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旅路の果てに
第5章 12


 ルークは慎重に出奔の計画を立て始めた。

 謹慎中の今のうちに、行き先や手順などまですべて決めておきたい、ルークはそう考えている。ただし、具体的な事柄はすべて頭の中で計画し、覚え書きなども一切しない。わずかたりとも証拠となるものを残さないためである。

 ただ、いつまでも謹慎中の立場では具体的な準備に入ることはできない。一日も早く謹慎を解いてもらえるよう、殊勝な態度を崩さず、朝の剣の稽古以外はずっと自室に籠っている。

 ルークは居間の椅子に腰を下ろして腕を組み、眼を閉じると考え始めた。

 まず最初に、出奔に必要なものを順番にあげていく。

(なによりも必要なのは現金だ)

 王族のルークが普段現金を使うことはまずない。旅が終わった時、それなりの金額が手許に残っていた。使うあてもないからと旅の荷物と一緒にしまってはあるが、とても足りる金額ではない。

 ルークは自分の物を何か売ろうかとも考えたが、すぐに思い直した。ローレシアの城下町ではすぐにローレシアの王族の持ち物だとわかるし、第一、ルーク本人が行けばすぐにばれてしまう。かといって、他の街で売ることもできない。王族の持ち物など一般の店では扱いかねるし、そういった表には出せない品物――要するに盗品である――を扱う店であればよけいに危険を伴う。リエナと出奔後に売るのも、追手に自分達の居場所を教えるようなものだから論外である。

(やっぱり地道に魔物を狩るしかないか。時間は多少かかるが、これが一番確実だ)

 ハーゴン討伐後、めっきり魔物の数は減っていたが、ルークは魔物狩りの絶好の場所に心当たりがあった。時間が許す限り、その方法で資金を調達することに決めた。

(次に必要なのは、俺が使う剣と盾だ)

 どちらも出奔用に新しく調達する必要がある。本当なら、今使っている大剣と盾が一番手に馴染んでいるのであるが、これらを持ち出すのは最初からあきらめていた。なにしろ凱旋帰国後、新たにルークのために鍛えられた、ローレシアを代表する鍛冶職人による逸品である。ローレシア王家の紋章が麗々しく施された重厚な拵えで、誰の目からも非常に高価な品であるのは明らかであるし、見る人が見ればルークの持ち物だとすぐわかってしまう。

 しばらく考えて、ルークは自室の奥にある小部屋に入っていった。そこから大切にしまわれている、鋼鉄の大剣と盾を出して来る。これらは、今ルークが愛用しているものとは反対に、普通の兵士のものと見えるほどに簡素な品である。

 いずれも、ルークが13歳で見習い騎士として騎士団に入団が決まった時、父王から賜ったものだった。王家の紋章入りのものと同じ鍛冶職人の作品であるが、騎士団への入団が、王太子としてではなく、あくまで見習いとしてだったので、いかにも王族の持ち物というものではなく、敢えてごく質素な拵えにするよう王が命じてつくらせたものだった。王から直々に命を受けて感激した鍛冶職人は、王太子殿下のためにと精魂込めて鍛え上げた。ルークもとても気に入り、成人後もそのまま使い続けた。ハーゴン討伐の旅に出るときにも、身分を隠すのにちょうどよいからと装備していき、その後ロトの剣と盾を手に入れるまでずっと愛用していたのである。

 これ以上の剣となると、今の大剣か、宝物庫に保管されているロトの剣と稲妻の剣しかない。今のルークにはやや軽いのであるが、品質は極上であるし、凱旋帰国後は手入れも他人に任せず、自分でやってきたから状態も申し分ない。

 鞘から抜いて構えると、この剣を初めて持った時の思い出がよみがえってくる。一人前の騎士として認められたように――実際には見習いであっても――誇らしく思ったものだった。

(今度は俺だけでなく、リエナも守ってもらうことになる。――もう一度、頼むぜ)

 資金稼ぎの魔物狩りにもこの剣と盾を使うことにする。この剣で実戦に出るのは数年ぶりだから、感覚を取り戻して手に馴染ませるためにも都合がいい。

 それ以外のものは、すべて旅の間の物を使うことにする。幸い、旅装束をはじめ細々とした道具類は記念のつもりで全部まとめてしまってあった。

(俺の分はこれでいい。リエナの持ち物の方をどうするか……)

 リエナの杖は、旅の間に使っていた魔道士の杖でいい。これは最初の旅――ハーゴン討伐ではなく、ムーンペタからローレシアへ移動する間だけ使用するために用意してもらったものである。やはり身分を隠す必要があったため、駆け出しの魔法使いがよく持っている、たいていの武器屋で扱っている杖にしたのだった。

 ごくありふれた杖にも関わらず、リエナとこの杖とはとても相性がよかった。あの強大な魔力によく応え、使い込むほどにリエナにとってはなくてはならないものになっていった。間違いなく今も常に手許に置いて使い続けているはずである。

(あの杖なら身分がばれる心配もない。――そういや、リエナにも何か着る物を用意しておかないといけないか)

 リエナはたくさんの衣装を持っているはずだが、まさか絹のドレス姿で街や村を歩くわけにはいかない。靴も、森の中を歩くためには革の靴がいる。ただリエナのことだから、旅の間に着ていた白いローブや紅色の頭巾などもきちんとしまってあるはずだった。それがあれば一番いいが、侍女が管理していてすぐには持ち出せない可能性もある。しかしルークはここで悩んでしまった。

(いったい、どんなのを買えばいいんだ?)

 思わぬ難問だった。ルークはもともと衣装には興味がない。いつも動きやすく丈夫で華美ではないこととだけ注文をつけて、あとはお付きの者たちに任せきりである。自分のものですらこうだから、女性用のものなど一般庶民のものはもちろん、貴族女性の流行もさっぱりだった。しばらく考えて、どこか遠くの街で村娘が着ているような服を買っておくことにする。魔物狩りの場所を往復するために大量にキメラの翼も必要になるから、何度か買い出しには行かなくてはいけない。自分の妹に買ってやりたいとでも口実をつけて店員に見繕ってもらい、とりあえず服を一枚と革の靴を一足だけ買っておくことにする。あとはリエナと街に着いてから着替えの分や彼女用に必要な日用品――これはどうがんばってもルークが用意するのは無理だった――と一緒に買えばいい。

 その他の旅に必要な最低限の物は、自分が持っている分で足りる。後は現金さえあれば何とかなる。余計な荷物を持つより身軽な方がいい。

 持ち出すものについては目処がついた。続けて出奔先の選定に入ることにする。旅の間に手に入れた地図を広げた。

 最初は、旅の間に行ったところの中から選ぼうかと考えた。リエナの移動の呪文で直接行ける利点もあるからだが、すぐに考えを変えた。追手が来る可能性を考えれば、一度も行ったことのない場所の方が間違いないからだ。

(だが、ずっと病気で軟禁されていたリエナの負担を考えると、あまり長い移動は無理だ。野宿もさせるわけにはいかない。歩けるのも、せいぜい半日だろう)

 それらの条件を踏まえつつ、いくつかの町を候補に挙げた。

(なるべくローレシアからもムーンブルクからも離れていて、まだ訪れたことのない、適当な大きさの町。そして近くに一度だけでも行った場所のあるところ……)

 その中で最終的に選んだのはロチェスの町である。ここから徒歩で約半日のところに大きな森がある。旅の間、この森を通って他の町に行ったことがあった。ロチェスの町にはローレシアもムーンブルクも領事館を置いていない。最寄りの領事館がある町からは、馬を使っても一週間はかかることもロチェスに決めた理由である。

(ここにするか……。森の入り口までリエナの呪文で飛んで、後は歩けばいい。町の規模はまあ中程度ってところだな。あまり長居はできないだろうが、時間は稼げる。とりあえず適当な宿にでも泊って、じっくり情報を集めて落ち着き先を決めることにしよう)

 だいたいが決まったところで頭の中で手順を繰り返し、すこしでも疑問が残る点について徹底的に検討を続ける。

 数日かけて、ルークは計画を練り上げた。

(よし、これで具体的な手順はすべて決まった。――どんなに遅くとも、夏の終わりまでには決行する)

 リエナの婚約発表は早ければ秋。ムーンブルクはローレシアより秋が早いから、ローレシアが秋になってからでは遅すぎる。後はなるべく殊勝な態度を取り続け、一日も早く謹慎を解いてもらうよう努力するのみである。準備に使える期間はせいぜい一月半しかない。

(リエナ、待ってろ。こんな形でしか迎えに行けないが、俺がお前を愛する気持ちは変わらない。今度こそ、守り抜く。もう二度と離さない)

********

 結局、十日ほどでルークの謹慎は解けた。室内に閉じこもっての生活などルークにとって苦痛以外の何物でもないのに、一言も不平を漏らさず処分に従ったこと、王太子としての公務をこれ以上欠席するのも問題であることが理由である。

 ルークはあらためて父王に謝罪と謹慎解除に対する礼を述べ、公務に復帰した。同時に、細心の注意を払い、出奔に向けて具体的な準備を進めていくことにする。

 謹慎解除後、ルークの態度が明らかに変わっていた。それは、リエナの話題を出さなくなったことである。先日の謹慎処分で、さすがのルークもようやく諦めたのだろう、王も、重臣達も、そう考えた。

 ここぞとばかりに、重臣達がたくさんの縁談をルークの許へ持ってきた。ルークも気が進まないながらも、以前ほど頑なには拒否せず、重臣達が話す各国の王女や令嬢達の話題に耳を傾けるくらいのことはするようになった。かといって、興味を示し過ぎて縁談を纏められても困る。もし、相手の女性の経歴に傷をつけることになれば、場合によっては外交問題にまで発展しかねない。何よりも、ルークが本格的に王太子妃の選定を始めたとの噂をリエナの耳に入れたくなかった。

 こうして縁談に興味を示すふりをするのも、リエナと出奔するための計画の内である。あまりに強硬な態度を取り続け、また行動を制限される破目になってはたまらないからだ。謹慎前には夜間のお忍びも大目に見てもらえていた。それができなくなると準備に支障をきたすどころか、出奔を実行すること自体が難しくなる。

 謹慎が解けて間もなく、ルークは一度試しに深夜になってから自室を抜けだしてもみたが、咎められることはなかった。旅から凱旋帰国した後も、公務の合間を縫って騎士団に顔を出したり、時には城下町の居酒屋で団員と酒を酌み交わすようなこともあったのである。ルークが謹慎中に一度も禁を破って出歩くことはなかったことから、側近くに仕える侍従たちはルークの気がまぎれるならと、多少のことなら見て見ぬふりをしてくれている。とはいっても、あまり眼につく行動は厳禁だった。

 夜会や国賓を招待しての晩餐会などの公式行事のない夜は魔物狩りである。お付きの者をすべて下がらせて手早く支度を整え、自室のバルコニーからキメラの翼である場所へ飛ぶ。

 ルークが到着したのは、ローレシア近郊の川沿いだった。ここには、ちいさいが次元の狭間――異世界と繋がる一種の結界で、魔物はそこからやってくるのである――がある。以前、一人で遠乗りをしていて偶然見つけた場所だった。付近に街や村もなく街道からも外れていることから、誰にも知られていないらしい。封印せずに放置されていて、人目につく心配もない。

 周囲をうろつく魔物をひたすら狩り続ける。この辺りの魔物はルークの敵ではない。弱い魔物なぶん、稼ぎも大したことはないが、着ている衣類に魔物の返り血がついていては、疑われる元となる。その分、数をこなす方を選んだ。手持ちの現金は多いに越したことはないから、できれば毎晩でもやりたいところだが、そうそう城を抜け出すわけにはいかない。魔物狩りの場所へ往復するために必要なキメラの翼も手に入る数に限りがあるから、なるべく出かける回数を減らしたかった。

 その日の目標となる金額を稼ぐと川で水を浴びて汗を流し、再びキメラの翼で自室に戻る。すぐに剣の手入れをしてしまい、わずかな仮眠を取る。いつもどおり夜明けとともに起き出して、剣の稽古を済ませ、王太子としての公務をこなす。

 普通の男であれば数日で音を挙げるような生活であるが、ルークはつらいとは思わなかった。もとから体力には自信があるし、旅の間は碌に睡眠を取れないことも多かった。何より、リエナへの想いが、ルークに疲れを忘れさせていた。

 ルークは慎重に慎重を期して、決行の日に向けて準備を進めていった。




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