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旅路の果てに
第7章 1


「着いたぜ。ここがトランの村だ」

 ちいさな村だった。町に比べて秋の訪れが早いのか、木々の緑は既に黄色く色づき始めている。山間のわずかな平地を切り開き、丸太をそのまま組上げて作られた、素朴で頑丈そうな家が点在している。全部合わせてもせいぜい30軒といったところか。空き地には畑が作られ、それぞれの家の裏には薪が積み上げられていた。きさらぎ亭の主人が言った通り、清々しい空気が心地よい。

 ルークは大きく深呼吸すると、ジェイクに話しかけた。

「いいところじゃねえか。ここなら、リエナの身体にもよさそうだ」

「なんでえ、リエナちゃん病気か?」

 ジェイクは心配そうな顔でリエナを見遣った。

「病気ってほどでもないんだけどな、旅の間はずっと無理させちまってたから」

「そりゃあよくねえな。だけどよ、ここはルビス様のお恵みが豊富だ。それ食って、いい空気吸ってりゃ、じきによくなるぜ。裏山で薬草もいろいろ採れるし、村には薬草に詳しいばあさんもいるから」

「それなら安心だ。リエナ、どうだ? その様子じゃ、気に入ったみたいだな」

 リエナも興味深げに辺りを見回している。にっこり微笑んで答えた。

「ええ、素晴らしいところですわ。風が気持ちよくて」

 ジェイクはそうだろうとばかりに頷いている。

「ここは今くらいと、夏の初めがいちばんいいんだ。それじゃ、とりあえずうちに行くか。女房に紹介したら、村のみんなのところに案内するぜ」

 三人は連れ立って歩き始めた。村人に行き会うたび、声をかけられる。ジェイクが連れている若い二人を見て、みな驚いているようだ。ジェイクはその度に、新しい住人だ、後で紹介するから集会所にみんなを呼んでおいてくれ、と答えていた。

 ジェイクの家は、村の中心に近い所にあった。やはり丸太を組んだ小屋である。家のすぐ隣に大きな林檎の木がはえていて、ちいさな実をたくさんつけている。ジェイクは扉を開けると、二人を連れて入った。

「おーい、エイミ、いるか? 帰ったぞ」

「はーい、お帰り。あれ? こちらさんたちは?」

 迎え出てきたのは、いかにも山の中に暮らす農婦といった感じの、気のよさそうなおかみさんである。亭主が連れて来た二人をみて、あっけにとられた顔をしている。どうやらこんな山の中には似合わないような、若い二人に驚いたらしい。男は見上げるほどの長身の持ち主で、堂々たる風格を感じさせる上に背中には大剣を背負っている。またその隣にいる若い女は、抜けるような白い肌に輝くプラチナブロンドの髪、着ているものこそ質素な白いローブだが、貴族の若奥様と言った方がふさわしいほどの気品ある美貌だったからだ。

 ジェイクはそんな自分の妻を見て、笑いながら紹介した。

「おうよ、あんたらが、あんまりにも男前と別嬪なんで驚いたようだな。エイミ、うちの村の新しい住人で、用心棒として来てくれたんだ。結婚したばっかだそうだぜ」

 二人も自己紹介した。

「ルークだ。これから世話になることになった。よろしく頼む。魔物退治なら任せて欲しい。あと男手が足りないって聞いてるが、力仕事なら得意だ。何でも言ってくれ」

「リエナです。トランの村でお世話になることになりました。よろしくお願いいたします」

 ようやく我に返ったらしいおかみさんも、笑顔で答えた。

「エイミだよ。こちらこそよろしくねえ。それにしても、まあ驚いた。あんた達、新婚さんなんだ。それにしても奥さん、うっとりするほど綺麗だねえ。こんな綺麗な人、初めて見たよ」

 エイミも礼儀正しく挨拶をした二人に好感を持ったらしい。ひとりしきり感心したあと、ジェイクの方を見て尋ねた。

「ねえあんた、いったいどこで知り合ったんだい? ロチェスの町で?」

「ああ、町の路地裏で魔物が出ててよ、旅人が襲われそうになってるところを、ルークが目にも止まらぬ早業で片づけちまったんだ。それも二匹まとめてだ。そんでもって、礼も要求せずに行っちまうんだぜ。俺は偶然、いつも木の実を卸しに行く店の二階から見てたんだ。これならいけるってんで、町中探したんだがその日には見つからねえ。諦めきれずに次の日もうろうろしてたら、偶然きさらぎ亭で飯食ってたところにばったりだ。で、無理やり声をかけたってわけよ」

「へええ、若いのにたいしたもんだねえ。それにしても、よくこんな辺鄙な山奥に来てくれたもんだよ」

「これから集会所でみんなに紹介するから、お前も来いや。ああ、それから忘れないうちに言っておく。この二人は駆け落ちしてきたんだ」

「おやまあ、駆け落ちって」

 ジェイクはいきなりエイミに事情を話した。しかし、エイミの方はすこし眼を丸くしたものの、特に動じた様子もない。

「見ての通り、ルークもリエナちゃんもお貴族様だ。結婚を反対されて二人で手に手を取って逃げてきた。後でみんなにも詳しい話はするけどよ、お前もあれこれ余計なことを聞くんじゃねえぞ」

「わかったよ。村で匿うことになるんだね?」

「そういうことだ」

「じゃあ、みんなにもあんたからしっかり説明しておかないとね」

「おうよ、任しとけ」

 ルークとリエナはエイミの反応が驚きだった。突然やって来た素性も知れない若い二人に対し、特に警戒もしていない。駆け落ちしてきたと聞いても同じである。それだけ亭主であるジェイクを信用しているのであろうが、こうもあっさり受け入れられるとは思っていなかったのである。

「ところで、二人にはどこに住んでもらうの?」

「村外れにある、この春までザック達が住んでたとこはどうだ? あそこならまだ新しいから、ちょっと手を入れればすぐ住める」

「そうだね。あの家なら一通り家具も揃ってるし、いいんじゃない?」

 その後もジェイクとエイミはどんどん話を進めていく。ルークとリエナが何かを言う暇もない。

「集会所の帰りに、家の方にも寄るとするか。じゃあ、これで決まりだな」

 ジェイクは大きく頷くと、二人に声をかけた。

「村のみんなに紹介するから、ついて来てくれ」

********

 ルークとリエナは荷物を預かってもらい、ジェイクとエイミに連れられて村の集会所に行った。集会所といっても空家の一軒をそれにあてているようで、中はごく普通の造りである。居間の食卓の上に裏山で採ったらしい木の実や果物、それをしまう籠など、たくさん置いてあるところをみると、ここで採れた物をみんなで分けているらしい。もう村人は大勢集まっていて、いかにも興味しんしんといった感じでルークとリエナを見ていた。ジェイクが村人達を見渡した。

「おう、集まったな。紹介するぜ。ルークとリエナちゃんだ。新婚ほやほやだそうだ。ルークがこの村の用心棒を引き受けてくれた。腕は俺の保証付きだ。あと、このでかい身体で力仕事もお手の物だ。それから、リエナちゃんは魔法使いだそうだ。怪我したり、毒蛇に噛まれたりした時には呪文で治療してもらえる。――みんな、よろしく頼むぜ」

 二人はあらためて挨拶した。

「ルークだ。俺達は二人でしばらく旅を続けてきた。縁あって、トランの村に住むことになった。よろしく頼む」

「リエナです。この村にお世話になることになりました。よろしくお願いいたします」

 やはり全員、山の中には似合わない二人に驚きを隠せないらしい。女達は早速、口々に質問を浴びせてくる。

「あんた、男前だねえ。なんでまた、こんな辺鄙なところに来る気になったんだい?」

「あんたたち、どっから来たの? それにしても、見れば見るほど、色白で別嬪さんだこと」

「ここは年寄りが多いからね。若い人たちが来てくれて、うれしいよ」

 まだまだ続きそうな質問を、ジェイクが遮った。

「みんな、ちょっと聞いてくれ。二人について、話しておきたいことがある」

 がやがやと二人を取り巻いていた村人がジェイクの方を見た。ジェイクはめずらしく真面目な顔をしてはっきりと言った。

「隠してもいずればれることだから、最初に言っておく。この二人は、理由(わけ)ありだ。事情があって追われているのを、この村で匿うことになった」

 村人の雰囲気が一変した。それまで二人に対して好意的だったのが、一気に敵意を含んだものに変わる。

「どういうことだ、ジェイク。説明しろ」

「そうだ、このルークっていうやつが、何かやばいことでもやらかしたんなら、この村に住まわせるわけにはいかねえ」

 男達がジェイクに詰め寄った。ジェイクの方もこの反応は当然予想している。動じることなく、説明を始めた。

「ルークとリエナちゃんはお尋ね者じゃねえ」

「お尋ね者じゃないのに、なんで追われてるんだ」

「この二人はな、駆け落ちしてきたんだ」

 村人達は、一斉にルークとリエナに視線を向けた。遠慮のない視線に晒されるが、ルークはまったく動じない。リエナも何も言わずにいたが、すこしばかり白い頬が染まる。村人達の最悪の予想は外れていた。これですこしは緊張がほぐれたようである。

「そうだ。駆け落ちだ。見ての通り、この二人はお貴族様だ。ルークは元は騎士様で、リエナちゃんはルークの主人筋にあたる領主様のお嬢様だ。何かのときに、ルークがリエナちゃんを助けるかなんかして、それをきっかけに相思相愛になったが領主様に結婚を反対されて、手と手を取って逃げてきた。ルークが傭兵稼業をしながら、二人でしばらく旅してきたんだとよ」

 いつのまにか、ジェイクは聞いていないはずの二人の馴れ初めまで話を作っている。しかし、話が具体的であればあるほど村人は信用してくれるだろうとルークは考え、ここはジェイクに任せておくことにした。

 しばらくして、さっきジェイクに詰め寄った男の一人が大きく息を吐いて言った。

「なるほど、駆け落ち、か」

 これをきっかけに、他の村人も次々と話し始める。

「こんな別嬪と相思相愛になったら、諦めろったって、無理な話だな」

「かわいそうに。好きな人と添わせてもらえないほど、つらいことはないよねえ」

「ルークは騎士様なんだろ? いくらリエナちゃんがご領主様のお姫様でも、そう身分違いってこともないだろうに」

 村人はひとしきりしゃべっていたが、頃合いをみはからって、ジェイクが再びみなを遮った。

理由(わけ)ありについては今話した通りだ。とにかく、俺の方からルークに話を持ちかけた。村で匿う代わりに、用心棒としてトランで住んでくれってな」

「ジェイク、お前がこいつに用心棒を頼んだのはわかる。確かに腕は立ちそうだ。でもよ、ご領主様から見りゃ、大事な娘をかどわかされたのと同じだ。今頃は必死になって行方をさがしてるに違いねえ。もし追手が来て、この村で匿ってたことがばれたらどうするつもりだ」

「俺だって、そのくらいのことは考えてるぜ。わかってて、それでもルークしかいねえと思って頼みこんだんだ。こっちだって、どうしても用心棒がいる。みんなだって承知してるはずだ。それによ、ルークは村と俺達には絶対迷惑をかけないと約束した」

「どうして、それが信用できる?」

「俺の話を聞いてもらえばわかる」

 ジェイクは続けて、例の路地裏でルークの戦闘の様子を話して聞かせた。

「――魔物を二匹ともあっさり倒した後でよ、助けた旅人に礼金も要求しなかった。ごくあたりまえのことをしたって感じで、さっさと姿を消したんだ。悪人にこんなことができるか?」

 村人は静かになった。彼らは以前に雇った用心棒――住み込みではなく、一度きりで終わったのだが――を思い出したのだ。ルークとリエナもまだ聞いていない話である。

 その用心棒はどこかの兵士崩れで、やはり傭兵として旅を続けていた。ジェイクはある伝手を頼って、この男に用心棒を頼むことになったのである。早速裏山に収穫に行くときに護衛に行ってもらい、そこで魔物と遭遇した。用心棒はなんとか魔物を倒すことはできたものの、自分も傷を負った。傷は深かったが、裏山で採れる良質の薬草でほどなく癒やすことができた。

 けれど用心棒は、最初に取り決めた給金に上乗せして、多額の治療費を請求した。ジェイクが交渉してなんとか請求金額の半額で決着したが、村にとっては手痛い出費である。そればかりか、用心棒は秘かに要求しようと思っていたこと――村で娘か若い妻にありつけると思っていたらしい――がまったく期待外れに終わり、「金もねえ、ろくな女もいねえ。こんな、ないない尽くしの村の用心棒なんざ、二度とご免だ」などと、さんざん暴言を吐いて村を去ったのである。

「確かに……ジェイクの言う通りだぜ」

「ルーク、おめえやるじゃねえか。――ここなら心配ねえ。安心して暮らしなよ」

「そうだよ。せっかく好きな人と夫婦になれたんだ。幸せにならないとね」

 村人達が納得してくれたらしいことを確認して、ジェイクもほっと息をついた。

「わかってくれて、助かるぜ。だからよ、これ以上は細かい事情は詮索しないで欲しい。後、二人がトランに住むようになったことは、身内といえども話さないでくれ」

「身内にもか?」

「そうだ。ひょんなことから誰かに漏れたら、匿うことにはならねえ。ほとぼりが冷めるまで、当分頼む」

 ここでジェイクはもう一度村人を見渡した。

「この村で匿うこと、ルークとリエナちゃんの事情をあれこれ詮索しないこと、これが俺がみんなの代表としてルークと交わした契約だ。最初、ルークは俺の話も聞こうとはしなかった。追われてる身だから、当然だわな。そこのところを、拝み倒して来てもらったんだ」

「ジェイク、あんたが俺達のまとめ役だ。あんたがそう決めたんなら、俺達は従うぜ」

 村人の一人が、声を上げた。

「ありがとうよ。それからもう一つ、いい話がある」

「いい話……?」

「リエナちゃんはいつでも呪文での治療を引き受けるって言ってくれたぜ。それも、無料でだ」

 村人が一斉にどよめいた。やはり、俄かには信じられないらしい。最初にジェイクに詰め寄った男が、再び聞いてきた。

「女房の呪文がただなのはわかった。が、亭主の用心棒代が高いんじゃないのか?」

 ジェイクは一瞬言葉に詰まった。

「……そういや、まだ決めてなかったな。たいして礼はできないとしか言ってなかったぜ」

「おいおい、頼むぜ」

 呆れたように言う男に向かって、ルークが初めて口を挟んだ。

「用心棒代なら、別にいらねえぜ」

「本当か?」

 質問した男が信じられないといった表情でルークに確認した。

「ああ、追われているのを匿ってもらう以上、本来ならこっちが礼金を出す立場だ。だから、用心棒はその礼代わりだと思ってくれたらいい」

「トランで匿う代わりに用心棒か、そんならわかるぜ。お互い、持ちつ持たれつってやつだな」

「そう考えてもらえたらありがたい。それに、ジェイクからはこの村で住む家の家賃はいらないって聞いている。あとは俺達にも村人と同じように食料や薪を分けてもらえるのなら、それで充分だ」

「家賃の方は、どうせ空いてる家だからただで住んでもらって構わねえ。食料も薪もみんなで分けるから同じだ。ルークはよく食いそうだが、二人くらい増えたってお恵みはたっぷりあるしな。みんな、それでいいな?」

 さっきの男が、ジェイクに代わってみなに問うた。あちこちから、構わないと声があがる。ここで再びジェイクがルークに言う。

「ルーク、あんたがそれでいいなら、こっちは助かるぜ。ただ、そうはいっても魔物退治は命懸けだ。礼金なしってのも気が引けるな……」

 しばし考えて、ジェイクはルークに確認した。

「確か、魔物って倒すと金が手に入るんじゃなかったか?」

「そうだぜ。魔物によって金額は違うがな」

「じゃあ、その金はあんたが取っておいてくれ。魔物狩りはあんただけができる仕事だ」

「わかった。そうさせてもらう」

 これならルークも納得して受け取れる。

「あと、時々だが現金を渡せると思う。お恵みを売った金だ。もちろん、町でしか手に入らないものを買うのが優先だが、残った時にはみんなで平等に分けることにしてるんだ。たいした額じゃねえけど、たまにリエナちゃんに何か買ってやるくらいのことはできるぜ」

「でもよ、それだとリエナちゃんに治療してもらうのも、ただってわけにはいかないんじゃないか?」

 別の男がジェイクに聞いた。あまりにも自分達に好条件なのが、かえって気にかかるのかもしれない。

「リエナの呪文なら無料で構わないぜ。こいつ自身がそう言ってる」

 ここで初めてリエナが口を開いた。

「本当に代金はいりませんわ。追われる身であるわたくし達をみなさまは受け入れてくださいました。心から感謝しております。ですから、わたくしの呪文がお役に立てるのでしたらいつでも治療させていただきますわ。みなさまにはこれから、トランの村で暮らすために必要なことを教えていただかなければなりませんもの。いろいろとお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします」

 リエナはあらためて頭を下げた。如何にも貴族のお姫様らしい、優雅な物腰である。それでいて控えめで素直な様子に、女達もこぞって好意的な声をあげた。

「いいよ、わからないことがあったら、なんでも聞いておくれね」

「家事はすぐに慣れるよ。あたしが得意料理をたくさん教えてあげる」

 ルークもリエナに続き、村人を見渡して言った。

「俺からも礼を言う。リエナには一日も早く落ち着いた暮らしをさせたいと思っていた。俺達を受け入れてもらったことを、本当に感謝している。――あらためてよろしく頼む」

 これで紹介も終わり、ルークとリエナは無事にトランの村の住人となることができた。




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