6章 番外編 三日夜へ
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旅路の果てに
第6章 12


 ジェイクの依頼でトランの村へ行くことが決まったルークとリエナは、早速新しい生活を始めるためのこまごまとした品を買いに出かけることにした。明日の昼にきさらぎ亭でジェイクと待ち合わせであるから、今日中に必要なものを揃えてしまいたいのである。

 きさらぎ亭を出てしばらく歩き、目抜き通りに入ったところで、ルークはある店先で飾り窓の品が眼に留まった。最高級とまではいかないが、かなりの品を扱っていそうな立派な店構えの宝飾店である。

「リエナ」

 唐突にルークが声をかけた。

「どうしたの?」

 ルークは答えず、そのままリエナの手を引いていき、宝飾店の入り口の扉を開けた。

「ルーク?」

 続きの言葉を言わせる間もなく、ルークはリエナの肩を抱き寄せると、一緒に中へ入っていく。

 店内には、初老の店主らしき男性がひとりで店番をしていた。穏やかな笑みを見せて、二人を迎えてくれる。

「いらっしゃいませ」

 ルークはためらわずに店主に声をかけた。

「あの飾り窓にある、指輪を見せてくれるか」

「かしこまりました。ただ今こちらにお持ち致しますので、しばらくお待ちくださいませ」

 店主が指輪を取りに離れて行った間に、リエナが小声でルークに尋ねた。

「ルーク、いったいどうしたの? 指輪って……」

「お前に似合いそうな指輪が飾ってあったんだ」

 リエナが続いて尋ねようとした時、店主が指輪を大切そうに持って戻ってきた。

「お待たせいたしました。どうぞごらんくださいませ」

「リエナ、この指輪どうだ?」

 ルークは自分に指輪を贈ってくれるつもりらしい――リエナは思わずルークを見上げた。ルークは笑みを浮かべて頷いている。

 リエナは戸惑いを隠しきれないながらも、ルークの心遣いがうれしかった。今はこんな高価な品を贈ってもらうわけにはいかない。けれど、気持ちだけはありがたく受け取ろう――そう考え、あらためて指輪に眼を向けた。

 中央に一粒の宝石、台は白金で創られた指輪である。

 この石が素晴らしく美しい。薄紅(うすくれない)――とろりとした乳白色の奥底からまるで紅が浮かびあがってくるような、えもいわれぬ優美な色合いである。また細工も精緻を極めた素晴らしいもので、如何にもこの石にふさわしい。薄紅の石は繊細な細工を周囲に纏い、静謐で神秘的な光を放っている。

「こちらは、少しは名の知れた彫金職人の作でございます」

 店主が説明をしてくれた。その自信ありげな口振りから、この店で最高の品の一つらしい。

「これは月長石――ですわね?」

 リエナが指輪の石を見て、すこし驚いたように尋ねた。

「左様でございます」

「月長石っていうのか。石の光り方がまるで月光みたいだな」

 ルークの言葉に、店主が如何にも得心がいったように頷く。

「ご主人、まさにそうなのでございますよ。月長石はその神秘的な光から、月光が凝縮してできた石と謳われております」

 リエナは思わず呟きを漏らしていた。

「薄紅の月長石――とても珍しいものだわ」

「奥様、よくご存じでいらっしゃいますね。月長石はほとんどが乳白色でございます。稀に他の色も産出しますが、これほど美しい薄紅のものは滅多にございません。職人もこの石に惚れ込み、丹精込めて創り上げました」

 続けて店主が値を告げた。やはりかなりの額である。月長石はとりたてて高価な石ではないけれど、珍しい色でこれだけの細工がされているだけに、気軽に手を出せるものでないのは当然だった。

 けれどルークには予想の範囲だったのか、軽く頷いただけである。

「俺は宝石のことはわからないが、お前に絶対に似合うと思う。とにかく一度はめてみてくれないか?」

 リエナは、すぐに頷くことができなかった。ルークの気持ちは本当にありがたいものだけれど、今の自分は贅沢が許される身分ではない。

 そこへ、店主がすこしばかり恐縮したふうに話しかけてきた。

「ご主人、実は……」

「何だ?」

「ぜひお試しください、と申し上げたいのですが、この指輪には少々問題がございまして……」

「まさか、呪いでもかかってるとでもいうのか?」

 問いかけるルークの声には、はっきりと不快感が含まれている。

「いえ、とんでもございません。そういった、悪い意味のものではないのです」

 店主は慌てて否定した。夫から妻に贈る指輪である。その大切な贈り物に不吉な意味があっていいはずがない。

「じゃあ、何が問題だというんだ?」

「この指輪は寸法がとてもちいさいのです。ああやって飾っておきますと、見せて欲しいとおっしゃるお客様は少なからずいらっしゃるのですが、どなたの指にも入らないのでございますよ。試してみて落胆なさっては申し訳ありませんので、あらかじめ申し上げることにしております」

 意外な理由に拍子抜けしたルークは、あらためて店主に尋ねた。

「誰にもはめられないほど、寸法がちいさい? またなんで、そんなにちいさく創ったんだ」

「こちらの月長石は、色はたいへん美しいのですがあまり大きくありません。この石に最もふさわしい意匠で創ると、この寸法しかないと職人が申しましてね。私があまり細いとなかなか合うお客様がいないからもう少し大きくするよう言ったのですが、職人がどうしてもとこだわりまして」

 店主はそのときの職人との遣り取りを思い出したのか、すこしばかり苦笑すると、言葉を継いだ。

「中には、小指なら、という方もいらっしゃいましたが、この指輪は小指にする意匠のものではございませんので、ずっと飾り続けておりました」

「おもしろい職人だな。理由はわかった。試すだけ試させてはもらえないか」

「もちろんようございます。それでは奥様、失礼してお手をお貸し願えますか」

「え、でも……」

 まだリエナはためらいを見せている。

「いいから、はめてみてくれ」

 ルークの表情は真剣なものに変わっていた。それを見て、ようやくリエナは左手の手袋を脱ぐと、店主に向かって手を差しだした。

「これはまた、なんともお美しいお手でございますな」

 爪の先まで手入れが行き届いているリエナの手に、店主は思わず感嘆の声をあげていた。

「この指の細さでしたら、間違いなく寸法も合うはずです。ご主人、どうぞはめて差し上げてくださいませ」

 ルークは店主から指輪を受け取ると、リエナの薬指にはめた。それはまるで誂えたかのようにぴったりだった。細く白い指に白金がよく映え、薄紅の月長石がより一層輝きを増している。

「思った通りだ。よく似合うぜ」

 ルークは満足げに笑みを浮かべた。

「大変よくお似合いでございます。ご主人はとても良い趣味をお持ちですね」

 店主もお世辞抜きで称賛した。

 リエナは少し恥ずかしげに左手を見つめている。気に入ってくれたようだ。ルークはリエナの表情を見て言った。

「これに決めた」

 リエナが驚いたようにルークを見上げた。明らかに遠慮しているリエナに、ルークが真っ直ぐな視線を向ける。

「俺からの気持ちだ。受け取って欲しい」

 ここまで言われて、ようやくリエナも素直に感謝の言葉を口にした。

「ありがとう」

 リエナのはにかみながらもうれしそうな表情に、ルークも笑みを返す。二人の遣り取りを見守っていた店主に、ルークが尋ねた。

「このままはめていってもかまわないか?」

「もちろんでございますとも。――何かの記念でございますか?」

「ああ。つい最近、結婚したばかりなんだ」

 ルークはすこしばかり照れくさそうに答えた。

「左様でございましたか。ご結婚、誠におめでとうございます。どうぞ、そのままはめていってくださいませ。箱を別に包みますからお持ちください」

 ルークその場で財布を取り出して支払いを済ませた。店主は代金を確認すると、指輪の箱を包んでルークに渡しながら言った。

「私も長年この商売をしておりますと、ごく稀にですが、宝飾品とそれを身につける方とがぴったりと一致することがございます。そういう時には、本当にこの商売をしていてよかった、そう思うのでございますよ。どうぞ大切になさってくださいませ。――お二人の末長いお幸せをお祈りしております」

 店主に見送られ、二人は店を後にした。

********

 その後、最初の予定通りに買い物を済ませ、帰りがけに夕食も買って宿に戻ってきた。明日の午前中には、この宿を出立する。買ってきた品を荷造りして夕食と湯浴みを済ませると、寝台に二人並んで腰かけた。

 リエナはうれしそうに左手を見つめている。

「ルーク、本当にありがとう。一生大切にするわね」

 ルークを見上げて、微笑んで言った。その瞳には涙が浮かんでいる。

「お前に喜んでもらえて、俺もうれしいぜ。――本当によく似合ってる」

 そう言って、リエナの左手を取った。ルークはしばらくじっと白い手を見つめていた。ルークの大きな手のなかにあると、リエナの指はますます華奢に感じられる。リエナもはにかみながらも、あらためてうれしさがこみあげてくる。

「でも、驚いたわ」

「驚いたって、何が」

「あなたがこの指輪を選んでくれたことよ」

 リエナの手を取ったまま、ルークは一瞬、複雑な顔をした。

「確かに、指輪を贈るって俺らしくない行動かもな……」

「え?」

 リエナが不思議そうにルークを見つめる。明らかにルークは勘違いしていた。リエナは微笑んで、やんわりと訂正した。

「そうじゃないわ。あなたが、月長石を選んだことに、驚いたのよ」

「月長石を選んだ――それに何か意味でもあるのか?」

 リエナは懐かしげな笑みを浮かべた。

「ムーンブルクではね、こんなお話が伝わっているのよ」

 リエナは月長石にまつわる伝説を話し始めた。

********

 遥か、古の時代のお話ね。

 月に住まう神々が、新たな王国を築くために、大地に神の子を下されたわ。その子は父神から、お守りとして大きな月長石を賜ったのよ。苦しい時にはこの石に祈りを捧げなさい、という言葉とともに。

 月の子は、長い時をかけて、王国――ムーンブルクを築いたわ。その間、幾度もの苦難に出会ったわ。けれど、決してくじけることはなかった。父神の仰せの通り、月長石に祈りを捧げて苦難を乗り越えたのよ。

 やがて、ムーンブルクの地に生命が満ちたの。そして次の満月の夜、月長石はまるで己自身が満月のように輝いた……。そして、月の子の手を離れて浮かび上がり、満月に導かれて月の世界へ還っていったのよ。月の子も月長石の光に乗って、ともに還っていったというわ。

********

 伝説を話し終わり、リエナはルークを見つめて微笑んだ。

「ムーンブルクの王族が月の神々の末裔と言われていることは、あなたも知っているわね?」

「ああ、知ってるぜ。有名な話だよな」

「ムーンブルクの民はみな、月の子のこどもたち。月に祈りを捧げ、月の満ち欠けとともに生活を営んできたのよ。同時に、ムーンブルクの魔法使いにとって月長石は、自らの魔力を強める聖なる石でもあるわ」

「聖なる石、か。何か、わかる気がするな」

「貴族にこどもが生まれると、親族がその子にひとつ月長石を贈る習慣があるの。贈られた石は一生のお守りとして、大切に身につけるのね。わたくしも生まれた時にお父様から賜ったわ。それが、薄紅だったのよ。そして、魔法の修業を始めたときにお父様から賜った杖にも、月長石――こちらは乳白色のものが、はめ込まれていたの」

 リエナはそっとちいさく息をはいた。菫色の瞳に、言いようもなく寂しげな色が浮かぶ。

「お父様から賜った月長石は両方とも、あの惨劇で失ってしまった……」

 リエナは長い睫毛を伏せた。細い肩が細かく震えだすのを見て、ルークはリエナの肩を抱き寄せた。震えはすぐに治まり、リエナはルークに見上げた。菫色の瞳には、もう怯えの色はなく、穏やかな笑みが浮かんでいる。

「だからもう、二度と月長石を手にすることはないって思っていたのよ。それなのに、思いがけずあなたから贈られた。――本当にうれしかったわ」

 リエナは左手を見つめ、指輪を抱くようにそっと両手を胸の前に合わせた。

「月長石にそんな伝説があったとは知らなかった。店ではお前に似合いそうだとだけ言ったんだが、本当のところはな……」

 ルークはリエナにまっすぐ視線を向けると、言葉を継いだ。

「……お前の、魂の色だって思ったんだ」

「わたくしの、魂の色……」

「ああ、そうだ。石の名前が月長石なのも、月光が凝縮してできたと言われているのも全然知らなかった。おまけにムーンブルクで伝説が伝わっている石だろ? お前にぴったりだと思った俺の勘も、あながち外れじゃなかったってわけだ」

 ルークはこの薄紅の指輪を見た瞬間、リエナに贈りたい――そう思ったのである。二人は結婚式もなにもしていない。トランの村に行けば、追手を警戒して当分は村から出ることはないだろう。それならせめて、この機会に結婚の証として、指輪だけでもリエナに贈りたかった。

「そんな伝説のある石なら、もっといいものを――世界中から石を選りすぐって、最高の職人に創らせて贈るべきなんだが、これが今の俺の精一杯だ。だから、受け取ってもらえてよかった。――ありがとうよ」

「そんな……。お礼を言うのは、わたくしの方よ。それにね、宝飾店のご主人が言った通り、薄紅の月長石は滅多に手に入るものじゃないわ。正直なことを言えば、この町でこの指輪が売られていることにとても驚かされたくらいだもの」

 そう言って、再び指輪に眼を落とす。薄紅の月長石は、柔らかな光を放っている。まるで、優しげにリエナを見守るかのように。

「そこまで、珍しいものだったのか」

 驚くルークにリエナは頷き返し、小声で付け加えた。

「――今は、贅沢をいえる時じゃないのに」

 ルークはリエナの店での遠慮がちだった態度を思い出して、あることに気づいた。

「お前もしかして、金が無いだろうって理由で遠慮してたのか?」

 リエナは肯定も否定もしなかったが、ルークはリエナの遠慮の理由をようやく理解していた。

 考えるまでもなく、リエナの心配は当然のことだった。長い旅を続けるためには、多額の資金が必要である。ハーゴン討伐の間は、魔物との戦闘で自然に資金調達できたが、平和になった今ではそれも難しい。

 ルークはリエナを安心させるように、笑顔を向ける。

「確かに安いものじゃないけど、予想以上に早く落ち着き先が決まったから心配ないぜ。金なら当分困らない程度には持って来た。仮にトランに定住が無理でも、また旅に出られるくらいは充分残ってるしな。――そういや、お前にいくらあるかまだ教えてなかったな」

 ルークは荷物から財布を出して、リエナに見せてくれた。指輪と新生活に必要な品を買い揃えたにもかかわらず、まだかなりの現金が残っている。確かにこれだけあれば、当分の間は旅が続けられるだろう。

「こんなにたくさん……。どうやって用意したの?」

「魔物を倒して稼いだ」

「……え?」

「最初は手っ取り早く、俺の持ち物を売ろうかとも考えた。だが、ローレシアの王太子が金に困っていると噂されるわけにはいかないし、第一、簡単に買い手が見つかるとも思えない。仮に売れても、品物から足がついたら困るだろ? だから、一番確実な魔物狩りにしたんだ。この剣を装備するのは久しぶりで手に馴染ませたかったから、ちょうどよかったしな」

 そう言って、傍らの大剣を指差した。これはルークがハーゴン討伐の旅に出るときに装備していた剣なのは、リエナもよく覚えている。

「ローレシアに帰国した後、父上から新しい剣を賜ったんだが、なにぶん王家の紋章入りだ。かといって、ロトの剣も稲妻の剣も駄目だから、これを久しぶりに持ち出して来たってわけだ」

「どこで魔物狩りをしたの? 今のローレシア近郊では、ほとんど出ないはずでしょう?」

「お前の言う通りだ。だが、たまたま次元の狭間がある場所を知ってた。周囲は何にもないところだから、存在も知られていなくて放置されていたんだ。もっとも、魔物っていっても雑魚ばっかりで、封印しなくても実害がなかったから好都合だったぜ」

 ルークは簡単に言うが、雑魚を狩ってこれだけ稼ぎ出すのは並大抵のことではない。いくらルークにとって大半の魔物が雑魚であっても、大変なことには変わりない。そう考えたリエナの気持ちを読み取ったのか、ルークは笑顔でつけ加えた。

「一匹ずつの稼ぎは大したことないけど、そのぶん数をこなせば同じだろ?」

 ルークはこともなげにそう答えた。

 リエナはあらためて、自分を救うためにルークは慎重に準備を重ねてきたのだと、胸が熱くなった。

********

 明日はトランの村へ行く。いよいよ、二人の新たな生活の始まりである。




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