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旅路の果てに
第5章 5


 ルークがローレシアへ帰国する日を迎えた。

 重臣を代表して、チャールズ卿が挨拶の口上を述べ始める。

「ルーク殿下、今回のご訪問での数々のご厚意、ムーンブルク国民を代表して感謝の意を表します。リエナ姫もお見送りにいらっしゃる予定でございましたが、未だ臥せっておられ、伝言でのご挨拶のみとする失礼をお許し願います」

「ローレシアとしては大変残念な結果となりました。ですが、我が国がムーンブルクの復興を心から願っていることだけは、お忘れなきよう願います」

「もちろん、承知しております」

「リエナ姫へはくれぐれも、最高の治療と療養の環境を用意して差し上げてください」

「御意、殿下。すべては私どもへお任せを」

 チャールズ卿も口では殊勝なことを言ってはいても、彼自身の策略の結果である。薄い唇の端にわずかに浮かべられた勝利の笑みに、ルークは自分の敗北を突きつけられた思いがした。苦々しいことこの上ないが、それをおくびにも出さずに鷹揚に頷きを返すと、重臣達が控えている場所に視線を移した。

「――ところで、カーティス殿はまだ戻られていないようですね」

 見送りに現れた大勢の重臣のなかに、宰相カーティスの姿はなかった。チャールズ卿は恐縮したふうに答えた。

「左様でございます。今しばらく訪問先に滞在の予定でございますゆえ、お見送りできないことをご容赦くださいませ」

「わかりました。では、私がよろしく言っていたと伝えてください」

「謹んで承りました」

 チャールズ卿は深く一礼した。

 ルークはおもむろに自分の侍従に目配せした。侍従は一礼してルークの横に跪き、一通の書状を掲げた。

「チャールズ卿、こちらを」

 書状の封筒にはローレシア王家の紋章が摺られている。しかし、先日の王の親書とは位置が違う――王太子であるルーク専用のものである。

「こちらはルーク殿下の親書でございますか?」

「そうです。リエナ姫にお渡しいただきたい」

「姫へ、でございますか?」

「私からの見舞いの書状です」

 ほんの一瞬、チャールズ卿の顔に何とも言い難い表情が浮かぶ。この後に及んで何を無駄なことをとでも考えているのだろう――ルークはそう思っていたが、予想済みのことである。チャールズ卿も既に元の殊勝な態度に戻っている。

「かしこまりました。お心遣い、リエナ姫に代わりまして御礼を申し上げます。姫もさぞやお喜びになられるかと存じます」

 ルークもできればチャールズ卿にではなく、カーティスに手渡したかったのであるが、まだ訪問先から戻っていない以上致し方ない。ここでできるのは、せめて大勢の前で手渡し、自分がリエナに親書をしたためた事実を知らしめることだけだった。

********

 ルークを見送ったチャールズ卿は、自分の執務室へ向かっていた。手には、ルークの親書が握られている。

 執務室に入るやいなや、チャールズ卿は人払いし、厳重に鍵をかけた。椅子に座ることすらせず、ルークの親書の封を切る。

 チャールズ卿はもとよりリエナにこの親書を渡す気はない。最初はそのまま処分しようと考えたのだが、もしかしたら、今後何か問題が起きた時の証拠となるかもしれないと思い直したのである。

 親書自体は、ルークが言った通りの王族の儀礼に則った見舞い状だった。しかし書状を広げた瞬間、チャールズ卿はそこに書かれた文字に驚かされていた。かっちりとして力強く、ルークが何事にも動じない強靭な精神力の持ち主であることがわかる。

 また読み進むにつれ、チャールズ卿は唸らざるを得なくなっていた。文章も、簡潔かつ相手を見舞う真情に溢れている。文字も文章も、いかにも大国の王太子にふさわしい堂々たるものだったのである。

 内容もあらかじめ自分らに読まれる可能性を考慮したものだった。いくら見舞いの親書とはいえ、公式の書状であるから、リエナ以外の人物に読まれるのは当然である。そんな書状に、自分とリエナの不利になるようなことを書くわけがない。

 恐らくルークは、自分のムーンブルクへの公式訪問すらリエナに知らされていないことに気づいていたのだろう。親書も最初から素直にリエナに渡るとは考えていないに違いない。それでもせめて、自分が訪問した事実だけでもリエナに伝えるべく、万に一つの可能性に賭けて、この書状をしたためたのだと想像がついた。

 チャールズ卿は思わず親書を握りしめていた。ルークが優秀な後継者として評判なのは承知していた。今回の訪問で、自分と対等に近い交渉能力を見せたことも身に沁みて知っている。しかし、これだけの文字と文章を書くことができるとは意外だった。父公爵などは、剣を振り回すしか能がないなどと評しているが、とんでもない間違いである。

 チャールズ卿はあらためて、首の皮一枚残した状態での勝利だったことを実感していた。

 薄茶色の瞳が酷薄に光る。同時に、薄い唇から詠唱が漏れた。

 チャールズ卿の手のひらの上で、書状が炎に包まれた。あっという間に灰になったそれを再び握りしめる。手には火傷を負ったはずなのに、今は痛みすら感じていないらしい。そのまましばらく立ち尽くしていたが、やがて回復の呪文を唱えて手を拭い、何事もなかったかのように執務室を後にした。

********

 その夜、チャールズ卿、フェアモント公爵、つい先ほどラダトームから戻ってきたばかりの宰相カーティスの三人で、会談が秘かに行われた。

「チャールズ卿、ローレシアとの会談の結果は如何でしたか」

 カーティスが尋ねた。

「転地療養をはじめ、すべて辞退しました」

 淡々と答えるチャールズ卿を公爵が補足する。

「他にもルーク殿下はいろいろと申し出られたがな、チャールズが拒否したのだ」

「いろいろとは、ルーク殿下のお見舞いなどでしょうか?」

「そうだ。他にも、ローレシアから連れてきた女侍医に診察させろとまで言いおったわ。リエナ姫をどこの馬の骨ともしれん医師に診せるなどできぬからな。無論、断ったのだ」

「父上、いくらなんでも『馬の骨』呼ばわりは如何かとは思いますが。仮にもローレシア国王の侍医団の一人ですからな」

 公爵の発言をさり気なく諌めつつ、チャールズ卿はカーティスに向かって言った。

「父の言う通りです。ローレシアからの要求――もっとも、先方の言い分では『復興援助の一環としての申し出』だそうですが、転地療養、女侍医の診察、ルーク殿下の見舞い、すべて辞退しました」

「すべてを辞退、ですか」

「ええ。明らかに我が国への内政干渉と判断しましたから」

「何故でしょうか? 転地療養や診察はともかく、ルーク殿下の見舞いの申し出すら断ったなど、大変な無礼にあたるではありませんか」

 カーティスは、転地療養の実現を願いつつも、実際には非常に難しいのではないかと考えていた。けれど、まさか見舞いまで拒絶できたとは思わなかったのである。

 しかし考えてみれば、チャールズ卿がルークの見舞いを拒絶したのは当然だった。一度でもルークがリエナと対面して直接会話を交わせば、転地療養が実現する可能性が出てくるからである。チャールズ卿もそれを承知している以上、どんな方法を採ってでも拒絶するに違いない。断るための口実も、こじつけに近いほど強引なものだったのだろうと想像がつく。

 ここで公爵が口を挟んだ。

「ローレシアはこの機に乗じて、我がムーンブルクを属国にしようと企んだとしか考えられぬのでな。一度でも先方の言い分を聞きいれたら、後はなし崩しに要求を呑まねばならん。それに、最初からルーク殿下の訪問をリエナ姫には知らせないことになっておったのだ。今更見舞いなど必要ないではないか」

 これを聞いて、カーティスは突然ラダトームへ派遣された理由を悟っていた。ラダトームで重要な問題が発生したことは事実であったし、自分が行かなければまだ問題は解決していなかったのも確かだった。けれど、チャールズ卿にしてみれば、起きた問題にかこつけて自分を交渉の席から外すことができたのだから、まさに僥倖だっただろう。逆にルークにとっては、あまりにも時機が悪かったことになる。

 ルークが交渉に全力を尽くしたことは間違いない。それでも、相手がチャールズ卿となると、相当な交渉能力を持っているルークであっても困難を極めるだろうとも予想していた。もし自分が同席していれば、もうすこし別な展開があったかもしれないと思うと、今更ながら臍を噛む思いだった。

 反論できずにいるカーティスを一瞥して、チャールズ卿が言う。

「今回のローレシアの要求はすべて拒否できましたが、今後同じ展開となる可能性があります」

「確かに、あれで諦めるルーク殿下とも思えんな。剣を振り回すだけしか能のない若造かと思いきや、意外なほどしぶとかった」

「父上のおっしゃる通りです。あの王太子殿下は意思が大変お強い。一度こうと決めたら、そう簡単には引き下がってくださらないでしょう。そこで、お二人に提案があります」

 チャールズ卿は公爵とカーティスの両方に視線を向けると、言葉を継いだ。

「リエナ姫と私の婚約を正式に発表します」

「お待ちください!」

 異議を唱えるカーティスに、チャールズ卿は感情の籠らない視線を向けた。

「宰相、何か問題でも?」

「リエナ殿下は、あなたの結婚申し込みをお受けになられたのですか? 少なくとも私は、リエナ殿下はお断りになっているとしか認識しておりません」

「あなたの言われる通りです。姫はまだ断っておられますよ」

「リエナ殿下ご本人のご意向を無視して、婚約を強行すると言われるのですか!?」

「ここまで来たら、致し方ありませんでしょう。姫がうんと言われるのを待っていたら、一向に埒があきません」

「あまりにも無礼ではありませんか!? リエナ殿下は、我がムーンブルク王家最後の王女殿下です。王配となられる御方には、ムーンブルク復興にも重要な役割を果たしていただかねばならないのですよ!」

 チャールズ卿の薄茶の瞳が酷薄に光り、カーティスを捉えた。

「ほう。では宰相は、私では不足だと言われるわけですか。ムーンブルク筆頭公爵家であるフェアモント家の出身であり、また、復興事業における実質的な最高責任者でもある、この私が」

 カーティスは言葉に詰まった。チャールズ卿の言ったことはすべて事実だったからである。条件だけをみれば、王配として充分なものなのだ。反論するためには、フェアモント公爵家による王位奪還の陰謀とリエナの暗殺計画を持ち出すしかないが、まさか今この席で言及するわけにはいかない。もっとも、フェアモント公爵はともかく、チャールズ卿にはこちらがその事実を把握していることすら、既に気づかれている可能性は高かったが。

「とにかく時間がありません。ローレシアが次の手を打って来るその前に、こちらが先手を打つ必要があります」

「チャールズの言う通りだ。チャールズがリエナ姫の王配になれば、ムーンブルクだけではなく、姫ご本人のためにもなる。議会に諮れば、すぐにでも承認されるだろう」

 公爵がしたり顔で頷いている。

「具体的な時期については議会での審議次第ですが、今のところ婚約発表をこの秋か遅くとも年明け早々に、そして婚礼の儀を春頃にと考えています」

 カーティスを無視して、チャールズ卿はどんどん話を進めて行く。

「そうだな。時期としてはその頃がいいだろう」

 公爵も同意した。

「そこまで急ぐ必要はないのではありませんか? 次期女王の婚礼となれば、準備にも時間が必要です」

 せめてすこしでも時期を遅らすしかないと、カーティスが提案したが、チャールズ卿もカーティスの思惑など最初から承知している。

「宰相ともあろう方が、この期に及んで何を言われるのです? 我がムーンブルクの危機を回避するためには、そのような悠長なことを言っていられないとご理解いただいているはずだと思いましたが」

 更にチャールズ卿は話を続ける。

「ああ、それから、お二人にお願いしたいことがあります」

「何だ? チャールズ」

「リエナ姫と私との婚約発表の件は、今しばらく姫ご本人のお耳には入れないでいて欲しいのです」

「何故だ? 早くにお知らせして、心構えをしておいていただかねばならんのではないか?」

 公爵の疑問にチャールズ卿が答えた。

「万が一、姫からローレシアへ情報が漏れたら困ります。どこで密偵の眼が光っているかもわかりませんから。しかるべき時――そうですね、公式の婚約発表の直前がいいでしょうな。私から直接リエナ姫にお知らせしますよ。ですから、姫のお側付きの者たちの耳にも入れないよう、徹底することにしましょう」

「そうだな。噂好きの若い侍女が聞けば、恰好の話題になるに違いない。不用意にしゃべり散らされたら困った事態になりかねん」

「そういうことです。――では、早急に議会を招集し、審議することといたしましょう」

 チャールズ卿は宣言すると、席を立った。




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