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旅路の果てに
第9章 2


「アデル。陛下の仰せの通り、よくよく務めるのですよ。ルーク様のご体調が一向によくおなりにならないのは大変お気の毒ですけれど、その分あなたがお助けすればよいのですからね」

 アデルの母であるマーゴット王妃は、お気に入りの絹張りの椅子に腰かけ、羽飾りのついた扇で口元を隠しつつ嫣然と微笑んでいる。

「その通りですぞ、アデル殿下。何しろ、緊急事態ですからな」

 マーゴットの隣では、王妃の父でアデルの祖父にあたるエルドリッジ公爵がこれまた上機嫌で座っている。口では緊急事態と言いつつ、表情の方はまるっきり反対なのであるが、繕おうとすらしていない。

「……はい」

 アデルは返事をしたものの、内心では深く溜め息をついていた。父王アレフ11世からルークに代わり王太子の公務に就くよう命じられた翌日の朝、早速話を聞きつけたマーゴット王妃とエルドリッジ公爵から呼び出しを受けたのだ。予想通りの展開に、アデルの心は重くなる一方だった。

 今もマーゴットと公爵はルークを目の敵にしている。アデルは物心ついたころから、それを嫌と言うほど見てきたのだ。アデルも過去の事情を知っているだけに、母と祖父がそう思うのも理解できなくはない。けれど、アデル自身はルークを兄と慕い、尊敬の念を持っている。将来は兄を補佐してローレシアをより繁栄させたい――それだけが望みだったのだ。そして、ずっと母と祖父には自分の望みを訴え続けてきたが、その度一蹴されるばかりだった。

 アデルの心痛をよそに、マーゴットは上機嫌で話し続けている。

「よろしいですか、代行とはいえ、常に王太子にふさわしい振る舞いをせねばなりません。そのことだけは、いついかなる時にも心に刻んでおくのですよ」

 公爵も重々しく頷いて同意した。

「殿下、王妃のお言葉、くれぐれもお忘れなきよう」

 三人が話している場所はマーゴットの私室の居間である。室内は豪奢な――少々過剰ともいえるほどの、家具や調度品で飾られている。部屋の主であるマーゴットもそれにふさわしく、ローレシアの最新流行のドレスに身を包んでいた。その姿は、成人した息子がいるとは思えないほどに若々しい。

 マーゴットは現在のローレシア王妃で、ルークの生母であるテレサ王太子妃亡きあと後添いとして迎えられたのである。もともとマーゴットは最有力のお妃候補と言われていて、本人も自分が王太子妃になると確信していた。それが様々な要因が重なり、急遽、他国からテレサ王女が輿入れすることになったのだ。エルドリッジ公爵は怒り心頭に発したが決定が覆るはずもなく、またマーゴットもその自尊心の高さが仇となって、その後もなかなか縁談が纏まらなかった。

 しかし、テレサ妃が輿入れ後1年半足らずでルーク出産と同時に薨去したことにより、今度こそはと公爵が王に娘を王太子妃にと直談判したのである。

 マーゴットは後添えとはいえ王太子妃になれたが、結果として貴族の令嬢としてはかなり遅い結婚だった。けれど若い時から美貌を謳われ、本人も容色を保つための努力だけは怠らなかったため、今も年齢を感じさせない美しさを誇っている。

 エルドリッジ公爵もいよいよ自分の野望が成就することとなったのだ。ずっと自分の娘の産んだ王子がローレシア王として即位することを夢見てきた。特にルークが魔力を持たないことが明らかになった後は、本気でアデルを王太子に就けるべく、マーゴットとともに奔走し続けてきたのである。

 しかし、さんざん協議を重ねた結果、立太子したのはルークだった。

 この時のマーゴットと公爵の落胆ぶりは大変なものだった。しかし、ローレシアは一番年長の男子が王位を継ぐ習わしである。魔力を持たないことは問題視されたが、ルークの剣の才能と実力は欠点を補って余りあるものだったのだ。ルークは正室所生であるから、この点でも文句のつけようがない。

 そのまま野望は潰えたかと思ったが、ムーンブルク崩壊という思わぬ機会が巡って来た。もしルークが討伐の旅で生命を落とすか、公務ができない状態になればアデルが王太子位に就くことになる――無論、口には出さず心の中で思うだけに留めてはおいたが、大いに期待していたのである。その後ルークが無事凱旋したことで再び野望が潰えたはずが、3か月前の出奔騒ぎでまた可能性が出てきた。しかも今回こそ期待できる状況だけに、笑いが止まらない気分だった。

「すぐにでも支度を始めねばなりませんわね」

 さっきからずっとマーゴットの声は上ずっている。本人は意識しているのかどうかわからないが、少なくとも公爵同様嬉しさを隠すつもりはないらしい。

「支度、ですか?」

 アデルが訊ねた。マーゴットの言う意味がすぐには理解できないのである。

「あなたの新しいお衣装ですよ」

「私の衣装……何故そのようなものが」

 マーゴットは息子の言葉に少々目を丸くした後、わずかに窘めるような顔をした。

「あら、代行とはいえ、王太子として公式の席に出るのですから、それにふさわしい礼服や装身具、剣帯なども必要になりますわ。今までと同じ装いでは、お客様の前で恥をかくことになりますもの。既に特別に予算を計上するよう伝えました。急いで仕度せねば間に合いませんから、あなたもその心づもりをしておくのですよ」

「王妃の言う通りですぞ。ここはエルドリッジ公爵家からもアデル殿下に最高の品を用意させていただきます故、ご心配召さらぬよう」

 公爵も頷くと、早速公爵家伝来の宝物からあの品とあの品を使おうとか、マーゴットも自分が贔屓にしている仕立屋を呼ばなくてはなどと、相談を始める始末だった。

――やはり、兄上のお帰りなど、露ほども望んでいらっしゃらないんだ。

 最初から分かり切っている事実であっても、ますます鬱々としてくる気持ちはどうしようもなかった。

********

 アデルもすぐに多忙な日々を送ることになった。毎日のように、マーゴット王妃とエルドリッジ公爵から遣わされた仕立屋や彫金職人らが訪れる。その度、礼装や装身具の意匠画と、その材料となる生地や飾り、宝石類などがどっさりと持ち込まれた。

 アデルも気が進まないながらも公務の一つと割り切り、仕立屋や職人達の勧める品々を試した。また、マーゴットは常に、公爵も都合さえつけば同席し、あれこれ注文をつけていた。

 同時に、帝王学の講義も再開された。こちらはルークが旅に出ている間に一通り修了していた。しかし言うまでもなく、ルークの凱旋帰国した後には学ぶ必要がなくなっている。しかも、ルークの旅の間はアデルが成人前だったために王太子の代行は立てられず、机上での勉強のみで公式の席に出ることはなかったから、再度本腰を入れて勉強しなくてはならない。

 当然のことながら、これからはルークと同じだけの役割が求められる。こちらの方は、アデルは実に熱心に勉学に励んだ。

 また、来客が一気に増えた。アデルが将来即位することを見込んでの、機嫌伺いの訪問である。ある者は大っぴらに、またある者は一見残念そうな表情を繕っているが、いずれも少しでもアデルの覚えをめでたくするがための行動なのが明白だった。

 自分のところに来る人物たちは皆、十中八九、兄上の出奔に気づいている――アデルは溜め息をつかざるを得なかった。無論、国内ではっきりと事実を知らされているのは自分と母王妃、祖父公爵の他、わずかな重臣のみである。けれど、人の口に戸は立てられず、少しずつ噂として広がっていったらしい。王太子が出奔、しかも他国の時期女王を拉致してなど――陰では『駆け落ち』などという言葉で表現する者もいた――前代未聞の醜聞であるから、国外へ漏らすようなことは一切ない。しかし、内々ではアデルを王太子代行ではなく、正式な次期国王として接する者ばかりだったのだ。

 アデルも現状と自分の置かれた立場は理解している。アデルは昨年成人の儀を迎えて17歳になった。成人の王族として王太子の公務に就く以上、いくら代行であってもルークと同じか、それ以上の働きをしなければならない。周囲の自分の扱いが激変したことに戸惑いを覚えるのと同時に、王太子が如何に重責であるかも痛感していた。

 覚悟を決めたとはいえ、今でもアデルは王位に就きたいわけではないし、ルークの帰国を心から願っていることは変わらない。母や祖父のように浮かれた気持ちになど、到底なれないのである。

――僕は王族としての義務を果たすしかない。兄上がお帰りになるまで、代わりに役目を全うする。それ以外の選択肢などないのだ。

 アデルはただひたすら、自らに課せられた責務に没頭した。

********

 しばらくして、ローレシア城で夜会が開かれることになった。ローレシア国内行事のある記念式典の名目であるが、ここでアデルの王太子代行の御披露目を兼ねることになったのである。

 今回の招待客は、国内の主だった貴族である。何分、アデルの初めて王太子代行としての公式の席でもあるし、代行そのものがルークが本復するまでの期間限定である。まずは内々での御披露目を先に済ませようとの趣旨である。諸外国へは時期を見て、あらためて夜会を開催する予定でいる。

 また、諸外国でも特に重要な国――ラダトームとサマルトリアへは、アデル本人が公式訪問して、王太子代行を務める旨の報告と挨拶をすると決定した。

********

「まあ、アデル……!」

 マーゴットは感嘆の声を上げた。アデルの姿を見ての第一声である。

 夜会当日の夕刻、間もなく日も暮れようとする時刻である。支度を終えたアデルが母王妃と祖父公爵に挨拶するため、訪問したところだった。

「アデルのこの姿を何度夢見たことか……。なんて素晴らしいのでしょう……!」

 感極まったマーゴットが声を詰まらせた。

 今夜アデルが纏うのは、ローレシア王太子の礼装である。

 マーゴットが選びに選び抜いた生地を使い、ローレシアで最高の仕立屋が精魂込めて縫い上げた極上の衣装である。正式には代行である分、装身具などでルークとはわずかに差をつけてある。しかしアデルの若さあふれる溌剌とした姿はそれを感じさせなかった。

 アデルは日々帝王学の勉強で多忙の中、剣の修業も怠らず、ローレシアでも頭角を現し始めている。ルークには及ばずとも、騎士の国であるローレシアの王子にふさわしい、鍛え上げられた長身の持ち主である。礼装に身を包み、この日のために新たに王から賜った剣を腰に佩いた姿は、マーゴットにとって、このうえなく輝かしく映るのだった。

 公爵も我が孫の姿に相好を崩し、何度も頷きを繰り返している。

「実にご立派なお姿ですぞ、アデル殿下」

「ありがとうございます」

 アデルは軽く頭を下げて礼を述べた。

「アデル殿下のお姿の見事さに、寿命が延びる思いが致しますな」

 公爵はまた満面の笑みで頷いている。

「さあ、参りましょう。お客様がお待ちかねですわ」

 自身も、いつもよりもいっそう豪華絢爛な衣装を纏ったマーゴットが微笑んだ。有頂天の母王妃と祖父公爵をよそに、アデルの表情は硬い。

********

 王太子代行として初めて公式の席に姿を現したアデルを見た招待客たちは、みな一様に賛辞の言葉を繰り返した。

 アデルは今までも優秀な王子だと評判が高かった。だからこそ、マーゴットも公爵もぜひとも王太子にと夢見てきたのである。けれど、ルークの凱旋後は、破壊神を倒した兄の陰でやや控えめな印象を与えていたのは否めない。それが、こうしてあらためて王太子代行として凛々しい礼装姿を披露したアデルに、彼もまた立派なローレシアの王子だと認識を新たにしたのだった。

 マーゴット王妃もエルドリッジ公爵も得意満面の様子である。無論、ルークは静養中であるからあまり大っぴらにはできないが、それでも嬉しさを隠しきれていない。

 その後、次々と挨拶に来る招待客からの受け答えや会話もきちんと作法に則り、危なげなくこなしている。

 大勢の客の前での申し分のない王太子振りに、王も宰相バイロンも、これならば充分にルークの代行が務まるとほっと胸を撫で下ろしていた。

********

 夜会終了後、アデルは礼装のまま、父王の私室を訪問した。あらためて、自分のために夜会を催してくれたことへの礼を述べるためである。いつもなら、夜会の席から退出するときに済ませるのだが、今夜は特別であるから、事前にその旨の使者を送っておいたのだった。

 侍従長が部屋の扉を開けると、宰相バイロンがにこやかに立っている。奥には、王もゆったりと椅子に腰を下ろしていた。

「父上。本日は誠にありがとうございました。おかげさまで、滞りなく皆様への挨拶を済ませることができました」

 丁寧に頭を下げるアデルに、王も満足げな声をかけた。

「ご苦労だったな。これからが本番だ。心して公務に当たってくれ」

「御意、父上。精一杯、務めさせていただきます」

 その後まもなく辞去の挨拶を済ませた。アデルが部屋から退出する際、バイロンが声をかけてきた。

「お見事でございました。アデル殿下」

「バイロンの合格点がもらえたかな」

 アデルもようやく緊張から解放されたのか、普段の口調に戻っている。

「はい。立派に及第でございますよ」

 バイロンが答えた。アデルもルーク同様、生まれたばかりの時からずっと成長を見守っている。心を籠めて仕えてきた王子が立派に成長した姿は感慨深いものだった。同時に、これでもしルークが出奔せず、アデルが本人の希望通り兄王を補佐するのであれば、ローレシアは安泰であったのにと残念に思う気持ちもあった――無論、アデルの前では微塵も出さなかったけれど。

「よかった。――こんなに緊張したのは、成人の儀の時以来だ。僕もできる限り公務に励むから……」

 兄上が戻られるまで……アデルは思わず口に出しそうになったが、かろうじて押しとどめた。

「これからも、よろしく頼むよ」

「御意、殿下。老体ではございますが、少しでも殿下のお役に立てるよう務めさせていただきます」

 バイロンは姿勢を正すと、深々と一礼した。




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