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旅路の果てに
第5章 1


 現状視察の公式訪問の翌月、ルークは再びムーンブルクを訪問した。今回は父王の侍医団のなかから特に女性の侍医を選び、彼女を伴っての訪問である。チャールズ卿は本心ではしつこくリエナと接触を図ろうとしているローレシアとルークを疎ましく思ってはいたが、王太子の公式訪問を断るわけにもいかず、表面だけは前回同様に丁重にもてなした。

 チャールズ卿との会談の席には、宰相カーティスも同席していた。カーティスにはルークが何かリエナ救済の策を持って来たのではないかという期待があり、自分が同席することに反対するチャールズ卿を半ば強引に説得したのである。カーティスは以前ほどではないにしろ、ムーンブルクの重要人物であることには変わりがない。無碍に退けるわけにもいかず、渋々ではあったが同席を許した。

 ルークは父王の女性侍医と親書を携えた侍従の二人を伴い、会談の席に臨んだ。

 ルークは慎重に計画を切り出した。それに対してチャールズ卿は、わずかにではあるが、事態を理解しがたい表情――故意にではあろうが――を浮かべた。

「ローレシアへ転地療養、でございますか?」

 そのまま無言になったチャールズ卿に、ルークは説得を始めた。

「チャールズ卿、リエナ姫がご帰国なさって間もなく1年半になります。ですが話を伺う限り、ご病状は悪化する一方です。前回訪問したときにあなたから伺った話を父王の侍医団に話しましたところ、転地療養がもっともよい治療法だと意見が一致しました」

 そう言いながら、同行してきた女性侍医に目配せした。侍医は頷くと、ドレスの裾をさばいてチャールズ卿の前まで歩み寄り、跪いて一礼する。その後、医師としての意見を述べはじめた。

「チャールズ卿、畏れながら申し上げます。リエナ殿下のご病気の原因はいろいろと考えられますが、こちら様の侍医のお診立て通り、旅のお疲れが最大のものと推察されます。このような場合、お気晴らしにご療養の環境を変えていただくのが最も効果的な治療法と診断いたしました。私どもで選びました場所は、ローレシア王家の湖畔の離宮でございます。静かな環境で、空気も水もたいそうよく、リエナ殿下のご療養先に最適な場所であるかと存じます」

 説明を終えた侍医は、一礼して再度自席に下がる。今度は侍従がルークの傍らに跪き、一通の書状をうやうやしく掲げた。ルークは頷いて受け取ると、チャールズ卿の面前に差し出した。

「チャールズ卿、こちらを」

 眼の前に置かれた封筒には、ローレシア王家の紋章が摺られている。

「アレフ11世陛下の親書、でございますね」

 まさかここでローレシア王の親書が登場するなど、思ってもみなかった展開である。さしものチャールズ卿も、薄茶に瞳にわずかに感情らしきものが伺えた。

「その通りです。父王もリエナ姫のご病状が好転しないことを憂慮し、この書状をしたためてくださいました」

「お心遣い感謝します。それでは、謹んで拝読させていただきましょう」

 チャールズ卿は親書を押しいただくと丁寧に封を切り、その場で読み始めた。ルークはチャールズ卿が読み終えたところで、交渉を再開した。

「今回のこの提案は、ローレシアからの復興援助の一環としてのものであるとご理解いただきたい」

「リエナ姫の転地療養が復興援助の一環とおっしゃる?」

「その通りです。ローレシアもムーンブルクの復興事業が順調に進んでいることは承知しています。ですが、リエナ姫がご健康を取り戻されてはじめて、復興事業も意味を持つのではありませんか? 姫の一日も早いご本復を願うのは、ローレシアも同じです」

「お話の趣旨はよくわかりました」

 チャールズ卿は居住まいを正すと、深く一礼し、言葉を続ける。

「ルーク殿下、あらためて、ローレシアとアレフ11世陛下よりご厚意を賜り、心より感謝いたします。ご提案の転地療養についてですが、返答は今しばしお待ちいただきたく存じます。リエナ姫が居所を移すとなりますと、私の一存でとは参りません。議会に諮ったうえ、正式に返答いたします」

 すぐによい返事がもらえるとはルークも思っていない。鷹揚に頷くと、次にカーティスに意見を求めた。

「ルーク殿下、あらためて私からも感謝の意を表します」

 カーティスも海千山千の政治家である。ローレシアの提案にすぐに飛びつくような無様な真似はしないが、この提案を好意的に受けとめてくれているらしい。リエナ救済の為には、一旦チャールズ卿の監視下から逃れるのが最善の方法である。そのための名目を転地療養とするのは確かに理に適っている。カーティスも何とかこれを実現したいと考えていることは、ルークにも感じ取れていた。

「リエナ姫にとっても、転地療養はなるべく早い方がよいかと思います。私は返事をいただけるまで、こちらで待たせていただきましょう」

 ルークは今できる最大限の努力をした。後はムーンブルクの回答を待つしかない。

********

「アレフ11世陛下の親書だと!?」

 フェアモント公爵は、驚きに眼を見開いたまま息子を見ていた。顔色は蒼白になっている。

「ええ、先程ルーク殿下より賜りました。――父上もご一読願います」

 公爵は震える手で親書を受け取ると、食い入るように読み進めた。

「……何ということだ。これでは、嫌でもリエナ姫に居所をお移りいただかねばならん」

 呆然とつぶやく公爵に、チャールズ卿は淡々と尋ねる。

「何故です?」

「当たり前ではないか!」

 公爵は思わず声を荒げていた。公爵にとって、ロト三国宗主国の国王の言葉は、絶対的な圧力を持っている。

「ほう。では、父上は姫にローレシアへお移りいただくとおっしゃるのですか?」

「そうするしかあるまい。ほんの半月かせいぜい一月……ごく短期間でよいのだ。とにかく、先方の言い分を形だけでも聞いて、すぐにムーンブルクへ戻って来ていただければよい」

「父上のおっしゃるようにうまくいくものでしょうか。私には疑問ですな」

「どういう意味だ」

「一旦、先方にリエナ姫の御身を預けてしまえば、ローレシアは決して姫を離しはしないでしょう」

「……何故だ?」

 実父とはいえ、公爵のあまりの理解力のなさに、チャールズ卿は内心では呆れ果てている。けれど、そんな素振りはまったく見せずに説明を続けた。

「おわかりになりませんか? リエナ姫があることないことをローレシアに話されたらどうします? ルーク殿下は無条件に姫の話を信じてしまわれるでしょう。いえ、姫の話の信憑性など、ローレシアにとってはどうでもよい問題です。内政干渉の恰好の口実を、次期女王の口から得られるわけですからな。これでは姫は『人質』です。復興援助の名目で、更なる内政干渉を仕掛けてくるに違いありません。最終的には、このムーンブルクがローレシアの属国になる、その可能性すら否定できないでしょう」

 チャールズ卿は、リエナが生命を狙われていることに気づいていると確信していた。むしろ、生命は自分の手の内にあることを知らしめるために、わざわざ軽い痺れ薬を盛ったのである。これはチャールズ卿の独断で行われており、公爵は一切知らされていない。そして結果は予想通り、リエナは自分で呪文を唱えて解毒し、事を公にはしなかった。その後も二度にわたって薬を盛ったが、結果は同じである。あの聡明なリエナが何度も同じ手にかかるとは思えないから、自分の口に入れるものすべてを、あらかじめ呪文で解毒しているということになる。

 それらの事実をすべてローレシアに知られたら、大変な事態になる。今の時点でも、ルークにリエナ暗殺計画を気づかれている可能性は否定できない。しかし、ルークがそれをローレシア王に示唆したとしても、明確な証拠がない以上、王はすぐさま具体的な行動に移すことはない。けれど、リエナ本人の口から痺れ薬を盛られたと告げられたら話は別である。自分の眼の届かない場所にリエナを移すなど、絶対にしてはならないのである。

 しかし、さすがのチャールズ卿も、既にローレシアが宰相カーティスを通じて、リエナが毒を盛られた事実を掴んでいることまでは把握できていなかった。リエナとカーティスの接触は最小限度に抑えている。またリエナは、周囲の人間にあらぬ疑いがかからぬよう、すべて自分一人の胸におさめているはずだと確信していたからである。したがって、今回のルーク訪問も、転地療養を名目にリエナをローレシアに迎え、直接詳しい事情を聴こうとしているもの、と解釈していた。チャールズ卿は話を続けた。

「もう一つ重大な問題があります。父上もご承知の通り、リエナ姫は未だにルーク殿下をお忘れになってくださらない。例え転地療養の名目であれ、一度想い人の国へ迎えられてごらんなさい。いくら責任感のお強い姫でも、当分はムーンブルクへ帰国したくないと、我が儘をおっしゃるかもしれません。ルーク殿下も同じです。凱旋帰国後、ますます姫に執着していらっしゃる。ようやく自国に迎えた姫を、そう簡単に手放してはくださらないでしょうな」

「では、断ると言うのか!?」

「そのつもりでいます。ただ、友好国からの正式な申し出――しかも先方の言い分である、復興援助の一環として取れなくもない申し出ですから、私の独断というわけには参りません。早急に議会に諮り、正式な回答を提出します」

「……その様な……畏れ多いことを……」

 公爵にはまだ、ローレシア王の親書の存在が重くのしかかっているらしい。ここまで説明を受けても、断るという選択自体が信じ難いものであるようだった。

「父上。確かに、ローレシアの国王陛下から親書を賜ってまでのご厚意を無にしようというのです。無礼と批判されるのは避けられないでしょう。ですが、これはローレシアのムーンブルクへ対する、明らかな内政干渉です」

 ここで初めて公爵もそのことに思い至った。

「確かに……、お前の言う通りかもしれん」

「父上は、アレフ11世陛下のご厚意に背くとお思いかもしれません。ですが、先方のおっしゃることは、リエナ姫の居所の変更です。次期女王の姫がムーンブルクを留守にするなど、よほどの理由がなければ有り得ません。ましてや、ムーンブルクは本格的に復興事業が始まったばかりなのですから」

「……わかった。断るのは致し方あるまい」

 公爵は渋々ながら、了承した。

「議会の方は私にお任せください。意見はきちんと纏めてみせますから、ご心配には及びません」

「ところで、この件、リエナ姫には……?」

「お知らせするわけにはいきませんでしょう。先日のルーク殿下の公式訪問すら、ご存じないのですから。ここで下手にお耳に入れれば、想い人に会えない悲しみで、また病状が悪化しかねません」

「すべてお前に任せる。とにかくうまく議会を纏めて、ルーク殿下には穏便にローレシアへお帰りいただこう」

 フェアモント公爵は、明らかに自分の手には余ると思ったのだろう。最後は半ば投げやりに、息子に後の処理を託した。




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