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旅路の果てに
第5章 9


 アーサーは自室に戻ってきた。女官らに出迎えられて部屋着に着替え、その後、適当な用事を言いつけて女官をすべて部屋から下がらせる。

 書斎の椅子に腰掛け、一つ息をつく。妃のコレットは今、側近の貴族女性らとのお茶会のため不在であるから、この部屋に居るのはアーサー一人きりである。

 アーサーは今まで、父王の執務室で密偵から報告を受けていた。内容は、先日のルークのムーンブルク訪問に関してである。

 ルークはムーンブルクを公式訪問――それも短期間に二回、更に二度目にはローレシアへの転地療養という具体策を携えて訪問した。しかし交渉は決裂し、何一つ具体的な成果を上げられなかった。それどころか、ルークはリエナへの見舞いを断られ、帰国寸前にチャールズ卿に託したルーク自身の親書すらリエナの手には渡っていない――密偵はサマルトリア王とアーサーに対し、その事実を述べたのである。

 ただし、現在のサマルトリアが入手している情報はここまでだった。ローレシアが得た情報――近いうちに、リエナとチャールズ卿の婚約が強行されることは、まだアーサーも知らなかった。この情報は、半ば偶然が幸いしたことと、フェアモント公爵の口の軽さを最大限に利用したローレシアの密偵の手腕によるものだったからである。

 アーサーは執務室での遣り取りを反芻していた。

(父上はもう、この問題に関与する姿勢をお見せにならない……)

 サマルトリア王は淡々とした態度を崩さず報告を受けていた。いつもと同じく、その表情からは何一つ読み取ることはできなかった。報告を終えた密偵が退出した後、何事もなかったかのように執務に戻ると、アーサーへも退出を促したのである。

 到底納得できないアーサーは、その場で父王にリエナ救出の策を採るよう訴えた。しかし、王は表情一つ変えることなく、こう言い切った。この問題はあくまでムーンブルク国内で解決すべきであり、サマルトリアが介入する余地はない、と。

 いくらこう言われたからとはいえ、アーサーも簡単には引き下がれない。チャールズ卿を始めとするフェアモント公爵家のリエナへの仕打ちは、次期女王に対する不敬罪に当たるほど過酷なものであること、更にはこの問題を放置すればムーンブルクのみならず、ロト三国全体の危機に結びつきかねないことを訴えた。しかし、いくら理を尽くして訴えようと、王の結論は最後まで変わることはなかった。

 もう一点、驚いたことがある。

(ルークが、ここまでの完敗を喫したとは……)

 正直、俄かには信じ難かった。アーサーはルークの政治的手腕を知っている。剣の達人としての誉れがあまりにも高いが故に、こちらの方面に関しては今一つと思われがちなのであるが、実際にはロト三国宗主国であるローレシアの王太子として、今までもどんな相手でも対等以上に渡り合ってきた。

(それだけフェアモント公爵家……いや、チャールズ卿の王位奪還への執着が尋常なものではない、そして、勇者ロトへの憎悪も同じ――そういうことだ)

 アーサーにとっても、勇者ロトとローレシアを建国した勇者アレフは限りない憧憬の対象である。けれど、アレフの血――すなわちロトの血が混じったことにより、ムーンブルク王家が二つに分かれてしまったこともまた事実である。

 フェアモント公爵家とは、ムーンブルク王家の中での、ロトの血を引かない魔法使い達の末裔である。

 ロトの血を受け継いだ魔法使いは、それまでとは比べ物にならないほどの魔力を持っていた。特に、当時のムーンブルク王太子と建国して間もないローレシアから輿入れした王女――アレフとローラ姫の第一王女である――との間に生まれた第一王子、後のムーンブルク王ディアス1世は、誰もが驚愕するほどの圧倒的な力を持つ魔法使いだった。その後に生まれた王子王女も、ディアス1世には及ばなくともやはり強大な魔力の持ち主だった。

 当然のことながら、当時の王を始め古老の魔法使い達はすぐこの事実に気づいた。そして、明らかに魔力の差がありながら、同じ王族とするべきかどうかが問題視されたのである。その後、数十年に亘る論争を経て、ロトの血を引かない人々は王族と認められなくなり、フェアモント公爵家となった。

 要するに、フェアモント家はムーンブルク国内での王権争いに敗北したのである。敗北の理由ははっきりしている。魔法大国にとって絶対的な意味を持つ『魔力』が劣ったからだ。魔法大国にとって、王とは、国中でもっとも強大な魔力を有する人物でなければ務まらない。従って、王家とは国中でもっとも強大な魔法使いを輩出する家系でなければ成り立たない。王は強大な魔力を有することで、数多の魔法使いを従え、国を治めてきたのである。フェアモント公爵家が元は王家と同じ血を持つ筆頭公爵家として今なお尊敬を受けていても、王族という地位から追い落とされたことが事実である以上、彼らにとってのロトの血とは、紛れもない侵略者である。その考え自体は、アーサーにも理解できる。

 もっとも、いくら理解できるからといって、今のチャールズ卿とフェアモント公爵家の行いは許されるものではない。今のフェアモント家の現ムーンブルク王家に対する怒りは、逆恨み以外の何物でもないのだ。

 仮に、ロトの血が混じったことにより魔力が弱まったのであれば、ロトの血は異物に過ぎず、それを受け継がないフェアモント家は今なお、ムーンブルクの王家であり続けただろうから。

 ここまで思考を巡らせたアーサーはもう一度、今のルークの立場について考え始めた。

(はっきり言って、今のルークにもう術は残されていない。転地療養の策も内政干渉ぎりぎりのところだ。恐らくローレシアの陛下も、今回限りだという条件で許可されたのだろう)

 ルークがリエナを救うために、最大限の努力をしてきたことは間違いない。しかし、今回の交渉が失敗に終わった以上、ルークは今後一切、公的な立場では動けまい。結果として、リエナは孤立無援の状況に追い込まれている。その事実に、アーサーは心を痛めた。

(リエナも、もう19歳だ。いくら病身だからといって、これ以上結婚を引き延ばすことは難しい。ルークも同じだ。仮にもローレシアの王太子の地位にある者が、いつまでも独り身というわけにもいかない。それでもあいつは、ローレシアの陛下に対して、リエナとの結婚を望んでいる――いや、はっきりとリエナが相手でなければ結婚しないと宣言しているはずだ。もっとも、ルークの意思の強さが尋常ではないことは、陛下も宰相もよくご存じだ。だから今はまだ、静観されているだけなのだろうね)

 王家に生まれたものにとって、王家の存続は絶対的な義務である。だから、リエナはもちろん、ルークも一日も早く妃を迎え、世継ぎを儲けなければならない立場なのである。

 アーサーの表情が曇る。

(それなのに僕は、かけがえのない仲間の窮地を、傍観することしかできない……)

 アーサーもルークと同じ――否、更に厳しい立場だった。失敗に終わったとはいえ、ルークは直接ムーンブルクとの交渉の機会を与えられた。しかし、アーサーはそれすらできなかった。もちろんアーサーが単に手をこまねいて傍観していたわけではない。今日だけでなく、これまでも何度となく父王にリエナの立場の危うさを訴え、具体的な対策を採るよう陳情を繰り返して来た。アーサーだけでなく、ムーンブルク王家出身の王妃ベアトリスも同じだった。それにもかかわらず、サマルトリア王は、最後まで内政不干渉の立場を決して崩さなかったのである。

 アーサーの身体が小刻みに震えている。あの長く過酷な旅の間、いついかなるときにも三人で助け合い、あらゆる困難を乗り越えてきた。けれど、今の自分はサマルトリアの王太子である。旅の間とでは、立場も責任も何もかもが違う。

 眼を伏せ、アーサーは唇を噛んだ。

 ――僕は、無力だ……。




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