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旅路の果てに
第8章 7


 リエナの微笑みを見て、ルークの深い青の瞳にも光が戻った。同時に、ルークもリエナに伝えなければいけない言葉を見つけていた。

「リエナ、お前も大事なことを、間違って理解している」

「え……?」

「お前は俺に何も返せない、って言ったがな。それ、大間違いだぜ」

 今度はリエナの方がすぐには理解できない表情になる。ルークはあらためて表情を引き締めると、おもむろに話し始めた。

「――最後の戦いのこと、憶えてるな?」

「……ええ」

 リエナは頷いた。復活した破壊神シドーとの死闘である。忘れられるはずがない。最後、相打ちを覚悟で放ったルークの渾身の一撃で、ようやく長い戦いは終わろうとしていた。しかし、シドーは断末魔の絶叫の中でもがき苦しみ、鋭い爪がルークの腹部を貫いた。シドーはルークの身体を貫いたまま腕を振り回し、ルークは空中に放り出された。

「俺が地面に叩きつけられる寸前の、あの回復呪文のおかげで俺は助かった。お前は俺の生命の恩人なんだ」

「生命の、恩人……?」

 リエナにとって、思いもかけない言葉だった。それこそ、当たり前のことをしたに過ぎなかったのだから。

「そうだ。お前があの時、回復の呪文を発動していなければ、俺は確実に死んでいた。生命の恩人以外の何ものでもないだろ?」

「あの時、わたくしはただ、あなたを……」

 それ以上言葉が続かないリエナに、ルークはわかっていると頷き、話を続けた。

「お前のおかげで九死に一生を得たんだ。これ以上、何を返すって言うんだ? それに、お前はいつも自分が守られてばかりだって言うがな、俺だって同じだぜ。お前の回復の呪文があるから、無茶だとわかってても突っ込める」

 ルークはリエナに向き合った。

「――お前がいたから、俺は戦ってこれた。お前の存在そのものが俺の支えだった」

「わたくしが、いた……から……?」

「そうだ。それだけは、わかって欲しい」

 リエナは驚いたように、ルークをじっと見つめている。

「あなたが、そんなふうに思ってくれていたなんて……」

「意外だったか?」

「……すこしだけ」

「俺こそ、お前にきちんと伝えていなかった。何度でも言うぜ。俺はお前がいたから、最後まで戦えたんだ。もっともこれは、アーサーも同じだがな」

 リエナはようやく、ちいさな頷きを返した。

「……そう、ね。わたくしたち三人は、ずっと一緒に戦ってきたわ。お互いに支え合ったからこそ、目的を達成できたのだから」

「わかってくれて、ありがとうよ」

 ルークはそう言うと、ふっと張りつめていた表情が和らいだ。口の端にわずかに笑みが浮かび、ぽつりと言葉が漏れた。

「……そういうことか。やっとわかったぜ」

「やっと、わかった……?」

「ああ。何故拉致まがいのことまでして、お前をここに連れてきたのかがな」

 ルークの言葉は唐突過ぎて、リエナにもすぐには真意がわからない。ルークもそれに気づいたのか、リエナに向き直った。

「悪い。こんなこと突然言っても、わけわかんねえだろうよ。俺だって、今やっとわかったんだからな。――俺が言いたいことは、一つだけだ」

 ルークは真正面からリエナを見た。表情はまた真剣なものに戻っている。

「俺は、お前が欲しかったんだ」

 予想だにしない答えに、リエナも思わずルークを見つめ返していた。

「ああ。それがすべてだ。お前から見れば、俺が自分を犠牲にして、お前を幸せにしたとしか思えないのかもしれん。だがな、それは違う。お前を救うためなんかじゃない。俺は、俺自身のために、拉致まがいのことまでして、お前をここに連れて来たんだ」

 ルークは大きく息をついた。

「俺は、ずっと前から……、いや、お前に惚れたことを自覚してから、他の男がお前の髪や肌に触れるなんて、どんなことがあっても絶対に許せなかった。それがたとえアーサーでもな。やつはお前に対して、恋愛感情を持っていない。それがわかっていても、許せなかった。誰にも触れさせたくない、誰にも渡したくない。どうしても、自分一人だけのものにしたかった。――アーサーのやつは、とっくに気づいてたんだろうよ。だから、お前に触れるようなことは一切しなかったんだ」

 ゆっくりと、ルークは視線を床に落とした。

「旅の間、お前を何度も抱きしめたよな。全部、俺なりに理由があってのことだった。――心の底ではずっと、お前を欲しいと思ってた。告白した、旅の最後の夜もそうだった。お前も俺と同じ気持ちでいてくれて、初めて余計な理由なんかなしで、ただ惚れた女として抱きしめた。……正直なことを言えば、もう少しで自制できなくなるところだったんだ。それでも、正式に婚儀を挙げるまでは、お前を抱くことはしないと決めていたから、お前一人を部屋に残して、帰った」

 床に視線を向けたまま、ルークは言葉を紡ぎ続けていく。

「それに……もし、あの夜、お前と一晩過ごしていたら……、お前も、それを望んでいてくれてたのはわかってた。だが、そうすれば間違いなく、俺は心のどこかで後悔しただろうよ。俺は、誰もが納得する形でお前と結婚すると決めていた。きちんと手順を踏んで、誰にも指一本刺されない形で、正々堂々とお前を抱きたかったんだ。――今となっては、つまらん意地を張ってたってわかるがな」

 大きく一つ息をついて、顔を上げる。

「離れ離れの間、お前がフェアモント公爵家とチャールズ卿にどれだけ苦しめられているかを思うと気が狂いそうだった。身動きの取れない自分が不甲斐なくて仕方なかった。何故、あの時ムーンブルクへ帰国させたのか、もっと粘って粘って、俺が手を離しさえしなければ、お前はあそこまで苦しむことはなかった。だから、救いたい、そう思ってたんだ。本当は、そんな綺麗ごとじゃなかったのにな。――馬鹿な男だろ?」

 話し続けるルークの口の端に、自嘲気味な笑みが浮かぶ。

「俺が大罪を犯した……お前はそう言ったな。だが、そんなものは最初から百も承知だ。心底惚れた女が、『祖国のため』の大義名分で、鬼畜野郎に犯されて、挙句の果てに殺されるなんて、耐えられるわけないだろうが! それを黙って見てるくらいなら、祖国も何もかも全部捨ててでも、お前を攫ったほうがずっとましだ!」

 ルークは両方の拳を握りしめていた。逞しい肩が震えている。

「フェアモント公爵家への王朝交代は避けられない。お前がムーンブルクに留まっても出奔しても、どちらも結果は同じだ。だが、俺が出奔を実行に移さなければ、お前は確実に殺される。それを見過ごすことこそ、俺にとっての最大の罪だ。自分の手で幸せにすると誓ったお前を見殺しにするか、ローレシアを捨て、お前にもムーンブルクを捨てさせるか、どちらか一つ罪を犯さなければならないのなら、俺はすべてを捨てる方を選んだ」

 ずっと言葉を挟まず、ルークの話を聞いていたリエナの菫色の瞳が大きく見開かれた。こらえきれずに叫ぶ。

「……だからと言って、あなたが払った犠牲はあまりにも大き過ぎるわ!」

 ルークは怒ったように、叫び返した。

「まだわからないのか!? 犠牲なんかじゃないって言ってるだろうが! 俺はお前が欲しいから、連れ出したんだ! それ以外に理由なんてない!」

「でも……!」

 ルークはリエナの両肩をつかんだ。リエナは痛みに一瞬顔をゆがめる。

 リエナの苦痛の表情を見て、ルークの内部で、急激に欲望が突き上げた。何故かはわからない。けれど、今の自分が何を求めているのかだけは、はっきりと自覚していた。

「これだけ言ってもわからないのなら、今から教えてやる」

 ルークはリエナをいきなり抱き上げた。

「何をするの!? やめて!」

 そのまま寝室に運んで行こうとする。リエナは必死に抵抗するが、ルークはあっさりかわす。リエナを抱き上げたまま寝室に入り、寝台の上に、半ば投げ出すように横たえた。

 ルークはリエナの身体に覆いかぶさるように、菫色の瞳を見据える。深い青の瞳は、明らかな欲情の色を見せていた。

「俺はこれからお前を抱く。俺がどれだけお前に惚れてるか、思い知らせてやる……!」

「ルーク……」

「覚悟はいいな」

 リエナも涙に濡れた瞳で答えた。

「……思い……知らせて……!」




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