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旅路の果てに
第6章 5
ルークとリエナは無事に森の入口に降り立った。
既に夜は明け、小鳥のさえずる声がにぎやかに聞こえる。色づき始めた森の木々と吹き抜ける風が、秋の訪れを感じさせる。
「大丈夫か?」
いたわるように、ルークが声をかけた。
「大丈夫よ。ありがとう」
「連続で大掛かりな呪文を発動したんだ。無理するなよ」
「これくらいなら、なんともないわ」
ルークの腕のなかで、リエナは微笑んだ。非常に魔力の消費が激しい呪文を、しかも二回続けて発動したにもかかわらず、消耗した様子はない。
「本当ならしばらく休憩したほうがいいかもしれんが、すこしでも早く町へ着いたほうがいいだろう。疲れたら、遠慮なく言えよ」
ここからロチェスの町までは徒歩で約半日の距離である。普段から鍛えているルークにとっては何の問題もないが、リエナには決して楽なものではないはずだった。
「わかったわ」
ルークはもう一度リエナをしっかりと抱きしめてから、腕を離した。ルークはリエナの荷物も背負うと、大きな手を差し出した。
「じゃあ、行くぞ」
「ええ。――行きましょう」
リエナも頷いて手を差し出した。
********
しばらくは言葉を交わすこともなく、小休憩をはさみながら黙々と歩き続けた。
やはり、リエナにはかなりつらい道程だった。旅をしていたときと同様、彼女が弱音を吐くことはなかったが、2年近くの間ずっと軟禁状態で、心労から床に就くことも多かったリエナは思った以上に体力が落ちていた。
「おい、大丈夫か? 無理するな」
ルークはリエナの様子を気遣った。ここまでも、こまめに休憩を入れながら歩いてきたが、明らかにつらそうである。
「――遅れてごめんなさい」
「謝ることじゃない。久しぶりにこんな長距離を歩いたんだから、当たり前だ」
そう言って、ルークはいきなりリエナを抱き上げた。
「ルーク?」
「このまま抱いて行ってやるよ。その方がお前も楽だろう?」
そのままルークは歩き始める。おもわずリエナは頬を染めていた。
「そう言えば……」
ルークがリエナに聞かせるともなしに、つぶやいた。
「……え?」
「勇者アレフも、こうやったんだったよな。――ローラ姫を助け出した後に」
この逸話はリエナも知っている。初めて聞かされたときには、幼いながらも心がときめいた。そのことを今もよく覚えている。
********
急いだおかげで、昼過ぎにはロチェスの町の入口に着いた。ここは町としての規模は中くらいだが、非常に活気がある。通常の商店の他にもあちこちに露店が出て、季節の果物や木の実、そのほかにもいろいろな物を売っている。
ルークとリエナの姿はごく自然に町の風景に溶け込んでいた。二人の容姿は非常に目立つものであるが、身分を隠して長い旅を続けた経験のおかげか、不審な眼で見られることはない。それでも、リエナの類稀な美貌にときどき男達が振り返っていく。ルークはリエナを守るように、しっかりと肩を抱いて歩き続けた。
ひとまずリエナを休憩させるために宿屋を探す。あまり高級なところだと自分たちの素情に疑いがもたれるし、正直、懐具合もそう豊かとはいえない。当分の間困らない位はあるが、それでも無駄遣いはしないに越したことはない。そこそこのところで、余分な詮索をされず、落ち着けるところ。幸い長い旅の間にそういった勘は――情報収集の得意なアーサーほどではないにしろ――働くようになった。歩いて行くと、町の中心部から少し外れたところに、一軒のこじんまりとした宿屋を見つけた。入ってみると、中年の女将がせっせと書きものをしている。どうやら帳簿をつけているところらしい。二人に気づいた女将は手を休めると、声をかけてきた。
「いらっしゃい。食堂ならあっちの扉を入ったところだよ。それとも、泊りかい?」
気のよさそうな女将の物言いに、ここなら大丈夫だろうとルークは判断した。
「泊りだ。女将、一部屋頼みたいんだが、空いてるか? まだ時間が早いかもしれんが、こいつの具合があんまりよくないんで、早めに休ませてやりたいんだが」
「一部屋?」
女将はほんの一瞬、怪訝な顔を見せた。
「だって、そっちの綺麗なお嬢さんはまだ……」
何故だか言葉を濁した女将に、リエナがはっとした表情をみせた。何か言わなくてはと言葉を探し始めたが、ルークの方が先に口を開いた。
「何か問題でもあるのか?」
そう尋ねるルークの態度は堂々としていて、まったくやましさを感じさせるものがない。
「一部屋ね。――なら、ちょうどいい部屋があるよ。代金は同じだから、そこにしときな」
女将は帳簿を閉じて立ち上がった。ルークの物言いに納得したらしく、それ以上何も追及してこなかった。
「ところで何泊? 前金で先に払って貰っとくけど」
「とりあえず、三拍頼む」
「あいよ。もし延びるようなら、早いめに言っとくれね」
ルークが三泊分の料金を払うと、女将は自ら部屋に案内してくれた。
二階のいちばん奥にある二人部屋だった。そう広くもないが、小ざっぱりと清潔でよく整頓されていた。小さいが湯殿もついているのがありがたい。これでリエナを不用意に他人の目に晒さずに済む。
女将が部屋から出ていき、ルークは背負っていた荷物を置いた。リエナはルークに何か言いたそうな顔をしている。
「うん? どうかしたか?」
「女将さんは、わたくし達の事情に気づいたのかもしれないわ」
「……何でだ? 確かにさっき、怪訝な顔をしてたが」
「わたくしの、髪型よ」
「髪型?」
「今のわたくしは髪を結っていないからよ。町の人たちで下ろしているのは、未婚の娘さんだけだもの」
王族・貴族の女性は市井の民と違い、未婚であっても成人の儀と同時に髪を結い上げる習慣である。だからリエナも、成人してから旅が始まるまでと、旅が終わってムーンペタの離宮にいたときには結い上げていた。けれど、旅の間は身分を隠す必要があったから、リエナも髪を下ろしていたのだった。
「要するに、お前が髪を下ろしているから、俺達は夫婦には見えなかったってわけか」
リエナはほんのわずか、頬を染めた。ルークが何気なく言った『夫婦』という言葉に思わず反応してしまったのである。
「ええ、そういうことよ」
けれど、実際にあてがわれたこの部屋には、寝台は大型のが一つきりしかない。女将は疑いながらも、とりあえずは夫婦の扱いをしてくれたらしい。女将が急に態度を変えた理由は今一つわからないが、納得してくれたのであれば構わない――ルークはそう考えた。
「疲れただろ? 飯を食ったら休んだほうがいい。無理させて悪かったな。本当はもっとゆっくり歩きたかったんだが」
「ありがとう。あなたが気遣ってくれていたから、すこし休めばすぐによくなるわ」
「じゃあ、軽く飯にするか」
ルークは荷物から食物と林檎を出した。いずれも途中で買ってきたものである。
「……わたくしは、後でいただいてもいいかしら」
眼の前でいい匂いが漂っているのだが、リエナは食欲がないらしい。
「疲れたよな。今のうちに、少し寝ておくか?」
「そうさせてもらえるとうれしいわ。あなたはわたくしに構わず、先にお食事していてね」
「わかった」
「……ごめんなさい」
「気にするな。謝るようなことじゃねえよ」
「ありがとう」
リエナはわずかに微笑むと、着替えを持って湯殿に姿を消した。
ちょうどルークが簡単な食事を終えたところで、湯浴みを済ませたリエナが湯殿から出てきた。
「おやすみなさい、ルーク」
「おやすみ」
すぐにリエナは寝台に横になった。けれど、緊張が解けていないせいなのか、身体は泥のように疲れているはずなのに眠れない。ルークは寝台の横の床に座りこむと、心配そうに白い顔に眼を向けた。
「眠れないか? やっぱり無理させたな。悪かった」
「ううん、大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」
リエナは無理に少し微笑んだ。その様子がいじらしくて、ルークは立ち上がって寝台の端に腰掛けた。リエナの華奢な身体を抱き起こすと、そのまま包み込むように抱きしめる。
「しばらくこうしてるから」
「……ありがとう」
ルークの腕のなかはあたたかい。リエナはあらためてここが自分にとって、いちばん心やすらぐ場所であることを実感していた。ルークのぬくもりにすっぽりと包まれて、強張っていた心と身体がすこしずつほぐれていくのがわかる。リエナはゆったりと身体を預け、眼を閉じた。
しばらくしてルークは、リエナが自分の腕のなかでおだやかな寝息を立てているのに気づいた。顔を覗き込むと、安心しきった表情でぐっすりと眠っている。思わず愛しさがこみあげてくる。起こさないよう気をつけながら、ルークはリエナの身体をそっと寝台に横たえた。
再び寝台のすぐ横の床に腰を下ろす。リエナの寝顔を見つめながら、ルークは思い出していた。
(俺達が離宮を出る時、リエナは寝室のバルコニーの硝子窓に結界を張り直していた。それも魔力を持たない俺でも、強力だとわかるほどのものだ。こいつが窓だけに張るとは思えない。恐らく、部屋全体に張っていて、俺の姿を認めたときにそこだけ解除したんだろう)
ルークはそっとリエナの頬に手をやった。
(結界の意味は一つしかない)
ルークにもリエナが結界を張った理由はわかっていた。同時に、チャールズ卿が忍び込むことに成功したとしても、リエナは指一本たりとも触れることを許さなかったとも確信している。リエナは気配に敏感だから、気づいた瞬間に睡眠の呪文を発動し、他者転移の呪文で追い出してしまえばいいからだ。
あらためて、チャールズ卿への怒りに身体が震えて来る。
次期女王とは名ばかりで、あらゆる権利を取り上げ、軟禁し、一切公式の席に出ることを許さず、復興状況すら知らせない。こともあろうか、結婚を承諾しないリエナを無理やり我がものにしようとまでしたのだ。挙句の果てには、結婚を強行した後に暗殺――チャールズ卿は、徹底的にリエナを追い詰め、傷つけた。
(自分の身は自分で守らないといけない――どれだけつらかったか。夜ゆっくりと休むことすらできなかったのだから。これからは毎晩安心して眠らせてあげたい。幸せにしたい。俺達の犯した罪の意識が消えることはないが、それを少しでも忘れられるくらい、お前を幸せにする)
ルークは誓いを新たにしていた。
********
「……いつの間にか眠っちまったか」
ルークはゆっくりと身体を起こした。リエナの寝顔を見つめているうちに、自分も床に座ったまま彼女の眠る寝台に突っ伏して眠り込んでしまっていたらしい。ここ一月以上出奔準備のために睡眠時間を削っていた上に、昨夜は一睡もせず、今日も歩き続けて、さすがに疲れが出たのだろう。リエナはまだ眠っている。疲れの残る顔をしているが、表情は穏やかだ。
窓の外を除くと、すっかり暗くなっている。
ルークは荷物から残っていた林檎を取り出し、再び寝台の横の床に座り込んでかじり始めた。とりあえず空腹を満たすと、リエナの様子を窺った。まだ当分眼を覚ましそうにない。
それを確認したルークは、もうひと眠りすることにする。いつ何時、追手に見つかるかもしれないのだから、身体を休めることのできるときに休んでおいた方がいい。ルークは湯を使って汗を流すと、そのまま直接、床にごろりと横になった。この部屋には寝台が一つしかない。とはいっても、二人用のものだからルークが隣に寝られるだけの広さはあるけれど、朝目覚めたときにリエナを驚かせるのも忍びない。
ルークは眼を閉じると、再び眠りに落ちた。リエナもこんこんと眠り続け、翌朝まで目を覚まさなかった。
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