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旅路の果てに
第5章 10


 一人きりでの遠乗りから数日後、ルークは父王に面会を申し込んだ。

 宵闇迫る時刻、ルークは自室で支度を始めていた。今夜ルークが纏うのは、謁見用の正装である。支度を整えるうち、いやがうえにも緊張感が高まってくる。

 支度を終えたルークは侍女らを下がらせ、そのまま自室でその時を待つ。

 やがて、約束の刻限となった。ルークはただ一人、決意を胸に王の私室を訪れた。いつもどおり、宰相バイロンがルークを出迎える。

 ルークは王の前に跪き、頭を垂れた。

「父上、最後のお願いに参りました」

 王にはルークが何を言いたいかは既によくわかっていた。しかし、敢えて無言のまま、先を促した。バイロンも王の側に控え、ルークの言葉を待つ。

「私、ローレシア王太子、ルーク・レオンハルト・アレフ・ローレシアは、王太子位を第二王子アデルに譲り、ムーンブルクへ参ります。何とぞ、ご許可を賜りますようお願い申し上げます」

「ならぬ」

 ルークの頭上で、王の一切の感情を排した声が響いた。

「リエナ姫の婚姻相手は既に決定しておる」

 ルークは顔を上げ、王に視線を向けた。

「父上はあの婚姻をお認めになられるのですか!? フェアモント公爵家の王位奪還のために、犠牲となることが明白ではありませんか! それがわかっていて、何故……!」

「そなたは何か勘違いをしておるようだな。リエナ姫とチャールズ卿との婚姻は間違いなく、ムーンブルクの議会で承認されるであろう。国が正式に認めた婚姻である以上、ローレシアが介入する余地はない」

「――では、リエナをこのまま見殺しにせよと?」

 深い青の瞳がみるみる殺気と呼べるほどの怒りの色を帯びる。本来ならば決してあってはならないことであるが、今のルークにそれを隠す理由はない。そればかりか、リエナへ『姫』という敬称をつけることすら失念してしまっている。王もこのことに気づいたが、敢えて指摘することなく、淡々と説得を続ける。

「よいか、ローレシアは最大限の努力をした。いくらロト三国が友好国とはいえ、これ以上関わるのは内政干渉以外の何物でもない」

「確かに内政干渉かもしれません。ですが、リエナの現状をお考えください。言わば人質ではありませんか!」

 王の琥珀色の瞳が鋭く光る。

「言葉を慎め。仮にも次期女王が自国に居住している状態を人質とは、何たる言いざまだ」

「父上のお言葉とも思えません。軟禁状態でしかも生命すら危ない、これが人質でなければ、いったい何なのですか!?」

「確かに、現在のリエナ姫は生命を狙われている。そのこと自体は事実であろう。だからといって、次期女王の責任を放棄することは決して許されぬ。いくら意に染まぬ相手であっても、リエナ姫は王配を迎え、世継ぎを残す義務がある」

「リエナが世継ぎを残す義務があるとおっしゃいましたが、現時点でその義務を果たせるとはとても思えません。毒を盛られた事実をお忘れですか!? リエナが直筆で署名した遺言書があれば、自分が世継ぎを残さず崩じた時には王配に譲位するとさえ書かれていれば、たとえ本文が偽造されたものであっても、チャールズ卿に王位が渡ることになります。そこまでわかっていながら、見過ごせと!?」

「そなたの言う遺言書については、明確な証拠がない。あくまでそなたの推測に過ぎぬ。仮に推測が正しくとも、他国が介入すべき問題ではないのは同じだ」

「では、リエナは暗殺されるとわかっていながら、チャールズ卿と婚姻を結ばなければならない。ムーンブルクのために、生命を捧げるべきである、と」

「そうだ。国のために殉じるのであれば、それもまた、王族としての使命だ」

「それならば、リエナは何のために生命を懸けて戦ってきたのですか!? 自らの手で、祖国を復興させるためではありませんか!?」

「――確かに、リエナ姫がどれほど過酷な旅を続けてこられたのか、それを一番理解しているのはそなた自身であろう」

 王はルークを見据えたまま、話を続ける。

「そなたがリエナ姫を心から大切に想っていることも、わしには理解できるつもりだ。惹かれ合う者同士が共に長い旅をし、苦労を分かちあえば、いやがうえにも気持ちは深まろう。だが、以前にも言った通り、王族の婚姻に愛情など必要ない」

「私はリエナを愛しています。自分の手で幸せにしたいのです。ですが、ムーンブルクへ行くことを望むのは、決してそれだけが理由なのではありません。ローレシアの王太子としても、今の状況を見過ごすわけにはいかないからです」

「王太子であるからこそ、そなたの行動如何で、ローレシアを危機に晒す可能性すら否定できないのだ。諸外国から見れば、今そなたがやろうとしていることはムーンブルクへの内政干渉どころではない。ローレシアがムーンブルクを属国にするための方策の第一歩としか見えぬ。結果として、ローレシア、ムーンブルク両国間はおろか、諸外国との関係をも変えてしまう可能性がある。その事実を決して忘れるな」

「父上のおっしゃることは理解できます。ですが、ムーンブルクは現在、国家としての重大な危機に瀕しています。だからこそ、王配として公私ともにリエナを支えたいのです。ローレシアのみならず、ムーンブルクの将来をも考慮した上で出した結論であるとは、ご理解いただけないのですか」

 王とルークの言い分は真っ向から対立している。王は深く嘆息した。

「今、そなたの頭の中にはリエナ姫のことしかないゆえ、わしの言葉を聞く耳を持っておらぬようだな」

 王は再びルークを見据え、言い切った。

「これ以上議論を続けても無駄だろう。ローレシアはこれ以上ムーンブルクの問題には一切関与せぬ。ただし、復興援助だけはこれまで通り続ける。これで話は終わりだ」

 王の最後通告だった。

「父上、どうか今一度、私の話をお聞きください!」

「くどい! 控えよ!」

 一歩も引こうとしないルークの態度に、王は一喝した。

「なにとぞ、今一度……!」

 それでもまだ黙ろうとしないルークに、王は次の言葉を下した。

「ルーク。当分の間、自室での謹慎を命ずる」

 予想だにしなかった厳しい王の言葉に、ずっと遣り取りを見守っていたバイロンも思わず口を挟む。

「陛下、それではあまりにもルーク殿下が……」

「バイロン。ルークは己の立場の重要さを理解しておらぬゆえ、しばし頭を冷やす必要がある」

「……御意、陛下」

 バイロンは一礼して控え、王は再びルークへ視線を向けた。

「謹慎中は、公務もすべて欠席せよ。わしの話はこれで終わりだ。――下がれ」

「父上!」

「わしの言葉がわからぬのか!? 下がれと言っておる」

 ルークはじっと王の琥珀色の瞳を見据えながら、沈黙している。逞しい肩は細かく震え、激情を意思の力で抑えてつけているのが王にもわかった。

 緊迫した空気が深夜の執務室を支配していた。王もルークも微動だにせず、互いを見据えている。

 どれくらいの時間が経ったのか、ルークはようやく頭を垂れた。

「申し訳ございません。仰せに従います。――数々の無礼な振る舞い、お許し願います」

 ルークは謝罪し、深々と一礼すると、王の私室を退出した。

 部屋から出ると護衛の近衛兵達がルークに礼を取った。ルークも労いの声をかけると、自室に向かって歩き出す。その途端にルークは再び厳しい表情に戻っていた。普通ならば侍従らが常に後ろに控えているが、今夜ばかりは一人きりである。

 しんと静まり返った人気のない廊下に、やり場のない怒りを持て余しながら歩く、ルークの靴音だけが響いている。

 自室に戻ったとき、出迎えた侍従はルークの表情の厳しさに顔色を変えた。侍従の様子に、自分がどんな顔をしているのか気づいたルークは、表情を緩めると深夜まで待機していたことを労い、そのまま下がらせた。他の侍従や侍女達にも同じように命じる。召し替えの支度をして待っていた古参の侍女は何か言いかけようとして侍従に耳打ちされ、一礼すると退出していった。

 ルークは着替えさえせず、正装のまま書斎の椅子にどさりと腰を下ろした。父王との遣り取りを反芻しているうち、言いようのないほどの疲労感を覚える。

(父上には、どうしても理解していただけないのか……!?)

 季節は既に夏。対して、婚約発表は早ければ秋。刻一刻と、リエナを救う期限は迫っている。

 最後のムーンブルク訪問から帰国した夜、眠れぬままによぎった考えが再び頭をもたげてくる。決して許されることのない大罪を犯さなければならないがゆえに、一度は否定した、あの方法が。

(俺にはもう、この方法しか残されていないのか!? 誰もが認める形での結婚など、どうあがいても無理なのか!? リエナ、俺はお前を自分の手で幸せにすると誓った。なのに、お前がムーンブルクへ帰国して以来、一度も対面すらできていない。――このざまはいったい何なんだ!?)

 あまりの己の不甲斐なさ、やり切れなさに身体が震えてくる。

 ルークは眼を閉じた。そのまま微動だにせず、自分が何をすべきか、何を望んでいるのか、自らに問いかけ続けていた。

 長い長い、沈黙の時が過ぎた。やがて、ほの白い朝日が窓から差し込んでくる。

(罪なら俺がすべてかぶればいい。リエナを救う方法はもう、これしかない)

 ルークはようやく結論を出した。ローレシアの王太子として、決して許されないことはわかっている。それでも、他に選択肢は残されていない。

 ずっと閉じられていたルークの瞳が開かれ、鋭い光を放つ。

 ――やるしか、ない。

 このとき、万策尽きたルークは決心していた。

 ――俺はすべてを捨て、リエナと二人で出奔する。




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