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旅路の果てに
第5章 14


 ローレシアでも夏が終わろうとしていた。日中の日差しはまだまだ強いけれど、夕方になって吹いてくる涼しい風に、秋の気配を感じさせられる。

 その日の夜、公務を終えたルークは自室に引き取った。いつもどおり、侍女らの手を借りて寝支度を整えたあと、一人で考え事をしたい、もう今夜は用事を言いつけることもないから早く休むようにと命じ、お付きの者すべて下がらせた。

(いよいよ今夜、だ)

 寝室の長椅子に腰を下ろすと、大きく息をついた。

(リエナの婚約発表はまだされていない――間に合って、よかった)

 今夜は満月。月明かりで自分の姿が見とがめられる可能性を考えれば新月まで待った方がいいが、もうそこまでの余裕はない。

 最終確認のため頭の中で具体的な手順を繰り返すうち、あらためて緊張感が高まってくる。謹慎が解けて以来、秘かに出奔の準備を続けてきた。慎重に慎重を期して計画を進めてきたおかげで、周囲の人間には気づかれていないと確信している。

 あともう一つ、出奔前にどうしてもやっておきたいことがある。おもむろに立ち上がると、普段は足を踏み入れることのない衣装部屋に入っていく。きちんと管理された数多くの衣装の中から、なるべく正装に近く、自分一人でも着られそうなものを物色する。

 ルークは手早く着替えを済ませ、部屋を出た。

********

 ルークは城内のある場所を目指して歩いていた。

 夜もかなり更けたが、護衛兵や遅くまで立ち働いている下働きの召使いたちはまだ起きている。彼らに姿を見られないよう、できるだけ人気のない通路を選び、自分の気配を殺しながら先を急ぐ。

 目的の場所に着いたルークは足を止めた。今ルークがいるのは、歴代のローレシア王の肖像画が飾られている長廊下である。眼の前にあるのは、淡い魔力の光に照らされた、一際大きな肖像画だった。

 ――竜王を倒した勇者アレフ、後のアレフ1世のものである。

 勇者アレフは単身でドラゴンに戦いを挑み、ローラ姫を救い出し、更には様々な苦難を乗り越え、竜王までをも倒した。勇者の伝説は幼い頃から繰り返し聞かされ、長じてからはその偉業を記録した数々の書物を繙き、ルークは深い尊敬の念を抱いている。

 周りの人間は、自分は勇者アレフの面影を残していると言う。肖像画の、ロトの剣を構える凛々しい勇者の姿は、ずっとルークの憧れだった。特に剣を習い始めてからは、よくこの肖像画を見つめていたものである。いつか自分もああなりたい、魔力を持たずに生まれはしたが、剣技だけは少しでも近付きたい。その一心で、ずっと厳しい修行を続けてきたのだ。

 ルークは肖像画の前に佇み、心のなかで話しかけた。

(勇者アレフ。――お別れに参りました)

 まるで祈りを捧げるかのように、アレフの肖像画に話し続ける。

(私はローレシアの王太子として、最大の罪を犯します。リエナを見殺しにすることだけはできません。私にとってリエナは、生涯でただ一人、守り、自分の手で幸せにしたいと誓いを立てた女性です。あなたにとって、ローラ姫がそうであったように)

 ゆっくりと膝を折ると、肖像画の前に跪き、頭を垂れた。

(――勇者ロトとあなたの血を受け継ぎながら、義務を果たせないことをお許しください)

********

 自室の前まで戻ったルークは辺りを伺い、室内に誰もいないことを確かめて部屋に入った。すぐに着ていた衣装を脱いで元通りにきちんと戻すと、隠しておいた荷物を取り出し、旅の間に愛用していた青い旅装束を身につける。次には荷物を手に書斎に入って机に向かい、ローレシア王家の紋章入りの便箋と封筒――いずれも、王太子であるルーク専用のものである――を取り出し、手紙をしたため始めた。

 書き終わった手紙を封筒に入れ、封蝋で厳重に封をする。背中に大剣と盾、荷物を背負った。最後に、手紙を書斎机の上に置く。

 準備はすべて整った。ルークはその場で頭を垂れる。

(父上、申し訳ございません。私は王太子として、最大の罪を犯します。お許しいただこうとも思っておりません。それでも、私はリエナを救いたい。生涯ただ一人と決めた、愛する女性を見殺しにはできません――)

 ルークはしばらくじっと眼を閉じていた。やがて眼を開けると居間へ行き、二度と戻ることのない自分の部屋を見渡した。

 これまでの自分の人生すべてに決別し、リエナと二人、新たな人生を歩む。

 ひとつ大きく深呼吸をして、居間の仏蘭西窓からバルコニーに出た。夜気を含んだ潮風がルークの漆黒の髪を揺らす。ゴーグル付きの革の帽子をかぶり、夜空を見上げた。

 夜空には何も欠けることのない、満月が浮かんでいる。

 ――満月に向けて、ルークはキメラの翼を放った。




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