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旅路の果てに
第6章 4


 ローレシアでも、ルークが姿を消した翌日の夜には密偵からの調査報告が届いていた。リエナの様子だけでなく、ルークが捕えられた可能性を考慮し、徹底的に調べるよう命じてあった。

 ルークについての情報は皆無だった。どこにも侵入したらしき痕跡はなく、ルークの噂話をしている人物すらいないとの報告である。ムーンブルクで拘束されている可能性は少なくなったことで、バイロンはひとまず胸を撫で下ろしていた。

 その他の報告の中で一つ、奇妙なものがあった。フェアモント公爵の取り巻きである密偵からの情報である。

 ルークが姿を消した日と同日の午後、フェアモント公爵家にいる魔法使いが四人、チャールズ卿に呼び出されていた。しかも彼らはすべて、結界の魔法の専門家ばかりだというのである。

 ただし、密偵もこれ以上の詳しい情報は得られなかった。肝心のフェアモント公爵はただチャールズ卿の言いなりに魔法使いを派遣しただけで、理由を聞いていなかったからである。これだけでは何を意味するのか、さしものバイロンにもすぐには見当がつかない。

 ともかくもバイロンが王に報告しようとしたところで、遅れて別の密偵からも報告がもたらされた。リエナは急病のため、女官長一人だけが世話に当たっているというのである。こちらは明らかにおかしい。リエナは以前から病気がちであり、常に侍女が数人そばについている。病状が悪化したのであれば、なおさら侍女の手が多数必要なはずである。

 これらの報告を携えて、バイロンは王の執務室へ向かった。

********

 バイロンがすべての報告を終えた。じっと眼を閉じて聞き入っていた王が眼を開けた。

「ルークが身柄を拘束されていないことだけは確かなようだな」

「はい。その可能性はほぼないかと存じます。いくらチャールズ卿が情報操作に長けているとはいえ、そのような一大事を隠し通すのは不可能かと」

 万が一ルークの行いが発覚すれば、ローレシア、ムーンブルクに留まらず、前代未聞の醜聞となる。王にとっても一番の懸念事項だったから、その可能性がほぼ否定されたことについてだけは安堵していた。しかし、肝心の問題については、解決の糸口すら見当もつかないままである。

 王は腕を組むと話題を変えた。

「リエナ姫のことだが」

「はい」

「解せぬな。ご病気がひどくなられたにもかかわらず、側仕えが女官長のみとは」

「私も同意見にございます」

「そればかりか、結界の魔法の専門家ばかりを四人も派遣した、しかもチャールズ卿が呼び出しをかけた――何か意味があるに相違ない」

 そのまま、王とバイロンは無言で沈思し始めた。しばらく時が過ぎ、バイロンがおもむろに口を開く。

「陛下、結界の魔法の専門家が呼び出された意味でございますが」

 王は頷いて続きを促した。

「リエナ姫様が、ご自分のお部屋に結界を張られていたという可能性が考えられます」

「なるほど。姫の部屋に入ろうとして結界に阻まれ、解除のために専門家を呼んだ、そういう意味か」

「はい。リエナ姫様は生命を狙われておりました。ご聡明な姫様のことゆえ、暗殺者その他を警戒してのことかと」

「確かにその可能性は高いだろう。だが、それならばルークはどのようにして姫と接触できたか……」

 王が疑問を呈したが、こればかりはバイロンにも見当がつかない。しかし、ルークがムーンブルク側に捕えられたという情報もなく、ローレシア城にもいないとなれば、二人の出奔そのものは動かせない事実だろうと推測がつく。また、この疑問をこれ以上考えても問題解決に結びつくわけでもない。

「ともかく、ルークの不在について何らかの理由をつけねばならぬ」

「今のところ、湖畔の離宮にお出かけと言い繕ってございます。私から御静養をお勧めしたと徹底するよう指示いたしました。幸いご公務は一段落しておりますゆえ、数日はそれでしのげるかと存じます」

「ご苦労だった。引き続き、密偵にどんな些細な情報でも漏らさず報告するよう徹底せよ」

「御意、陛下」

********

 ルークが姿を消して三日経った。しかし何ら状況は変わらず、密偵からの調査報告にも新しい事実はなかった。

 ローレシア王とバイロンが焦りを募らせているなか、ムーンブルクから新たな報告が入る。内容はなんと、リエナとチャールズ卿の婚約発表の延期である。

 例のフェアモント公爵の取り巻きを務める密偵からの情報で、昨日ムーンブルク国内および国交のある諸外国に向けて、正式な婚約発表をする予定であったのが、リエナの体調不良により無期延期となったというのである。

 バイロンから報告を終えた王の表情が一段と厳しいものに変わる。

「やはり、ルークはリエナ姫と出奔したのか……」

「はい。単にリエナ姫様のご体調が悪化されたのであれば、婚約発表は予定通り行われたかと存じます。ですが、姫様が不在となれば、さしものフェアモント公爵家といえども強行することは無理かと。ルーク殿下がお姿を消された日と、姫様に直接対面するのが女官長一人となった日が同じことからも、間違いございませんでしょう」

 これらの事実から二人の出奔がほぼ確定した以上、静観することはできない。

「早急にルークの居所を徹底的に捜索するのだ。ただし、決して出奔の事実を外部に漏らしてはならぬ」

「御意、陛下」

 検討の末、王とバイロンは国の領事館に極秘文書を送ることにした。最低限の情報のみを書き、もしルークらしき人物の姿を見かけたら、大至急ローレシアへ連絡するよう依頼する。

 しかし、二人の行方を突き止めることは容易なことではない。魔法を使えないルークは間違いなくキメラの翼でムーンブルクに飛んでいる。その後は二人で行動しているのは確実だが、行き先はまったくわからない。

 リエナは移動の呪文の遣い手であり、彼らは世界各地を旅している。もしかしたら、移動の呪文発動後の魔力の痕跡をたどることもできるかもしれないが、それが可能なのはムーンブルクだけであり、ローレシアがムーンブルクに情報を求めるわけにはいかないからだ。情報を求める以上、ローレシアは合理的な理由を説明しなくてはならないが、まさかルークがリエナと二人で出奔したから協力を要請するなどと言えるわけがない。この点についても、密偵が情報を入手し報告してくるのを待つよりほかなかった。

 引き続き、ムーンブルク国内での情報収集と領事館からの報告を待つ。今できるのはこれだけだった。

********

「チャールズ卿、それは誠ですか!?」

 ムーンブルクの宰相カーティスは思わず声を挙げていた。緊急会議で婚約発表の延期が決まった直後のことである。

 ラダトームから帰国したカーティスがチャールズ卿から緊急との呼び出しを受け、昨日からの一連の事件について説明を受けたのである。

 あまりと言えばあまりの事態に、カーティスもすぐには信じられなかった。

「私も信じたくはありませんがね。残念ながら、事実です」

 チャールズ卿は苦々しげな表情を隠そうともせず、肯定した。

「リエナ殿下は本当にルーク殿下と出奔なされたのですか? 考えにくくはありますが、単にお忍びに出られたのではありませんか?」

「宰相らしくもない発言ですな。これまでの状況から、出奔の事実は動かせません。もっとも、正確には『出奔』ではなく、ルーク殿下が姫を『拉致』したと言うべきでしょうが」

 チャールズ卿は淡々とした物言いだけは変わらないものの、腹の中は煮えくりかえっている。自然、言葉遣いもきつくなっていた。

「チャールズ卿、『拉致』などと……」

「では、宰相は、事前にリエナ姫とルーク殿下の間に密約があり、手に手を取って出奔したと考えるのですか?」

 カーティスもすぐには返事ができないでいる。チャールズ卿は話を続けた。

「リエナ姫の部屋にある手紙や文書の類はすべて、徹底的に確認しました。何ら証拠となるものは残されていません。もっとも、あの姫がそんなものを残すとも思えませんがね。第一、誰にも気づかれずにルーク殿下と連絡を取り合うことなど不可能です。まず間違いなく、ルーク殿下が単独で計画し、実行に移したのでしょう」

「ルーク殿下はどのようにリエナ殿下と接触したのですか? 連絡を取り合うことすらできないならば、ともに出奔など、なおさら不可能だと思いますが」

「そんなことは、拉致したルーク殿下本人にしかわからないでしょうな」

 実際、ルークがリエナを拉致した証拠どころか、ルークがムーンペタの離宮に侵入した痕跡すら皆無だったのだ。仮に偶然が作用したとしても、事前の打ち合わせすらなしで、ここまで完璧に行方をくらますのは極めて難しいはずにもかかわらずである。

「ということは、ルーク殿下がリエナ姫と出奔した証拠も何もないのですね? 今の段階で、出奔と決めつけるのは早計ではないのですか」

「確かにはっきりとした証拠はどこにもありません。ですが、これまで説明したように出奔は疑いようがないのです」

 断定するチャールズ卿の言葉に、カーティスは肩を落とした。

「リエナ殿下が、ムーンブルクを……」

 苦しげに続きを言い淀むカーティスに向かい、チャールズ卿は吐き捨てた。

「そうです。リエナ姫はムーンブルクを捨てたのですよ。ルーク殿下が無理やりに拉致しようとしても、姫を無傷のまま連れだすことは容易ではありませんからな。最終的には姫が誘いに乗ったと考える他ないでしょう」

 さしもカーティスもあまりの衝撃にしばらくは言葉を失っていたが、ようやく冷静さを取り戻したらしく、尋ねた。

「婚約発表の延期は承知しました。リエナ殿下のご体調悪化で女官長一人がお世話に当たるというのも、いささか不自然ではありますが致し方ないでしょう。ですが、いつまでもこのままというわけにはいきませんが」

「もちろん、対策は講じてあります。各国へ追手を放ち、領事館へは極秘文書を送るよう手配済みです」

「わかりました。今のところはそれ以外に方法はないでしょう」

 カーティスにもそれ以外の方法は思いつかない。頷いて、チャールズ卿との面談を終了した。

********

 カーティスが自室へ戻った後も、チャールズ卿は考え続けている。

 チャールズ卿にとっても、リエナがルークの出奔の誘いに乗ったなどとは、想定外だった。

(しかし、あの責任感の強いリエナが、簡単にムーンブルクを捨てたとは思わない。むしろ、最初は拒んだに違いないだろう。だが、現状を考えれば、国も何もかも捨てても変わりない、と開き直ったとしてもおかしくはない。――リエナをあそこまで追い込んだのはやり過ぎたか? これでまた計画を変更しなければいけない。今回の計画は自分が女王の夫とならなければ成り立たない。リエナがハーゴン討伐の旅に出ていたあの時とは違う。もう今の状況のままで自分が王位につくことは不可能だ。すぐに対策を講じなければ)

 計画を滅茶苦茶にされ、チャールズ卿は怒り心頭に発した。

(それにしても、あの若造……! 随分と思い切ったことをしてくれる。たかが女一人のために、ローレシアの王太子位――あの大国ローレシアの国王となる未来を自ら捨てるだと? いくらリエナが殺されるとわかっていたとしてもだ。そんな甘っちょろい感傷など王位を継ぐものには無用の物ではないか。それとも何か? リエナが言った通り、自分には理解できない何かがあの二人の間にはあるというのか? はっ! そんなもの考えるだけ無駄だ。とにかく今は、この現状を打開する方法を探すのが最も重要なのだから)

 既にチャールズ卿は父公爵らと相談のうえ、でき得る限りのことはしている。今はまったく行き先の見当がつかないにせよ、遠からず見つかることだろうと考えている。二人は目立つ。ルークは黒髪に青い瞳という、数は少ないものの時々は見かける色合いだが、あの鍛え上げた長身と若さに似合わぬ風格がある。リエナなら尚更だ。美しいプラチナブロンドの髪はもちろん、菫色の瞳の持ち主は滅多にいるものではない上、あの類稀な美貌だ。第一いくら姿をやつしたとしても、生まれ持った気品は隠しようがない。ルークと二人でいれば、人目に立たずに行動するのは難しいはずだった。

(さて、見つかったら、どのような制裁を与えてやろうか。リエナの処女を奪うことはもうできないが、あらためて自分の妻として迎え、気の済むまで蹂躙しつくし、今度こそ王位と生命を奪う。それを知ったルークの顔を想像するだけで、笑いが止まらなくなりそうだ。そうだ、ルークも次期女王を拉致し、強姦した凶悪犯ではないか。ムーンブルクの法律に照らせば間違いなく極刑に値する。もちろんあの若造のことだ。見つかれば自分の生命がないことくらいは承知だろうが、それと引き替えにリエナを助けようと考えるかもしれない。そうはさせるものか)

 どす黒い怒りを浮かべたチャールズ卿の顔に、奇妙な――歓喜にも似た表情が混じる。

(――さて、リエナを暗殺してからルークを処刑するか、それとも先にルークを処刑し、その様子をリエナに見せてから、あらためてリエナを犯してやるか。その時にはもう、いくら泣こうが喚こうがルークは救いに来られない。ふむ、こちらの方が面白い)

 チャールズ卿は、そのゆがんだ精神構造をだんだんと表面に現し始めた。




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