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旅路の果てに
第6章 2


 朝になった。

 先に大騒ぎになったのはローレシアである。ルークは朝が早い。いつもほとんど夜明けとともに起きると、剣の稽古をするからだ。それが、今朝は太陽が高く昇っても起きてくる気配がない。幼い時からほとんど風邪すら引かなかったほど丈夫なルークだから体調不良とは考えにくいが、万一のことがあると大変である。

 お付きの侍従の一人がルークの私室に行き、扉をノックした。応答はない。無礼にならない程度に何度も繰り返したが、結果は同じだった。これにはさすがに心配になり、侍従長と相談のうえ、もうひとりの侍従と二人で外から解錠して部屋に入ることにする。部屋に入った侍従達はルークの姿がないことに驚きはしたが、最初はあんな大事になるとは思いもよらなかった。

「おい、どこにもいらっしゃらないぞ」

「城下町までお忍びにでも出かけられたんじゃないのか? またいつもの店で、騎士団員と一緒に飲んでるとか」

「それにしちゃ、お帰りが遅くないか? いつもならばれないように、夜明けまでには必ずお戻りになってたのに」

「――案外、馴染みの女がいて、泊ってたりしてるのかもな。で、ついつい寝過ごしたと。それか、女に引きとめられて、帰るに帰れなくなってるとか」

「おいおい、いくらなんでもあの殿下がそんなことするか? リエナ姫様一筋なんだから」

「リエナ姫様のことは、流石にもう諦められたはずだと思うが……。それに若い男だってのは殿下も同じだ。時には気楽な女のところで息抜きもしたいだろうよ」

「あの殿下に限って、それもない気がするが……。――なあ、この部屋、何かおかしいとは思わないか?」

 尋ねられた侍従は、部屋の中を見まわした。

「そうか? いつもと同じにしか見えないけど」

「妙に部屋が片付いてないか? いつもならもう少し、剣の手入れの道具だの何だの、広げてた気がするんだが」

 確かに、部屋全体がいつにないほどきちんと片づけられていた。そのせいか、主が不在だからか、妙に殺風景な印象がある。

「念のため、他の部屋も確認してみよう。後で侍従長に報告する必要もあることだし」

「わかった」

 二人はまず最初に寝室に入り、手分けして確認を始めた。

「おい! 殿下の大剣が置きっぱなしだ!」

「なんだって?」

 残されていたのはローレシア王家の紋章が施された大剣で、ルークが肌身離さず腰に履いていたものだった。

「あの殿下が剣を置いていかれた? いったいどういうことだ?」

 もう一人の侍従が天蓋のついた寝台の垂幕をめくった。寝台は昨日きちんと整えられたままで、使われた形跡がない。

「殿下は昨夜、ここでお休みになられていないのか……?」

 侍従達にはわけがわからない。単に寝台が使われていないのなら、お忍びに出かけたまま戻っていないだけだろうが、剣を置いていったことが気にかかる。

「とにかく、他の部屋も調べよう」

 続けて、書斎に入っていった。書棚におさめられた数多くの書籍や書類もきちんと片づけられ、一見不審な点は見当たらない。辺りを見回していた侍従がある物を見つけた。

「手紙……?」

 書斎机の上に、一通の手紙が置かれている。手に取ったその瞬間、侍従の眼が驚きに見開かれた。

「どうした? ……これは!」

 もう一人の侍従も顔色を変えた。見せられたのは、ローレシア王家の紋章入りの封筒――王太子であるルーク専用のものである。この封筒は、重要な外交用の親書などでしか使われない。おまけに、宛名が国王宛てだった。

 筆跡も、封蝋の印璽も、間違いなくルークのものである。侍従二人は顔を見合わせた。何か大変な事態が起きたことが明白だった。若い侍従達の手に負えるような問題ではない。すぐに侍従長を通じ、宰相バイロンに報告した。事態の重要性を悟ったバイロンは直ちに王に謁見を求めた。

********

 バイロンは手紙を携え、執務を執っていた王の御前に伺候した。執務室に入って来たバイロンのいつにない緊張した表情に、王が訝しげな顔を向ける。

「何事か。――至急の用件とのことだが」

「――陛下、こちらを」

 バイロンは王に手紙を見せた。王も手紙を見た瞬間、一気に表情が険しくなる。

「この手紙は!?」

「ルーク殿下のお部屋に残されていたのでございます。実は今朝、日が高くなっても殿下が起きていらっしゃらないので、念の為侍従二人にお部屋を確認させましたところ、お姿が見えず、書斎机の上にこの手紙だけが置かれておりました」

 バイロンがその場で封を切り、王に手渡した。

 王が受け取って読みはじめた瞬間、はっきりと顔色が変わった。

 そこには、ルークがローレシア王太子位を返上すること、王位継承権を始めとするすべてのローレシア王家の王族としての権利を放棄すること、この二点だけが、署名とともに書かれていた。

 王は激怒した。

「ルークめ……! 何ということをしでかしてくれたのだ」

 バイロンも王から手紙を受け取って読んだ。あまりのことに絶句したが、かろうじて言葉を絞り出した。

「ルーク殿下が出奔なされた……? まさか……」

「あの馬鹿者が……! 自分の立場を何だと心得ておるのか!」

 怒りを隠そうともしない王に、バイロンが恐る恐る話しかける。

「陛下、これは……」

「バイロン、理由は一つしかあるまい」

「では、やはり……殿下は……」

 王はまだ怒りを露わにしたまま、頷いた。

 王もバイロンもルークが何をしたのか、既に想像はついている。しかし、まず事実関係を把握しなければならない。

「ムーンペタの離宮に未だリエナ姫がおられるのか、早急に調査せよ。離宮内で何か不審な動きがないかもだ。一刻の猶予もならん。――急げ!」

「御意、陛下」

 バイロンはすぐに王の御前から下がり、各所に指示を送った。次に侍従長を呼び出し、今朝ルークの部屋で手紙をみつけた若い侍従二人に厳重な緘口令を敷くよう指示した。

 更にバイロンは自ら侍従長だけを伴い、ルークの部屋に向かった。再度、徹底的に調査するためである。特に手紙類、書類などは書き損じも含めて特に念入りに調査する。しかし、これらはすべてきちんと分類してしまわれ、どこにもリエナとの関係を示唆する証拠となるようなものは残っていなかった。

 それ以外の居間や寝室などからは、侍従達からの報告以上のものは何もなかった。

 最後に衣装部屋を確認することにする。ここは侍従達もまだ確認していない。衣装の管理は女官長の管轄となるため、呼び出して点検を頼んだ。

 衣装部屋から点検を終えて出てきた女官長の顔は蒼白になっていた。手には大ぶりの衣装箱を抱えている。

「宰相閣下、侍従長。殿下のお衣装はすべてそろっておりました。ですが……」

「どうしたのだ?」

「――こちらをごらんくださいまし」

 震える手で開けられた衣装箱の中身は空である。女官長が説明を始めた。

「この衣装箱には、ルーク殿下がハーゴン討伐の旅の間に使われていたものが納められておりました」

「なんと……!? して、中には何が入っておったのだ!?」

「ご愛用遊ばされていた青い旅装束を始め、旅に必要なお道具類一式でございます。このことはよく覚えております。もう必要ない物だが取っておきたいと殿下がおっしゃって、私がしまうのをお手伝いいたしましたから」

 これを聞いて、バイロンは再度侍従長に確認した。

「殿下はご愛用の大剣を置いていかれたと言ったな?」

「左様にございます」

「あのルーク殿下が、剣を置いていかれた……。殿下にとって剣は生命にも等しいもの。何故、そのようなことを……」

 バイロンはしばし考え込んだが、はたと手を打つとすぐに部屋の奥にある小部屋に駈け込んだ。慌てて、侍従長と女官長も後に続く。

「やはり……」

 バイロンの予想通りだった。

「宰相閣下。いったいこれは……?」

「ルーク殿下は、以前ご愛用なされていた剣と盾を持ち出しておられる」

 説明を受けて、ようやく侍従と女官長にも事情が呑み込めていた。

「では、騎士団に入団遊ばされた時に陛下から賜った、大剣と盾を?」

「そうだ」

 バイロンが頷いた。

 ルークが置いていった大剣には、ローレシア王家の紋章が麗々しく施されている。衣装がすべて残っている代わりに旅装束がなくなっているということは、旅の間と同様に身分を隠す必要があるという意味になる。であれば、剣も同じように目立たないものでなければならない――そして、ルークが持ち出した大剣と盾は、まさにその条件にかなう地味な拵えのものだった。

 これで、ルークが身分を隠して出奔した可能性が極めて高くなった。バイロンは言葉を失っている二人に指示を下す。

「よいか。ルーク殿下は遠乗りにお出かけになられた。お一人きりで、行先は離宮だ。ここ最近お忙しいようだったから、お気晴らしにと私が勧めた。今は特に重要なご公務もないため、しばらくお戻りにはなられぬ。その旨、お付きの侍従や侍女らに徹底せよ。私はすぐ陛下にご報告に参る。――よいな」

 侍従長と女官長は一礼するとすぐに部屋を退出していった。

********

 バイロンは再び王に謁見を求め、話し合いを再開した。バイロンから結果の報告を受けた王の表情が、ますます厳しいものに変わる。

「これはまず間違いなく、ルークが単独で計画し、リエナ姫には一切知らせず出奔を持ちかけたのだろう」

「御意、陛下。私もそのように考えます。仮にリエナ姫様は事前に計画を知らされたとしても、同意なさるはずがございません。したがって、一切関与なさっておられないかと」

「ムーンブルクからの報告は」

「今のところはまだ何も」

「……そうか」

 王の表情が曇る。王もバイロンも、ルークがムーンブルクで拘束――リエナ拉致未遂の罪人として捕えられることを一番懸念していた。

「どんな些細な情報でも、入手次第報告するよう命じてございます。ですが、すぐには困難かと存じます」

 王は無言で頷いた。ルークがリエナとともに出奔したのが事実であれば、ムーンブルクでも今頃はリエナが姿を消したことが明らかになっているはずである。ムーンブルクもローレシアと同様、リエナ不在の事実を徹底的に隠蔽するに違いない。けれど、ただちにルークがこの事件に関与しているとは考えまい。ましてや、二人で出奔したなど想像すらつかないだろう。しかし調査をすれば、いずれ事態は明らかになる。

 ローレシアの密偵達はそれぞれ、重要人物の取り巻きや王宮の召使いとして潜入している。しかし、リエナ本人と直接接することのできる立場にいる者はいなかった。チャールズ卿も密偵の存在の可能性を考慮し、リエナの側近くに仕える侍女らはすべて、自らの息のかかった人間だけにしているからである。

 しかもリエナは実質的な軟禁状態にあり、人前に姿を現すことがない。急に病気が重くなったなど理由はいくらでもつけられる。日々公務をこなしているルークに比べ、不在の事実を隠蔽するのははるかに容易だった。

「まさか、ルークがここまで大胆な行動に出るとは……。迂闊だった」

「陛下。ルーク殿下の今回の行動は、よほどお覚悟を決めた上でのものかと」

 王はもちろんバイロンも、ルークのリエナに対する愛情がそこまで深く激しいものであったことに驚愕していた。

「先日の謹慎処分で流石に諦めたと思ったが……。周囲にはその様に思わせておいて、秘かに準備を進めておったのであろうよ」

「それだけ、殿下はリエナ姫様を深く想われていた……そういうことでございましょう」

「しかし、あれだけ責任感の強い姫のことだ。そう簡単にルークの誘いには乗るまい」

「私も同じ意見にございます」

「ルークが姫に手荒なことをしておらねばよいが……」

「そのご心配は無用かと存じます。ルーク殿下があれだけ大切になさっている姫様に、無体なことをなさるとは思えませぬ」

「逆に、姫は呪文でルークを眠らせることができる。他者転移の呪文でローレシアへ戻すことも造作ない。しかし、ルークはここにはおらぬ。ということは……」

「お二方は既に、ムーンペタから遠く離れている可能性もございます」

「確かに、その可能性もある」

 仮にルークがムーンペタで捕えられたとしたら、必ずローレシアへ連絡が来る。今は情報を待つより仕方がなかった。




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