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旅路の果てに
第4章 4


 事態は膠着状態のまま、年明けを迎えた。

 春も近くなって、ようやくルークのムーンブルクへの公式訪問が実現する運びとなった。昨年の冬頃からずっと、現状視察したい旨を打診していたのであるが、チャールズ卿に何かと理由をつけて引き延ばされ、同時にローレシアでも重要な公式行事が続き、ルークもなかなか訪問する機会を得ることができなかったのである。

********

 ルークの訪問を間近に控え、チャールズ卿と宰相カーティスが綿密な打ち合わせを行っている。カーティスがチャールズ卿に尋ねた。

「ところで、リエナ殿下とルーク殿下の対面はどのように執り行いましょうか」

「リエナ姫が、ルーク殿下に対面なさる? ――必要ありませんな」

 チャールズ卿はにべもなく切り捨てたが、カーティスは到底了承できるはずがない。

「何故です? リエナ殿下が対面なさるのは当然ではありませんか」

「当然?」

 チャールズ卿は薄茶の瞳をカーティスに向けた。そこには何の感情も表れていない。

「ローレシア王太子殿下の公式訪問です。リエナ殿下が直接お会いにならないのは、大変な無礼に当たるとは思われないのですか」

「確かに宰相の言われることも一理あります。ですが、現状を考えれば、余計な接触は持たない方が賢明でしょうな」

「チャールズ卿、今の言葉は理解できかねます。リエナ殿下とルーク殿下が公式の席で対面なさるのが余計な接触、そう言われるのですか」

「リエナ姫とルーク殿下の噂については、当然のことながら宰相もご存じでしょう。今ここで、姫がルーク殿下と直に顔を合わせたら、姫がまだルーク殿下を想い続けていられるのが、他の臣下に対しても一目瞭然となります。ルーク殿下も同様でしょう。ただでさえ無責任な噂が飛び交っているところに、新たに噂の種を蒔くような行動は慎むべきだ、そういう意味ですよ」

 これを聞いて、カーティスは深く考え込んでしまった。確かにチャールズ卿の言い分にも一理あるし、ルークとリエナの関係について様々な噂が飛び交っているのも事実である。政情がまだ不安定なムーンブルクで、余計な騒乱の種はないに越したことはないのだから。

 無言のままのカーティスに向かって、チャールズ卿は話を続けた。

「どうやら、ご理解いただけたようですな。それから、リエナ姫にはルーク殿下訪問について、一切お知らせしないよう、徹底することにします」

「何故です? それこそ、ルーク殿下、ひいてはローレシアに対して、大変な無礼ではありませんか」

 リエナがルークと会わないこと自体は、リエナの体調不良を理由にすれば、まだ通らなくはない。けれど、それならば余計に、リエナから直筆の親書――訪問への歓迎の意と対面できないことへの謝罪、更には復興援助への礼などをしたためて渡すべきだからである。

「ほう、宰相はお知らせすべきだと言われますか。――姫はさぞかし嘆かれるでしょうな。想い人が自国を公式訪問してきたというのに、自分には会いに来ない。もちろん、理由をお話すればご理解いただけるでしょうが、それでも悲しまれることには変わりありません。ただでさえ体調不良は改善していないのですから、余計悪化させるようなことは耳に入れない方がいいと思ったのですがね」

 チャールズ卿は淡々と話し続ける。

「まあそうは言っても、宰相の言い分ももっともです。宰相がどうしてもと言われるのなら、独断で姫にお知らせいただいても構いません。あくまでこれは私の意見ですからな。ですが、もし姫が対面を希望されても決して叶うことはありません。会えるわけでもない想い人の噂を耳に入れてもご本人がつらいだけである、その事実を踏まえてくださるのであれば、後はどうするか、宰相にお任せしますよ」

 これを聞いて、カーティスは再び黙り込んだ。チャールズ卿の指摘通り、リエナはまだルークを想い切れていない。ルーク以外の結婚相手を探さなければいけないと言ってはいても、リエナが今もルークを愛し続けていることは、カーティスの眼にも明らかだった。リエナが次期女王としての責任と、自らの感情の板挟みになって苦しんでいるのも、手に取るようにわかっていた。

「……わかりました。そのことについては、充分に検討の上で決定することにしましょう。その代わりと言ってはなんですが、私がルーク殿下と個人的に面談の席を設けることにします」

「宰相が?」

 カーティスはこの機会にルークにリエナの現状――毒物を盛られたことと、暗殺の危機に晒されていることを伝えようと考えたのである。この頃のカーティスは、チャールズ卿ら、フェアモント公爵家がリエナ暗殺を計画していると確信していた。今後、ルークと直接面談できる機会がそうそうあるとは思えない。しかも、事態は緊急を要している。この絶好の機会を逃す術はない。

「ローレシアからは多大な復興援助を賜っています。本来であれば、リエナ殿下御自らが御礼を申されるべきところです。ですから、私はその名代、というわけですよ」

「それならば、私と父公爵で充分ですな」

 カーティスはわずかに笑みを湛えて反論する。

「チャールズ卿らしからぬお言葉です。それこそ、無礼に当たりましょう。体調不良のリエナ殿下は理由がはっきりしていますが、宰相である私が面談しないのは、おかしなことだと思われませんか?」

 思わぬ反撃にチャールズ卿は不承不承頷いた。

「……まあそこまで言われるのでしたら、お任せしますよ」

「では、早急に日程を調整するといたしましょう」

 これで堂々とルークと対面できる。カーティスは待ちに待った機会を無駄にする気はない。チャールズ卿のことだから当然、ルークと自分の会話の内容を探ってくるだろうから、フェアモント公爵家によるリエナ暗殺計画について明言することはできない。それでも直接の対面であるから、ルークに事実をそれとなく伝えることは難しくとも不可能ではない。ルークの方も、自分の言葉の端々から正確な事実を掴んでくれるはずである。そしてリエナの現状を知れば必ず、ローレシアはロト三国宗主国として、リエナとムーンブルクのために、具体的な行動に移すだろうことも間違いない。

********

 その翌日、リエナ付きの侍医がカーティスに面会を求めてきた。カーティスの執務室に通された侍医は、おそるおそる、といった体で、リエナにルーク訪問を知らせない方がよい、と進言してきた。理由を問いだたしたところ、チャールズ卿と同じく、健康状態に悪影響を与える可能性がある、との言い分である。

 カーティスは最後まで迷ったが、リエナにルーク訪問の事実を告げることはなかった。またチャールズ卿は、カーティスがリエナに告げないと確信していたらしい。最初からリエナ付きの女官らには、ルーク訪問の事実がリエナの耳に入らないよう、厳重な緘口令を敷いていたのである。

********

 春もたけなわの頃、ルークの公式訪問当日を迎えた。

 フェアモント公爵、チャールズ卿を始めとした、ムーンブルクの復興事業に当たっている重臣達がルークを丁重に出迎えた。

「ルーク殿下、遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます」

 チャールズ卿は相変わらずの慇懃無礼な口調で、深々と頭を下げてみせた。

「昨年、あなたからもムーンブルク復興事業について報告していただきましたが、実際に私も自分の眼で確認したかったのですよ」

 鷹揚に頷いて答えるルークに、チャールズ卿はもう一度頭を下げて言った。

「恐れ入ります。早速明日から、進捗状況のご説明とご見学を予定しております。ひとまずはご休息をお取りいただきましょう。――お部屋へご案内を」

 この言葉に、ルークは不審なものを感じた。ローレシアの王太子の公式訪問であるから、当然リエナとの謁見があるはずである。

「チャールズ卿、リエナ姫に謁見を賜りたいのですが」

 この言葉に、チャールズ卿はわざとらしいほどに申し訳なさそうな表情を作って答えた。

「ルーク殿下。申し訳ございませんが、リエナ姫とのご対面は後日とさせていただきたく存じます」

「今日も、ご体調がすぐれないと?」

「はい。ここ数日、熱を出しておられます。ルーク殿下が訪問なさることをお伝えしましたところ、くれぐれもよろしくとのお言葉でございました」

 明らかにルークをリエナに会わせたくないための言い訳であったが、今ここで騒いでも何も解決するわけではない。ルークはひとまず先方の出方を見てから、慎重に調査を進めることにした。

「わかりました。それでは、リエナ姫にお大事になさるよう、お伝えください」

********

 その夜、チャールズ卿はルークを晩餐に招待した。ムーンブルクではまだ本格的な復興事業は始まったばかりであるので、リエナを除けば、普段の生活は質素とも言える。しかし、今夜はロト三国宗主国の王太子をもてなすため、ムーンペタでも指折りの料理人ができ得る限りの最高の食材を使い、腕を振るった料理が供された。

 ルークはチャールズ卿と当たり障りのない会話を如才なく交わしながら、さりげなく切り出した。

「ところで、リエナ姫のご体調ですが、なかなかよくならないようですね」

「はい。私どもも、できる限りの治療をさせていただいておりますが、はかばかしくないのですよ」

「では、私からも見舞いに伺いましょう」

「ルーク殿下のお心遣いは大変ありがたく思いますが……、お見舞いはご遠慮いただきたく存じます」

 さも残念そうに答えはしているが、ルークはチャールズ卿の口の端がわずかに釣り上ったのを見逃さなかった。

「理由を聞かせていただきましょうか」

「先程も申し上げましたように、リエナ姫のご体調は安定しておりません。もちろん姫の治療には、我が国で最高の医師と薬師が全力を尽くしております。また、お側仕えの女官も、充分に吟味して配していることも言うまでもありません。このように、ご養生のためにでき得る限りの環境を整えているのですが、なかなか好転しないのです。いくらお見舞いとはいえ、他国からの賓客、しかもルーク殿下のような若い男性とお会いできる状況にはございません。ご容赦ください」

 そっけない態度のチャールズ卿に、ルークは慎重に交渉を始めた。

「チャールズ卿、あなたの言われることは理解できます。ですが、私はリエナ姫とは長い旅をともにしてきた仲間でもあります。他の若い男と同じように考えていただく必要はないと思いますが?」

「ルーク殿下、大変言いにくいことですが……」

「何でしょうか」

「ムーンブルク国内にも、根も葉もない噂をする者達が少なからずおります。噂の内容は、私から申し上げなくとも、おわかりになるのではないかと」

「心ない噂については、確かに私も耳にしたことがあります。ですがチャールズ卿、あなたがそれを信じておられるとでも?」

 ルークはわざと不快感を露わにした。

「ルーク殿下、男性であるあなた様はお気になさらないかもしれません。ですが、未婚女性であるリエナ姫にとっては致命的です」

「何も、私が一人でリエナ姫を見舞うわけではありません。当然、姫のお付きの女官たちが大勢お側に控えているでしょう」

「ご承知の通り、姫はいずれ女王として、夫君をお迎えいただかなければなりません。姫の名誉にわずかな傷もつけるわけには参らないのです」

「そこまで心配なさるのでしたら、宰相のカーティス殿に同席していただいても構いませんが。カーティス殿は亡きディアス9世陛下の片腕とまで呼ばれた方だ。リエナ姫のお力になっているはずではありませんか?」

「それに宰相も、最近では姫に謁見を賜る機会があまりありませんので……」

 ルークの瞳に訝しげな色が浮かんだ。

「これは意外なことを言われますね。一国の宰相が、次期女王の姫と謁見なさらないとは。いくら姫がご病気のために復興事業に参加なさっておられないとしても、定期的な報告だけはされているはずでは?」

「いえ、宰相も何かと多忙ですので……。定期報告は私の担当となっております」

「それであれば、次回の報告の時に同行させていただきましょう」

 これを聞いて、チャールズ卿は内心で舌打ちしていた。それでもチャールズ卿は動揺をおくびにも出さず、淡々とした口調で話を続けた。

「わかりました。そこまでおっしゃるのでしたら、手配いたしましょう。姫のご体調も考慮しなければなりませんので、2−3日お待ちいただくことになりますが」

「結構です。どのみち、私もまだしばらくはムーンブルクに滞在しますから、待たせてもらいますよ」




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