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旅路の果てに
第5章 4


「ルーク殿下。先日のお申し出の件でございますが、やはり辞退させていただきたく存じます」

 チャールズ卿は、3度目となるルークとの面談の席で慎重に切り出した。前回の面談後、ルークがフェアモント公爵に、自分がローレシアから伴ってきた女性侍医にリエナの診察をさせては、と提案したことに対しての回答である。

「この提案も辞退、ですか。理由をお聞かせ願いましょうか」

「殿下はリエナ姫のご病状について、疑問をお持ちのようですが」

 ルークの問いに対し、チャールズ卿は逆に問い返した。

「疑問というわけではありません。あなたの話や公式発表から判断する限り、ローレシアにご滞在の間よりもご病状が明らかに悪化しています。必要であれば他の治療法を施すべきでしょう。ですから、私が伴ってきた侍医の診察を受けられ、今後の治療方針の判断材料にしていただきたい。そのように考えた上での申し出です」

「ですから、私どもでも最善の方法を取っております。姫のご病気の原因が旅のお疲れであることは間違いのない事実です」

 チャールズ卿は居住まいを正し、言葉を継いだ。

「――ルーク殿下、姫が過酷な旅をなさってこられたことを一番よくご承知なのは、殿下ご自身ではございませんか」

 ルークはすぐに返事を返さない。チャールズ卿が、ルークが何も言わないのは、自分の意見に反論できないからであろうと考えたその時、ふと強い気配に気づいた。それは明らかにルークから発せられている。

 ルークの背後の空気がわずかに揺れている。最初は錯覚かと思ったが、だんだんと鮮やかな光に変わっていき、はっきりとした色彩を持ち始めた。

 ――色は、深く鮮やかな、青。

 チャールズ卿は思わず青い光を凝視していた。同時に、しばらく無言だったルークが口を開いた。深い青の瞳が、チャールズ卿を捉える。

「あなたに言われるまでもなく、私達の旅は、リエナ姫にとって大変につらいものでした」

 ルークはチャールズ卿を見据え、話し続ける。

「並の精神力では、到底耐えられなかったでしょう。それを最後まで耐え抜き、目的を達成できたのは、リエナ姫の、ムーンブルクを自分の手で復興するという、信念の賜物にほかなりません。姫は今、祖国の復興に向けて、ようやく第一歩を踏み出したところです。それにもかかわらず、復興事業に形だけでしか関与できないとなると、姫ご本人はさぞや無念に思っていらっしゃるでしょう」

 ルークが放つ、深く鮮やかな青の光は、ますます強くなっていく。

 チャールズ卿はルークの背後の光に捉えられたまま、眼を逸らすことができなかった。そして、ルークと対峙して初めて、畏怖の念を抱いていた。今までは常に優位に立っていたはずなのに、いつの間にか余裕を失くしている。光の呪縛をやっとの思いで振り払い、内心の動揺を悟られないよう懸命に態勢を立て直して、かろうじて返答した。

「ルーク殿下のお話はよくわかりました。私自身もまた、リエナ姫がその様なお気持ちでいらっしゃるとお見受けいたします。ですが、姫にもすべてご了承いただいております」

 チャールズ卿はこれ以上、深い青の光に対抗できないことを悟っていた。面談を切り上げるため、深々と一礼する。

「何度も申し上げましたように、これはムーンブルクの問題でございます。すべて、私どもにお任せいただきたく存じます」

「チャールズ卿、あなたはムーンブルクの問題だと言われますが、同時にロト三国の問題でもあります。だからこそ、我がローレシアもムーンブルクへの復興の一助となると判断して今回の提案を持ってきました。その点をどうかご理解いただきたい」

「無論理解しております。貴国の多大なる援助のおかげで、復興事業が順調に進められているのですから。ですが、今回のご提案については、ムーンブルク国内で解決すべきだと議会で結論が出ている以上、辞退申し上げる他はありません。もちろん、リエナ姫にもすべてご了承いただいております」

 この後はまったく交渉が進まなかった。チャールズ卿は、すべてはムーンブルク国内の問題であるとの一点張りで、転地療養はもちろん、女侍医の診察も、最後まで拒否したのである。

 ルークの予想以上にチャールズ卿との交渉は難航していた。何より、リエナと対面できないのがもどかしい。リエナと直接会話さえできれば、救出への糸口がつかめるに違いないのだから。もちろん、チャールズ卿もそれを懸念して、転地療養はおろか、自分との対面までも阻止しているのはルークにもわかっていた。

 結局この日も、何ら収穫を得られないまま、ルークはチャールズ卿との面談を打ち切る他はなかった。

********

(何がわかる……!)

 客室へ戻った後も、ルークは憤懣やるかたない気持ちを抑えかねていた。

(リエナが戦い続けている間、チャールズ卿は何をしていた!? あの男がやっていたのは、ムーンブルクを我がものにするための策略だけだ。リエナの苦しみも、悲しみも、何一つ、理解しちゃいない……!)

 あのムーンブルク崩壊の惨劇すら、フェアモント公爵家とチャールズ卿にとっては自らの野望を成就するまたとない機会に過ぎなかったのだ。それどころか、旅の間にリエナが生命を落とすことを期待していたであろうことも容易に想像がつく。最後の王位継承者が亡くなれば、元は同じ一族である彼らが合法的に王位を奪還できる絶好の機会となる。そして間違いなく彼らは野望を実現すべく、用意周到に準備していたはずなのだから。

 今のルークの脳裏には、旅の間の記憶がありありと蘇っていた。

 戦闘を繰り返し死の恐怖と隣り合わせとなる毎日がどれだけ過酷なものか、実際に経験した者でなければ理解できるはずはない。確かにリエナは強大な魔力を持つ魔法使いであり、厳しい修行も積んできている。けれど、ほとんど外出すらしたことのない深窓の姫君が自らの魔力だけを頼りに戦い続けることが、どれだけつらく苦しいものだったのか、ともに戦ってきたルークは嫌というほど理解していた。

 旅そのものも、王女という身分からは想像もつかないような苦労の連続だった。身の回りの世話をさせる侍女一人連れて行くわけでなく、自分のことはすべて自分でやらなければならない。それどころか、普段は野宿、宿に泊れることすらまれで、料理や男二人の繕い物までこなしてきた。それでも、リエナは何一つ不満を訴えることをしなかった。

 リエナは生命を懸けて戦い抜いてきたのである。すべてはムーンブルク復興という自らの悲願を達成するために。

********

(いったい、何だったのだ、あの光は……)

 ルークとの会談を終え、執務室に戻った後も、チャールズ卿は先程目の当たりにした、深い青の光が眼に焼き付いて離れなかった。椅子に腰掛け、再びあの光について、考えを巡らせ始める。

(まさか、魂の色、か?)

 一旦はそう思ったものの、即座に自分の考えを否定する。

(そんなことがあるはずはない。あの王太子は魔力を持たない。魔力を持たない人間の魂の色が、眼に見えるはずなどない)

 魂の色は、魔法使いが呪文を発動したときにのみ、魔力の光として現れる。光の色は、瞳の色と同系色であることが多く、魔法使いの持つ魔力が強ければ強いほど、光も強く、色も鮮やかになる。

 ルークが魔力を持たないのは、間違いのない事実である。けれど、当代最高の剣の腕と強靭な意志を持つルークであるから、魔力を持たなくとも、類稀な精神力の表れとして、魂の光が眼に見えるかたちで表れたとも考えられる。光の色が深い青であったことからも、ルークの魂が発した光である可能性が高い。

(もしあれが、本当にルークの魂の光なら――)

 春も過ぎようとしているにもかかわらず、チャールズ卿は寒気を覚えていた。

(やはり、ローレシアの王太子――いや、ロトの子孫だから、なのか……?)

 あの青い光は鮮やかさといい、強さといい、尋常のものではなかった。もしルークが魔力を持っていたとしたら、自分など到底及ばないどころか、リエナにすら匹敵するだろう。そう考えざるを得ないほど、圧倒的な力を持つ光だったである。

 しかしここまで考えて、チャールズ卿はあれがルークの魂の光だったとしても、実際には何の影響もないことに気づいた。ルークも、自らが青い光を放っていたことを自覚しているのかどうか、それすらわからない。仮に自覚していたとしても、魔力を持たないルークにとって具体的な力となるものでもない。結局、チャールズ卿はこの問題はさほど重要でないと判断を下した。

(現状では、ルークがリエナを手に入れるのは不可能だ。リエナの身柄は、我がフェアモント公爵家が握っている。如何に強い魂を持っていても、今の状況では身動きはとれまい)

 けれど、一度ルークとリエナが対面すれば、自分達の優位は簡単に覆されてしまうかもしれない。こうなったらどんな手段を使ってでも、ルークにリエナを会わせることなくローレシアに帰国させる――チャールズ卿はそう決断せざるを得なかった。

********

 侍従に先導され、ルークはチャールズ卿との最後の面談の席へ向かっていた。

 ルークはいつになく緊張していた。ローレシアへの帰国の日も迫っている。また今日の面談の席は、これ以上話し合いを続ける必要がないと渋るチャールズ卿を説得し、半ば強引に設けられた。従って、直接ムーンブルクと交渉できる最後の機会となる。公式訪問前、父王からローレシアがリエナ救出の具体策を実行するのは今回限りだと申し渡されている。ここで明確な成果をあげなければ、今後一切、公式にリエナを救うための行動が取れなくなる。気を引き締めてかからなければならない。

 緊張しているのはチャールズ卿も同じらしい。今までと同じく丁重にルークを出迎えたものの、表情にはいつもほどの余裕が感じられない。

 厳重に人払いされ、緊迫感漂うなか面談が始まった。ルークの予想通り、交渉は難航を極めていた。ローレシア側の提案――湖の離宮への転地療養も、女性侍医の診察も、ムーンブルクは頑なに辞退の姿勢を崩さなかったのである。

「こちらの提案をことごとく拒否されるとなると、ロト三国宗主国である、我がローレシアと、国王アレフ11世の厚意を踏みにじると解釈せざるを得ません」

 ルークは粘り強く交渉を続けながら、故意に挑発とも取れる言葉を投げかける。

「ルーク殿下、はっきりと申し上げましょう。貴国のご提案は、我がムーンブルクにとっては内政干渉です」

 答えるチャールズ卿の声にも流石に不快感が滲んでいる。

「内政干渉と言われる? ――我が国としては、聞き捨てならぬ言葉ですね」

 ルークの方もはっきりと不快感を表した。

「畏れながら。リエナ姫の居所をローレシアへ移すのですから、そう申し上げる他はありません」

 チャールズ卿もできれば、この言葉を出さずに事をおさめたかったが、それでは埒が明かないと判断し、敢えて出したのだった。

「ローレシアはあくまでリエナ姫のご回復を願って申し出たことです。ところで、リエナ姫はどのようにおっしゃっているのですか? 姫ご自身も、転地療養のために我が国に一時的に滞在なさることが、内政干渉にあたるとお考えなのでしょうか?」

「ここでは、リエナ姫のご意見は関係ありません。議会で『内政干渉である』との結論がでたのですから」

「前々回の面談で、私から転地療養を勧めるためにリエナ姫を見舞いたいと申し出ました。それに対してあなたは、姫にご意向を伺うと言われました。ですが、見舞いはおろか、姫がどのようにおっしゃったのかすら回答をいただいていませんが、まさかお忘れではありますまい?」

「ルーク殿下、もちろん記憶しております。ですが、これ以上何をおっしゃろうと、あなた様に姫にお会いいただくわけには参りません」

 ここで、チャールズ卿は覚えのある気配に気づいた。ルークの背後の空気が揺れ、見る間に深く鮮やかな青い光に変化した。チャールズ卿は一瞬我を忘れそうになった。一度は影響などないと判断したにもかかわらず、再びルークの魂の光を目の当たりにして、あまりの威圧感に押しつぶされそうになる。

「リエナ姫への見舞いすら無理だと言われる。ここまで拒否が続くと、姫を私に会わせたくないとしか思えません」

 深い青の光はますます強くなり、チャールズ卿を圧倒する。チャールズ卿は懸命に対抗すべく、気力を振り絞って、ルークを見据えた。

「理由は何度もご説明したはずです。貴国のご提案は、我が国にとっての内政干渉であり、リエナ姫ご自身も辞退されている、これ以上、何を申し上げろとおっしゃるのですか」

「ですが、私自身がリエナ姫から直接伺ったわけではありません。単なる伝聞でおめおめと引き下がるとでも思われたのですか」

「ですから、あなたにお会いすること自体を、リエナ姫が拒否なさっているのです」

「リエナ姫が、私と対面することを拒否……?」

 この言葉に、ルークは少なからず衝撃を受けていた。

「畏れながら、その通りです」

 深く鮮やかな青の光が、わずかに翳りを見せる。ほんの一瞬、ルークの返答が遅れた。その隙をついて、チャールズ卿が断言した。

「ルーク殿下。私どもも、ローレシアに深く感謝しているのです。ですが、いくらご厚意といえど、明らかな内政干渉を許すわけには参りません。アレフ11世陛下にも、その旨ご伝言いただきますよう、よろしくお願い申し上げます」

 それだけ言うと、ルークの返答を待つことなくチャールズ卿は席を立った。深々と一礼し、ルークを残したまま退室していった。

 交渉は決裂した。

********

 チャールズ卿は足早に廊下を歩いていた。きわどいところでローレシアの要求をすべて退けることができたが、勝利したという実感はない。今までなら、常に主導権を握り、余裕を持って交渉を有利に進めてこられたのに、今回は半ば逃げるように席を立ち、強引に交渉を終了させたからだった。

 同時に、激しい焦燥感に苛まれていた。これ以上、ルークとローレシアに一切の関与を許さないために、強硬策に出ざるを得ないと結論した。

********

 席に一人残されたルークは、半ば呆然と一点を見据えていた。リエナを救い出すどころか、直接会うことすらできなかったのだ。ルークは言い様のない敗北感に打ちのめされ、しばらくは席を立つことも難しかった。

『リエナが自分との対面を拒否している』チャールズ卿は間違いなくそう言った。そしてルークは、チャールズ卿の言葉をすぐに否定できなかったのである。

 旅の最後の日に、自分がリエナに告げた言葉が脳裏によみがえる。1年待って欲しい、必ず正式に結婚を申し込みに行く、ルークはリエナにそう約束した。1年という約束を果たすこともできなかったけれど、ルークは決して諦めたわけではない。

 しかし、リエナの方は、最初から自分との結婚は無理だと思い詰めている。約束にしても、リエナからははっきりとした回答は得られなかったが、それでも心のどこかでは、自分を待っていてくれたのかもしれない。なのに、自分は約束を果たせなかった。リエナにしてみれば、やはり無理だったと諦めざるを得ないだろう。それならばもう二度と会わない方がいい、その思いから自分との対面を拒否したのかもしれないとルークは思い至った――これが、チャールズ卿への返答が遅れた理由である。

 そして、この一瞬の遅れが、勝敗の分かれ目となってしまった。激しい後悔の念に、ルークの逞しい肩が小刻みに震えている。

 ローレシアとルークの懸命の努力にもかかわらず、リエナを取り巻く状況は何一つ変えることができなかった。

(リエナ……! 俺にはもう、お前を救う手立ては残されていないのか……? お前に会うことすら、許されないのか?)




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