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旅路の果てに
第9章 3


 ムーンブルクもローレシア同様、状況は何も変わっていなかった。

 復興事業を統括し、現在のムーンブルクの実質的な支配者の地位にある、フェアモント公爵家のチャールズ卿は、今も必死の捜索を続けている。

 チャールズ卿は、父フェアモント公爵とともに、自分がリエナの夫となり、その後リエナを亡き者とすることにより、ムーンブルク王位奪還を目論んでいた。しかし、婚約発表の直前、リエナはルークと出奔した。野望の成就を目前にして、ルークによって潰されたのである。卿の二人への怒りは尋常なものではない。

 リエナに関しての公式発表も変わらず、絶対安静のままで女官長だけが側仕えを務めていることになっている。ただ、ローレシアとは違ってリエナはもとから行事などには姿を現していないため、まだ出奔の事実が外部に漏れずに済んでいる。しかし、それも時間の問題となりつつあった。

********

「あの若造……! リエナをどこに拉致したというのだ!」

 チャールズ卿は卓上にある酒杯を乱暴に取り上げ、一気に呷った。更に酒瓶を取って注ぎ、再び飲み干した。この酒も葡萄酒ではなく、葡萄酒から製造した蒸留酒である。非常に強い酒で、そうそう続けて飲み干せるような代物ではないのだが、まるで水を飲むように空け続けている。

「これだけ虱潰しに探しているのに、何故見つからんのだ!」

 チャールズ卿は今日まで、思いつく限りのありとあらゆる場所を繰り返し捜索した。しかし、二人の居場所どころか、立ち寄った痕跡すら見つからない。忽然と姿を消して以来、行方は杳として知れないのだ。

 無論、わずかでも手掛かりになりそうな情報がもたらされると、即座に確認のための人間を派遣したが、すべて徒労に終わっている。どれもが不正確であったり、ひどいものだと報奨金目当ての虚偽の情報だった。

 どうしても理由がわからなかった。いくらルークが用意周到に準備していたとしても、事前にリエナとは打ち合わせしていない。それにリエナはハーゴン討伐で旅慣れてはいるが、長い軟禁状態のせいで以前のような体力はなくなっているはずだった。足弱の女性を連れてはそうそう長旅もできないし、どこかに定住したとしても必ず身の周りの世話をする人間が必要になる。

 事前にどこかの貴族なり市井の民で地元の有力者なりに話を通していて、そこに匿われている可能性も捨て切れていない。しかし、それならば必ず周囲の、特に召し使い階級の人間が、ご主人様がどなたか身分の高い方を匿っているらしいなどと噂するはずである。ルークやリエナのような、非常に目立つ容姿の持ち主なら尚更だった。けれど、そう言った噂のかけらすら聞こえてこないのだ。

 チャールズ卿は自分の捜索方法が間違っているなどとは微塵も考えていない。しかし、見つけられないのも当然だった。何故なら卿が探しているのはあくまで『ローレシア王太子』と『ムーンブルク次期女王』だからだ。

 卿も大公爵家の嫡子である。生まれた時から召し使いに囲まれ、身の回りのことはお付きの者に任せるのが当たり前だった。卿はルークとリエナが旅の間は王族の身分を隠して、普通の旅人と同じ生活を送っていたことを承知してはいる。しかし、あくまで頭で理解しているに過ぎず、彼らが実際にどんな生活を送っていたのかについては、まったく興味がない。普段は野宿で、町や村に着いてようやく宿に泊まれたことや、リエナが料理や繕い物が得意であることなど知る由もない。そもそも王侯貴族が側仕えなしで生活するという発想自体がないのだ。

 そのため卿は、今もルークとリエナが王族と同等かそれに準じる水準の暮らしをしていると思い込んでいる。従って、捜索範囲も最高級の宿屋の他、王族が住むに値するだけの城や離宮、もしくは大貴族の別邸などが中心となる。しかし実際には、二人は王族どころか貴族ですらなく、ごく普通の庶民として暮らしている。しかも、場所は大きな町ではなく、人里離れた山奥の村である。

 ルークとリエナが住むトランの村は、まとめ役のジェイクを除けば、誰もほとんど村からは出ない。みな山深い村の生活を好んで、町に出ずに暮らしている。老人が多い村に、彼らのような若い夫婦は歓迎された。しかも二人ともがそれぞれに剣と呪文という、村にとって極めて有益な特技を持っている。

 ルークが村の用心棒として魔物を倒し、また男手が足りないために、力仕事を引き受ける。リエナは回復に解毒、更には結界の呪文を村人のために発動する――要するに、王族の彼らが、生活のために働いているのである。ここまでくると、完全にチャールズ卿の理解の範疇を超えている。

 おまけに、二人は貴族階級出身であると最初から明かしている。そのうえで駆け落ちしてきたのだと説明して、剣と魔法を提供する代わりに、交換条件として村ぐるみで匿ってもらっている。二人に隠れ住む場所が絶対に必要なように、トランの村にも用心棒が絶対に必要だった。いわば、持ちつ持たれつの関係で、お互い裏切ればそれぞれにとって損失にしかならない。おまけにルークとリエナは、自分達の方から積極的に村に溶け込み、村人達とは極めて良好な関係を築いている。

 庶民と同じ暮らしをしていること、その暮らしを手に入れるための対価として労働を提供していること――この二つの点が、チャールズ卿の考えの盲点だったのだ。

 事態は何の進展もないまま膠着状態に陥っていた。業を煮やしたチャールズ卿は、各国の領事館へ新たな通達を出した。ルークとリエナを発見した者には、多額の報奨金を出すという内容である。リエナの出奔が明らかになってすぐ、密かに二人らしき人物を見かけたらすぐに報告するよう通達を出していた。だが、もう極秘の捜索では埒が明かないとばかりに、かなり大っぴらに触れを出すよう――もちろん正式な身分や名前などは伏せていたが――指示したのだった。

********

「チャールズ卿、早まった真似をなさいましたな」

 ムーンブルクの宰相カーティスは厳しい顔でチャールズ卿を見据えた。領事館へ出した通達の報告を受けての発言である。報告を受けた時には既に処理済みで、取り消しできる時期はとうに過ぎていた。

「早まった真似、ですか?」

 チャールズ卿はカーティスの言葉など歯牙にもかけず、じろりとねめつけた。

「そうです。捜索はあくまで極秘裏に行うべきであることは、卿も承知されていたはずですが」

「宰相がそう言うからには、確実に二人の居場所を見つける方法があるんでしょうな」

 カーティスはすぐに返事ができなかった。遺憾ではあるが、卿の言う通りなのである。当然のことながら、手をこまねいて見ていただけではない。常に領事館との連絡を欠かさず、捜索には全力を尽くしている。カーティスは現在、ラダトームとの極秘案件の全権を任されている。多忙を極める中、できる限りの対策を取っているのだ。

 答えられないカーティスに向かって、卿は軽く手を振って見せた。

「まあ、無理でしょう。これだけ探して見つからないとなると、魔法で異世界にでも移動したとしか考えられませんからな。とにかく、大っぴらだろうがなんだろうが、現状では手段を選んでなどいられません」

 カーティスはこれ以上の反論は無意味だと判断した。チャールズ卿の意見にも一理あるのだ。今までと同じ方法で捜索しても進展がないのは目に見えているのだから。

「宰相、とにかく重要なのはリエナ姫がムーンブルクへ戻ることですよ。拉致強姦犯のルークなど……」

 カーティスがチャールズ卿の言葉を途中で遮った。

「卿、ルーク殿下は仮にもローレシアの王太子であられます。そのような物言いは慎まれてはいかがですか」

 チャールズ卿は鼻で笑った。卿のこのようなルークへの口振りは今に始まったことではない。

「私は間違ったことを言ったつもりはありませんがね。ルークがリエナ姫を拉致したことは明白な事実です。しかも姫への執着は狂恋としか言いようがない。それとも宰相は、本気で拉致しただけで満足するとでも言うのですか? あれだけの女を手に入れて、抱かずにいられる男などいるはずがない。もし存在するなら、ぜひお目にかかりたいものですな」

 その時、ほんの一瞬、チャールズ卿の表情が奇妙に歪んだ。しかし、幸いなことにカーティスの目には入らなかったらしい。卿はすぐさま表情を元に戻すと、再び話し始めた。

「リエナ姫がムーンブルクに戻りさえすれば、ルークの罪が明るみに出ることになります。そうなれば、あの男の居場所などどこにもありませんからな。本来なら間違いなく極刑に値する大罪ですが、リエナ姫が必死に助命なさるでしょう。まあ助命がなくとも、元王太子の身分と英雄とやらの名声に助けられて、極刑だけは免れそうですがね。もっともその場合は、どこかに幽閉されて一生を終わることになりますが――どちらにしろ、哀れな末路です」

 卿はせせら笑った。

「――卿! 言葉を慎まれよ!」

 カーティスが激昂した。温厚で知られるこの人物にはまずないことである。けれど、卿は意に介さず、まだ話し続けている。

「――そうそう、ローレシアでは第二王子を王太子代行として立てるそうですな。いよいよルークは見限られたということでしょう。存外、ローレシア王も頭は悪くない。女にばかり執着して何の役にも立たない王子など、さっさと切り捨てて正解です」

 これ以上何を言っても埒が明かないと悟ったカーティスは、本来の要件に戻ることにした。

「チャールズ卿、私も第二王子のアデル殿下が、ルーク殿下の公務復帰まで王太子代行を務められると伺いました。こちらからも挨拶に出向くべきだと思いますが」

「挨拶? ――何の挨拶をしようと言うのです。まさか、うちのリエナ姫がそちらの元王太子に世話になっているとでも?」

 これも無視して、カーティスは淡々と自分の意見を述べた。

「ローレシアから多大な復興援助を賜っていることをお忘れですか」

「別に忘れてなどいませんがね」

「今後とも変わりなく援助を賜るためには、こちらから挨拶に伺うのが礼儀だと考えますが」

「この、建国千年を超える魔法大国ムーンブルクが、新興国に過ぎないローレシアに頭を下げる?」

「ローレシアは既に建国後、二百年を経過しています。もう新興国とは言えませんし、我がロト三国の宗主国です。何より、復興支援を賜わっている以上……」

 面倒になったのか、卿は話の途中で遮った。

「挨拶すればいいんですな」

 卿はさもうるさそうに手を振った。

「行きたければ勝手に行けばいいでしょう。もっとも、私は行きませんがね」

「では、こちらで日程を調整します。人選も私がやりますから、卿の手を煩わせるようなことはありません」

 これで用件は済んだ。カーティスは怒りを抑えながら立ち上がると、それでも礼を失することなく部屋を後にしたのである。

********

 カーティスは自分の執務室に戻ると、出迎えた侍従に珈琲を運ぶように命じた。執務席に着いた途端、思わずこめかみを押えていた。

 チャールズ卿の暴言が予想以上にひどくなっている。何としてでもこれ以上暴走させないようにしなければならないが、父であるフェアモント公爵に相談しても何の解決にも繋がらないのは明白である。できる限り、自分が食い止めるしかない――カーティスはそう考えている。

 ただし、いくらカーティスでもいつまで神経が持つかはわからない。今はまだ、チャールズ卿のカーティスへの態度はそれなりの敬意を払ったものである。一応、宰相という地位を考慮しているのだろうが、いつその箍が外れるかは誰にも予測できないのだ。

 つい今しがたのチャールズ卿との遣り取りを反芻した。ひどく疲れを感じて、重い溜め息をつく。

(チャールズ卿はああ言ったが、卿こそが、リエナ殿下に執着しているのだ)

 カーティスの心に苦いものがこみ上げる。チャールズ卿が王配となった後、リエナを主君として尊重し、同時に伴侶として支える気持ちなど微塵もないことは、最初から分かっている。

 それにもかかわらず、既に議会で二人の婚姻は承認されている。リエナが戻れば当初の予定通り、すぐにでも婚約発表し、準備が整い次第、婚礼の儀が執り行われるのだ。卿が王配になってしまえば、リエナは拒むことができない。世継ぎを儲けることが女王の最大の義務の一つである以上、どんなに耐え難くとも受け入れるしかないのだ。

 残念なことにカーティスは、チャールズ卿の隠された趣味――美しい貴婦人をわずかずつ傷つけ、哀願する姿を鑑賞すること――の詳細までは知らなかった。もし知っていれば、もっと別の手段を使ってでも婚約を阻止しただろう。もちろん、卿が今まで数多くの貴婦人を弄び、問題を起こしても公爵家の権力と金銭でもみ消してきたことは承知している。けれど、まさかこれほどに残酷な趣味だとまでは知る由もなかった。一歩間違えば、フェアモント公爵家と言えど無事では済まない。チャールズ卿もそれを承知しているからこそ、徹底して隠し通してきたのだ。

 卿にとってリエナは、王位奪還のために重要な駒であると同時に、このうえなく美しい、まさに極上の獲物なのだ。カーティスにもそれはわかっていた。リエナとの婚礼をさぞ楽しみにしていただろうということも。

 しかし、ルークに目の前で奪われた。しかもよりによって、婚約発表の三日前だったのだ。卿の恨みは激しくなりこそすれ、治まる気配はない。

 ムーンブルク復興のためには次期女王であるリエナは絶対に必要な存在だった。けれどリエナ本人のためには、ムーンブルクに残るのとルークと出奔することのどちらがよかったのか――正直なところ、カーティスにもわからなくなっている。

 あのままムーンブルクに残っていれば、リエナの生命はあとわずかだった。それも単に生命を奪われるだけではない。肉体的にも精神的にも極限まで傷つけられた果ての死が待っていた。そこにはリエナの女王としての尊厳など存在しない。そしてルークもその未来を知っていた。

 だから、ルークはリエナと出奔した。客観的には拉致にしか見えない手段を採ってまで、リエナを救い出した。ルークの行動は、考え方によってはムーンブルクをも救ったとも言えるのだ。

 ルークにとってリエナは、心から大切な存在――まさに生命懸けで守り抜いてきた想い人である。拉致同様での出奔など、生半可な覚悟でできることではない。万が一追っ手に見つかった時どうなるのかも、当然予測しているはずだった。それでもルークは、リエナ一人のためにすべてを捨てた。常識ではとても考えられない。しかし、そこに躊躇いは感じられない。計画も綿密を極めていた。準備も何もかも細心の注意を払い、自分一人で極秘で行ったのだろう。離宮に侵入した形跡はなく、出奔後は影すら残していないのが、何よりの証拠だった。

 人間として、また一人の女性としてなら、リエナはルークと出奔して幸せになっているはずだった。ただしカーティスも、あの責任感の強いリエナが、祖国の復興に生涯を捧げようとしていた次期女王が、突然現れたに違いない想い人の誘いに乗ったことだけは、未だに理解できずにいる。

 だが、チャールズ卿とフェアモント公爵家の仕打ちを思えば、責める言葉などかけられない。それどころか、リエナはぎりぎりまで耐えて戦い続けたのだから。

(――リエナ殿下、今頃あなた様は……)

 重い息をはいたが、いくら考えても答えなど出ない。一方、今やるべきことは山積みである。運ばれてきた珈琲を口にして、カーティスは気持ちを切り替えた。

 再び、ローレシアの第二王子アデルの王太子代行に考えを巡らせる。

 今回の発表によって、ローレシアでも捜索は難航しているのだと予測はついた。恐らく今後もルークの発見は極めて難しいと判断したからこそ、今回の発表となったのだとカーティスは考えている。

 チャールズ卿が言うように、ローレシアがルークを見限ったかどうかはともかく、アデルに王太子代行をさせる意図はわかる。ルークが公式に姿を現さずとも、ローレシアにはまだ第二王子アデルがいると印象付けること、同時にこの機会に王太子としての経験を積ませることだろうと推測できる。

 先程チャールズ卿へ話したローレシアへの公式訪問については、カーティスは自分で行くと決めていた。用件は二つ、一つ目はアデルへの挨拶、もう一つは、今後も復興支援を受けられることの確認である。どちらも今のムーンブルクには極めて重要な案件だった。

 本来であれば、ローレシアの方からアデルがムーンブルクへ公式訪問して挨拶をするのが筋である。ハーゴン襲撃前であれば当然そうなったはずだった。既にローレシア国内では内々で披露目を済ませたと聞いている。諸外国へはあらためて王族貴族を招いての披露目の席を設けるだろうが、おそらくラダトームとサマルトリアへだけは、ローレシアからアデルが自身で挨拶に赴くに違いないと考えている。

 アデルも相当多忙になるのは予想がつく。カーティスは至急、ローレシアへの公式訪問のために日程の調整に入った。




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