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旅路の果てに
第4章 5


「ルーク殿下、お久しぶりでございます」

 ――ようやくお会いできました。

 ムーンブルクの宰相カーティスは、この言葉を心のなかで告げながら、一礼した。

「私も一度、あなたと話したいと思っていました」

 ルークも穏やかにカーティスの挨拶を受けた。

 ここは、仮の王城となっているムーンペタの離宮の中庭である。通常会談は室内のしかるべきところで行われるが、それだといくら人払いしても、会話の内容を盗み聞きされる可能性が残る。だからルークの方から敢えて、せっかく気候のいい時期なのだから中庭を散策したい、と視界の開けたここを会談の場所に指定したのである。

 カーティスは久し振りに対面したルークの姿に、感慨を深くしていた。

 ――ますますご立派になられた。

 前回対面したのは、ローレシアで行われた凱旋祝賀会でのことである。あれから1年半余り、ルークは21歳になっている。

 ルークは鍛え上げられた逞しい長身に、瞳の色と同じ深い青の衣装を身につけ、ローレシア王家の紋章を配した大剣を腰に佩いている。身のこなしには一分の隙もなく、また年齢相応の落ち着きも加わって、その堂々とした姿は、如何にも騎士の国の王太子にふさわしい。

(この御方にリエナ殿下を託すことができるのであれば……)

 カーティスはふと心にきざした考えに、自分でも驚いていた。しかし、それを即座に否定することもできなかった。

(ルーク殿下がリエナ殿下の王配として、公私ともに支えてくだされば、どんなにかリエナ殿下にとっても、ムーンブルクにとっても、心強いことか)

 長い旅の間、ルークは生命がけでリエナを守り抜いてきた。そして、ルークが真実、リエナを愛し、大切に想っていることも、宰相はよく知っている。

 ルークならば、チャールズ卿とフェアモント公爵家に屈伏することは有り得ない。そして、いくらチャールズ卿といえど、ロト三国宗主国の第一王子であり、破壊神を倒した英雄であるルークをないがしろにすることなどできない。

 しばらくの間、無言でルークの姿を見つめていたカーティスは、内心の考えを悟られぬよう、秘かに嘆息した。

(……今は考えても詮無いことだ。ルーク殿下はローレシアを継ぐ御方。そしてムーンブルクの現状では、他国から王配をお迎えすることはまず不可能に近い。ましてや、ルーク殿下のようにあまりに有能な御方であれば、ムーンブルク国内で余計な軋轢を生みかねない)

 今はルークにリエナの現状を正確に伝えることが、自分の役割である。カーティスは気持ちを切り替えた。

「では、ルーク殿下。中庭をご案内いたしましょう」

 穏やかな春の日差しの下、咲き誇る花々の小路を歩きつつ、カーティスはリエナの名代として復興援助の礼を述べ、しばらく国政について会話を続けた。その後、特に見事な薔薇が競うように咲く花壇の前で、ルークは足を止めた。視線だけは花壇に向けて、ルークは慎重に本題を切り出した。

「ところで、リエナ姫はいかがお過ごしでしょうか。未だ体調が優れないと伺っています。私からも見舞いをとチャールズ卿に申し上げているところですよ」

「ルーク殿下、お気遣い感謝いたします。ずっと養生なさってはおられますが、残念ながら、まだご体調は万全とは言いかねる状態でいらっしゃいます」

「姫の体調不良には、何か別の原因があるのではありませんか?」

 ルークのこの言葉に、カーティスの表情がわずかに曇る。ほんの一瞬のことであったが、ルークはそれを見逃さなかった。

「――申し訳ない。差し出がましいことを申し上げました」

 謝罪するルークに、カーティスは慌てて否定した。

「とんでもございません。ご心配をおかけして、こちらこそ大変申し訳なく存じます」

「リエナ姫は私にとって、大切な友人です。差し支えない範囲で結構ですから、ご様子を伺えますか」

「直接の原因は、旅のお疲れであろうことは、私も同じ考えです。ですが……」

 わざと語尾を濁すカーティスに、ルークはやはり何かが起きていることを確信した。カーティスは慎重に言葉を選びながら、話を続ける。

「リエナ殿下は時々ではありますが、お食事がお口に合わないことがあるようでございます」

 ルークの背に緊張が走る。カーティスの言葉が意味するところは、一つしかない。緊張が表情と声に出ないよう、細心の注意を払って問いかけた。

「――そのようなことは今も度々あるのでしょうか? 姫は旅の間も少食でいらしたから、食が進みにくいのはわからなくもありませんが」

「今までには三度ほど、と伺っております」

「あまり食事を取れないようでしたら、姫のご体調にも差し障りがあるのではありませんか?」

「いえ、幸い大事に至ることはございませんでした。最初は午後のお茶を召し上がった時でしたが、ご気分が悪くなられてすぐに、ご自分で手当てを――本来ならば女官がすべきところですが、リエナ殿下は旅の間にご自分のことはご自分でなさるようになっていらっしゃったせいか、女官の手を借りることなく、回復なさったとのことです」

「確かに、姫ほどの魔法使いであれば、女官を呼ぶよりもその方が早いでしょうね」

 ルークは今、『姫ほどの魔法使いであれば』と言った。この言葉は、リエナが自ら解毒の呪文を唱え、回復した、という意味になる。カーティスは、ルークが自分の言わんとしていることを正確に理解していると確信していた。

「仰せの通りです。リエナ殿下がおっしゃるには、あまり騒ぎ立てて大事にしたくはなかったそうです。ですから実は、このことは私が直接、リエナ殿下ご本人から伺ったのでございます。また、私以外の者は存じません」

「なるほど、如何にもリエナ姫らしい。ところで、その後の二回については、如何だったのでしょうか?」

「こちらは実際にお口になさることはなかったようです。恐らくは、香りがお好みに合わなかったのでしょう。それ以降は、リエナ殿下ご自身もお気をつけていらっしゃるようです。いくらお食事がお口に合わない程度であっても、今のリエナ殿下はご体調が万全ではない以上、万が一のことがあっては、取り返しのつかないことになりますから。また私どもも、充分に吟味を重ねたもののみを供するよう、徹底しております」

「わかりました。ところで、姫のお世話はどのようになさっておられるのですか? チャールズ卿からは、姫には最高の医師と薬師、更には充分に吟味した女官をつけている、と伺いましたが」

「おっしゃるとおりです。また、姫の御身の周りの品はすべて、フェアモント公爵家が用意しております。お付きの女官なども同じく、チャールズ卿の監督の下、姫のお世話に当たっております」

「状況はよくわかりました。それではあなたからも、くれぐれもお大事にと、姫へ言付け願えますか」

 カーティスはわずかに言葉に詰まったが、かろうじて返答した。

「ルーク殿下、大変失礼かとは存じますが……」

 ルークはまたもや、カーティスの言葉の裏に隠された意味を悟っていた。リエナは自分の訪問すら知らされていない。チャールズ卿はそこまでしてでも、自分とリエナを対面させたくないのだ。ルークはチャールズ卿との会談でリエナへの見舞いを依頼したが、実現は難しくなりそうだと考えざるを得なかった。――もっともルーク自身、最初からそう簡単に事が運ぶとは思っていなかったけれど。

「では、今の話はなかったことにしてください。確かに、あなたしか知らないことについて、私が何か申し上げるのも不自然です。それでは引き続き、リエナ姫には充分に気を配って差し上げるようお願いします」

「――申し訳ございません。ルーク殿下のお耳に入れることで、かえってご心配をおかけいたしました。ご容赦ください」

 謝罪するカーティスに、ルークは穏やかな笑みを向けた。

「いえ、カーティス殿。気になさらずとも結構ですよ。むしろ、よく知らせてくださいました。――感謝しています」

「ルーク殿下、何とぞ、リエナ殿下を……」

 カーティスの言葉の端々から、ルークはリエナを取り巻く現状――暗殺の危機に晒されていること――を正確に把握し、またカーティスも同様の懸念を抱いていることを確信していた。ルークはチャールズ卿への怒りを押し隠し、必ずリエナを救うという決意を秘めた眼で、真っ直ぐカーティスに視線を向けた。

「承知しています。先程も申し上げた通り、リエナ姫は私にとって、かけがえのない仲間で友人です。今後もできる限りのことはさせていただくつもりでいます」

 カーティスも、ようやくリエナ救出に向けての第一歩を踏み出すことができた。感謝の意を籠めて、ルークに深々と一礼した。

 この後、当たり障りのない会話をしばらく交わし、ルークとカーティスの会談は無事に終了した。

*********

 ルークの悪い予感が当たった。ルークはリエナを見舞うことはできなかったのである。チャールズ卿はルークに対し、リエナの熱が一向に下がらず、侍医の見立てでは面会は無理だとの見解であると説明した。結局、帰国の日までこれが続いたのである。ルークもかなり粘ったが、まさか強引に彼女の寝室を訪問するわけにはいかず、諦めざるを得なかった。

 ローレシアへの帰路、ルークはチャールズ卿への怒りを胸に、リエナを救うための次の手段を考え続けていた。




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