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旅路の果てに
第4章 1

 ローレシアも夏の盛りを迎えた頃、ムーンブルクよりチャールズ卿がローレシアを公式訪問するとの連絡を受けた。目的はムーンブルク復興事業の経過報告である。

 チャールズ卿のローレシア訪問は、リエナを迎えに来て以来一度もなく、ルークがムーンブルクを公式訪問する機会もなかったから、両者の対面はリエナの帰国後初めてとなる。ルークの必死の努力にもかかわらず、リエナを取り巻く状況が過酷であることは変わっていない。ルークはこの機会に、すこしでも状況を改善できる糸口をつかみたいと考えている。

 一際暑さの厳しいある日、ルークは父王らとともに、謁見の間でチャールズ卿を待っていた。正装で謁見の間に現れたチャールズ卿は、礼に則って跪き、ローレシア王とルークに丁重に挨拶の口上を述べた。その姿は、リエナを迎える使者として初めて謁見の間に現れた時と同じく、穏やかな好人物との印象を受ける。

 その後場所を移し、復興事業の経過説明が始まった。王とルーク、重臣達を前に、的確に説明を続けるチャールズ卿の言葉は淀みなく、それを聞くだけでも彼が有能な人物であることはよくわかる。現在の復興事業において重要な役割を担っている、優秀な政治家であるのは間違いのない事実らしい。

 一通り説明を受けた王は、ルークに視線を向けた。ルークもそれを受けて頷き、チャールズ卿に言葉をかけた。

「チャールズ卿、ムーンブルクの復興状況はよくわかりました。しかし、お話を伺う限り、リエナ姫は指揮を執られているとはいっても形だけで、実際の業務には関与なさっておられないようにしか理解できないのですが」

 痛いところを突かれているはずなのに、チャールズ卿の態度には何の変化もない。淡々とルークの疑問点に答えた。

「ルーク殿下のおっしゃるとおりでございます。健康上の問題から、リエナ姫に復興事業の指揮を全面的に執っていただくことは無理だと判断いたしました。今は離宮にて、病気療養に専念されておられます。同じ理由で、公式行事もすべて欠席していただいております」

 ルークが訝しげにチャールズ卿を見遣った。

「リエナ姫はムーンブルク国内のみならず、国外での公式行事もすべて欠席なさっていると聞いています。そこまでご病状がひどいと?」

「左様でございます。――畏れながらルーク殿下」

 チャールズ卿はあらためてルークに向き合った。薄茶の瞳がルークを捉える。その瞳には、一切の感情が表れていない。ルークの深い青の瞳が真っ向から視線を受けとめるが、やはり感情を表すことはない。ルークは無言で続きを促した。

「リエナ姫はムーンブルクにご帰国なさって、安堵なさったのではないでしょうか。それまで蓄積されていた疲労が一度に現れたのではないかと考えております。かよわい女性である姫が過酷な旅をなさったのですから、そうそう簡単にお疲れが癒えるとも思えないのです」

 チャールズ卿の態度は丁重なままであっても、実際には取りつく島もない。病気療養とのもっともな理由をつけてはいても、聞き様によっては次期女王であるリエナを軽んじているとも取れなくはなかった。ルークはリエナの病状について、もっと詳しい説明を求めたかったが、重臣を始め、数多くの人間がいる前で問いただすわけにもいかない。ルークは内心の怒りを押し隠し、何ら表情にも出すことなく答えた。

「リエナ姫には充分な治療をお願いします」

「もちろん承知しております。リエナ姫は、我が国の唯一の王位継承者でございますから」

 ルークの怒りに気づいたのかどうか、チャールズ卿の口の端に、わずかに笑みが浮かんだように見えた。

********

 翌日、ルークはチャールズ卿に使いを送った。自室での面談を希望してのことである。やはりリエナの病状が気にかかっていたし、すこしでも彼女の現状を改善できるよう、できるだけの交渉をしたかった。またもう一つ、ルークには腑に落ちない点があったのである。

 侍従に案内されてきたチャールズ卿は、相変わらず落ち着き払ったままである。

「ルーク殿下自らのお呼び出し、恐縮でございます」

 挨拶の口上を述べるチャールズ卿は、きちんと礼に則ってはいるが、それがかえって慇懃無礼な印象を与えているのは否めない。ルークも挨拶を返すと単刀直入に切り出した。

「あなたに直接確認しておきたいことがあります」

「私に確認、とおっしゃいますと……。ムーンブルク復興の詳細については、昨日ご報告申し上げた通りです。それとも他に何かございましたでしょうか」

「リエナ姫についてです」

 ルークの深い青の瞳が、チャールズ卿を真っ直ぐに見据えた。

「姫について、でございますか」

 チャールズ卿の薄茶の瞳に訝しげな色が浮かぶ。

「昨日、姫は体調不要が原因で、実際の指揮を執ることだけでなく、公式行事に出席することも無理だとの報告を受けました。その辺りをもう少し詳しく伺いたいのです」

「その件についても、昨日ご報告申し上げたことがすべてでございます。事実、こちらにお世話になっていた間も、最初の祝賀会以外はほとんどの行事を欠席なさっていました。ですから、現状についてもご理解いただけるかと存じますが」

「確かに姫は、我が国での行事の多くを欠席されました。ですが、あくまで大事を取ってのことです。こちらにご滞在の間は、決して体調がよいとは言えなくとも、復興事業に一切参加できないほどの重病だとの報告は受けませんでした。ムーンブルクへご帰国後、またひどく体調を崩されたのには、何か別の原因の可能性があるとは考えられませんか」

「殿下にもご心配をおかけして誠に申し訳なく存じます。私どもも、できるだけの治療をさせていただいているのですが、完全にご体調を取り戻されるには、まだかなりの時間がかかりそうです」

 チャールズ卿は大袈裟なほど丁寧に頭を下げた。

「具体的には、どのようなご病状なのでしょうか?」

「畏れながら、そのご質問にはお答え致しかねます」

 ルークの問いに、チャールズ卿はきっぱりと回答を拒否すると、言葉を続けた。

「リエナ姫ご本人の尊厳にもかかわりますゆえ、お答えすることはご容赦願います。ただ、2年間にも亘る過酷な旅のお疲れが原因であるのは間違いございません」

「姫は今、祖国の復興に向けて、ようやく第一歩を踏み出したところです。それにもかかわらず、復興事業に形だけでしか関与できないとなると、姫ご本人はさぞやご無念でいらっしゃることでしょう」

「はい。そのようにお見受けいたしますが、すべてご了承いただいております。ご病気の原因が旅のお疲れであることは間違いのない事実ですし、実際に姫の侍医もその様に診断を下しておりますから」

 答えるチャールズ卿の態度はまったく変わるところがない。対するルークも一歩も引かず、粘り強く交渉を続ける。

「あなたはそう言われますが、ご帰国なさってからずっとご病状は芳しくありません。何か別の方法も検討するべきではないでしょうか」

「姫の侍医も薬師も、またお身の周りの世話をする女官も、最高の人材を揃えておりますゆえ、心配はご無用に願います」

 ルークの提案をチャールズ卿は顔色一つ変えずに拒否すると、あらためて姿勢を正し、きっぱりと言い切った。

「ルーク殿下が姫をご心配なさるお気持ちに対しては、心より感謝申し上げます。ですが、これはあくまでムーンブルクの問題でございます。何とぞ、私どもにおまかせいただきたく存じます」

 確かにチャールズ卿の言う通り、リエナの病状は国家の機密事項にも相当する。ルークが他国の人間である以上、軽々しく情報を漏らすとも思えない。しかし考え方を変えれば、リエナの病状は重くなく、人前に姿を見せない口実とも思える。これ以上追及しても何ら具体的な答えを得られないことを悟ったルークは、別の角度からリエナの現状を探ることにする。

「もう一点伺います。姫の指揮官としての業務ですが、現在は決裁署名のみを行っていると理解していいのでしょうか」

「おっしゃるとおりです。今は暫定的に、父公爵と私とで実質的な指揮を執り、決裁署名のみ姫にいただく形にしております」

 チャールズ卿はそう答えたが、これは事実とは異なっている。実際には、リエナは決裁署名はおろか、ろくに経過報告すら受けていないのであるから。けれどチャールズ卿はそんな素振りはまったく見せず、淡々と話を続けている。

「貴国より多大な復興援助を賜ったおかげで、復興事業そのものは滞りなく進んでおりますから、こちらも心配はご無用かと」

 チャールズ卿の答えは相変わらず言葉遣いは丁寧であるだけで、そっけない。この後もルークはいろいろと質問しつつ交渉したのだが、チャールズ卿は当たり障りのない返答をするか、はぐらかしながら「心配ご無用」と繰りかえすばかりだった。

 予想通り、チャールズ卿との交渉は非常に難しいものだった。はかばかしい収穫を得られないまま、ルークはチャールズ卿との会談を打ち切る他はなかった。

 ムーンブルク復興事業の経過報告を終えたチャールズ卿は、早々に帰国した。今回の対面では何らリエナの現状を改善する糸口を得ることはできなかったが、ルークはこのまま引き下がるつもりなどない。

********

 チャールズ卿がムーンブルクへ帰国した翌日、ルークは父王に面会を求めた。

「父上、お願いがございます」

「リエナ姫のことだな? 確かに、チャールズ卿の報告には腑に落ちない点がある。――そなたの意見を聞こう」

 王は続きを促した。ルークも感謝の意を込めて一礼すると、意見を述べ始めた。

「先日、チャールズ卿と直接面談しました。その時の卿の話では、リエナ姫は実質的な指揮を執ることは無理でも、決裁署名だけは行っているとのことでした。しかし、事実は違います。これまでの密偵からの報告の通り、姫は軟禁状態にあり、署名はおろか事業そのものに一切関与することを許されていません。ですが、現状でローレシアがこの件を追求するわけにはいきませんし、今は、リエナ姫の状況を少しでも改善することが最優先です。そこで、私を復興事業の現状視察の名目で派遣していただきたいのです」

「そなたをムーンブルクへ派遣?」

「はい。今回ムーンブルク側からの報告を受けましたが、こちらからも視察したいと言えば、先方も嫌とは言えますまい。その時にリエナ姫を見舞い、実際に姫がどのような境遇にあるのか、私が自分の眼で確かめて参ります」

「姫を見舞うと言うのだな」

「その方が、本当に生命を狙われているかどうかについても、確証が得られるかと。もう一つ、宰相カーティス殿と会談したいと思っています」

「カーティス殿か。今は復興事業の調整役として、表立っては姿を現してはおらぬ。だが、密偵の話では、カーティス殿だけは、未だにリエナ姫の力になっていると聞いておる。そなたがカーティス殿と直接対面すれば、もっと詳しい事情がわかるかもしれぬな」

「今後、カーティス殿と協力体制を取れれば、姫の現状を改善する方策も取りやすくなります」

 ルークの言う通り、リエナの現状を改善するには、カーティスの協力が不可欠となる。カーティスがローレシアを公式訪問するのは難しいから、ルークがムーンブルクを訪問し、会談の席を設けようというのである。

「公式訪問についてはわかった」

「それでは、すぐに手配をお願いできますでしょうか」

「そなたの気持ちもわかるが、実際に訪問するのは、今しばらく待て」

「何故でございますか? 一日でも早い方が……」

 明らかに納得できていない表情のルークに、王はゆっくりと言い諭した。

「チャールズ卿がわざわざ報告に来たばかりで視察をと言えば、報告内容に不審な点があるように思われる。だが、しばらく後であるなら問題はない。仮に姫の暗殺計画が真実であるにしろ、実行できるのはあくまでチャールズ卿が姫の夫となった後だ。まだ、正式な婚約発表がされたわけでもない」

「ですが……」

「よいか、ルーク。焦りは禁物だ。今ここで対応を誤れば、すべては水の泡だ」

「――はい。それは承知しております」

「リエナ姫とそなたとの結婚を認めるわけにはいかんが、わしもロト三国の王として、姫の御身を心配しておるのはそなたと同じだ」

「父上、今は何も申し上げませんが、私は決してリエナ姫との結婚を諦めてはおりません。――現状視察の件、よろしくお願いいたします」

 きっぱりと言い切ると、執務室から退出していった。




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