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旅路の果てに
第5章 2


 二日後、再びルークとチャールズ卿との会談が行われた。しかし、今日はカーティスの姿が見えない。不審に思ったルークが尋ねた。

「チャールズ卿、カーティス殿はどちらにおられますか? リエナ姫にとって重要な話ですから、当然同席していただけると思っておりましたが」

「宰相は昨日より、他行しております」

 チャールズ卿の言葉に、ルークは耳を疑わざるを得なかった。

「ムーンペタを留守にしている、そう言われるのですか?」

「はい。行先は国家の機密事項に当たるためお答えできかねます。実は、私か宰相以外の人間では対処できない問題が発生しました。何分難しい案件で、しかも急を要するため、昨夜遅くに宰相が目的地へ出立いたしました。ルーク殿下にもすぐにお知らせすべきでしたが、何分深夜のことゆえ、ご連絡は控えさせていただきました。ご訪問中にこのような仕儀になり、失礼であることは重々承知しておりますが、何卒ご容赦のほどお願い申し上げます」

 チャールズ卿は申し訳なさそうに頭を下げたが、明らかにこれ以上ルークとカーティスとを直接面談させない為の口実である。ルークにもそれはわかっていた。カーティスが本当にムーンペタを留守にしているかどうかもわからないが、今それをここで追及しても無意味である。

「わかりました。もう一度カーティス殿も交えて、リエナ姫の今後について話したかったのですが、致し方ありません」

 ルークもこう答えるより術はなかった。

「それでは、先日の転地療養のご提案について、ご回答申し上げます」

「伺いましょう」

 ルークは姿勢を正し、チャールズ卿の回答を待つ。

「まずは、ローレシアとアレフ11世陛下のご厚意に対し、あらためてムーンブルク国民一同、心より感謝の意を表します。――ですが、ご提案の転地療養につきましては、辞退させていただきたく存じます」

 チャールズ卿は表情だけは残念そうに繕っていた。

「辞退される、それがムーンブルクの回答ですか」

「はい。議会で慎重に議論を重ねた上の結論です」

 ルークは冷静さを保ったまま、鋭い視線をチャールズ卿に向けた。実のところ、ルークには半ば予想された回答だった。到底納得できるものではないが、すぐに了承されるなどとは思ってはいない。これからが交渉の本番である。

「大変残念です。ムーンブルクは、友好国であるローレシアと、ローレシア王の厚意を無にすると言われる、そう解釈せざるを得ません」

「はい。畏れ多いことであるのは、重々承知しております」

「理由を聞かせてもらいましょうか」

「私からそれを申し上げろ、と?」

 チャールズ卿の薄茶の瞳が光る。酷薄な光をルークは真っ向から受けとめた。深い青の瞳にも剣呑な色が混じりはじめたが、敢えてそれを隠そうとはしない。

「ルーク殿下、あなた様がリエナ姫のことをどう思われているかは、私も既に承知しております。あなた様が既に妃をお迎えになっておられるのならともかく、未だお独りでいらっしゃいます。そこへ、同じく独り身の姫が行かれたら、どれだけ噂の種を蒔くことになるか……。ルーク殿下でしたら、ご理解いただけると存じますが」

「チャールズ卿、リエナ姫への私の気持ち云々はともかく、あなたの懸念されていることに関しては理解できます。ですが、心配には及びません。姫のご滞在中、私は一切、離宮を訪問するつもりはありません」

「それでも、あなた様が秘かに離宮を訪れないという保証はありません」

「ローレシア王太子である、私の言葉が信用できないとでも?」

 深い青の瞳が斬りつけるように光る。チャールズ卿は謝罪の意味で、頭を下げた。

「……失言をお許しください。ですが、仮にルーク殿下が離宮を訪れなくとも、逆にリエナ姫があなた様を訪ねることは簡単です。姫はその気になれば、あなた様の部屋のバルコニーまで移動の呪文で飛ぶことができるのですから。夜の闇にまぎれて訪れ、また夜明け前までに離宮に戻ればよい、違いますか?」

「今の言葉は到底容認できるものではありません。はっきりと姫を侮辱したとしかとれませんが」

 今のルークは、わざとはっきり不快の念を表していた。しかし、チャールズ卿は淡々とした態度を崩していない。

「誤解のなきように申し上げますが、私がそう思うのではありません。周りの人間がそう思う可能性がある、この点が重要なのです。議会でもそれが問題視されました」

「議会で問題視されたと言われる?」

「はい。議会出席者の総意です」

「ムーンブルクでは、私だけでなく、ローレシアもまったく信用されていないようですね。――それとも、リエナ姫が転地療養なさると何か不都合でもあるのでしょうか?」

 ルークの瞳の光はますます鋭さを増しているが、チャールズ卿も負けてはいない。あくまで平然と、真っ向から受け止めた。

「――仕方ありません。はっきりと申し上げましょう。転地療養は、リエナ姫ご自身が、拒否なさいました。ローレシアにこれ以上ご迷惑をかけたくないとおっしゃったのですよ。いかにもリエナ姫らしいお言葉ですし、私どもも、姫のご意思を尊重したいと思っています」

 対するルークもまったく引かず、粘り強く交渉を続ける。

「なるほど、確かに姫がおっしゃりそうな言葉です。ですが、ご遠慮なさる必要などありません。私から直接お勧めすれば、きっとお考えも変わられるでしょう」

 思わぬルークの反撃に、チャールズ卿は内心で舌打ちしていた。しかし、表情にも、態度にも、微塵もそれを感じさせていない。

「ルーク殿下、私どももローレシアのご厚意には感謝しているのです。ですが、次期女王たるリエナ姫をそうそう他国にお預けするわけにも参りません。ましてや、ムーンブルクの復興は始まったばかりです。姫のご意思でもありますし、今回はお気持ちだけを頂戴いたしたく存じます」

 チャールズ卿はきっぱりと断ったが、この程度で諦めるルークではない。

「リエナ姫に一日も早くご健康を取り戻して欲しいと思えばこそ、今回の話を持って来たのです。当然のことながら、ローレシアも充分な準備をしています」

「ではお尋ねしますが、ルーク殿下は、姫のご意思をないがしろになさるとおっしゃるのですか?」

「そこまで言われるのでしたら、姫を見舞わせていただけませんか。前回の訪問時には、高熱を出されたそうですが、まさか、今回も同じであると?」

 一歩間違えば侮辱されたとも取れる言葉を、ルークは逆手に取った。

「もし、リエナ姫ご本人が、あなた様に会いたくないとおっしゃったら、どうなさいますか? ――まさか、姫のお部屋に乗り込むおつもりではないでしょうが」

 チャールズ卿の言い訳は、だんだん苦しいものになってきている。あともう一歩だ、そう確信して、ルークは交渉を続けた。

「何度も言いましたが、リエナ姫と私は長い旅をともにしてきた仲間です。短時間で構いませんから、姫に会わせていただきたい。そうすれば、私の言い分が正しかったことを理解していただけるはずです」

 薄茶の瞳に宿る光が、わずかに揺れた。

「――致し方ありません。それでは、ご意向だけは伺って参りましょう」

 チャールズ卿から、ようやくこの回答を引き出したルークは、ひとまず目的の第一段階を達成できたことに安堵を覚えた。しかし、まだ油断はできない。

********

 数日後、フェアモント公爵に復興事業の説明を受けているルークの許へ、侍従が一人の老人を案内してきた。老人はリエナの侍医であると名乗り、形式通りの挨拶をしたあと、申し訳なさそうに話を始めた。

「ルーク殿下は、リエナ姫様にご面会をご所望と伺いましたが……」

 明らかに恐縮し、続きを言い淀んでいる侍医の言葉を、ルークが引き取った。

「また、リエナ姫のご体調が悪く、面会できないとでも言われる?」

「さ、左様で……」

 侍医の語尾が震えている。ルークの口調は丁寧なままであるが、殺気に近いほどの憤りを感じ取ったらしい。ルークはわざとおおげさに溜息をついてみせた。

「こう言ってはなんですが、いつまでもリエナ姫のご体調がすぐれないというのは、治療方法に問題があるとしか思えません。――どうでしょう、一度、私がローレシアから連れてきた侍医に診察させては」

 ここで、フェアモント公爵が横槍を入れた。

「ルーク殿下は、見ず知らずの人間に、リエナ姫の診察をさせようとおっしゃるのですか。いくらあなた様のご提案でも、姫に無礼だとは思われないのですか」

「無礼?」

 ルークの殺気が今度は公爵に向けられた。真っ向から斬りつけるような眼光に、思わず公爵は居すくんだが、辛うじて返答した。

「……リエナ姫は、我が国で、最も高貴な女性ですゆえ……」

 明らかに震えている公爵を見据えたまま、ルークは言葉を続けた。

「私ももちろん承知しています。ですから、こんなこともあろうかと、我が父王の侍医団から、わざわざ女性の医師を選んで伴って来たのです」

「と、とにかく今すぐには回答しかねますな。姫のご意向を確認しないことには……」

「それでしたら、早急にお願いしましょうか。姫に一日も早くご健康を取り戻していただきたいのは、あなたも私も同じはずでしょうから」

「わ……、わかりました。すぐに確認して参ります……」

 公爵は顔面蒼白になりながらも、その場だけはなんとか取り繕った。

********

 フェアモント公爵はすぐにチャールズ卿に相談することにした。自分の執務室で書類の決裁署名をしていたチャールズ卿は、血相を変えて飛び込んできた公爵に内心で舌打ちしつつも、すぐ侍女に葡萄酒を持って来るよう命じた。運ばれてきた葡萄酒を公爵は一気にあおり、更に震える手でもう一杯を呑み干して、ようやく落ち着きを取り戻したようである。それを確認したチャールズ卿は人払いすると、公爵から詳しい話を聞いた。

「リエナ姫の診察を、ルーク殿下が伴ってきた侍医にさせろと?」

 さすがのチャールズ卿も、公爵と侍医の話を聞いて耳を疑わざるを得なかった。

「そうだ、ルーク殿下はそのために、わざわざ女の侍医を連れてきたらしい……」

「よろしいですか、父上。絶対に向こうの要求を呑んではいけません」

 チャールズ卿は、公爵が独断で診察を許可しないよう、厳重に釘を刺した。

「いくら国王の侍医とはいえ、他国の医師に姫を診せるなど、絶対にいけません。ムーンブルクの威信にも係わります。こうなったら、どんなこじつけでも構いませんから、ルーク殿下には早急にローレシアにお戻りいただきましょう」

 ここでローレシアの侍医に診察などされたら、リエナの体調不良がそれほどひどくないことが明らかになってしまう。今も熱を出して臥せることが多いのは確かだが、国内外すべての公式行事を欠席しなくてはならないほどの状態ではないのである。それにもかかわらず、他国の使者、それもルークのような国賓との対面を、体調不良を理由に断っているのが露見すれば、重大な外交問題になる。ローレシアはもちろん、他の復興援助を受けている国すべてから、援助の打ち切りを申し渡されても、文句はつけられない。そればかりか、事と次第によっては、自分達の王位奪還計画にも支障をきたしかねない。

 公爵が退室した後、一人執務室に残ったチャールズ卿は、はっきりと怒りを顔に表していた。

(忌々しい若造め……! 一筋縄ではいかぬとは思っていたが、ここまで粘るとは……。だが、リエナの身柄はこちらが握っている。絶対に渡さん……!)




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