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旅路の果てに
第4章 3


 リエナは自分の結婚相手の候補選択に関して、どのように対応するのが最善か、思案を巡らせた。考えた末、宰相カーティスとも相談したうえで、ムーンペタの領主であるルーセント公爵と連絡を取ることに決めた。ルーセント公爵家も、ムーンブルク建国当時からの名門で、王家とのかかわりも深い。本来ならば、リエナを助け、復興援助の重要な役割を担うはずだった。それなのに、今はフェアモント公爵家に唯々諾々と従っている。恐らく、何らかの理由があるのだろうけれど、それを再度自分の味方につけるよう交渉することこそ、自身の役割である。

 その後、実際の会談までこぎつけるのもひと苦労だった。秘かにルーセント公爵と連絡を取り、会談の席を設けることは不可能であるから、堂々と呼び出しをかけた。当然チャールズ卿の耳にも入ることになる。リエナの意図に気づいたチャールズ卿は最初、あらゆる手段を使ってこの会談を握りつぶそうとしたが、リエナは決して怯まなかった。次期女王のリエナが、名門公爵家の当主と会談することは何ら不自然なことではない。宰相カーティスの協力もあり、流石のチャールズ卿も、あまりにあからさまな妨害はかえってリエナの立場を有利にすると覚ったらしい。最後には、妨害した事実などなかったかのように、一切関与しない姿勢を見せていた。

********

 ルーセント公爵との会談の日を迎えた。ただし、リエナ単独での会談である。本当はカーティスも同席して欲しかったのであるが、多忙なカーティスとどうしても日程の調整ができず、やむを得ずリエナ一人で会談の席に臨むこととなった。

 リエナは女官らに手伝わせ、身支度を急いでいた。長い髪をきっちりと結い上げ、普段の柔らかなドレスとは違う、次期女王が臣下と謁見するための正装に身を包む。

 女官長に先導され、ルーセント公爵が案内されてきた。

「リエナ姫、ご無沙汰をしております」

 ルーセント公爵は痩躯を折って跪く。

「こちらこそ、足を運んでいただいて感謝しておりますわ。公爵」

 久し振りにリエナの姿を見たルーセント公爵は、内心では驚きを隠せなかった。体調不良と聞いているリエナの顔色は決して良くはない。それでも、強い意志を感じさせる姿は、紛れもない次期女王のものだった。

「公爵、今日は折り入って相談がありますの」

「何なりと、承ります」

 リエナは頷くと、単刀直入に切り出した。

「わたくしの、結婚相手のことですわ」

「……はい」

「現在、フェアモント公爵家のチャールズ卿から、結婚の申し込みをいただいております」

「それは私も存じております。姫はお断りなさっているそうですが」

 ルーセント公爵も当然、一連の経緯を知っている。

「公爵のおっしゃるとおり、お断りしましたわ。――チャールズ卿ご本人は、まだ諦めてはいらっしゃらないようですけれど」

「……理由をお聞かせいただいても、よろしゅうございましょうか」

「わたくしの夫となる方は、単なる王配ではありません。我がムーンブルクを復興するための、いちばんの協力者となっていただかなければなりませんわ」

 このリエナの言葉に頷きつつ、公爵は顔を上げる。

「姫の仰せの通り、王配となられる御方には大変な重責がかかります。身分・血筋はもちろんのこと、政治的な手腕も問われます。並大抵の人物では、到底務まりますまい」

「ええ。だからこそ、慎重の上にも慎重を期して、選定をお願いしたいのです」

 公爵は真剣な表情で、リエナに視線を向けた。

「――畏れながら、リエナ姫」

 リエナは無言で続きを促した。公爵は感謝の意を籠めて一礼すると、言葉を続けた。

「姫のお言葉は、ローレシアのルーク殿下を王配にお迎えしたいとご希望なさっている、そのように解釈してもよろしいのでしょうか」

 ルーセント公爵にしてはあまりにあからさまな言葉である。リエナはわざと溜め息をついてみせた。

「……公爵。あなたまでそのようなことをおっしゃるのですか」

「では、姫にはそのご意思はないと」

「当然のことですわ。ルーク様はローレシアの王太子でいらっしゃいます。ルーク様が王配になれるだけの御方であるのは間違いないのでしょう。ですが、他国の国王となる御方をムーンブルクへお迎えすることなど、最初から不可能だとわかりきったことではありませんか」

 ルーセント公爵はリエナの言葉をすこしばかり意外に感じていた。公爵も婚約解消の経緯はもちろん承知している。ローレシアで行われた凱旋祝賀会の席で、二人が相思相愛の仲であることは一目瞭然であったし、ルークがリエナとの結婚を望んでいるという噂も耳にしている。現状で二人の結婚を実現するためには、ルークが王太子位を返上してムーンブルクへ婿入りする以外に方法はない。リエナが頑なにチャールズ卿の求婚を断り続けているのは、二人の間では既に互いに結婚の意思があることを確認していて、その上で、ローレシアからムーンブルクに正式に結婚を申し込みに来るまでの時間稼ぎをしている可能性が高い、そう考えていたのである。

 公爵はリエナに向き直った。

「それでしたら、チャールズ卿は、姫のお相手にふさわしいのではありませんか?」

 リエナはルーセント公爵を正面から見据える。

「公爵。あなたは真実、そうお思いですの?」

 公爵の視線が揺らぐ。それを認めて、リエナは言葉を継いだ。

「現状では他国から王配をお迎えするよりも、ムーンブルク国内からしかるべき方を選ぶ方がよいことも承知しております。ですから、確かに条件だけを考えれば、チャールズ卿は王配にふさわしいと言えるかもしれません。ですが、チャールズ卿は別のお考えも、お持ちのようですわ。――すべてご存じなのでしょう? 公爵」

 リエナはわずかに笑みを浮かべ、公爵に視線を向ける。たまらず公爵は、眼を伏せ、深々と一礼する。

「……どうかこれ以上は、お許しください」

 リエナは大きく息をついた。

「あなただけは真実、このムーンブルクの未来を考えていただいていたと思いましたのに」

 公爵は面を伏せたまま、言葉を発しない。

「退出を許します、公爵。――ですが、わたくしがこれで、フェアモント公爵家に従うわけではありません。またあなたにも、ムーンブルクの公爵家として、祖国復興にご尽力いただかなければなりません。そのことだけは、お忘れなきようにお願いいたしますわ」

 ルーセント公爵が退出した後、リエナはひどく疲れを覚えていた。予想していたとはいえ、ことは簡単には運ばない。あの清廉潔白で知られる公爵がここまで頑なな態度をとるということは、余程の事情――恐らくは、決定的な弱みを握られたか何かがあるのだろう。それでも、ただ一度の会談であきらめることなどできない。他の有力貴族と会談し、また日にちを置いて、粘り強く何度でも、ルーセント公爵と交渉を行うつもりである。

********

「リエナ殿下。結果はいかがでございましたでしょうか」

 宰相カーティスの問いに、リエナは長い睫毛を伏せた。

「……残念ですが」

「左様でございましたか」

 リエナから詳しい会談の経緯を聞くと、カーティスは大きく息をついた。予想の通りといえば、そうだけれど、次期女王自らの言葉すら公爵を動かせなかった事実に、あらためてチャールズ卿の勢力の強さをまざまざと思い知らされたのである。

「でも、これで引き下がる様なことはしませんわ。これからも伯父であるオーディアール公爵をはじめとする方々にも、個別に会談の席を設けるつもりでおります」

「私も微力ながら、でき得る限りのことはさせていただきます」

 カーティスは深々と一礼した。

********

 しかしながら、その後も事態ははまったく進展しなかった。オーディアール公爵始め、呼び出しをかけた重臣達は、リエナの王配はチャールズ卿以外にいない、と口を揃えた。曲がりなりにも謝罪めいた言葉を発したのは、最初に会談したルーセント公爵のみだったのである。リエナは時にはカーティスも同席して、粘り強く交渉を進めたが、次第に呼び出しをかけても何かと理由をつけて応じない貴族が増えてきた。

 これにははっきりとした理由がある。リエナがルーセント公爵に対して、チャールズ卿の結婚申し込みを断り続けていることと、ルークを王配として迎える意思がないことを明言したからである。生き残りの有力貴族の中でも、王配となれる男子を持つ家――ルーセント公爵家もその一つだった――が、万が一、王配の候補に上がれば、チャールズ卿からどんな報復が待っているかわからない。今の時点では誰も、そのような危ない橋など渡りたくなかったのである。

 リエナは焦りを募らせていた。いくら形だけとはいえ、自分がムーンブルク女王として即位する以上、誰かを王配として迎えなければならないことは変わらない。チャールズ卿との結婚は、考えるだけで身体が震えるほどの嫌悪を催すけれど、自分の立場を思えば、いつかは受け入れざるを得ないのかもしれない、すべてはムーンブルクのために。

 しかし、チャールズ卿を王配としてしまえばもう、フェアモント公爵家への王朝交代が避けられないのは火を見るより明らかである。それがわかっている以上、どんなことをしてでも、チャールズ卿との結婚は阻止しなくてはならない。リエナは絶対に暗殺されるわけにはいかない。千年以上の歴史を持つ魔法大国を自分の代で終わらせることなど、絶対にできないのだから。

 リエナは眼を閉じると祈りを捧げた。

「……古の月の神々よ、わたくしに力をお与えください」




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