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旅路の果てに
第5章 6


 傷心をかかえたままローレシアに帰国したルークは、旅装を解くやいなや、ただちに父王へ面談を申し込んだ。かなり夜遅い時間だったにもかかわらず、王からはすぐに執務室に来るよう返事が来た。

 厳しい表情で執務室に現れたルークに、迎え入れた宰相バイロンは結果が思わしいものではなかったのだと、表情を曇らせた。

「父上、ただいま帰国いたしました」

「大儀だったな、ルーク」

 王もバイロン同様、ルークの様子から結果がどうだったのかは既に予想がついていた。

「深夜にもかかわらずお時間を頂戴したこと、感謝いたします」

「挨拶は抜きでよい。結果を聞こう」

「――残念ながら、リエナ姫のローレシアへの転地療養は辞退されました」

 続けてルークは、王とバイロンに詳しい交渉の経緯を話した。

「転地療養はおろか、侍医の診察もそなたの見舞いまでもを、すべて辞退、か」

 ルークの説明を聞き終わった王の表情は厳しいものになっている。

「チャールズ卿は殿下のお見舞いすら、断ったとおっしゃるのですか?」

 バイロンもすぐには信じ難いようだった。

「そうだ。私も粘ったが、最後はリエナ姫ご本人が私との面談を拒否しているとまで言われた。今回の私の公式訪問も姫には知らされているとは思えない。せめて訪問の事実だけでも伝えられればと最後に見舞いの親書を渡したが、恐らく姫の手許には届いていないだろう」

 答えながらルークは再び敗北感に打ちひしがれていた。あの時、もっと自分が早く反論していれば――普段は後悔とは無縁なはずのルークも、今回ばかりは悔やんでも悔やみきれないほどだった。

 バイロンが白い顎鬚に手をやりながら、意見を述べ始める。

「ロト三国宗主国の国王であらせられる陛下の親書すら先方を動かすことができないとは、よほどのことでございます。チャールズ卿は、最初から我が国の申し出をすべて拒絶すると決めていたのでしょう。また、ルーク殿下のお見舞いすら断ったとは、リエナ姫様に会わせるつもりもなかったとしか思えませぬな。殿下のお話を伺う限り、チャールズ卿はかなり強引に事を進めております。かといって、こちらも同じことをすれば、事と次第によっては不敬罪に問われるやもしれませぬ」

「バイロンの言う通りだろう。ルーク、そなたが全力で交渉にあたったことはわしにもわかる」

 バイロンの言葉を王も肯定せざるを得なかった。ルークはぎりぎりのところで交渉している。これでもし、ルークが見舞いの名目であっても、許可なくリエナの部屋を訪問するなどの強硬手段に出たとすれば、その場で身柄を拘束されても文句は言えないのである。また交渉の場がムーンブルクである以上、最初からある程度の不利は仕方ないことだった。

「ですが、父上が親書までご用意くださったにもかかわらず、何一つリエナ姫の境遇を変えることができなかったのは事実です。すべては私の力不足が原因です」

 更にルークが話を続けようとしたその時、執務室の扉を遠慮がちに叩く音がした。厳重に人払いを命じてあるにもかかわらず、このようにするのは余程の事態である。バイロンが扉を開けると、腹心の年配の侍従が立っている。

「どうしたのだ。緊急事態以外での入室はまかりならぬと申し渡したはずだが」

 侍従は深く一礼した後、そっとバイロンに耳打ちした。事情を知ったバイロンは王とルークに許可を得て、一旦退室した。

 侍従に案内されて入った執務室の控えの間には、ムーンブルクへ派遣されていたはずの密偵が待っていた。この密偵はフェアモント公爵を担当している。しかるべき筋を通してさりげなく公爵に取り入り、今ではお気に入りの取り巻きの一人となっている。

「何事があった」

 問うバイロンに、密偵は跪いた。相当急いで帰って来たらしく、顔には疲労の色が濃い。

「無礼は重々承知のうえでございます。急遽ご報告申し上げたい情報を入手いたしました。どうぞ、陛下とルーク殿下へお目通りを」

 密偵の様子に事情を察したバイロンは、侍従に引き続き厳重な人払いを命じ、密偵を執務室に連れて行った。

「陛下、ルーク殿下。この者が至急ご報告申し上げたい情報があるとのことでございます」

 バイロンに促され、密偵は王とルークの前に頭を垂れて跪いた。

「陛下、ルーク殿下。謁見を賜り、恐縮でございます。なにとぞ、突然の無礼をお許しくださいませ」

「緊急とのことゆえ、堅苦しい挨拶は不要だ。申してみよ」

 王自らの問いに、密偵は緊張した表情のまま一気に話した。

「リエナ殿下はまもなくご婚約遊ばされます。お相手はフェアモント公爵家次男のチャールズ卿様で、正式発表は早ければ秋、遅くとも年明け早々に、また来年春にはご婚儀が執り行われるとのことでございます」

 ルークはもちろんのこと、王もバイロンも一瞬耳を疑っていた。

「そんな、馬鹿な……!?」

 思わずルークがうめき声を漏らした。

「私はつい先ほどムーンブルクから帰国したばかりだ。だが、そんな気配は微塵も感じなかった。いったいどういうことだ!?」

 殺気に近いほどのルークの剣幕に、密偵は身体を震わせた。バイロンがやんわりとルークを諌める。

「殿下、お気持ちはわかりますが、まずはこの者の話を聞くべきではございませぬかな」

 ルークも頭に血が昇っているのは自覚している。すぐさま謝罪した。

「すまない、続けてくれ」

「畏れながら、ルーク殿下が信じられないと仰せになるのはもっともでございます。殿下のムーンブルクご滞在中には、そのような気配は一切ございませんでした。ただ今申し上げたリエナ殿下ご婚約は、ルーク殿下がご帰国遊ばされた直後に決まったものでございます」

「私の帰国直後?」

「左様にございます。殿下がご帰国の途に就かれた後、入れ替わりに宰相カーティス閣下がご訪問先のラダトームより戻られました。そして、つい先ほど、カーティス閣下、フェアモント公爵様、チャールズ卿様の御三方により話し合いの席が設けられ、そこで決定した事実でございます」

 続けてバイロンが密偵に問いかけた。

「あのリエナ姫様がこれほど急にご結婚を承諾なさるとは到底信じられぬ。もしや、何か理由があるのではないのか?」

 密偵は神妙に答えた。

「閣下の仰せの通りでございます。リエナ殿下はご自分の健康がすぐれないことを理由に、今もチャールズ卿様のご結婚申し込みを断っておいでです。しかしあまりにも拒否が続くため、フェアモント公爵様及び宰相カーティス閣下と相談のうえ、リエナ殿下には無断で婚約発表を強行する由にございます」

「無断で婚約を強行する?」

 これもルークには俄かには信じ難かった。仮にも一国の次期女王の婚姻である。ましてや、ムーンブルクは復興事業が始まったばかりであり、女王の夫の果たすべき役割は通常の王配とは比べ物にならないほど重要なのだ。

 何よりもリエナの意思を無視している事実が許し難い。ルークは怒りに我を忘れそうになるが、必死でそれを抑えつけた。

「宰相カーティス殿が婚約を認めたのも解せませんな」

 バイロンも疑問を呈した。

「残念ながら、これについてはまだはっきりとした事実はわかりかねます」

 続いて密偵は、自分が情報を得た経緯を説明した。

 密偵がこの情報を得たのは半ば偶然だった。チャールズ卿との会談を終えたフェアモント公爵の機嫌が妙によいことを不審に思った密偵が、それとなく鎌をかけたところ、近々婚約するようなことをほのめかされたのである。

 驚愕した密偵はそんな気配はおくびにも出さず、言葉巧みに更に詳しい情報を引き出した。フェアモント公爵はチャールズ卿と違い、今一つ事態を把握しきれていないことが多い上に口が軽い。うまく誘導すれば、思わぬところで重要な機密を得ることができるのである。

「本来ならば、カーティス閣下についても調査すべきところですが、まずはリエナ殿下ご婚約の情報をお伝えすべきと判断いたしました」

「それでよい。カーティス殿については、あらためて調査をすれば済む」

 バイロンはそう言って、続きを促した。

「私が調査しております限り、カーティス閣下はずっとご結婚に反対なさっておられます。ですが、現状ではフェアモント公爵家の勢力が非常に強く、孤立無援でいらっしゃいます。以下は私の推測でございますが、ご婚約を阻止するためには、フェアモント公爵家による王位奪還の計画を突きつけるより方法がありません。ですが、明らかな証拠が存在しない以上、それは不可能ではないかと」

 密偵の意見はもっともだった。カーティスの反対を押し切ってチャールズ卿が強行したと考えるのが妥当である。

「お前の推測が正しいだろう。ご苦労だった」

 バイロンが密偵を労うと王とルークに向かい、報告を終了してよいか眼で問うた。二人の了承を確認して密偵に新たな指示を与える。

「今夜はもう遅い。明朝ムーンブルクに帰国し、引き続き調査を行うのだ。何か不審な点があればすぐに報告すること、よいな」

「かしこまりました、バイロン閣下。ですが、これからムーンブルクへ戻りたいと存じます。今のフェアモント公爵様は私を微塵も疑っておりません。ですが、もし明朝呼び出しを受け、不在となりますと、疑われる可能性が出て参りますので」

「確かにお前の言う通りだ。大儀だが、引き続きよろしく頼む」

 密偵は平伏すると王とルークにも挨拶の口上を述べ、執務室を退室した。

********

 その後も、三人での話し合いは続いていた。

「まずいことになりましたな。まさか、こんなに早い段階でチャールズ卿が強行手段に出るとは……」

 普段は穏やかなバイロンも、流石に沈痛な表情になっている。王も難しい顔で腕を組んだ。

「チャールズ卿は焦ったのであろう。これ以上ローレシアに干渉される前に、一気に決着をつけようと考えたとしてもおかしくはない」

「左様でございましょうな。リエナ姫様の方は、毒を盛られた事実がある以上、いくら国のためとはいえ素直にご結婚を承諾するとは思えませぬ」

 話を続ける王とバイロンの横で、ルークはずっと考え込んでいる。やがて、意を決して話しだした。

「父上」

「何だ」

「今一度、私に機会をお与えください」

 王の表情が一層厳しいものに変わる。ルークの言葉は王の予想通りだった。

「見苦しいぞ、ルーク。わしは最初から一度限りと申し渡したはずだ」

 ルークも一度限りだということは、重々承知である。それでも、このまま見過ごすことなど到底できなかった。

「フェアモント公爵家の横暴を許すと仰せになるのですか!? リエナ姫のご意思を無視して婚約を強行するなど言語道断です。第一、リエナ姫の御身が危険にさらされている事実は変わりません。父上もすべてご承知のはずではありませんか!」

「言われずともわかっておる。だから、本来ならば許可できない転地療養も許可した。しかし、ムーンブルクからは内政干渉だと突っぱねられたのだ。それどころか、そなたはリエナ姫と対面することすらできておらん。現状のまま、更に我が国から何かを提案して、それが原因で関係が悪化する事態に陥ったらどうなるかはそなたにも理解できよう。結果として復興援助を取りやめることも視野に入れねばならんのだぞ」

 ルークは言葉に詰まった。ローレシアが復興援助をやめれば、サマルトリアを始めとする他国も一斉に援助から手を引く可能性が高い。もしそうなれば、ムーンブルク復興は永久に不可能となる。

 押し黙ったままの息子に、王は諭すように言い聞かせた。

「これ以上ローレシアができることは何もないのだ。――わかったな」

 バイロンもルークがこのまま簡単に諦めるとは思っていない。穏やかに説得を試みた。

「ルーク殿下、この老体にも殿下のお気持ちは理解できますが、陛下の仰せの通りになさるより致し方ないと存じます。殿下はでき得る限りの努力をなされました。後は運を天に任せるよりほかないかと」

「よいか、ルーク。決して独断で動くな。そなたの行動如何によっては、ムーンブルクへの援助打ち切りどころかローレシアを危機に晒すことになる。それを肝に銘じておけ」

「しかし……!」

 なおも食い下がるルークに、王は言い渡した。

「これは国王命令だ。――下がってよい」

 取りつく島もなかった。ルークは肩を震わせたまま、それでも丁寧に一礼すると、父王の執務室から退出した。




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