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旅路の果てに
第3章 3


 アーサーは婚礼の儀と数多くの行事を滞りなく終え、王太子妃コレットとの新たな生活に入っていた。日々の生活は穏やかに過ぎていったが、その後もリエナの境遇はずっと気にかかっている。ルークがリエナの窮地を救うべく努力を続けるのと同じく、自分もできるだけのことはしようと、心に決めていた。

 ある日の午後、アーサーは父であるサマルトリア王に面会を求めた。王は執務室で政務を執っている。アーサーが入室すると、人払いをして、話を促した。アーサーも感謝の意を込めて一礼する。

「父上、リエナ姫が私の婚儀に欠席したことについて、どのように思われますか」

 アーサーには珍しく、何の含みも持たせない物言いである。この王は、各国から『あの男だけは敵にまわすな』とまで恐れられている。アーサーといえども交渉は非常に難しい。敢えて、このように正攻法で交渉を試みることにした。

「ムーンブルクの次期女王であり、お前の大切な友人でもあるリエナ姫がご欠席なさったことは、大変残念なことだ。だが、体調がすぐれないということであれば、致し方なかろう」

 そう答える王の表情は、いつもと同じく何の感情も現れていない。

 リエナの欠席理由については、ムーンブルクからは正式に体調不良であると返答を受けている。名代として出席したフェアモント公爵からも、欠席に対する丁重な謝罪の言葉が述べられた。また、リエナからとして、祝いの言葉と贈り物を受け取っている。祝いの品に添えられていた書状の筆跡も署名もリエナ本人のものに間違いはなかったが、書状の内容は王族の儀礼に則った、ごく当たり障りのないものだった。

 けれどアーサーには、とても納得のいくものではない。

「それ以外に、何の理由もないとおっしゃるのですか」

「それ以外の理由?」

 王はアーサーに問い返した。

「お前は、他に何か理由があると考えておるのか」

「父上とあろう御方のお言葉とは思えません。リエナ姫の体調が未だすぐれないこと自体は真実でしょう。ですが、私の婚儀を欠席したとなると話は変わってきます」

 アーサーは冷静に説明を続けるが、王の表情は変わらない。

「先日送った見舞いの使者も、リエナ姫直筆の礼状を持って戻って来ておる。対外的には何ら不審な点はない。お前は違う意見があるようだが、既に済んだ話を蒸し返しても、何の利益にもならん」

「過去の話とおっしゃいますが、今後のムーンブルク国内での状況如何によっては、サマルトリアも何らかの対応が必要かと思いますが」

「我が国には関係のないことだ」

「父上……!」

「よいか、サマルトリアはロト三国の一員として、既に復興援助を行うことが決定しておる。資金援助はもちろんのこと、多数の兵や、作業に当たる人員を送るのだ。それ以上、何ができるというのだ?」

 アーサーもこの問いにはすぐには答えられない。王は話を続けた。

「ベアトリスにも似たようなことを言われた」

「母上が?」

「あれはムーンブルク王家出身であるから、余計に心配なのであろうよ」

 サマルトリア王妃ベアトリスは、リエナの亡き父の従姉妹にあたる。リエナが幼いころに実母を亡くしたこともあり、以前から自分の娘同様、何かと気遣いをみせてくれていた。そんな王妃にとり、今の状況は到底耐え難いものであったから、できるだけの援助の手を差し伸べてして欲しいと、王に訴えていたのである。

 王の言う通り、サマルトリアはロト三国として、ローレシアと同様、大々的な復興援助をすることは既に決定している。しかし、直接内政に関与する予定はない。サマルトリアは勇者アレフが、当時この地で小競り合いを繰り返していた群小国家群を平定し、アレフの第二王子が初代国王として即位することによって建国した。一方、ムーンブルクは『古の月の王国』と呼ばれる、建国千年を超える魔法大国である。同じロト三国といえど、国自体の成り立ちも、歴史も、また国民性も大きく違う。

 ただでさえ、復興援助がムーンブルクを取り込むための方策であるとの噂が絶えないのである。そればかりか、ルークがリエナとの結婚を望んでいるという噂を受けて、サマルトリアもローレシアに対抗し、王位は第一王女のルディアに継がせ、アーサーをムーンブルクへ王配として送り込むのではという憶測――もっともこれは、先日アーサーがコレットと婚儀を挙げたことで否定されてはいるが――すら、囁かれたほどである。

 更には、サマルトリア国内貴族間では未だに細かな衝突が絶えない。それを、人心掌握の才に長けたサマルトリア王がうまく懐柔して、少なくとも表面上は何事もなく治めているのである。ここで、すこしでも不審な動きを見せれば、それこそ王の言うところの『痛くもない腹を探られる』ことになる。

 王は更に話を続けた。

「お前の言いたいことなど、はなからわしにはわかっておる。だが、これ以上の対応は一切不要だ。いくらロト三国は同盟国であっても、内政に干渉することは厳禁だ。お前はリエナ姫の処遇に不満を持っているのだろうが、対外的には何の問題もない。次期女王として即位することが決定し、建前だけであっても復興指揮を執っておる以上、他国が口を挟む余地はない」

 サマルトリアでも既に密偵から王とアーサーにリエナが単なる飾りもので、実質的な軟禁状態にある旨、報告を受けている。王はリエナの現状が非常に厳しいものであることを承知の上で、アーサーに『一切不要』と言っているのである。交渉の余地など、まったくなかった。

********

 何の収穫も得られないまま、アーサーが父王の執務室を退出し、自室への廊下を歩いているとき、後ろから声をかけられた。

「お兄様」

 振り向くと、そこに立っているのは妹のルディアである。

「ルディアか、どうした」

 ルディアはサマルトリアの第一王女で、今年14歳になる。蜂蜜色の金髪に、緑柱石(エメラルド)を思わせる鮮やかな翠の瞳を持ち、あと数年経てば、さぞかし華やかな美女になるに違いない姫君である。

「すこしお兄様とお話がしたくなりましたの」

 事前に使いも寄こさず、直接訪ねてきたのはよくよくのことだろう。見れば、ルディアの瞳は真剣である。用件を察したアーサーは頷いた。

「いいよ。これから一緒に僕の部屋へ行こうか」

 アーサーは話が終わったらきちんと送るからと、ルディアに付き添っている乳母に言い含めて下がらせると、彼女と並んで歩き始めた。

 部屋の中では、王太子妃のコレットが待っていた。それ以外にも数人の侍女達が控えていたが、コレットはルディアの姿を認めると、侍女達を促し、自分も軽く目礼して下がっていった。アーサーはルディアに椅子を勧め、自分も向い合わせに座る。

 行儀よく椅子に腰掛けているルディアは、アーサーによく似た愛らしい瞳を少しばかり曇らせている。思い切って兄を訪ねてはきたものの、続きの言葉を言い淀んでいる妹に、アーサーは水を向けてみた。

「ところで、話っていうのは? お前がわざわざこうして訪ねてきたくらいだから、あまり人前では話せない話題じゃないかな」

「……お兄様には敵いませんわね」

 そう言って、ルディアは姿勢を正した。アーサーはおもむろに立ち上がると、部屋の扉付近を確認した。これからの会話を、噂好きな侍女達に聞かれないためである。気を利かせたコレットが侍女達に何か用事を言いつけてくれたらしく、きちんと人払いできている。それを確かめると、アーサーはもう一度椅子に腰かけ、続きを促した。

「お兄様、リエナ様はまだご体調が戻らないのでしょうか? お兄様の婚礼の儀にすら、ご欠席なさるほどに」

「そうだろうね。婚礼の儀は長時間にわたるし、その後にも何度も祝賀会や舞踏会が開催される。リエナはこれまでのムーンブルク国内の公式行事もすべて欠席しているから、無理だったと考える他はないと思うよ」

 アーサーのこの物言いに、ルディアも不審なものを感じていた。ルディアもリエナとは以前に何度も対面している。旅の途中でサマルトリアに立ち寄った時も、凱旋帰国した時にも、親しく言葉を交わしていた。ルディア自身も魔法使いとしての修行中の身であることもあって、リエナと魔法について話すことはとても有意義であったし、それ以外にも、年頃の王女同士のおしゃべりも、とても楽しかったことをよく覚えている。

 その時にルディアは、リエナが兄と深い友情を築いていることを実感していた。また、魔法使いとしても、一人の女性としても、ほのかな憧れにも似た気持ちを持つようになっていたのである。兄の婚儀の時にリエナと再会できるのをとても楽しみにしたから、婚儀の欠席は残念でならなかったし、また心配もしていた。リエナは凱旋後のサマルトリアでも決して体調は良くなかったものの、時折、午後のお茶をともに楽しんだりもしていた。そんなルディアには、兄の婚儀に出席できないほどの体調不良とは思えなかったから、今回の欠席の理由が納得しきれなかったのである。

 ルディアは疑問に感じていたことを、思い切って質問してみた。

「お兄様、はっきりと申し上げますわ。お兄様は、リエナ様がご欠席なさった本当の理由は別のところにある、そうお考えですの?」

「ルディア」

 アーサーの声には普段よりも厳しいものが含まれている。それに気づいて、ルディアは謝罪した。

「申し訳ございません。思っても、口に出してはいけない言葉でしたわね」

 ルディアもこれでこの話題に触れるのは終わりにした。兄と自分とが、同じ考えであろうことさえ確認できれば、これ以上兄を問い詰める必要もない。けれど、アーサーが見たところ、ルディアはまだ何か言いたそうにしている。用件はこれだけではないらしいことを察し、続きを促した。

「ルディア、他に言いたいことがあれば、今のうちに言っておくんだ。お前ともこうしてゆっくり話せる機会はなかなかないからね」

 ルディアは、このことも兄にはお見通しだったことを悟り、ちいさく溜息をつくと、言葉を選びながら、話し始めた。

「ルーク様とリエナ様のことですわ。あんなにも深く愛し合っていらっしゃるのに、あまりにもお気の毒で……」

 これを聞いて、アーサーはやはりルディアは知っていたのだ、と内心で嘆息していた。本来なら、このような話題はルディアの耳には入れるべきではない。けれど、既に二人の噂はロト三国の貴族の間で秘かに囁かれているから、自然に耳にする機会もあったはずである。ルディアも表立って話題にできないことは承知しているから、兄一人だけに話そうと機会を待っていたのだろう。

 アーサーはどう説明しようか、一瞬迷ったが、ルディアも間もなく成人するから、いつまでもこども扱いせず、きちんと話しておいた方がいいと考えた。まず、最初のルディアの言葉について、確認する。

「今、ルークとリエナが愛し合っているって言ったね。それは、お前自身がそういう印象を受けたっていうこと?」

 兄の問いに、ルディアはあっさりと頷いた。

「ええ、もちろんですわ。どこから拝見しても、相思相愛のお似合いのお二人ですもの」

 この言葉を聞いて、アーサーは再び内心で溜め息を漏らした。アーサーの妹だけあって、ルディアが他人の感情に敏感であるのも間違いなかったが、それでも彼女に断言されてしまうほど、二人の想いは隠れようもないということだからだ。

「ルディア、今の意見を誰にも話してはいないね?」

「もちろんですわ。――こんなお話ができるのはお兄様だけですもの。ご事情がご事情ですから、不用意に口にするわけには参りませんし」

 ルディアは年齢の割には大人びていて聡明であるから、話題にしていいことと悪いことの区別はきちんとできている。また王家の女性として生まれた以上、何が義務かは充分に承知していた。とはいえ、まだまだ夢を見ていたい年頃であるのも確かだった。それに、来年成人の儀を迎えるルディアにも、各国から縁談が来はじめている。彼女にとっても、決して他人事ではない話題だった。

「お兄様、お兄様が何とかして差し上げるわけには参りませんの?」

 すがるような瞳で訴えるルディアに、アーサーはゆっくりとかぶりを振った。

「ルディア、この問題はとても複雑だ。いくら愛し合っていても、二人ともが国を継ぐべき者である以上、どうしようもない。それに、これはあくまでローレシアとムーンブルクの問題だ。いくら僕でも、口出しをするわけにはいかないんだよ」

「でも……」

「正直なことを言えば、僕だって同じ気持ちだ。だから、できるだけのことはしようと思っている。でもね、僕達は王族である以上、まず考えなくてはいけないのは祖国のことだ。対処の方法を間違えれば、ロト三国間の関係を悪化させかねないし、場合によっては、サマルトリアを危機に晒すことになる。――わかるね」

 そう諭されて、ルディアはやや不満げに口をとがらせたが、兄の言葉が正論であるのは、言うまでもないことである。しぶしぶ頷いた。

「……わかりましたわ。お二人にお幸せになってほしい気持ちに変わりはありませんけれど、確かに、お兄様のおっしゃる通りですわね。悲しいことですけれど、王家の人間である以上、国を優先すべきなのは当然ですもの」

 ルディアは椅子から立ち上がると、愛らしくも優雅に一礼した。

「お兄様。お時間を取ってくださって、ありがとうございました」

 アーサーも妹を送るために、席を立った。

「ルディア」

 ルディアはアーサーを見上げた。

「お前が二人の幸せを願ってくれている気持ちは、僕もうれしいよ」

 アーサーは優しい笑顔を妹に向けた。

「お兄様にそうおっしゃっていただければ、私もお話してよかったと思えますわ」

 ルディアも笑顔を見せたが、まだどこかしら寂しそうだった。

 その後すぐに、アーサーは自らルディアを部屋に送っていった。

********

 アーサーを出迎えたコレットは、彼の様子から父王との交渉がうまくいかなかったことを悟っていた。

「駄目だったよ。埒が明かない」

「お義父様は……」

「今後、これ以上の対応は一切不要だ、そうはっきり言われたよ」

 アーサーは沈鬱な面持ちでそう答えた。

 交渉上手で知られるアーサーも、父サマルトリア王が相手となると、かなり分が悪い。しかも今回の件は、客観的に見ても、王の言い分に理があるから尚更だった。アーサー自身も、サマルトリアを継ぐ者である以上、自国を不必要な面倒事に巻き込むわけにはいかない。自分の感情だけで行動することは許されないのである。

 コレットもこれ以上はかけるべき言葉が見つからなかった。コレットもアーサーからすべての事情を聞かされている。王太子妃としての立場上、表だって何かをすることはできないけれど、リエナの境遇にずっと心を痛めていたのである。

 アーサーもコレットの気持ちをありがたく思っているし、彼女が不用意な言動や行動を取ることもないことも承知している。だから、コレットには包み隠さずすべてを話してきたし、他人には決して見せない自分の本心も吐露してきたのである。

「予想以上に噂も広がっているらしい。――ルディアにすら、気づかれてる」

「先程のルディア様のお話はやはり?」

「ああ、『お兄様が何とかして差し上げるわけには参りませんの』って言われた。――あの子らしいよ」

 アーサーは苦笑交じりにそう言うと、大きく溜息をついた。

「ルディアの言う通りだ。それなのに、肝心な時には役立たずだ。――つらいね」

 コレットはもう何も言わず、ただ、アーサーの話をじっと聞いていた。アーサーも淡々と言葉を紡ぎ続けている。

「国のため、か。王族に生まれた者の義務とはいえ、リエナはその国のために、他人には想像すらできないほどの苦労の連続だ。彼女自身は、何の罪も犯していないというのにね」

 アーサーの視線はどこか遠くを見つめている。

「今、彼女に一番必要なのが、ルークの存在だ。ルークがリエナの、ムーンブルク女王の王配となるのが難しいことは、僕だって承知している。でも、あの二人を見ていると、引き裂くのはあまりにも酷だとしか思えなくてね」

 ここまで話して、アーサーは黙り込んでしまった。コレットも何も言わず、夫を見守っている。

 しばらくして、アーサーはコレットに顔を向けた。先程までの沈鬱な表情がいくらかはやわらいでいる。

「でも、僕だって、これで引きさがったりしないよ。これからも、できるだけのことはするつもりだ」

 そう言うと、コレットに穏やかな笑みを向ける。コレットも、優しい微笑みを返した。




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