は無言のまま、一歩下がった。代わりに魔法使い達が卿を取り囲む。同時に、五人の魔法使いの声が同時に響き渡った。

「――ラリホー!」

「何をす……!?」

 みなまで言い終わる前に、卿の身体が崩れ落ちる。間髪を入れず、残りの魔法使いの口から新たなる呪文が浴びせかけられる。

「――マホトーン」

 魔法使い達の操る杖から様々の色の魔力の糸が紡ぎ出された。糸は瞬く間に平たい紐に形を変え、次々と卿の顔に絡みついていく。卿の口はすっかり覆われ、一言たりとも言葉を発することができなくなっていた。間もなく口元を覆っていた紐が溶けるように消えていく。呪文封じが効力を発揮したのだ。睡眠の呪文もまだ続いていて、卿が目覚める気配は微塵もない。

 あっという間の出来事だった。用意周到なことに、魔法使い達は全員、事前に詠唱を終えていたらしい。だから卿の目の前で、完結させるための最後の文言のみで呪文を発動させることができた。

 卿の魔力はリエナを除けば現在のムーンブルク国内では最強に近い。一対一で敵う相手ではないのは最初からわかりきっている。そのために数を頼み、奇襲をかけたのである。

 目的を達成した魔法使いの緊張が解ける。今度はどこからともなく屈強な召使いが現れ、無抵抗となった卿の前に立った。まず目隠しをし、更に猿轡を掛けて物理的にも口を封じる。続けて見事な手際で身体を後ろ手に縛りあげた。そのまま肩に担ぎあげるとあらかじめ用意されていた移動用の輿に乗り込んだ。ここにも数名、別の魔法使いが待機している。

「頼んだぞ」

 フェアモント公爵が声を掛け、召使いは無言で頷いた。

 魔法使い達の移動の呪文の詠唱が始まる。輿は魔力の光に包まれ、ふわりと浮きあがると目的地めがけて消え去った。

********

 翌日、ムーンペタの離宮で緊急会議が招集された。

「チャールズの具合は如何かな? フェアモント殿」

 ルーセント公爵がおもむろに口を開いた。ムーンペタの領主であり、今も国内ではフェアモント家に続く由緒ある大公爵家として民から尊敬を受けている。口調こそ穏やかであるものの、そこにはどこか揶揄するような色がある。しかもそれを隠そうとすらしていない。謹厳実直で知られるルーセント公爵には珍しいことだった。

「当分、療養が必要なようだ」

「それはそれは……」

 ルーセント公爵はわざと言葉を濁した。もちろん事の顛末――ジスレーヌの事件も含めて知っていての発言である。

 その遣り取りを横目で見つつ、オーディアール公爵が口を開いた。

「まあ、起きてしまったことは仕方がない。今後の復興事業推進の新体制を早急に作ることの方が肝要ではないかな」

 オーディアール公爵はリエナの伯父に当たり、自身も優秀な魔法使いと名高い。いつも愛用の杖を手放さず、恰幅のよい身体を揺すりながら歩く姿は流石の貫録だった。

「左様ですね。では、本題に移りましょうか」

 宰相カーティスがそう促した。これまでずっと口を挟まず公爵達の遣り取りを見守っていたが、いい頃合いだと判断したのだ。いずれも建国間もない頃からの大公爵家の当主である。千年以上の歴史を持つムーンブルクで、没落することなく家を存続させてこれただけの実力を持つ人物――もっともフェアモント公爵だけは、チャールズ卿の功績であるようだが――ばかりだった。

 とにかく今は、ムーンブルク復興が最重要課題である。チャールズ卿は人格的には問題だらけではあっても、狂気が露呈するまでは政治家としての手腕だけは確かだったのだ。

 フェアモント公爵が立ち上がった。おもむろに周囲を見渡し、仰々しく一つ咳払いをして口を開いた。

「わしが復興事業の指揮を執る。異存はなかろう?」

 一瞬、沈黙が辺りを支配した。

「貴殿がチャールズの代わりに?」

 ルーセント公爵が問い返した。一見無表情ではあるが、内心では呆れ果てている。この期に及んで、息子の不祥事に乗じて権力を握ろうというのだから。けれど微塵も表情に出すことはしない。

「いかにも。息子の代役を親が務めるのは当然ではないか」

 これを受けて、オーディアール公爵が頷いた。

「まあ、妥当なところであろうな」

 オーディアール公爵もこの展開になるのは予想の範囲内である。

「私もそれで構わぬよ」

 ルーセント公爵が軽く片手を上げた。先程は疑問を呈したが、実際のところは同じく想定内だった。わかっていて、敢えて一言だけ言いたくなったのである。

「公爵方のご意見はまとまったようですね」

 カーティスが三人の公爵を見渡し、いずれも肯定の意味での頷きを確認したうえで言う。

「では、そのように。すぐさま公式発表の手配を整えましょう」

 今後の方針は紛糾することもなく、あっさりと決まった。

 この決定は別にフェアモント公爵家におもねったからではない。今までも名目も実質的な総指揮もすべてチャールズ卿の役割だった。これは言いかえれば、ムーンブルク筆頭公爵家であるフェアモント家の役割である。だからこれまでも形だけは当主であるフェアモント公爵を立ててきている。

 最初こそチャールズ卿は総指揮官として辣腕を振るっていた。しかし、だんだん狂気が表面化するにつれ、とっくに実質的な総指揮官は不在となっていた。けれど、重臣達はそれぞれの役割をこなし、当初の予定よりは遅れてはいても復興事業そのものは進んでいる。だから、フェアモント公爵がこうしてあらためて指揮を執ると宣言しても何ら影響はない。

 それどころか、こうして邪魔者でしかなくなったチャールズ卿を合法的に、それも父公爵が追い払ってくれたのだ。名前だけの名誉職として祭り上げ、機嫌よくしてくれるのであれば安いものだった。仮にでしゃばってきたとしてもその辺りの調整は宰相カーティスが得意としている。

 重臣達からすれば、これから本腰を入れて復興事業を進めていくことができる。

「では、貴殿らの尽力をこれからも期待しておりますぞ」

 立ち上がって言うフェアモント公爵は、喜色満面である。単なる名目だけであることにすら気づいていないらしい。上機嫌のまま、会議室を後にした。

********

「では、本題に入りますかな」

 ルーセント公爵があらためて口を開いた。それを受けて、カーティスが話を始める。

「リエナ姫の行方は未だ杳としてしれません」

 沈痛な面持ちでそう発言するカーティスに、両公爵も重い溜め息をつかざるを得ない。

 リエナが離宮から忽然と姿を消してから、既に二年近くが経過している。

 出奔が発覚したのは翌日の夕刻。当然即座に追っ手を放った。しかし懸命の捜索にも関わらず、未だ二人の影すら掴むことができていない。それらしき目撃情報がもたらされることはあったが、いずれも見間違いか、ひどいときには報奨金目当ての偽の情報だった。

 二人の捜索が一向に進まないのは致し方ない事情もある。それは、リエナが移動の呪文の遣い手であることだった。移動の呪文は自身が過去に訪れたことがあり、記憶をしっかりと持っている場所であればどこへでも自在に移動できる。

 リエナはハーゴン討伐の旅でそれこそ世界のほぼすべてといっても過言ではないほどの場所を知っている。それでも通常であれば、移動の呪文の痕跡――魔法使いの魔力の象徴でもある魂の色が、発動した場所から目的地まである程度の時間は残るから、その痕跡を辿ればおおよその移動先の場所を把握することができるはずなのだ。

 しかしリエナはその痕跡を消すことができた。移動の呪文で空中を高速で移動しながら同時に自らの呪文を打ち消していくという、世界広しといえどもリエナただ一人しかできない離れ業である。

 つまり、最初にムーンペタの離宮を離れるときにさえ気づかれなければ、出奔は成功したのも同じである。

 リエナがルークとどのような方法で再会を果たしたのか――まず間違いなく、ルークが離宮内でのリエナの居住区域まで来たのであろうが――詳細は不明であるが、ともかく出奔当日の夜、二人の姿を目撃した人間は誰一人いなかった。結果、未だに行方知れずというわけである。

 その後も追っ手を増員し、各国の領事館にも報奨金をつけて捜索を強化するよう通達を出しているが、時間が経ち過ぎていることもあり、今では情報そのものがほぼ皆無の状態だった。これはあまりの成果の無さ故に、追っ手が捜索に対して嫌気が差してしまっているののも理由の一つである。

 もっとも情報をつかめなかったことはローレシアも同様だったらしい。出奔一年でルークの薨去を発表することで見切りをつけた。しかし、ムーンブルクはそうはいかない。リエナが最後の王族である以上、捜索の手を緩めるという選択肢は無い。

「今の段階では、捜索を続行するより他はあるまい?」

 オーディアール公爵が言った。

「それしかないだろう……」

 続けてルーセント公爵が発言したが、どことなく歯切れが悪い。これまで何度も同じ議論を繰り返してきた。このままでは徒に時を過ごすのはわかっていても、秘密裏に捜索するしかない以上、対策を打ちようがないのだから。

「わかりました。では引き続きその旨、各領事館へ通達致します」

 カーティスが締めくくった。両公爵も頷きを返すことで了承し、会議は終了した。

********

 数日後、ムーンブルク復興事業総指揮官であるチャールズ卿の病気療養による指揮官解任が公式発表された。




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