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旅路の果てに
第5章 7


 父王と宰相バイロンとの話し合いを終え、ルークは自室に戻った。寝支度を済ませて寝台に横たわった後も、ずっと考え続けていた。

(――俺はどうすればいい?)

 自分としては、でき得る限りの努力をした。けれど、ムーンブルク側の強硬姿勢は最後まで変わらず、チャールズ卿との最後の交渉が失敗に終わっている。ローレシアへの転地療養はおろか、リエナ本人に会うことすらかなわなかった。正に完敗である。

 再び、敗北の原因を見つめ直すことにする。

 ルークはリエナを全身全霊で愛している。リエナも今もなお、自分を愛していてくれていると信じている。それゆえに、甘い考え――リエナは自分が会いたいと願えば必ず会ってくれるはず――を持っていたのだろう。今になってようやくそのことに気づいていた。自分の方は、一年という約束を果たすことができなかったというのに。

 チャールズ卿からリエナが自分と会うこと自体を拒否していると告げられた時、最初ルークは信じられなかった。しかし同時に、いかにもリエナらしい返答だとも納得していた。見舞いの申し出をチャールズ卿が独断で握りつぶし、リエナには自分の訪問の事実すら知らせていないだろうと確信していたにもかかわらずである。チャールズ卿の言葉をきっかけに、一度に様々な思考が渦巻き、結果として返答が遅れたのである。そして、その一瞬の遅れが敗北につながった。

 あらためて原因がはっきりしたところで、ルークはこの件について考えるのをやめた。もちろん失敗を教訓として次回につなげることはするけれど、過去を振り返るばかりでは何ら解決策にはつながらないからだ。

 ルークは新たな方策を求めて、沈思し始めた。

 しかし、いくら考えても、これ以上何も方法が浮かばない。夜明けも近い時刻だというのに眠りは一向に訪れてくれず、何度も寝返りを打っている。

(こうなれば、いっそのこと……)

 突然、自分でも思いがけない考えが頭をよぎる。思わず、身体を起こしていた。

(馬鹿なことを……)

 すぐに慌てて否定した。あまりにも非現実的な方法だったからである。

(俺はローレシアの王太子だ。どんなことがあっても自分の義務と責任を果たさなければならない。いくらリエナを救い出すためであっても、こんな方法は絶対に許されない)

 それでもすぐには頭から離れてくれず、そのまま考え続けていた。

(この方法を採れば、確実にリエナの生命だけは守ることだけはできる。しかし……)

 気がついた時には窓から朝日が差し込んでいる。

(俺は、誰もが認める形でリエナと結婚して、ともにムーンブルクを復興する。それができなければ、あいつを幸せにしたとは言えない)

 ルークは頭からその考えを無理やり振り払った。そして寝台から降りると、剣の稽古の支度のために隣室に控える侍従を呼んだ。

********

 数日後の午後、ルークは厩舎に向かっていた。ひさしぶりに遠乗りに出かけようというのである。

 厩番に頼んで愛馬を出してもらい、鞍を置く。

 数人の侍従達とともに、海の反対側にある裏門から城外に出た。眼の前には広大な草原が広がり、初夏の日差しと緑が眼に眩しい。ルークは眼を細めて草原を見渡すと、侍従達を振り返った。

「伴は不要だ」

 一言そう言い捨てると、いきなり駆け出した。こうなれば、追いかけるだけ無駄である。ルークの愛馬は選りすぐりの駿馬であるのはもちろんのこと、馬術の腕前もローレシアで右に出るものはいない。本気で駆け出したら、誰一人としてまともについていくことすら難しい。侍従達は揃って、後ろ姿を見送るしかなかった。

 侍従達はルークに護衛など無用であることも承知している。途中で魔物の集団に襲われたとしても――もっとも、最近ではほとんど姿を見ることもなくなっていたが――魔物達が返り討ちに遭うだけなのが目に見えているし、仮に負傷しても、魔力を持たないルークは薬草と毒消し草を必ず携帯している。

 もし王や宰相バイロンにこのことが知れたとしても、叱責を受けることすらないだろう。数日前にムーンブルクから帰国した後、王太子としての公務はきちんとこなしていたものの、厳しい表情で考え込んでいることが多かった。侍従達も先日のムーンブルク訪問での交渉が決裂に終わったことを知っている。ルークがせめてもの気晴らしにと、愛馬を駆って遠乗りに出かけたくなる気持ちはよく理解できていた。

********

 ルークは無心で駆け続けていた。

 気がついた時には既に平原を過ぎ、大小の湖が点在する地帯に入っていた。

 手綱を引き、荒い息を整えながら前方を見た。この辺りは、ローレシア国内でも特に風光明媚なことで知られていた。雄大な山々を背景に、澄みきった空の青さと木々の緑、更には湖面に反射する光が織り成す風景はまさに絶景である。また一際大きな湖のほとりには、王家の離宮――湖畔の離宮と呼ばれている――がある。春から秋にかけて滞在するために造られた離宮で、特に初夏の今が一年でもっとも過ごしやすい。

(俺の交渉がうまくいっていれば、リエナはここで静養できていたんだ……)

 ルークは離宮を複雑な思いで見つめ、同時にリエナとの出会った頃を思い出していた。

 リエナとの出会いの場となった、ムーンブルク城での彼女の成人を祝う舞踏会――ルークとリエナの見合いの席でもあった――の翌日、当時存命だったムーンブルク王太子妃主催のお茶会に、ルークはアーサーらとともに招待された。リエナも同席したのだが、こういった華やかな席をあまり得意としないルークはなかなか会話がはずまず、気を利かせた王太子妃がルークに趣味が何かを質問して、遠乗りの話題になった。

 これをきっかけに、ルークもようやく会話らしい会話を始めることができ、リエナの亡き兄王太子が、さりげなく彼女にルークとの遠乗りを勧めたのだった。

(確か俺は、「機会がありましたら、ぜひご一緒に」と答えたんだ)

 そのとき自分に向けられた、リエナのはにかんだような初々しい笑顔がよみがえる。二人で湖を訪れることができたらどんなに楽しいだろうか、リエナは乗馬が苦手だと聞いたから、自分の前に乗せてゆったりと馬を走らせればいい――

(いつか、リエナと二人でこの景色を一緒に眺めたい――そう思った)

 その時にはムーンブルク崩壊が起こるなど夢にも考えなかった。惨劇から既に4年近くの歳月が経っている。本来ならば今頃は、リエナはローレシアの王太子妃として自分とともに人生を歩んでいるはずだった。しかし、約束されたはずの幸福は一夜にして儚く消え去った。それでもリエナは、言葉では言い尽くせないほどの苦しみと悲しみとを乗り越え、ルークとアーサーとともに、大神官ハーゴンと破壊神シドーを倒したのである。

 自らムーンブルクを復興させるために。

 しかし、凱旋したリエナを待っていた現実は、あまりに過酷なものだった。

 ――リエナを救いたい。自分の、この手で、幸せにしたい。

 心の底から溢れ出る激情に、今も身体が震えてくる。

 しかし現実は、父王に『これ以上ローレシアができることは何もない』と言い渡されている。その夜、眠れぬままによぎったある考えが、あれからどうしても頭を離れない。今の自分に可能な、ただ一つのリエナの生命を救う方法。――しかしそれを実行するには、決して許されない大罪を犯さなくてはならない。

 もう時間は残されていなかった。リエナの婚約発表は早ければ秋だという。この方法は、正式に発表された後では絶対に不可能である。実行するとなれば、一日も早く準備を始めなくては間に合わない。

 長い時間、湖を凝視していたルークはふっと息をはいた。やはり、今の自分にはこの方法を採ることはできない。

(この程度で諦めてたまるか。せめてもう一度だけでも、父上にお願いする。あの方法は、あくまで最後の手段だ)

 ――リエナ、必ずお前を救い出す。

 ルークは馬の腹を軽く蹴ると、再び駆け出した。




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