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旅路の果てに
第5章 3


 ルークとチャールズ卿の二度目の会談が行われた翌日の午後のことである。リエナは窓辺の椅子に腰掛け、中庭を眺めていた。既に春も終わりに近づいている。ローレシアやサマルトリアに比べて寒さの厳しいムーンブルクであるが、中庭の花々も、日に日に強くなる陽光をいっぱいに受けて、柔らかな色合いのものから、色鮮やかなものに変わりつつある。

 リエナはここ十日ほど、不思議に思っていることがあった。チャールズ卿の訪問がないのである。普段であれば、少なくとも週に二日、場合によっては毎日のようにリエナの居室を訪れてきては結婚申し込みの承諾を催促されていたのに、それがない。もちろん、リエナにとっては喜ばしいことではあるけれど、あまりに急な変化はかえって不安を募らせる。

 そして実のところ、こう感じたのは初めてではない。ちょうど一月ほど前、今回と同じようにチャールズ卿の訪問が極端に減ったことがあった。その時には気にはなったものの、単に多忙なだけだろうと考えただけだったのである。

 けれど、今回は自分の周囲にいつにない緊張感が漂っている気がしている。そればかりか、ごく近くに仕える侍女達が何か自分に隠している様子が伺えるから――もっとも、流石に女官長だけはまったくそんな素振りを見せなかったが――尚更だった。

 そんなことを考えていると、女官長が侍女を数人従えてリエナの居間に入って来た。

「リエナ姫様、そろそろ午後のお茶の時間でございます。お召し上がりになられますか?」

「そうね。いただくわ」

 リエナはゆったりと微笑んで頷いた。本当はほとんど食欲はなかったけれど、あまりそれを見せないようがよい。体調がよくないようだとチャールズ卿に報告が行けば、日常生活に更なる干渉が入るからである。

「かしこまりました」

 女官長は侍女達に目配せすると、侍女達は一礼して一旦部屋を下がった。ほどなくしてお茶が運ばれ、リエナの前に並べられた。リエナは侍女達に労いの声をかけて、部屋から退出するのを見届け、そして女官長が自分からほんのわずか気を逸らした隙に、気づかれないように解毒の呪文を唱えた。以前に痺れ薬を盛られて以来、自分の口にするものすべてに、あらかじめ解毒の呪文をかけるのが習慣となったのである。今ではほんの一言、誰にも聞こえないほどの小声で発動することができるようになっている。今日も幸いなことに、お茶も添えられた小菓子にも異常はない。

 優雅な手つきで茶碗を持ち、ゆっくりと口にする。一呼吸置いてさりげなさを装い、すぐそばで控えている女官長に尋ねた。

「どなたか、大切なお客様がこちらへいらっしゃっているの?」

「いいえ。どなたもご訪問なされてはおりませんが。もし賓客がいらしているのであれば、チャールズ卿からご報告があるはずでございます」

 女官長は即座に否定した。その表情は、普段とまったく変わりない。

「……そう」

「――リエナ姫様、何故そのようにお思いになられたのでございますか?」

 そう尋ねる女官長の態度にも、やはり不審な点は感じられない。

「特に理由はないわ。わたくしの勘違いだったようね」

 リエナはこれ以上追及するのを諦めていた。下手にチャールズ卿の訪問がないことを指摘すれば、まるで訪問を心待ちにしていると誤解されかねない。恐らくは復興援助を受けている国の一つから使者が来ているのであろうが、どのみち自分が対面することはない。ただいつもと違って、訪問者の存在を意図的に隠されているらしい気配をずっと感じているのが、どうしても気になるのである。

(宰相がお戻りになられたら、伺ってみようかしら)

 リエナは今朝、宰相カーティスに面会したい旨の使者を送った。最近はカーティスが多忙なこともあって面談できることも稀になっていたから、最近の復興状況について聞きたかったのである。けれど、使者が持ち帰った返事は『宰相は復興事業の急を要する案件で、ラダトームを訪問中である』というものであった。

(でも、もし本当に重要なお客様がいらしているのなら、いくら急を要すると言っても、宰相が自分へ何の連絡もなしに出立するはずはないわ。……やっぱり、わたくしの思い過ごしなのかもしれないわね)

 リエナは次期女王でありながら、単なる飾りもので、何ら実質的な権限を持っていない。それでも自分なりに現状を打破しようと、一時期はルーセント公爵ら重臣と直接面談の席を設けたこともある。けれど結果は、重臣達がフェアモント公爵家の支配下にあることを再確認させられただけに終わっていた。そればかりか、今ではリエナが呼び出しをかけても、何かと理由をつけて応じなくなっている。

 結局は軟禁状態のまま、リエナの境遇は何一つ変わっていない。チャールズ卿の求婚を断り続けられるかもわからない。日を追うごとに、確実にリエナの立場は厳しくなっている。リエナは決して諦めるつもりはないけれど、あまりの現実の厳しさに、心を強く持ち続けることが難しくなっているのもまた、事実だった。




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