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旅路の果てに
第9章 1


 ルークとリエナが出奔してから3か月余りが経った。比較的温暖なローレシアにも冬が訪れている。

 ローレシアの公式発表ではルークは静養中のままである。しかし、流石にもう彼の出奔を隠し通すことは困難になっていた。

 ローレシア王と宰相バイロンは極秘で協議の上、第二王子アデルと国政に深く関わる重臣にだけは、ルークが出奔した事実を打ち明けることとなった。

 それに伴い、アデルに王太子の公務を代行させることを決定した。無論、王太子位をアデルに譲ったわけではなく、あくまでルークが本復するまでの暫定措置である。

********

 アデルは父王の執務室の前に立った。17歳になり、すっかり大人びた彼の顔には、いつにないほどの緊張が見える。今回の呼び出しが非常に重要な要件であることはわかっている。何しろ、常に王の側を離れず仕える宰相バイロン自ら、使者の役を買って出たのだから。

 バイロンがアデルのために執務室の扉を開けた。アデルは軽く目礼すると室内に入った。バイロンがアデルの後に続く。

 厳重に人払いがされ、室内にいるのは王ただ一人のみである。アデルが父王に挨拶の口上を述べると、王は単刀直入に切り出した。

「アデル。今日はそなたに、極めて重要な話がある」

「はい」

 いつも以上に厳しい父王の言葉に、アデルも表情を引き締めた。

「ルークが湖畔の離宮で静養しておることは、そなたも承知していよう。――だが、事実は違う」

 王の琥珀色の瞳に、鋭い光が宿る。

「はい」

「ルークはローレシアから出奔した」

 アデルは衝撃のあまり、目を閉じそうになった。しかし、父王の御前である。かろうじて、思いとどまった。今夜呼び出しを受けて、アデルは心構えをしていたものの、こうしてあらためて父王自らの口から事実を突き付けられると、その衝撃は予想を遥かに上回る物だったのである。

「畏れながら、父上。……私には到底信じられません。いえ、私も噂は聞いておりました。ですが、あの兄上がそのようなことをなさるなどとは……」

「そなたがそう言いたいのはわかるが、事実だ」

 王は淡々と話を続ける。

「既に3か月以上前のことだ。書斎に直筆の書状が残されておった。書状には王太子位を返上し、王位継承権と王族としての権利をすべて放棄する旨、書かれてあった。ルークの出奔の理由は、ムーンブルクのリエナ姫救出だ。今も間違いなく、リエナ姫と行動をともにしておろう」

 アデルは父王から話を聞かされる前から既に、ルークの出奔の噂とその理由を耳にしていた。周囲の人物――以前からアデルが王位を継ぐことを望む、母マーゴット王妃と祖父エルドリッジ公爵、そして母と祖父の取り巻き達である――から、様々な憶測を聞かされていたからである。

 始めは到底信じられなかった。アデルもルークがリエナとの結婚を望み、自分へ王太子位を譲りたいと希望していることも知っていた。それでも、あの責任感の強いルークがまさか、そのような暴挙に出るとは思えなかったのである。

 しかし、ルークが湖畔の離宮で静養すると発表された後すぐ、離宮に見舞いに訪れた時に面会できなかったことで、アデルも噂が正しいのかもしれないと認識せざるを得なかった。古傷が悪化したまま体調が戻らないと説明を受けたが、幼い時からルークをよく知るアデルには納得できるものではなかった。ルークが離宮に不在であると考えるより他なかったのである。

 しかしその一方で、ルークの不在は出奔ではなく、別の理由――王から密命を賜って従事しているからだと言う者もあった。アデルは心に大きな不安を抱えながらも、そちらであると信じたかった。しかしそれは、他ならぬ父王の言葉で打ち砕かれたのだ。

「……承知、致しました」

 アデルはようよう言葉を絞り出した。肩がわずかに震えている。今まで発言を控えていたバイロンが補足説明をする。

「リエナ姫様も現在、絶対安静の状態で側仕えが女官長のみだと報告を受けてございます。絶対安静となられたのが、ルーク殿下のお姿がローレシアから消えた日と同じでございました。その事実がある以上、御二方はご一緒に行動なさっていると考える他ないかと」

 アデルはバイロンに頷きを返したが、続きの言葉は出ない。しばらく厳しい表情でいたが、自分は第二王子としてなすべき役割がある。気持ちを奮い立たせて父王に向き直った。

「状況はわかりました。父上、一つ伺ってもよろしいでしょうか」

「何だ」

「兄上がムーンブルクで拘束されている可能性についてです」

「可能性はほぼ否定されておる」

「アデル殿下、陛下もその点を懸念なさっておられました。しかし、出奔発覚の直後にムーンペタのすべての密偵へ調査を命じましたが、ルーク殿下拘束の事実どころか、離宮へ侵入した形跡も噂も何一つございませんでした」

「離宮に侵入した形跡すらない?」

 バイロンの言葉にほっと胸を撫で下ろしつつも、アデルが驚いて尋ねた。

「はい。ルーク殿下がどのような方法を採られたのか、それもわかりませぬが、その後の調査でも、ムーンペタの離宮ではまったく動きがございませぬ。リエナ姫様も絶対安静のままで、お姿を拝した者がおりません。よって、ムーンブルクも我が国同様、捜索が難航しているのではないかと」

「兄上の行方については未だ、手掛かりがないのですね」

 王は頷いた。厳しい表情の中に苦渋の色が混じる。

「その通りだ。無論、すぐに追っ手を放ったが、行方は杳として知れぬのだ」

 アデルにも事情は理解できた。ルークはムーンブルクまではキメラの翼を使ったのだろうが、リエナと合流すれば、ハーゴン討伐で世界中を旅した彼らは望む場所へ瞬時に移動できる。仮に追っ手に姿を目撃されても、すぐにまた移動の呪文を発動しさえすれば、捜索は振出しに戻るのだから。

「では、兄上とリエナ姫様は既にムーンペタから遠く離れた場所にいらっしゃる可能性が高い――父上はそのようにお考えなのですね」

「そうだ」

「既にどこかに定住なさった可能性もあるのではないでしょうか」

「そなたの言う通りかもしれぬ。いくら身をやつしても3ヶ月も放浪しておれば、どこかで姿を見た者がありそうなものだが、それすらないのでな。だが、王族が市井の民の中で生活するのは難しい。いくら二人が旅慣れておったとしてもだ。かといって、貴族に匿われているとも思えぬ。事前に何らかの打ち合わせがあれば、いくら慎重を期してもどこかで計画が漏れる。少なくともローレシア国内では二人の影すら見当たらんのだ」

「サマルトリアの可能性はございませんか?」

「サマルトリアか。有り得んな」

 王は即答した。

「アーサー様がいらっしゃっても、ですか」

「あのオスカーが許さぬだろうよ。無論アーサー殿もリエナ姫の窮状を訴えておっただろうが、具体的な策に出ておらぬ。それが何よりの証拠だ」

 オスカー――サマルトリア王ランバート9世は、ロト三国の中でも徹底して中立の立場を崩していない。ルークとリエナを匿えば、サマルトリアを危機に晒すことになりかねないのだ。好き好んで、自国内で面倒事を引き受けるとは思えなかった。

「では、これからも捜索は続行するしかないのですね」

「そうだ。もし手掛かりが残っておるとすれば、リエナ姫がムーンペタで発動した移動の呪文の痕跡だろうが、この一件に関してはムーンブルクと協力体制をとるわけにはいかぬのでな」

 王の言葉に、アデルは何か思いついたような表情になる。

「呪文の痕跡……ですね。父上、何故ムーンブルクも捜索が難航しているのか、わかった気がします」

「どういうことだ?」

「先程父上が仰せになった通り、移動の呪文を発動後には痕跡が残ります。通常でしたら、リエナ姫様の魂の色が出発地点から到着地点まで続いているはずです。ですが、リエナ姫様はその痕跡を消すことができると聞いています」

「何だと?」

 王もバイロンもとても信じられないという顔をしている。常識で考えれば、ありえない話だからだ。移動の呪文の痕跡を消すには、移動しながら同じ速度で自分が発動した呪文を打ち消していく必要がある。強大な魔力を要するのはもちろんのこと、よほどうまく制御しなければ、呪文の効力が消えて落下事故につながってしまう。

「私は兄上から直接伺いました。ですから、間違いのない事実です。こんなことが可能なのは、世界広しと言えど、リエナ姫様ただお一人です」

 王は唸った。王もさほど強くはなくとも魔力を持っている。呪文の痕跡を消すのがどれほど難しいことか想像に難くない。

「なるほどな。流石はリエナ姫だと言うほかはなかろう。移動は世界中へ可能。しかも痕跡すら残さない。これでは捜索しようにも雲を掴むような話だ」

 王は納得すると、再び厳しい表情に戻った。

「もう一つ、そなたに重要な要件がある」

「はい」

「ルークが不在の間、そなたが王太子代行として、公務に就くのだ」

「……御意、父上」

 アデルはこの話も予想していたが、返答にはわずかな間があった。

「ルークが再三、リエナ姫との結婚を望み、そのために王太子位をそなたに譲りたいと言っておった。結果として、ルークの希望が叶うことになったのは遺憾だが、致し方なかろう。そなたが王太子代行を務める理由はわかっておろうな?」

 兄不在の今、第二王子である自分の役割であるのはわかっている。わざわざ念押しされる理由は一つしか考えられない。

「承知しております」

「アデル。ルークに代わり、代行ではあっても王太子としての自覚を持って公務を務めるのだ。よいな」

「御意、父上。兄上に代わり、誠心誠意、務めさせていただきます」

 アデルは深々と一礼すると、執務室を後にした。

********

 アデルは自室に戻った。侍女に手伝わせて部屋着に着替えると、しばらく考え事がしたいからと下がらせた。

 自分が兄に代わり、王太子代行として公務に就く。

 アデルにはこの決定の真の意味が嫌と言うほどわかっている。諸外国に対してルークが湖畔の離宮で静養中であるという発表を維持するためのものであるが、同時に、最悪の事態――このままルークが発見されなかった場合を想定して、アデルに王太子としての経験を積ませるためでもある。

 このことを母マーゴット王妃と祖父エルドリッジ公爵が聞いたら、狂喜乱舞するに違いない――それを思って、アデルは重い溜め息をついた。

 アデル自身は、自分が王位に就くことなど一度たりとも望んだことはない。しかし、魔力を持たないルークの代わりに、自分を王位に就けることを望む人物が多いことは承知していた。そしてその筆頭が、アデルの母と祖父なのである。

 ローレシア国王となるべきなのは、ルークしかいないとアデルは考えている。自分だけではない、父王も側近らも同じであるとわかっていた。そして何よりも、ローレシアの民が、ルークの即位を望んでいる。ルークもそのことを承知しているはずだった。

(――兄上。何故、このようなことを……)

 正直、アデルにルークの気持ちは理解できなかった。自分なら、いくら愛する女性が生命の危機に瀕していようと、祖国を捨てるような真似はできない。アデルにはまだ、大切にしたいと思う存在はいないが、仮にいたとしても、国と引き換えにするわけにはいかない――王族として、当然の考えだった。

 それでもなお、アデルがルークを尊敬する気持ちは変わらない。幼いころからアデルはルークを兄と慕い、ルークもアデルを弟としてかわいがってきた。王太子位を争う周囲の思惑は関係なく、異母兄弟ながら、仲が良かったのだ。

 アデルはルークから何度も剣の稽古をつけてもらっている。アデルも実際の17歳という年齢よりも遥かに剣の実力はあるが、ルークには到底かなわない。魔力を持たないルークは、自分には剣しかないとそれこそ血の滲むような修業を積んできたのだから。

(17歳――自分と同じ年齢で、兄上はハーゴン討伐の旅に出られた。城を離れた経験のない僕には想像すらできないほどの過酷な旅だったのだろう)

 アデルは、つと顔を上げた。

(リエナ姫様も同じ――いや、それ以上にご苦労なさったはずだ。ムーンブルク崩壊の時にはわずか15歳。たった一人生き残ったことが、どれほどおつらかったか。しかも女性の身で、ご自分の手で祖国を復興するために、戦い抜いた。兄上とアーサー様とともに)

 そこまで考えを巡らせて、すこしだけルークの気持ちが理解できた気がした。

(ともに旅をして、苦労を分かち合ったんだ。兄上がリエナ姫様を心から大切に思われるのも、お二人が惹かれ合うの当然なのかもしれない)

 アデルの瞳に強い光が宿る。

(出奔は、兄上がすべて覚悟なさったうえでの行動だ。僕が、その後を引き継がなければならない。それが、王族としての僕の義務だ)

 自分がローレシアを治めることになるのかもしれない――アデルも覚悟を決めなければならなかった。




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