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旅路の果てに
第4章 2


 やがて夏も終わり、再び秋の気配が色濃くなってきた。三人が凱旋して既に一年が経とうとしていたが、密偵のもたらす報告内容も、ローレシアの状況も何一つ変わってはいない。

 ルークのムーンブルク公式訪問もまだ実現していなかった。ルークとしてはなるべく早い時期に訪問したいのであるが、チャールズ卿の来訪からまだ日が浅いこと、ルーク自身も公務に忙しいため日程の調整が難しく、早くとも年末になるだろうと言われている。

********

 深夜、ルークは自室で一人、酒杯を手にしていた。椅子に腰を下ろしたまま微動だにせず、一点を凝視している。

(今夜で一年……。リエナとの、約束の期限だ)

 一年前の今日、三人は長い旅を終えた。その最後の夜に、ルークはようやくリエナに長年の想いを伝え、リエナが自分と同じ気持ちであることを確認すると、その場で結婚を申し込んだ。そして、一年待って欲しい、必ず父王を説得して、ローレシアからムーンブルクへ正式に求婚しに行く、と約束したのである。

 リエナはルークの求婚を受けられるはずもなかった。一年待つことについても、リエナは何ら返事をしたわけではない。それでもルークは、必ず約束を守ると自分で誓いを立てた。

(リエナ、すまない。お前との約束を、守れなかった……)

 乱暴に酒を注ぐと一気にあおった。こんな呑み方を普段のルークがすることはまずない。卓上には既に、空になった酒瓶もある。

 この一年に起こった出来事をルークは反芻していた。予想外の出来事の連続だった。リエナが中心となって行われるはずのムーンブルク復興事業は、リエナがムーンブルクに帰国した時には既にフェアモント公爵家に乗っ取られていた。それが単に、復興事業の総指揮を執っているというだけならともかく、裏には王位奪還と、あろうことかリエナの暗殺計画までもが水面下で進められていることが発覚した。

 ルークはリエナ救出のため、自分なりに精一杯努力し続けてきた。それでも事態は一向に改善していない。

 もちろんルークは、リエナとの約束を守れなかったことに対し、そんなことを言い訳にするつもりなど毛頭ない。けれど実際には、あまりにも厳しい状況だったのも事実である。リエナを巡る、フェアモント公爵家の陰謀の調査と対応に手一杯で、彼女との結婚の許しを得るための交渉どころではなかったのだから。

 それでもルークは、今も折に触れて、父王にリエナとの結婚を諦めるつもりはないことを訴え続けている。また、王太子妃選定については、父王と宰相バイロンがしばらく様子見すると決めたことから、あからさまな見合いの席が設けられることだけはなくなっていた。けれど、他の重臣達からは、一日も早く妃を迎えるよう、無言の圧力があるのも否めない。

 まるで水を呑むようにルークは酒杯を空け続けているが、いっこうに酔いは訪れない。

(リエナ、今どうしている? どれだけつらい目に遭っている? なのに、今はお前を守ることはおろか、そばについていてやることすらできない……)

 不甲斐ない自分に嫌気がさすが、このままこうしていても何の解決にもならないのは、ルークにも嫌でもわかっている。無理やり気力を奮い立たせると、もう一度、何とかリエナを救う方法がないか、模索し始めた。

********

 同じ時、リエナも自室でルークのことを想い続けていた。リエナにとっても、一年前の、あの旅の最後の日の出来事を忘れられるはずはなかった。

(ルーク……。あの日から……、あなたが、もう一度正式に申し込みに行くと約束してくれた日から、今日で一年……)

 リエナはルークの言葉をはっきりと覚えている。けれど、自分の方は約束を交わしたわけではない、それどころか、ルークの求婚すら受け入れていない。それでも、心のどこかで、ルークをずっと待ち続けていた――リエナは一年経った今夜、そのことを思い知らされていた。

(やっぱり、無理だったのだわ。……当然よね、最初から、そんなことはわかっていたはずなのに……)

 リエナを巡る現状は厳しいままである。相変わらずの軟禁状態が続き、最近では、宰相カーティスとの面談の機会すら、以前に比べて少なくなっている。

 悩みぬき、一度は自ら生命を断とうかとすら思い詰めた。けれど今はもう、弱い考えを持つことはなくなりつつある。ずっと考え続け、今のリエナは、この先どのような状況になろうとも、自分なりに最善を尽くすしかないと結論を出していた。

(もしルークが私と同じような立場に陥っても、決して諦めないわ。王族の誇りを失わず、最後まで、闘い続けるはずよ。だから、わたくしも諦めてはいけない)

 今もリエナは、自分の体調不良を盾に、チャールズ卿の結婚申し込みを断り続けている。しかし、いつまで引きのばせるのかはわからない。いくら形だけとはいえ、自分がムーンブルク女王として即位する以上、誰かを王配として迎えなければならないことは変わらないのである。だからといって、王位奪還の陰謀が存在するかぎり、チャールズ卿を王配とすることはできない。リエナ自身もチャールズ卿との結婚など、考えるだけで、こみあげる嫌悪に身体が震えてくる。

 宰相カーティスは、せめてムーンブルク国内のフェアモント公爵家以外から王配を迎えようと、有力貴族達にそれとなく話を切り出したが、誰一人として耳を貸すこともなかった。この事実は既に、カーティスからリエナに伝えられている。

 他の貴族達がフェアモント公爵家の報復を恐れて、リエナの王配となるのを拒否しているのである。しかし、チャールズ卿を王配として迎えれば、リエナは生命を奪われ、最終的にはフェアモント公爵家への王朝交代を許す結果となるのが目に見えている。リエナは絶対に暗殺されるわけにはいかない。同様に、フェアモント公爵家への王朝交代は、どんなことをしてでも阻止しなくてはならない。そのためには、チャールズ卿以外の誰かを、リエナの夫として迎えるしか方法は残されていなかった。

(もし、わたくしの夫として、ルークを迎えることができるのなら……)

 ふとよぎった考えを、リエナはすぐには否定できなかった。

 ルークならば、フェアモント公爵家がどれだけ策を弄して懐柔しようとも、従うことなど絶対にありえない。フェアモント公爵家の方も、救国の英雄であり、ロト三国宗主国を後ろ盾に持つルークの存在を無視して復興事業を進めることはできない。ルークはリエナにとって公私ともに、これ以上はない強い味方となる。

 そうなれば、どんなにいいか――その想いをリエナは必死に振り払った。ルークはローレシアを継ぐ者である。旅の初めにローレシア王からも、ルークと自分の結婚の可能性はないと念押しされている。また今の情勢を考慮に入れると、他国から王配を迎えることは難しい。やはり、ムーンブルク国内のしかるべき貴族から夫を選ばざるを得ない。

(わたくしが直接、交渉してみましょう。チャールズ卿はまた妨害するでしょうけれど、やれるだけのことはやってみなければ)

 宰相カーティスばかりに重荷を背負わせるわけにはいかない。リエナは自分でも行動を起こすと決めた。

 リエナは眼を閉じ、古の月の神々に祈りを捧げた。ひとつ大きく息をつく。リエナは立ち上がって窓辺に佇むと、夜空に視線を移した。

(これで……、これでようやく諦められるわ。わたくしはルークを心から愛している、それは一生変わらない。けれど、ルークのそばにいることが許されないのは、旅が始まる前からわかっていたのだもの。……大丈夫。わたくしは、耐えてみせるわ)

 悲壮な決意とは裏腹に、涙が後から後から溢れてくる。リエナは頬を伝う涙を拭おうともせず、窓から月を見つめていた。

 リエナの心を映し取ったのか、今夜の月は黒い雲に厚く覆われ、時折かすかに雲の狭間からその姿を現すのみだった。




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