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旅路の果てに
第5章 11


 リエナと二人で出奔すると決心した後も、ルークにまったく迷いがなかったかと言えば嘘になる。

 ルークはずっと、自分に問い続けていた。皮肉なことに、謹慎中の身であるから考える時間なら嫌というほどある。

 謹慎を命じられて後、ルークはほとんどの時間を自室で過ごしていた。食事もすべて部屋に運ばれていたのであるが、唯一、習慣となっている早朝の剣の稽古のときだけ、中庭に出ることを許されていた。ただし、今までは一人きりが多かったのが、常にお付きの侍従数人による、付き添いという名の監視の下ではあったが。

 今も書斎の窓際に佇み、外の景色に視線だけを向けて考え続けている。

(俺はローレシアの王太子だ……。その俺が、祖国を捨てようとしている。絶対に犯してはならない罪、どんなことをしても、決して償うことのできない大罪だ……)

 自分の犯そうとしている罪の重さを考えると、さすがのルークも身体が震えてくるのがわかった。

(それだけじゃない。リエナにも同じ罪――いや、俺以上の大罪を犯させることになる。リエナが俺とともに出奔すれば、その場でムーンブルク王家直系の血は絶えるのだから)

 この事実が、リエナと出奔するにあたっての、最大の障害であり、迷いである。

 直系王族の血が絶える――当代の王に子がなく、他の王族にも王位継承者となるにふさわしい人物がいないという状況自体は、ムーンブルク以外の国でいくつか前例がある。これらの事例では、その国の王女が他国に嫁いで儲けた王子王女を国王の養子として迎える、もしくは、何らかの事情で王族の身分を離れて臣下となった人物が再び王族に戻ることで、解決していた。

 ムーンブルクでは王族そのものがリエナ一人しか残っていないから、もしリエナが即位できなければ、他国から新しい国王を迎えるしか方法がない。フェアモント公爵家は、自分たちこそ正当なるムーンブルクの後継者であるから王族に戻ればよいと考えているのであるが、ムーンブルク国内の貴族の大半はもちろん、諸外国もそうは見ていない。理由は、臣下となって既に百数十年が経っていること、ロトの血を引かないことから、単なる『公爵家』としか認識されていないからである。だからこそ、チャールズ卿がリエナ暗殺の陰謀を計画してまで、王位奪還に執念を燃やしているわけである。

 もしチャールズ卿が王位を継ぐことになれば、フェアモント家にとっては王位奪還でも、諸外国からみれば王朝交代ということになる。現王家との確執の歴史はよく知られており、フェアモント公爵家への王朝交代を歓迎する国家はほとんどないのが実情だった。

 かといって、他国から新国王を迎える方法も、現在のムーンブルクではまず不可能である。単に後継ぎがいないのとはまったく違うからだ。ただ一人生き残った王女が『男と駆け落ちしてしまった』など、前代未聞の醜聞である。いくらリエナの境遇が厳しいものであっても、決して免罪符とはならない。それどころか、『自分の幸福のために、祖国も義務も責任も何もかもを放り出した無責任極まる王女』との烙印を押されるに違いない。それほど次期女王として、許されない行いであるのだから。

 そんな状態で、ムーンブルクへ自国の王子王女をやろうとする王などいるわけがない。国王として即位し、国政を執り、更には復興事業も統括しなければならないである。おまけにフェアモント公爵家の支配のもと、難航するのもわかり切っている。余程の政治的な後ろ盾と実力を持つ人間でなければ務まらない。もしくは逆に、すべてをフェアモント公爵家に一任するお飾りの王となるしかないのだ。

 ルークは当然のことながら、現実をすべて認識している。だからこそ、一度は決心した後も懊悩は続くのである。

 もう一つ、ルークとリエナでは決定的に違う点がある。ローレシアはルークだけが王位継承権者ではないことだ。ルークには弟王子が二人いる。いずれも生母は現在の王妃マーゴットで、ルークの生母は亡き王太子妃テレサだから、二人とも異母弟にあたり、それぞれ王位継承権第二位と第三位を保持している。特に第二王子アデルは優秀で、ルークが旅に出ている間、異例ながらも王太子と同様の帝王学を授けられていた。だから、アデルが王位を継いでもローレシアは正しく存続できるのである。

 ただし、この点についてはローレシアにも重大な問題がある。マーゴット王妃の父はローレシアでも屈指の有力貴族であるエルドリッジ公爵である。公爵は野心家であり、同様にマーゴット王妃もアデルを王位に就けたがっている。理由はもちろん、ローレシア国内での実権を掌握したいという野望だった。

 実際、野望が実現する可能性はあった。ルークが魔力を持たず、弟二人が魔力を持つことから、ルークよりもアデルの方が王太子にふさわしいとの意見も根強くあったからである。しかし、ルーク自身が超一流の剣技だけでなく、国政においても実力を見せるようになってからは、王太子位は揺るぎないものとなった。ましてや、大神官ハーゴンと破壊神シドーを討伐して凱旋帰国した今、王も重臣も、そして何よりローレシアの民が、ルークが王位を継ぐことを切望している。

 この問題については、ルークは父王へリエナとの結婚を望んだ時点で既に決着をつけていた。第二王子アデルが自分に代わって王位を継ぐことが、ムーンブルク、ローレシア両国にとって最善だと判断したからである。アデルは祖父公爵や母王妃のような野望を持っていない。決して自らが即位することなど望んでいないのである。それどころか、自分はあくまで王家の一員として兄の力になりたいと公言している。アデルは幼いころからルークを兄と慕い、ルークも時には剣の稽古の相手をしたりとかわいがってきた。アデルは昨年成人の儀を迎えたばかりであるが、既に積極的に公務をこなし、王と宰相バイロンの許で、すこしずつ国政にも参加している。

(邪魔者の俺がいなくなれば、またエルドリッジ公爵と義母上がのさばりはじめるだろう。だが、父上がご譲位なさるのはまだ先の話だ。アデルは公爵の野望を嫌っている。あいつなら、即位した後も簡単に公爵の思うままになることはないはずだ)

 実際、ローレシア王自身まだ壮年で、自ら国政を執り他国へも睨みを利かせている。名君との誉れが高く、また剣の達人としても名を馳せていた。宰相バイロンも、高齢ながら未だ衰えを見せず、王の右腕として活躍している。王が健在であり、後継者も優秀であれば、国家としてのローレシアは揺るぎない。

 ルークはローレシアについて、問題はあるものの、何とかなると結論づけた。

 次に、出奔後のことについて考え始めた。

(俺とリエナが同時に姿を消せば、当然ローレシアもムーンブルクも俺達が二人で出奔したと考えるだろう。すぐさま両国から追手が放たれ、徹底的に捜索される。だが、俺達を見つけることはまず無理だ)

 この点についてだけは、最初から勝算があった。

 理由は、ムーンブルクから出奔する時、リエナの呪文で移動するからである。移動の呪文で飛ぶことができるのは、過去に訪れたことがある場所に限られているが、リエナはハーゴン討伐のために世界中を旅している。だから、行きたいと願えば、ほぼどこにでも瞬時に移動できる。

 もう一つ、リエナの移動の呪文には、特殊な能力があった。通常、移動の呪文が発動された際には、その魔法使いの魔力の光――魂の色を持つ光――が、発動した場所から移動先へと細い光の軌跡となって、しばらくの間残るのである。だから、その気になれば、移動先をある程度は特定できる。しかし、リエナはこの光の軌跡を、呪文の発動と同時に消すことができるのである。

 リエナの移動の呪文を使えば、行き先は世界中どこでも可能、しかも光の軌跡が残らない。これでは追手の方も、探そうにも探しようがない。また出奔が発覚した後すぐ、ローレシアもムーンブルクも、二人で出奔したと確信しても、それを認めることは絶対にない。そもそも、出奔したという事実が公表されること自体ありえない。自分に関しては、適当な理由をつけて公式行事を欠席すると取り繕うだろうし、リエナに至ってはもとから公式の場に姿を現していない。だから、対外的には出奔という不祥事など最初から存在せず、自分達も国に居るが、何らかの事情で人前に出られないと発表されるはず――ルークはそう確信している。

(俺達二人が同日に姿を消したことについては、何の関係もないという建前が徹底されるはずだ。リエナがムーンブルクへ帰国して以来、俺達は手紙の遣り取りすらしていない。俺達二人の関係を示唆する証拠となるようなものは、何も残っていない。両国が協力して捜索に当たるとは考えられないし、情報交換もなければ、それだけ捜索は難しくなる)

 ただし、いくら勝算があるとはいっても、偶然、追手と遭遇することもありうる。万が一、見つかった時の対処方法も考えておくべきだった。

(俺がやろうとしていることは、客観的に見ればリエナの拉致だ。見つかれば、当然罪に問われる)

 追手に見つかれば、ルークは身柄を拘束され、ムーンブルクへ連行される。王族の拉致はもっとも重大な罪の一つである。いくらルークがローレシアの王族であっても、それを理由に罪が軽くなることはない。

(いざとなれば、俺の生命と引き換えにリエナを亡命させる。そうすれば、少なくともリエナの生命だけは助けられる可能性が残る。ローレシアの元王太子の生命だ。せいぜい高く買ってもらうぜ)

 ルークは自分一人ですべての罪を被ると覚悟を決めていた。合意の上での出奔ではなく、あくまで自分が単独で計画して拉致した、リエナは被害者に過ぎないと主張するのである。リエナにはわずかでも傷をつけたくない。

(亡命先は、ローレシアか、サマルトリア。このどちらかしかないだろう)

 思案の末、亡命先はサマルトリアの方がいいと結論した。ローレシアでは、王も宰相バイロンも、立場上リエナを受け入れることは難しい。ローレシアの過激な考えを持つ貴族達は、リエナを『大切な王太子殿下を誑かした悪女』と考えているのもいる。他国の次期女王であるから、決して表立って発言されることはないが、ルークがいつまでも妃を娶らないのはリエナのせいであると非難している人物もいるのは否定できなかった。

 対して、サマルトリアは中立の立場を崩していない。サマルトリア王は冷徹な策謀家として知られているが、決して冷酷非情なだけの君主ではない。ムーンブルクの復興を願っているのは、サマルトリアも同じである。一貫してムーンブルクの問題に関与しない姿勢ではあっても、実際に助けを求められれば話は別である。ルークが生命を懸けてリエナの亡命を望めば、すべてを承知したうえでリエナの身柄を受け入れ、最善の処置をしてくれるだろう。また、ベアトリス王妃はムーンブルク王家出身であり、リエナを実の娘同様に気遣ってきているから、こちらからも力添えが期待できる。

 そして何より、サマルトリアにはアーサーがいる。

 アーサーならば、リエナを見捨てるようなことは絶対にしない。これまでも、何度も父王にリエナの処遇について改善を求めていると聞いている。

 ルークも、アーサーにだけは、この計画を打ち明けておこうかと考えた。

 しかし、アーサーの立場が苦しいものになるし、事と次第によっては、彼も首謀者の一人と見做されてしまう。ルークもアーサーを巻き込むような真似だけはしたくない。

 結局、一切知らせない方がいいと判断した。何より、アーサーならば、自分が何故このような手段をとったのか、もし追手に見つかった場合、自分が彼に何を求めているのか、わざわざ伝えなくともすべて理解してくれる。

 (万が一の時には、アーサー、リエナを頼む)

 ルークはアーサーに対して、全幅の信頼を置いている。今までも、これからも、ルーク、アーサー、リエナの三人がかけがえのない仲間であることだけは、絶対に変わらないのだから。

 再びルークは最大の問題について、深く思案し始めた。

 ――リエナに『次期女王が祖国を捨てる』という大罪を犯させること。

 これが、最後までルークを迷わせている。

 ルークは自らの意思で、すべてを捨てる。だから今後何が起ころうと、自分で決着をつける覚悟はできている。けれど、リエナは違う。

 しかも、ルークとリエナが同じ大罪を犯しても、リエナの罪の方がより重い。ただ一人生き残った王女が、復興事業が始まったばかりの不安定な国を捨てようというのである。絶対に償うことのできない大罪だった。

 リエナはいついかなる時も、自分がムーンブルクの次期女王であることを決して忘れなかった。祖国を復興することが、たった一人生き残った自分の絶対の義務であり、自分を守るために生命を落とした数多くの人々への償いであると、心に深く刻みつけていた。深窓の姫君だったリエナが過酷な旅を続け、目的を達することができたのは、紛れもなくその強い決意と、王族としての責任感からだった。

 ルークもアーサーもリエナの決意を痛いほど理解していた。だからこそルークはリエナを支えたかった。共にムーンブルクを復興したかった。そしてムーンブルクの復興なくして、真にリエナを幸せにすることはないのだと確信していた。そのために、王太子位を弟王子に譲ってまで、ムーンブルクへ行くことを望んだのだから。

(俺は覚悟ができている。しかし、リエナに同じ罪を――それも、俺以上の罪を背負わせることが許されるのか……)

 リエナが暗殺されても、ルークと出奔しても、ムーンブルク王家直系の血筋が絶え、フェアモント公爵家へ王朝交代することになる。しかし、リエナが即位し、女王としてムーンブルク国内で崩御するのと、次期女王が出奔、それも駆け落ちしたのとでは、結果は同じでも国家としては天と地ほども違う。

 ルークがリエナとともに出奔することは、リエナ自身の生命を守ることはできても、ムーンブルクという国家を見捨てることと同義だった。

 ムーンブルク復興のために自ら戦い抜いてきたリエナが、自分個人の幸福のために、簡単に祖国を捨てるとはルークにも思えなかった。出奔を素直に肯うどころか、まず間違いなく拒否されるだろうということもわかっている。

 いくら周到に準備を整えてリエナの許を訪れても、肝心の本人がうんと言わなければ何もできない。リエナが本気で自分との出奔を拒否するのなら、こちらが睡眠の呪文で眠らされ、無力化されるだろう。そして自分は眠ったまま、今度は他者転移の呪文でローレシアに送り帰される。やろうと思えば、リエナにとってはたやすいことだった。

 逆に自分が無理にでも連れだすのであれば、リエナが詠唱に入った瞬間に当て身をくらわせ――もちろん充分に力を加減してであるが――抱きかかえてキメラの翼を使うことも考えた。リエナの意思を無視するため、あくまで最終手段だが、いざという時にはこの方法しかない。

 ルークは最後にもう一度、『自分はどうしたいのか』を自問自答した。

(俺はリエナを救いたい。自分のこの手で、幸せにしたい)

 ムーンブルク崩壊以来、ずっと思い続けていたこの気持ちは今も何一つ変わっていない。それが、ルークを激情に駆り立てている。

(フェアモント公爵家への王朝交代は避けられない。リエナがムーンブルクに留まっても出奔しても、どちらも結果は同じだ。だが、俺が今ここで出奔を実行に移さなければ、リエナは確実に殺される。それを見過ごすことこそ、俺にとって最大の罪だ。リエナを見殺しにするか、ローレシアを捨て、リエナにもムーンブルクを捨てさせるか、どちらか一つ罪を犯さなければならないのなら、俺はすべてを捨てる方を選ぶ。あいつが出奔を拒むのであれば、拉致してでも連れ出すまでだ。そして、万が一のときには、俺がすべての罪を被る)

 もう迷いはなかった。




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