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旅路の果てに
第9章 5


 ムーンブルクの宰相カーティスは、ローレシア城の客間の一室で安堵の息をついていた。既に日は暮れ、室内には柔らかな魔力の光が灯されている。穏やかなその灯りは目にも優しく、今日一日緊張の連続だったカーティスの疲れをほぐしてくれるようだった。

 今日の午後ローレシア城に到着したカーティスは、ローレシア王アレフ11世との謁見に臨んだ。謁見の間には王の他、ルークの代わりに王太子代行となったばかりの第二王子アデルも臨席していた。カーティスから王とアデルに形式通りの挨拶の口上を述べた。それに対し王は、本来ならローレシアが挨拶に出向くべきところを、ムーンブルク側から訪問を受けたことに対する感謝と労いの言葉を掛け、同時に、ムーンブルク側の一番の懸念事項であった、復興事業への援助の続行を確約したのだった。

 その後、晩餐会が開かれた。王とアデルの他、マーゴット王妃や王妃の父であるエルドリッジ公爵ら主だった重臣も同席していた。贅を尽くした料理と酒が供され、和やかに会話が交わされた。

 王妃と公爵は長年の野望――もちろんカーティスも事情は承知である――がかなって、終始上機嫌だった。カーティスは内心では苦笑を禁じ得なかったが、おくびにも出さず、如才なくアデルの姿を称賛した。

 謁見も晩餐会も一見、いつもと変わらぬロト三国の親善外交に見えた。しかし、両国とも大問題――王太子のルークと次期女王のリエナの出奔――を抱えたまま、互いの腹の探り合いの場でもある。

 無論、両国ともにそんな素振りは微塵も見せない。ただ、互いの世継ぎへの見舞いの言葉と親書を交わし、ロト三国の更なる繁栄への努力――もっとも、今のムーンブルクが目指すのは一日も早い復興である――を約して終了した。

 カーティスは今日一日の出来事を振り返った。

(アデル殿下は、評判通り、いやそれ以上の御方のようだ)

 カーティスは何とも言えない表情で息をついた。カーティスがアデルと正式に対面したのは今回が初めてである。昨年のアデルの成人の儀を祝う宴に招待を受けたものの、以前からのラダトームとの問題の悪化でどうしても都合がつかず、やむを得ずフェアモント公爵一人がリエナの名代として出席したからだった。

 アデルは謁見の時も晩餐会の時も、既に立派な王太子として振る舞っていた。カーティスからの挨拶を受けて、自身の言葉でリエナの一日も早い本復とムーンブルクの復興を願ってくれた。その真摯な姿勢と良い意味での若さを感じさせる物言いに、カーティスは好印象を抱いたのである。

 今、カーティスの手にはリエナへの親書が二通ある。一通はアレフ11世直々より賜ったもの、そしてもう一通は、王太子ルーク名義のものである。

 カーティスは、今一度親書のうちの一通を手に取り、その時の様子を振り返った。

 封筒には、ローレシア王家の紋章が麗々しく刷られている。これは王太子専用のものであるが、もちろんルークの直筆であるはずがなく、アデルの代筆だった。

 同じように、ムーンブルクからも見舞いの親書を持参していた。こちらも同じく、リエナの直筆というわけにはいかない。代筆はリエナの伯母であるオーディアール公爵夫人に依頼したものである。本来はしかるべき王族がしたためるべきものであるが、現在のムーンブルクには王族が一人もいない。無論、公爵夫人の書状は王族女性と同等の典雅なものであるけれど、やはり王子と公爵夫人では違う。アデルがいるローレシアとの現状の差を見せつけられたと感じたのも、事実だった。

 カーティスは慎重に親書の封を切った。本来は未開封でムーンブルクへ持ち帰り、リエナへ直接渡すべきものだが、受け取るべき本人が不在である。しかも今回の場合、そのまま持ち帰ればチャールズ卿が勝手に処分してしまう可能性が高いからだ。

 アデル代筆の親書は内容も文字も、ルークの名代に恥じない、立派なものだった。親書の内容は王家の礼儀に則った見舞いの書状で、文中には療養中のために直筆でしたためることができない詫びが添えてある。もちろん文章は添削されているだろうが、それでも原案はアデル本人が書いたものだと言うのはわかる。文字も一文字一文字が丁寧に書かれ、如何にも誠実でまっすぐな気性の持ち主であるのが表れていて好感が持てた。

(やはり、ルーク殿下の弟殿下であられるか……)

 腹違いとはいえ弟であるからか、どことなく、容姿も気性もルークと共通したものを感じさせた。ルークほどの器の大きさや堂々とした風格こそないが、これは致し方ない。ルークとは何もかもにおいて、経験が違いすぎる。むしろ、昨年成人したばかりの17歳という年齢を思えば、充分に立派なローレシアの世継ぎである。

(あの弟殿下の存在があるから、ルーク殿下は出奔を決意なされたのかもしれぬ)

 本心を言えば、今もルークを恨む気持ちはある。ルークが居なくともアデルというローレシアを継ぐ王子の存在がうらやましくもある。ただ、同時に安堵したのも事実だった。今日のアデルを見る限り、正しくルークと同じ道を歩もうとしていると確信できたからだ。少なくとも、母マーゴット王妃や祖父エルドリッジ公爵のような浮かれた様子は一切なく、真摯に自分に課せられた役割を果たそうとしている姿勢は評価できる。

(ローレシアには、更に成人前の弟殿下がもうお一人いらっしゃる。まだ幼さが残る年齢ゆえにか、兄君御二方ほどの評判は聞かないが、この殿下も将来を嘱望されているのは同じだ。ローレシアはつくづく、世継ぎに恵まれている。それに引き換え、我がムーンブルクは……)

 そこまで思いを巡らせて、脳裏に一人の青年の姿が浮かび上がった。

 ムーンブルク第一王子ユリウス。ムーンブルク城襲撃の際、ハーゴンに重傷を負わせたものの、最後はリエナと自分の妃を庇って生命を落とした王太子である。享年わずか20歳。

(ユリウス殿下。あなた様さえ、いてくだされば……)

 カーティスは目を閉じた。亡きユリウスの姿は今もなお、まざまざと思い出すことができる――否、忘れることなどできるはずがない。

 鮮やかな銀髪と青灰色の瞳を持った凛々しい青年だった。リエナと並ぶと誰もが溜め息をつくほどに美しく、まるで一枚の絵画のようだと称えられた。

 ユリウスは生前、王家歴代最高の魔法使いと謳われたほどの傑出した魔力の持ち主だった。杖術の達人の誉れ高く、ハーゴン襲撃の際には騎士団の大隊を率いて戦い抜いた、ムーンブルク王家を象徴するかのような魔法戦士だった。また学問にも優れ、リエナとともに、失われた古代魔法の研究も行っていた。

 まさに文武両道、古の月の王国の後継者に相応しい王子だったのだ。

 ローレシアのルーク、サマルトリアのアーサー、そしてムーンブルクのユリウス。いずれもそれぞれの国の世継ぎとして申し分のない王太子だった。この三人が公式で揃った最後の日が、リエナの成人の儀を祝う舞踏会――他ならぬ、ルークとリエナの出会いの場でもあったのだ。

 あれから、五年近くの歳月が経とうとしている。

(あの襲撃さえなければ、今頃は……)

 思わず感傷に囚われ、カーティスは力なく首を振った。今更考えても不毛でしかない。それでも、約束されたはずのムーンブルクの未来は失われてしまった。盤石の繁栄を誇った魔法大国が存続の危機に瀕している。千年を超える歴史に幕を下ろそうとしているのだ。

(今後もリエナ殿下が発見される可能性は、極めて低いのか)

 出奔からまだ3か月余り。諦めるには早すぎるが、カーティスはその考えが頭から離れない。懸命の捜索にもかかわらず、二人の足取りは影すらつかめていないのだ。チャールズ卿が領事館に新たな通達を出して捜索を強化した後も、現状は変わっていない。

 今日を振り返る限り、ローレシアもおそらく同じ判断だとカーティスは考えている。ただし、ローレシアにはムーンブルクほどの悲壮さは感じられなかった。無論ローレシアもルークの捜索を諦めたわけではない。懸命な捜索を行っているはずである。しかし、今回アデルを王太子代行として披露したことにより、ある意味区切りをつけたとも言える。やはり、ルーク以外にも世継ぎがいるかいないかの差は、途轍もなく大きいのだ。

 ムーンブルクの行く末がどうなるのか、どこへ行くべきなのか、カーティスには判断がつかない。ただ、今は全力でリエナの捜索を続行し、次期女王不在の間、少しでも復興を進めるしかない。




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